究極の闇魔法
土井は会社を辞めた。ダークフォース研究所に入り、装置の改造を行った。実験しては改造し、実験しては改造する日々だった。研究所に入り浸る日が多かったが、年収の急増に家族は誰も文句を言わなかった。
あっという間に三年の月日が過ぎた。この間、山崎は毎年黒色LEDの高出力化を成功させ、石橋は論文作成と学会発表で黒色LEDの知名度を上げていった。数十kW程度の小規模な発電はすでに実用化し、世界中に闇の空間が現れた。
ダークフォース研究所はいつしか最先端の研究所となり、各国の電力会社がパトロンとなった。
ある嵐の日のことだった。雷鳴とともに研究室から声が響いた。
「フハハハハッ。ついに、ついに完成したぞ。我らの究極の闇魔法が!」
魔王ゲノンと化した山崎は土井と石橋を呼んだ。そして二人は装置の中の物体を見た。
装置に置かれていたのは、史上最大の黒色LED。史上最強の闇魔法を発動させる媒体。計算上、東京の全電力を供給する力を秘めている。
「フハハハハッ!」
魔王山崎の笑いは止まらない。
「「フハハハハッ!」」
石橋も山崎を真似て笑った。土井も二人に従った。試運転中の黒色LEDが放つ闇を見つめ、祝杯をあげた。
その後特許の手続を済ませ、石橋は本件を学会に発表した。結果、ある実験の実施が決まった。その内容はサハラ砂漠に大規模発電所を作り、アルジェリア内、一部地域の電力を供給するというものだった。
実験に向けて現地では工事が急ピッチに進められた。ダークフォース研究所でもさらなる改良が図られ、さらに大型の黒色LEDが誕生した。
工事の完了を聞いた三人は改良版の黒色LEDとともにアルジェリアに旅立つ。太陽が絶えず降り注ぐ、不毛の地を闇の力で救うという希望を抱きながら、首都アルジェに着いた。
アルジェからはプライベートジェットに乗り換え、サハラ砂漠に向かう。もうすでに発電所は完成し、あとは黒色LEDを接続するだけだった。だが……。
「おい、あれを見てくれ!」
山崎は機体から見える映像を指さした。
「嘘だろ?」
画面には想定をはるかに超える規模の変電設備が建設されていた。それは一国の全電力を賄ってもあり余るほどだった。
三人に突如連絡が入る、「今回の実験ではアルジェリアの全電力を確保してほしい」と。
アルジェリアは急速に経済発展を遂げ、学生時代のころとは比べ物にならないほど電力を消費している。電気を供給した瞬間、どれほどの闇の球が形成されるか予想がつかない。
三人は回路の変更を求めたが、無断で変更された設計図をもとに工事されたため、出力を制限することはできなかった。
「石橋、LEDからスイッチの距離は?」
「約1kmです」
「太陽照射が750W/㎡だとして、理想状態での供給可能電力は約400万kWか。太陽光線が強ければ助かるが、それ以上に電力が多いとなると……」
「闇に包まれて、凍死だな」
プライベートジェットは三人の不安をよそに飛行を続け、LEDの設置場所に着陸した。灼熱の太陽が降り注ぐ中、開発したLEDを作業員が接続する。今はまだ回路が切断されているため、闇は発生しない。三人は緊張の中、ジープに乗りスイッチのもとへ向かう。
スイッチを入れれば、死ぬかもしれない。そんな不安を抱く三人に現地の工事監督が声をかけた。
「それなら、作業員にさせましょうか。スイッチを入れるだけでしょう?」
監督の提案は三人を守るためのものだが、代わりとなった作業員はどうなるのか? 作業員の命が絶たれてもよいのか?
三人は拒んだ。スイッチは自分たちで入れると伝えた。
黒色LEDから1km先の制御室で三人は下りた。監督の指示でジープが一台手配され、制御室の横に駐車してあった。
スイッチを押した後は全速力で避難しなければならない。ジープを制御室の入口ギリギリに移動し、黒色LEDに背を向けて停車した。
三人は一斉に車から降りようとした。だがそのうちの一人が、残る二人の白衣を押さえつけた。
「死ぬのは俺だけでいい。石橋と土井は逃げろ!」
山崎は二人をジープの中に押しとどめようとした。だが、石橋は山崎の手を払い落とし、ジープを降りた。山崎の注意がそれた瞬間に土井も降りていた。
「あのな、この実験は俺の厨二ノートから始まったものだぞ。そんな俺のアホな発想に、石橋と土井は半生を投げ売ってくれた。もう十分なんだ。二人にはたくさんの特許使用料が入ってくる。一生遊んで暮らせる金だ。生きていれば一生の最後は極楽にいられる。だからもういいんだ。二人は早く避難してくれ。そして幸せな余生を送ってくれ!」
バシッ、という音がサハラ砂漠に響いた。石橋が山崎の頬を平手打ちしたのだ。
「そんなこと言わないでくれない? 山崎君のノートを見て、黒色LEDの発想を語ったのは僕なんだ。僕が延々と語らず、君を誘わなければ黒色LEDと無縁でいられた。今日、君を巻き込まなくて済んだと思う。でもね、山崎君がいなかったら黒色LEDは実現しなかった。君は僕の空想上の産物を実現させてくれた。僕の厨二な妄想を一緒に叶えてくれたんだ。だから僕も同席させてほしい」
パシッ。パシン。
制御室に入ろうとする二人に、土井は一発ずつ平手打ちをかました。
「おい石橋。あと山崎も、俺を忘れないでくれないか」
土井も制御室の入口に駆け寄り、言う。
「俺は確かに最初の開発には関係してない。後から便乗しただけだ。でもな、俺も学生時代はずっと黒色LEDについて語り続け、そのために学歴を重ねてきた。頭の片隅には黒色LEDのことが常にあった。そして今、俺の作った装置で実用化が進んだ。ザッキーとイッシーだけじゃない。俺も人生を投げ売ったんだ。だから、同席させてほしい。闇魔法発動の瞬間に」
二人はまっすぐ土井を見つめていた。
「久しぶりだな、そのあだ名……」
そして、砂漠のど真ん中で顔を上げ、山崎は言った。
「じゃあ、スイッチを押そうか、三人同時に!」
三人は制御室に入り、計器とボタンが並ぶ台の前に立った。中央に『起動』と記された黒いボタンがある。三人は手を重ねボタンの上に乗せた。押せばアルジェリア全土に電気を供給する、奇跡の闇魔法が完成する。同時に発生する闇は三人に襲いかかるだろう。逃げる準備は万端だ。
「発動せよ、われらの黒色LED。究極の闇を見せよ! フハハハハッ!」
魔王山崎の言葉に石橋と土井も呼応する。
「「フハハハハッ!」」
三人は黒の起動ボタンを押した。
計器が変化し、供給電力の数値が急上昇する。アルジェリア全土に送電されている様子が映し出された。だが、その横にあるモニターには闇が広がり始めている。三人は制御室を飛び出し、ジープを最大限のアクセルで駆った。
背後から急速に迫る闇。直径の増加はジープよりも速い。
「もう少し速くならないのか」
「これが最高速度です」
石橋の足はめいいっぱい踏み込まれている。それは横から見ても十分わかるほど。タコメーターは赤を指し、速度もメーターぎりぎりだ。
全速力のジープは、闇との距離を徐々に開いていった。
「拡大が止まった」
山崎のつぶやきに、土井がその声に後ろを振り返った。
彼の言う通り、闇は三人の後方にとどまり、手を広げることはない。すぐ後ろの砂丘の頂上がずっと見えていた。
「石橋、振り切ったぞ!」
石橋は山崎の歓声に微笑みながらもアクセルの踏み込みは止めなかった。
「ジェットに着くまでは全速力です。なんか嫌な予感がします」
石橋はサイドミラーを指さす。
止まっていたはずの闇が膨張し、一つの丘をのみ込む瞬間が三人の目に映った。
「嘘だろ……」
背後から、また猛スピードで漆黒の闇が迫ってくる。その速度はジープの倍はある。
土井は端末を見る。
『リビアへの電力供給開始、進捗9%』
『モロッコへの電力供給開始、進捗11%』
「おい、他国にも接続するとは聞いてないぞ! 俺たちはどうしてくれるんだ?」
「フハハハハッ!」
土井の叫びに山崎は笑っていた。
「おい、山崎。お前……なぜ笑っている? しっかりしろ!」
土井は山崎の肩をつかみ、ゆさぶる。
「土井ぃ。今、目の前で世界をのみ込む、究極の闇魔法が完成しようとしているんだ。実に素晴らしいことじゃないか」
「はぁ? お前は狂ったのか? 俺たちの命が危ないんだぞ! もうそこまで闇が迫っているんだぞ」
山崎の表情は変わらない。声をあげ笑い続けている。
「俺の夢はな、世界を覆う究極の闇魔法の実現だったんだ。エネルギー問題を解決し、人間社会に役立てる闇の奇跡に焦がれていた。それが今、叶えられようとしている」
山崎は呆然とする土井の手を払う。
「俺だってほんとは生きて実現したいんだ、一瞬でいいから、世界を覆うほどの闇をね」
「山崎……まだ闇に焦がれているのか?」
土井の言葉に山崎は笑っていた。だがその眼差しは真剣だった。
「あぁ、俺たちは黒色LEDという闇魔法に、人生の大半を大半を捧げた。ならばとことん闇に堕ちようじゃないか。徹底的に魔王になり、闇の中で夢を叶えようじゃないか。フハハハハッ!」
土井は言葉を失った。ただジープが逃げ切ることだけを願った。闇の接近は止まらない。もはや絶望しかなかった。
「フハハハハッ!」
石橋もついに魔王の笑い声をあげた。今、二人目の魔王が誕生した。
「さぁ、土井も我らとともに闇に堕ち、魔王となれ!」
山崎の言葉が放たれた瞬間、ジープはフルアクセルのまま、闇にのまれた。
闇の中は一切の光が閉ざされ、視界には何も映らない。太陽熱を失った砂漠は一気に冷え、真冬の北海道を思わせる気温となる。そして、この闇は体の熱すら奪っていった。土井はただ静かに耐えた。走り続けるジープが闇を切り抜けることを願った。だが、ジープの速度は徐々に落ち、ついに止まってしまった。
魔王ゲノンの闇魔法と同じだった。あの闇魔法はあらゆるエネルギーを吸収して、別のエネルギーに変換していった。今、三人の体温とジープのエネルギーは黒色LEDによって電力にされている。
もはや体は動かない。絶望しかなかった。
「フハハハハッ!」
山崎の笑い声、山崎が書いた魔王ゲノンの笑い声が聞こえる。
「フハハハハッ!」
山崎に便乗した石橋の笑い声も聞こえてくる。
土井は山崎の言葉を反芻する。もう帰れぬなら、最後は闇に堕ちようと。徹底的に魔王になり、闇がもたらす奇跡を世界にしらしめようと。
土井は決心した。闇魔法を究めた一員として闇に堕ちることを。
「「「フハハハハッ! フハッ! フハハハハッ!」」」
魔王と化した三人の笑いは闇の奥深くに消えていき、彼らの身体も闇に溶けていった。
***
現在、黒色LEDは世界の電力の9割を担っている。開発者三人が生涯を捧げたおかげで、科学的なデータが十分に蓄積されていた。データは世界中に広められ、数年後には黒色LEDの量産化に成功した。特許も消滅し、価格が下落したため、世界各地で大規模発電所が建設された。
黒色LEDはもう闇魔法などではない。立派な科学として人類の生活を支えている。
エネルギー問題はなくなり、二酸化炭素問題からも解放された。人類は自由になり、その欲望は際限なく膨らみ続ける。
広がりゆく闇を止める者は、まだ誰もいない。