ダークフォース研究所
ある日、土井は会社のデスクでメッセージを確認していた。技術職だからほとんど外部のメールは来ない。だが、中間管理職となった今は、客先からもメッセージが来る。客先から来るものは重要で、放置していたらマズいことになる。だから業務の空いた時間に、サッと確認しなければならない。
いつも通りメッセージを確認していると、ある一通が目に入った。差出人はいかにも胡散臭かった。
「山石ダークフォース研究所?」
土井は削除ボタンに指を伸ばす。件名は『装置製作可否の相談』となっているが、名前が怪しく、支払い能力もなさそうな研究所に構ってなどいられない。
削除ボタンを押すと、メッセージは闇の底に消えていった。もう関わることなどないはずだった。だが削除の直前、件名の後方に書かれた言葉が土井の目に入った。
「黒色LED……ザッキー、イッシー」
土井は慌ててメッセージをごみ箱から拾い寄せる。そして、文面を開いた。
出てきたのは、単純な装置製作相談の依頼文。それに画像ファイル三つと、『見積仕様書』と題されたpdfファイル。
画像ファイルには小さなプレビューが映し出されている。一つ目の画像は施設の写真だった。ダークフォースを微塵に感じさせない白の真新しい建屋だった。もちろん壁面には大きく『YamaIshi Darkforce Laboratory』とロゴが付けられていた。二つ目の画像には大手の研究機関しか持っていないような、最新の研究機器の数々が写っていた。
土井は最後の一枚を開く。その画像は二人の男が肩を並べた写真だった。漫画に出てくるマッドサイエンティストのようなボサボサヘッドに、壊れたゴーグルを着け、白衣は煤にまみれている。見事なおそろいだった。だが、写真に写る顔は山崎と石橋に違いなかった。
早速pdfを開き仕様を確認する。中身は金のかかりそうな難題ばかりだった。でも、できないものではない。客先が彼らだと知った以上、土井にとってできないとは言いたくなかった。
土井はすぐに営業へ引継ぎした。社内の協議は二週間に及んだが、営業との同行打ち合わせが決定した。製作可の返答と見積書を持って、山石ダークフォース研究所へと向かった。
山石ダークフォース研究所は、人気のない山の中にあった。無駄に開墾された土地にポツンと研究所の建屋がある。車を降りると、写真通りの二人が出迎えてくれた。
「土井~久しぶり!」
山崎の声だった。汚れた白衣姿で大人げなく手を振っていた。
一方の石橋は「土井君、ご無沙汰しております。石橋です」と挨拶し、名刺を差し出した。その名刺はなぜか黒地で『石橋 良太』という名前と『YamaIshi Darkforce Laboratory』がホラーっぽい字体で白抜きにされている。
営業は苦笑いしながら名刺を受け取っていたが、土井は言った。
「名刺ふざけすぎだろ」
「いやぁ、闇属性感を出そうとしてさぁ、この名刺にしているんだよ」
山崎の回答に呆れた。土井は石橋にも冷たい目線を送る。
「いや、僕もベンチャーらしくていいとは思っているんだけど、日本企業はみんな嫌がるね。僕らのパトロンはみんな海外勢だからいいんだけど……」
土井と営業マンはあまりに厨二を引きずった二人に呆れながら、研究所の中に入った。
応接室で概算金額の提示と詳細の確認を行った。信用度の低さを鑑みた高めの金額をしたのにも関わらず、彼らはすんなり了承した。金の件をこっそり確認すると、不思議なほどの資金が彼らにはあった。
問いただすと「理由を教えてあげる」と言って、二人はテーブルにあるものを持ってきた。
それは乾電池一個で動くミニ四駆のモーターと、透明な直径5mmのLEDだった。山崎はそれらを土井の目の前に並べ、石橋がスイッチ付のワニ口クリップで結線した。
回路にあるのはモーターとLEDとスイッチだけ。たとえスイッチを入れても動くはずはない回路だ。
「さぁ、スイッチを入れてみてくれ」
自信ありげに山崎は言う。横にいる石橋もにこやかにスイッチが押される瞬間を待っている。
土井は営業マンと一緒に顔を近づけ、ワニ口クリップの中間に付けられたスイッチを入れた。
透明だったLEDからは漆黒の光が放たれ、モーターは音を上げて回転を始めた。
「これが黒色LEDです。LEDという名前を用いていますが、実際は光を吸収しています」
「それなら、LAD(light absorbing diode)じゃないか」
「変な言葉作るより、黒色LEDって言った方が分かりやすいだろ」
「まぁ、確かに」
土井は二人と冗談を言いながら、不可思議な現象を食い入るようにして見ていた。だが、闇の光に手を伸ばした瞬間、石橋に制止された。闇の中には熱が伝わらないため、触れると凍傷になる危険があるとのことだった。
「現段階での出力は3Wほどですが、これから改良して最終的には世界中の電力を賄うものにする予定です」
土井はスイッチを切った。闇の空間は消え去り、モーターは停止した。その様子を見た後、山崎に問うた。
「いいのか? こんなもの見せてもらって。私は妨害するつもりはないですが、新規性を失って特許を取れなくなったり、論文を先取りされる危険もある」
山崎は右手を振り、否定した。
「実をいうと、手続きは全て済んでいるんだよ。特許は申請受理されたし、Natureに論文も投稿した。当然、記述は科学的なものにしてある」
「では、なぜこれほどの発明が無名のまま埋もれている? 青色LEDの発明のように取り上げられないのはどうしてですか」
「それはね、僕らの発明は僕ら以外の人には実現が難しいんですよ」
「難しい?」
「科学的で再現性はあるのだけど、工夫がいるんだ。それを他所では真似できない」
「だから、僕らは黒色LEDを闇魔法と呼ぶんです」
「世界に対して、この研究所では闇魔法の研究をしていると謳っている。そう言えば大半の奴は逃げていく」
「それでも技術だと信じてくれる人が、僕らのパトロンになって、山石ダークフォース研究所を支えてくれているんです」
土井と営業マンはただ言葉を失っていた。土井は彼らを知っているが、見ず知らずの人だった営業マンはよりショックが大きい。
製造業の世界で『闇魔法』などという言葉を連呼する客は初めてだ。日本企業が見向きもしないのは頷ける。彼らの相手をする海外企業は一体どこか。土井にはわからない。
「装置の件ですが、われわれは仕様が確定しだい、御社の提示金額で注文を出せます。御社しだいです」
二人は強気だった。営業マンが出した見積金額は7500万だ。受注してきちんと回収できれば、一気に営業成績トップに躍り出る。同時に闇魔法の世界に堕ちた会社だと言われる可能性はあるが……。
土井と営業マンはこの案件を社内に持ち帰った。
上層部との協議の末、会社は営業成績を取った。そして、土井は山崎と石橋のために闇魔法の研究装置を設計し、無事納入した。
***
さらに二年の歳月が流れた。あれから山石ダークフォース研究所からの受注は一切なかった。
山崎と石橋からは個人的な連絡も一切なかった。装置の出来が悪かったのだろうかと土井は一人思いながら、設計業務を続けていた。
ある金曜の夜だった。土井のポケットの中で端末が震えていた。画面には『山崎 友弥』と記されていた。
今はもう残業時間。オフィスを抜け出し、土井は電話を受けた。
「おう、土井か。ついにできたぞ」
「なんだ?」
「究極の闇魔法が完成したのだ。フハハハハッ!」
どこか聞いた笑い声。それは昔のザッキーがノートに書いた魔王ゲノンの笑い声だ。
「来いよ昼間のうちに、明日は休みだろ。イッシーもいるから」
土井は突然の山崎の言葉に押され、約束した。
翌日、家族を置いて一人、山石ダークフォース研究所に向かった。
車を停めると、さっそく二人が出迎えてくれた。二年前と同じボサボサヘッドに壊れたゴーグル、おそろいの煤けた白衣姿でやってきた。
「二年ぶりだな。元気だったか」
「おう、俺は大丈夫だ」
「それは良かった。土井君にちょっと見てもらいたいものがあってね」
石橋は土井を連れ、無駄に開墾された空き地に案内した。
そこにはブルーシートが引かれ、3系統のコンセントには掃除機と電子レンジ、ドライヤーという高消費電力家電が接続されていた。その先には『AC100V!』と記されたインバーター。さらに先にはスイッチと10mmほどの黒色LEDが接続されている。
「ここに並んでいる家電の総消費電力は3.5kW。30A契約の家庭であればブレーカが落ちる。土井、スイッチを入れてみてくれ」
山崎の指示に従い、土井はスイッチを入れた。だが……。
「どうした? なんにも変わってないぞ」
「土井君、黒色LEDは消費電力に比例して闇の空間を作るんだよ」
石橋はそう言いながら、掃除機の電源を入れた。
モーター音とともに黒色LEDは闇を放ち、球状の闇の空間を作り上げた。その大きさは二年前より大きい。
さらに石橋はドライヤーの電源を入れ、HOTモードにした。土井の頭に向かって最高風量の風を送る。その風は間違いなく温風だった。LEDの方を見ると掃除機だけのときに比べ、闇の空間は大きく膨らんでいた。
奥では山崎がタッパーをレンジに入れている。そして、最高出力1000Wに設定し、スタートボタンを押した。電子レンジの明かりが点くとともに、闇の空間はさらに膨れ上がった。今や直径2mほどの球をなしている。
山崎は球のそばで手を広げ、叫ぶ。
「これぞ我が暗黒の魔弾。究極の闇魔法だ!」
科学者に似つかわしくない、闇魔法という非科学的な台詞。だが、土井の目の前で繰り広げられる光景は、少年時代にプレイした、ゲームのボスが放つ闇魔法そのものだった。空想の世界が現実に変わっていく瞬間。それをかつての学友と共に今、体験している。土井はこの漆黒の光景に、ただただ目を輝かせていた。
電子レンジが停止すると闇の球はしぼんだ。石橋はドライヤーと掃除機の電源を切った。消費電力ゼロとなった瞬間、闇の空間は消えた。
実験の後、三人はブルーシートの上でタッパーの中身を開けた。入っていたのはおにぎりだった。きちんと加熱され、湯気が立ち上っている。男三人横に並んで座り、おにぎりを頬張った。
土井の手元にあったおにぎりが無くなったころ、山崎が口を開いた。
「なぁ、土井。うちに来ないか?」
「なんだよ急に?」
二年間も連絡していない間柄だ、土井には山崎の言葉が信じられなかった。
「装置の改造をして欲しいんだ。黒色LEDの大型化のためにね」
「大きなパトロンも付いたし、我が研究所にも十分な報酬で人を受け入れる資力ができたんだ。報酬はこれでどうだ?」
山崎は土井に向かってピースした。
「月給20万? 冗談だろ? 俺には家族がいるんだぞ」
「なんだよ、指20本ないからこう表現しているのに。2000万だよ。年俸だけどな」
次話で完結します。12/2に投稿します。