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愛しい彼

歴史認識について、気分が悪くなる描写があります。

日本が嫌いだった。

日本人が憎かった。

何度も日本を罵った。


でも私は今、この場所にいる。


小さい時は抗日ドラマをみていた。

それには、とても怖い大日本帝国陸軍の兵士が無抵抗の農民を虐殺する場面もあった。子どもにとても優しいおばさんだったのに、刀で切られていた。子どもは殴られてもいた。

とても悔しく思った。祖国の歴史にはこんなこともあったのかと、行き場のない怒りに襲われた。憎くて憎くてたまらない。

いつも考えていた。いつか日本人に会ったらぶつけてやろう、と。


日本の家族がいた。私がまだ日本を怨んでいた時、彼らは私の家の近くに引っ越してきた。ちょうど南京事件があった場所だ。

私は当然憎らしく思ったが、同時に嬉しく思った。愛おしくさえも思った。やっと、この怨みをぶつけることができる…


その時から、私は幼いながらも、住民のおじさんやおばさんに、彼らを邪険にするよう頼んだ。おじさんやおばさんは、祖父や祖母が酷い目に遭っていたため、二つ返事であった。


日本の彼らには息子と娘の二人兄妹がいた。

その兄妹はいつも石を投げられていた。学校でも、帰り道でも。

私も日本の彼らに泥水をかけていた。とりわけ、その兄妹に。

その時の私は何故か親よりもその兄妹がたまらなく憎かったのだ。

兄妹はいつも泣いていた。助けて、と頭を抱えて哭き叫んでいた。それを見て、酷い優越感に襲われた。ゾクリ、と感じた。

憎くて、堪らなく愛おしい… 寵愛の情すら感じていた。


でも、何も感じなくなった。いや、むしろ自己嫌悪を抱くようになった。


私が虐めるときは、兄はいつも妹を庇っていた。妹はいつも謝っていた。私に、庇ってくれる兄に。

兄妹は何をされても無抵抗だ。謝るばかり。


ある時、お気に入りの抗日ドラマを見ていた。正義の人民解放軍が日本兵を成敗する話の。

いつもは、鉄槌を下すシーンから観るのだが、なんとなく始めから見ていた。無抵抗の農民を日本兵が虐殺する…

これはまるで、兄妹と私のような関係ではないか!


それから私は毎晩いつもうなされた。自己嫌悪と、兄妹への罪悪感によって。


気分が乗らない中、ボーッと学校へ歩いていた。信号を待ち、青になったら歩く。いつものことだった。しかし、いつものことでないことが起こった。

黒色のドイツ車であろう大型の鉄塊が、迫ってくる。判断が遅れ、避けられない。ドライバーは眠っているようだ。その時、気付いた。

ああ、私の業がいま私を襲っているのだな、と。

今にも身体が肉塊に変わりかけたときでさえ、私は兄妹に懺悔していた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。


兄妹の貌が思い出された。今想えば、愛らしかった顔。

彼らは辛かっただろう…。異国の地で、住民に嬲られるのは…。


ドンッ!! 不快な衝撃音が響く。ある種、幻想的な音であった。

これで私は消える…


目が醒めた。そこは意外にも、(うつつ)、であった。

夕方であろうか。

しかし、見覚えがない場所だ、病院だろうか…。

起きて周りを見渡すと、兄妹の母親がいた。とても優しげな表情で私を見守っていた。とても安心感がある…。

だが、気になる事があった。何故私が生きているのか。

私は、今までの彼らに対する手酷い仕打ちも忘れて、厚かましくも母親に尋ねた。

曰く、息子が助けたという。 私が轢かれそうになったのに気付いて、私を抱えて転がったというのだ。

さらに、転がった衝撃で気絶した私を、家まで運んでくれたらしい。


なぜなのだろう!! あんなにも私はひどい事をしたのに!

彼らは昔の日本人とは関係ないのに、私は憎しみをぶつけてしまった…。

そんな私を彼は助けてくれたのだ。

彼自身も怪我をしている、右腕と左足を骨折したようだ。私なんかを助けるために…。


なんとしてでも彼に感謝しなければ、そう思いながら母親に彼の所在を尋ねた。


彼は眠っていた。診察で疲れていたのだろう。とても儚い表情で眠っていた。

そして、私は、ゾクリ、とした。過去に感じた優越感などによるものではなく、彼に対する愛おしさによって。


そっと、彼を起こさないように手を繋ぐ。すると、自然と彼への感謝の言葉が出ていた。ありがとう、本当にありがとう、ありがとう、ありがとう……

愛してる、愛してる、愛してる、愛しています……

いつしか、愛の囁きに変わっているとも気付かずに。


その二ヶ月後、彼らは日本へ帰ってしまった。

恥ずかしくて、彼が眠っている時しかお見舞いできなくて悶々としていたが、彼が親の仕事の都合で日本に帰ってしまうと聞いたとき、私はとても悲しくなった。とてもとても泣きじゃくった。

まだ兄妹と仲直りしていないのに、仲良くなっていないのに…

彼の両親に、図々しくも、日本に行かないでと必死に頼んだこともあった。

両親は、私の事を撫でながら、とても謝っていた。

仕事の都合なのだから仕方がないけど、とても彼を諦められるような心情ではなかった。


彼らが日本へ行くとき、私は拗ねて、見送りに行かなかった。

夢じゃないかとさえ思って、必死に醒まそうとした。

しかし残念ながら現実で、次の日には激しい後悔に襲われた。

一目でも彼を見たい…といつも思うようになった。


あれから、8年が経った。日本のことを勉強して、準備する。そして今、私は彼を追いかけて、羽田に居る。

歴史認識について気分が悪くなった方すみません…

作者としては政府の見解に賛成です。


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