歪んだ一本道4
アレッタと喫茶店での互いの夢の話をお開きにして数日の昼。いつも通りにラフターとロレンツは仕事に取り掛かっていた。
「ロレンツ、お前何か棘が抜けたな」
「ん?」
「表情が柔らかくなってきた、それと強い意志を宿した目だな」
「気のせいだろう」「そうか?何年の付き合いだと思っているんだ」「気色悪いわ」
上司と面を合わせるロレンツがドン引きしている。
「いや、でもt」ボゴッ…彼の渾身の一撃である右ストレートがラフターの頬に飛んでくる。中年男は机から肘が離れ、椅子から転げ落ちた。殴られた側の頬を抑えながら情けない恰好で暫くそのままでいた。イライラを解消できて内面ではかなりすっきりしていたが、表情は硬く険しかった。義手である右手に握りこぶしを作って空っぽの空気を握り潰した。「ジロジロガン見するな」「痛っ、悪かったな。というか義手の右手で殴ってくるのは止めてくれ」
「それは俺の勝手だ、さて続き続き」「ロレンツ」右頬を痛そうに抑えつつ、住所の記された箱と領収書を差し出してきた。「何だよ」「できた品をリベラの客のとこに届けてやってくれ」「リベラか…」極限なまでに嫌な顔をしたが、仕事だから仕方がないとその感情を押し殺す。
「いってくるな」「行ってらっしゃい」店主であるラフターは取引の電話応答などでいなければいけないということもあり一人部屋の中で作業を続けていた。ロレンツは南東区のマフィア本部近くにある大きな鉄製の螺旋階段に向かっていた。カツン…カツン…岩を削ってできたゴツゴツした肌と鉄でできた滑らかな手触りの手すりの間隔は1m弱、下を見下ろせば暗闇が大口を開いて今にも呑み込もうと構えていた。安全柵がある限り落ちることは無いが、何年か前に落下死したものがいたようだ。義手義足を入れた荷物を引っ提げて地上に出てきた。リベラの郊外、廃棄洞窟がある反対側にある郊外に出てくれば強い日差しが降り注ぐ灼熱の太陽が出迎えてくれたが、気分は最悪だった。ラフターが教えてくれた住所を確認したがリベラの中心部にある高層ビル群の中にあるマンションとのことだった。分かりづらいな、糞野郎…。森の中に隠した樹を探すくらい難しいぞこれ。中心部に入るにつれて巨大な高層ビルも増えて車の交通量も都市郊外とは格段に増えてきていた。タナトスにはない高級そうな一軒家、荒ぶるエンジンを乗せて走るスポーツカー、自分は金持ちですよアピールを隠れてしてくるような煌びやかな服装を纏った人々。自分がここにいることすら場違いに思えてくるが、客以外の他人はどうでもいい気持ちでいっぱいだった。
ひそひそ…。完全に悪意を持っている人々の密告話が耳をたたんでいても入ってくる。
「何あの小汚い服装…」
「タナトスの住民じゃないかしら」
「いや~ね、ゴミが地上都市に来るんじゃないわよ」
ガタガタうるさいな、一生喋れないように歯を全部砕き折ってやろうか…。かなり腹黒い考えが彼の中に浮かんでいたがその言葉を行為に映すわけにはいかないこんなところで問題起こしたら面倒だし、もし豚箱行きとなっても困るのは俺もそうだし、アレッタに暫く会えなくなって悲しい思いをさせたくはなかった。
注文先の客の元に辿りつく。ここか…。インターフォンをぽちっとひと押しする。
「はあい」
ガチャッ…。部屋の主は華奢な女性だった。毎日手入れを怠っていないつやつやした茶髪に茶色の瞳。服の袖からのぞかせているのは小柄の体格に合わせた義手、彼女は製作整備店の常連のような存在である。玄関に飾られた花の様に美しい女性だ。
「注文していた品です」
いつも通り不愛想に商品を持って玄関に上がり、義手を取り付けるまでが俺の仕事だ。トルクレンチといった工具類を取り出し、作業に取り掛かる。カチャカチャと金属音が響く家の中、女性は義手が直っていく工程と彼をただ見つめるだけだった。「よし、直りましたよ」古い方の義手をバッグの方に突っ込んで帰る支度に入った。
「あの…」玄関扉を開けようとドアノブを捻った瞬間背後から声が飛び込んできた。体を翻して視線を向けるとなにか言いたそうな表情だ。「何でしょう…」「いつもありがとう」「どうもいたしまして…」口角を少し上げて優しく応答する。
瞳の奥からぽたぽたと何かが溢れ出てくる、俺は何故泣いているのだろう。そういえば俺達を頼るリベラに住まう客の殆どは感謝など碌にせず罵詈雑言を浴びせて決め台詞の「さっさと屑篭に帰れ、塵屑が」と言われることがあった。そのたびに持ってきている工具類で殴り殺したいという衝動に駆られたことも当然あった。制御できないほどの感情を封じているうちにリベラに対して激しい嫌悪感を抱くようになっていたのかもしれない、99人に罵倒されても1人から送られる感謝の言葉がここまで響くとは思っていなかった。




