第一話 ドローン・ファイト
旋回する。捻れる。『雄蜂』たちは不規則に飛ぶ。
二機の雄蜂は縦横無尽。ひらひらと、鼻の向くまま舞い踊る。
一機の雄蜂が輪を描けば、もう一機が捻り込むようにそれを追う
追う機首が、敵機を中心に捉えた。
機銃発砲。尾翼に着弾。
尾を飛ばされた敵機は、きりもみ回転で墜落し、地面に激突して爆破炎上した。
高速戦闘機〈シャンデル〉の雄姿は、敵の見る最後の光景となるだろう。
第一話 ドローン・ファイト
『新規設計の高速エンジン搭載! これでヤツの背後を獲れる! 新規ドローンファイト用戦闘ラジコン〈シャンデル〉スターター・キット好評発売中!』
賑やかしで付けっぱなしにしていたテレビからCMの音声が響く。
クアッド・ラプターはそれを聞き流しながら、分解された機械で雑然とした自室の中、ドライバーを回していた。弄っていた機械の裏蓋を閉め、しっかりと密閉されていることを確認する。
「よし、完成か」
クアッドが弄っていたマウスを置いた瞬間、部屋の扉が荒々しく開けられた。ノックはない。
「ちょっとクアッド! もう学校に行く時間でしょ!」
時計を見ると、もう八時半を過ぎていた。
「デュア……。あれ、また徹夜したか」
「また徹夜ぁ!? そんなに徹夜してたら背伸びないよ?」
物置よりも汚いクアッドの部屋を、機器をかき分け入ってくるデュア・リーパー。
「今度は何を作ってたの?」
「これだ」
卓上には、赤いマウスが置かれている。
「ただのマウスじゃない」
「ただのブルートゥースマウスじゃあない。これは自己成長型の人工知能を搭載してPCの操作だけでなく統合的にサポートしてくれるMMIの一種で……」
クアッドが感情のこもらない声で説明する、が。
「よく分かんないけど、もう学校始まるってば!」
デュアは無視してクアッドの腕を引っ張った。
「ちょ、ちょっと待ってって!」
クアッドはとっさに卓上のマウスを掴んだ。
デュアは、高校生であるクアッドの唯一の、人間である友人だ。常日頃人と関わらずいつも何かを工作しているクアッドには、幼少期に家が近所で家族ぐるみの付き合いだったデュア以外に、友達はいなかった。
「まったく、クアッドは天才的な工作の腕を持っているのに、勿体ないよね」
何とか身支度を整えさせたデュアは呟いた。
クアッドの工作の手腕は大したもので、小学生にしてエンジンを設計したり、中学時には高効率のタンデム積層型太陽電池の高効率化等、特許を年に十本以上書くほどの非凡の才能を持っている。
「どうして普通の学校に通ってるの? そんなに工作やら発明が好きなら、前々から誘われてるMITに行けばよかったのに」
クアッドは、州の大学から声をかけられていた。いわゆる飛び級入学として、大学で研究を行なわないか、と誘われていた。
「今日も来てたよ? ほら」
デュアはクアッドの目の前に名刺を放った。名刺にはMITのエンブレムが印刷されている。
クアッドは、それを見ずにポケットに突っ込むと、チラとデュアの顔を見ながら、
「放っといてくれ」
とだけ言った。
「そうそう、そういえばクアッド、まだ部活入っていなかったよね」
「あぁ、そうだったかな」
「先生に頼まれたのよ。一応、高等部では一度は必ず部活に入るようにってスタンスだから。うちの学校」
教師は、何かにつけて世話焼きのデュアにクアッドがらみのことを任せることが多かった。デュア自身もまんざらでもないらしい。クアッドにははた迷惑な話だが。
「それも放っておいてくれ」
「駄目よ。義務なんだから」
「罰則はないんだろう?」
「もう、そんなんだから友達出来ないのよ?」
「それもまた放っておいてくれ」
「駄目よ」
「チッ」
「そうだ! 私と同じ部活はどう?」
「デュアの部活?」
「そう! 私も面倒見れるし、ちょうどいいじゃあない!」
「余計なお世話だが」
「……」
デュアはじろりとクアッドを睨んだ。気圧され思わず眼を逸らす。
「……何の部活だったか?」
「ドローンファイト部!」
「ドローンファイト?」
「そう! ラジコンの飛行機を飛ばして、それで空中戦をやるゲーム! いま全米で大ヒットしているラジコンスポーツだよ? 知らない?」
「あぁ、TVとかで見たことあるな。戦闘ラジコンがどうとか」
クアッドは今朝見たCMを思い出した。
「そう、それ! 意外とアツくなれる本格的なゲームだよ! やってみる?」
「……興味ない」
「じゃあやってみよ!」
話が繋がらない。
「今週の日曜! ちょうどイベントあるから、学校で待ち合わせね。迎えに行くから!」
「放っておいては……」
「……」
「くれないか。やれやれ、分かったよ」
クアッドは不承不承了解した。
○
日曜、午前七時。クアッドは、学校の校門先でデュアを待っていた。その際の暇つぶしに、先日創ったマウスを取り出す。
ベンチの上にマウスを置くと、それはひとりでに動き始めた。
「よしよし、問題なく動くな。随分と手間取ったが」
クアッドがそっとマウスの背を撫でると、そのマウスは嬉しそうに筐体を左右に振った。
「名前が必要だな……。そうだ、カヴァリエってのはどうだ。」
カヴァリエは、クリッと筐体をひねった。喜んでいるようなモーションだ。
「それじゃ、今日からよろしくな、カヴァリエ」
「おまたせー」
声に振り向くと、自分の車に乗ったデュアが乗り付けた。
「さ、乗って!」
カヴァリエをさっとしまい、クアッドは助手席に乗り込んだ。
「それで、今日は何をするんだ?」
「実は今日、中央公園で大会があるの。それを見学してもらって、あとでちょっと予備機で練習してみようよ。クアッドにも動かし方、教えてあげるね?」
「はあ」
「結構大きな大会なのよ? 中央公園一帯の空域、陸路に交通制限をかけて、一日かけて行われる大会よ。イベントゲストとして『ブラス・プラス』も来るんだから。聴いたことない?『ブラス・プラス』」
「知らないな」
「世俗に疎いわねー」
「放っておいてくれ」
中央公園に着くと、そこにはすでに数十台もの車が列をなしていた。閑散としていた普段の公園の様相はかけらもなく、一大イベントであることを見せつけるように、大々的に横断幕がはためき、参加者と見物客でごった返していた。
上空にはスタント航空機が飛び、花火を撒いていた。よく見ると、それもラジコン飛行機だ。
「こんなに有名なイベントなんだな」
「ふぉうなふぉひょ。へっひょうふぃんふぃあふんひゃかあ」
デュアはホットドッグを咥えながら答えた。左手にはケバブを持っている。
「早速食うなァ、お前……」
「んぐ、まぁ朝食べてなかったからね。私も参加するから、エネルギーがないと!」
「ほぉ」
余剰エネルギーが腹に溜まらなければいいがな、とは言わなかった。
「それで……ちょっと部員の人と打ち合わせに行かなきゃいけないの。だから……」
「あぁ、ちょっとその辺観て回ってるよ」
「うん! もし何かあったらメール(センド)して! じゃあね!」
「おうー」
手をぶんぶん振りながら去るデュアを見送ると、クアッドは苦笑した。
デュアは何をやるにも楽しそうなヤツだが、今回のイベントは特に楽しみだったらしい。声のトーンが一オクターブ高く、話すスピードも倍速い。早回しを見ているようだった。
だが、とクアットは溜め息を吐いた。
「やれやれ。それにしてもすごい人だかりだな」
会場は地面の色が見えないほど人でごった返していた。大晦日のようだ。
「カヴァリエ。どうだ?」
だがこの状況は対人認識プログラムの訓練にはもってこいだ。クアッドは胸ポケットに忍ばせているカヴァリエに話しかける。カヴァリエは胸の中でもぞと動いた。
「起動したてには厳しいシチュエーションかな?」
クアッドがそう洩らすと、カヴァリエは急に暴れ始めた。
「お、おい!」
ポケットの中で暴れ回り、しまいにはポケットから飛び出して地面へと落ちた。
「カヴァリエ!」
カヴァリエは人の足を器用に避けながら、あっという間にどこかへ行ってしまった。
「待てって! どうした! カヴァリエ!」
クアッドは慌てて、カヴァリエの後を追った。
カヴァリエの自己成長性を効率良くするため、カヴァリエのAIは製作者であるクアッドの、カヴァリエに対する命令権を絶対としていない。自分の成長を第一目標思考する設計になっていた。
「カヴァリエ!」
もしもの時には電話一本で緊急停止できるようにはなっているが、今の状態では、ペットと同じく躾けないと言うことを聞かないこともあるようだ。
「くそっ、どこ行った?」
クアッドは周りをくまなく見ながら走った。カヴァリエは高度な人工知能を積んでいるとはいえ、筐体はただのマウスだ。踏めば一発で破壊される。
急いで回収しなければとカヴァリエに気を取られていたクアッドは、前方をよく見ていなかった。
「うわっ!」
「きゃっ!」
クアッドの胸に何かがぶつかり、短い叫び声が上がった。
「あ、すまな……」
眼の前には小学生程度の子供がいた。女の子だ。その手前には、左翼の折れた飛行機が落ちていた。
「あっ……」
その主翼には番号が印字されている。それが出場機だということは、クアッドにも解った。
「ふ、ふぇ――」
女の子は表情を歪めた。
まずい。泣く。
「――うわぁぁあああああああん!」
「え、あ、その、すまない……」
クアッドが謝っても、翼は繋がらない。
「壊したぁぁああああああ!」
女の子が大泣きすると、小太りした髭面の男が駆け寄ってきた。どうやらこの子供の父親のようだ。
「おやおや、だから気を付けて扱えと言っただろう、ヨーコ」
「このひとが、このひとが!」
女の子は地団駄を踏み、身体全体で不満を表しながらクアッドを指差した。
「……私のせいです。すみません。ちょっと余所見をしていて」
父親は、謝るクアッドを非難せずただ泣く娘の頭を撫でていた。
「この人の責任ではないよ、ヨーコ。アクシデントを避けるために、お前が細心の注意を払うべきだったんだよ」
「でもぉ!」
父親に縋りつき、シャツの裾で涙をふく女の子。
「また来年来ればいいさ。今日は試合を見学して帰ろう?」
「うぁあああああああっ」
やはり、出場予定の子か。
「……ちょっと、いいですか」
クアッドはしゃがみこみ、壊れた飛行機をチェックした。
「電装系統は……切れていないな。フラップも折れていない。折れたのは主翼の外装と骨だけか」
クアッドはぶつぶつと呟いた。それを聞いた父親は眼を剥く。
「君、修理できるのか?」
「えぇ、流体力学を習った時に例として航空機の構造については習っています。工具って持っていますか?」
「あぁ、車の中にひととおりあるが」
「貸してください。あと大会規程も」
「あ、あぁ」
幸い、損傷は致命的なものではなかった。父親がラジコンと同時に買い与えたキットでも修理は可能で、それはクアッドにとっては然したる手間でなかった。
主翼を継ぎ、芯としてアルミの中空パイプを埋め込む。バランスを加味して、折れていなかった右翼の方にも手を加えた。
半時間程度で、航空機は元の雄姿を取り戻した。
「君はすごいなぁ」
父親は素直に感心した。
「いやぁ、娘がやりたいっていうからこの『ドローンファイト・スターターキット』を買ったんだが、私はどうにも機械に弱くてね。これもほとんど近所の人に手伝ってもらって作ったんだ」
機体の工作精度は、クアッドの目で見ても素人丸出しのずさんなものだった。それでも、一応強度は保てるように組まれている。
「いえ、幸い大したダメージではありませんでしたので。少し翼が重くなりましたが、反対側にもカウンターウエイトを入れてありますので、バランスは取れているはずです。規程にも違反していません」
「なるほど……しかし君は、ドローンファイトが好きなのかい?」
「なぜです?」
「君の修理の手際、見事だった。慣れているように見えた」
「いえ、機械いじりが好きなもので」
それじゃ、とクアッドは手を振って去ろうとする。
「ふむ……」
父親はあご髭をさすりながらしばし考えると、口を開いた。
「どうかな君、もしよかったら娘の代わりに出場てみないか? 大会に」
「わ、私がですか?」
「正直な話、娘の操縦は極端に悪い。大会に出場しても勝ち抜けないだろう」
「でも、娘さんが出場たいって仰ったんでしょう?」
「娘は飛行機が飛ぶ様は好きだが、技術の方はからっきしなんだ。練習用のゲームもサボりっぱなし。まともにやる気がないのだ。それならばぜひ、君に操縦してほしい。……ほらヨーコ、飛行機直ったぞ」
「うおーほー! すごーい!」
「どうだ? この飛行機、お兄ちゃんに操縦してもらってはどうかな」
「この人に?」
「あぁ、きっとカッコよく飛ぶぞ」
「いぇい! OK! 飛んで!」
女の子は、にかっと笑ってクアッドに言った。歯列矯正用の金具が口から覗いた。
「い、いいの?」
「いい! 私はクールな飛行機が観たいの!」
「で、でも……」
「シミュレーションゲームなら持ってきている。練習はできるから。私からも頼む」
「……」
飛行機を壊した手前、断りづらい。
「分かりました。でも私も実際に飛んだ経験はありません。どこまでやれるか判りませんよ」
「いいよ。それで充分だ」
父親は優しく微笑み、クアッドの肩を持った。
○
クアッドたちは、父親の所有するステーションワゴン車へと向かった。
父親は後部座席に操縦桿やペダルを設置して屋根にアンテナを立てると、クアッドを招き入れた。
「さぁ、こっちだ。これがドローンファイト用操縦装置だ。すべての配置は、実際の飛行機と同じにしてある」
クアッドは、後部座席に腰を下ろす。
足の間には、操縦桿が一つあり、両足用のペダルがある。だが他には何もない。
「えっと……?」
クアッドは父親の方を見た。
「計器には、これを使う」
父親が差し出したのは、大きなVRゴーグルだった。被ると、目の前に巨大なヨーコの顔があった。
「うわっ!」
父親は笑った。
「そのヘッドマウントディスプレイ(HMD)で計器や周囲の状況を見るんだ。顔を動かしてみろ」
クアッドは顔を振った。それに合わせて飛行機のカメラも動き、まるでコクピットに座っているような疑似感覚を与えた。
手元には高度や水平、対気速度、傾きなどを示す計器や、エンジン始動など頻度の低いスイッチがバーチャルに投影されている。
「操縦桿とスロットルレバー、方向舵ペダルだけでエンジン始動以外の全ての動作ができるような設計になっている。操縦桿には武器発射スイッチ、レーダーコントロールスイッチ、操縦桿のパワステの設定を切り替えるスイッチが付いている。スロットルレバーには武器の種類切り替えスイッチ、順番切り替えスイッチ、無線スイッチ、車輪格納スイッチ、リバースレバーが一体になっている。まぁ詳しくはおいおいな」
「は、はい」
「それじゃあ早速、バーチャル訓練で離陸をやってみよう。私も予備のHMDで見ながら指示を出すから」
父親は、クアッドの隣に座った。
「よろしくお願いします」
クアッドは姿勢を正した。
「ヨーコ、その飛行機を滑走路に置いてくれ」
「はーい」
娘は、飛行機の裏にあるスイッチを入れると、運営が設えた滑走路の端に置いた。
「まず、バーチャルのエンジン始動スイッチを押して。操縦桿に右手を、スロットルレバーに左手を置くんだ。エンジン始動。プロペラ回転確認」
「はい」
クアッドは前方を見た。プロペラは時計回りに回転を始め、すぐに像が見えないほど回り始めた。
「操縦桿を左右に倒して、翼の補助翼が動いていることをチェックするんだ」
「はい、大丈夫です」
「次に前後に倒して、後ろの水平尾翼が動いていることを確認」
「問題ありません」
「足のペダルを左右交互に踏んで、方向舵の確認」
「動いています」
「高揚力装置は」
「……付いていないようですが」
「そうだったか。よし、動作確認異状なし。これより離陸する。スロットルレバーを奥に倒して加速を始めるんだ。速度計を見て、60ノットになったら操縦桿を引いて離陸。いいか?」
「は、はいっ」
クアッドはスロットルレバーをゆっくりと倒し込んだ。機体の揺れが大きくなり、景色が後ろに流れ始める。
「よし、いいぞ。操縦桿を引けっ」
「はいっ」
ぐぐ、と重みがあるレバーを引くと、機首がふわりと上を向く。
「ゆっくり。あまり早く引くと尻を地面にこするぞ」
「はい」
ちらりと後ろを見ながら、操縦桿を握る。しばらくそのまま維持していると、急に機体の振動が穏やかになった。
「離陸。そのまま。充分地面から離れたら、車輪をしまって」
スロットルレバーに付いたボタンを押すと車輪は本体に折りたたまれ、扉が閉まった。
「いいぞ。そのまま。フル・スロットル。方向舵を横に倒すと機体が傾く。水平計でいま自分が重力に対してどれだけ傾いているのかが分かるようになっている。傾斜計で機首がどれだけ上を向いているかが分かる。ペダルを左右に踏めば方向舵が動き、機体の向きを変えることができる。とりあえず機体を水平にするんだ」
「はい」
クアッドは、計器を見ながら機体を水平に持っていった。
「早いな。いいぞ。その状態で方向舵を動かして機体の向きを変えてみるんだ」
クアッドは言われた通りにした。しかし、機体の向きは変わっても、進行方向は変わらない。ただ景色が斜め後ろに流れてゆくだけだった。
「そう、方向舵だけでは進む方向は変えられないんだ。操縦桿を同時に倒して、機体を傾けながら方向舵を倒すと曲がることができる。やってみろ」
「はい」
クアッドにも解りかけてきた。操縦桿をぐっと倒し、高度を変えずに奇麗にターンした。
「高度を変えなかったな。それでいい。方向舵で機体の向きを。操縦桿の左右で機体の横の傾きを。操縦桿の前後で機体の前後の傾きを操作するんだ。基礎はできるようだな。今度は武器だ。今回は、機銃しか積んでいない。機銃を撃ってみろ」
「はい」
クアッドが引き金を引くと、ハの字に光りが奔る。
「実銃じゃあない。曳光素材を含んだエアガンだ。機体は破壊できるが周囲に影響はまったくない。遠慮なく撃ってくれ」
「はい」
「それじゃあ次に、インサイドループについて説明すると――」
チュートリアルは一時間ほど続いた。
クアッドの呑み込みは異様な速さで、一言説明すればそれをすべて理解し、自分のものにしていった。
「――よし、着陸までできたな。これでチュートリアルは終わりだ。どうだったかな」
ゴーグルを外し、クアッドは顔の汗を拭く。
「なかなか興味深いですね。でも実戦で、どれだけやれるかどうか……」
父親はクラッドの肩をポンと叩いた。
「なぁに。そう気負う必要はない。もう半分以上、私たちの目的は達成されているのだから」
父親がちらと眼で示した先では、娘が着陸した飛行機の傍で大はしゃぎしていた。
「ワーオ! クール! お父さんの操縦よりも恰好良かった!」
「その一言はちょっと傷付くな……」
父親はがっくりと肩を落とした。
「それとクアッドくん。これは要請ではないけれど、できるならば娘に、その飛行機の勝利を見せてやってほしい。もし機会があるなら、だが」
「……分かりました。やってみます(アイル・テイク・マイ・チャンス)」
「あぁ、頼んだぞ」
○
『さぁさ、始まりました! 第二十三回ドローンファイト、地区予選ボストン大会! 今年も犬どもが涎を垂らして寄ってきた! 皆さんが大会規格をキチンと読んでいると良いのですが、規程をギリギリ破ったモンスターマシンどもが勢ぞろいだ!』
実況の声がけたたましく会場に響いた。すでに滑走路にスタンバイしている機体は二十を数えている。
『今大会は予選でおよそ二十機から一機を選出。その後決勝戦で優勝機一機を決定! その優勝者一名が全国大会に出られるぞ! 総参加者379名の大会、それでは早速、予選第一試合行ってみよう!』
わぁ、と観客席が沸き立った。何人かは口笛を吹いて囃し立てている。
公園中央、池の上空がドローンファイトの舞台。池を取り囲むように観客席が設けられている。落下物を防ぐため、アクリルの屋根が取り付けられている。
そこから少し離れた特設駐車場には何台もの車が停められ、中では選手が操縦桿を握っていた。
『戦闘エリアは高度600フィートまで。それ以上上昇すると警報が鳴ります。それでは犬諸君! エンジン始動!』
全機体がかすかに振動し始めた。一斉に滑走路が騒がしくなる。クアッドもバーチャルスイッチを押し、プロペラを回した。
『離陸! 』
放射状に設置された滑走路から、まるで碧空に引き寄せられるように20ものラジコン飛行機が舞い上がる。
『今から一分後に戦闘開始だ!』
クアッドもスロットルレバーをぐっと押し込んだ。Gは感じないが、プロペラが高速回転を始め、機体がぐぐと前に押し出される。速度60ノットに達した時に操縦桿を引くと、機体は宙へと飛び上がった。
いつもと同じ、毎日見飽きていたはずの景色はすぐに眼下へと遠のいてゆき、見えてきたのは、ヒヤリとするような、息を呑む光景。自分の意志で飛ぶ上空の景色をHMDのゴーグル越しに視ると、地元の街はがらりと変わって見えた。自分がいた滑走路が瞬く間に一本の線になり、観ていた観客たちもすぐさまセサミのように小さくなって消える。
クアッドの頭部の動きにシンクロして旋回する全方位カメラは、地上から口をポカンと開けながら見上げている人々の表情までつぶさに捉えていた。最先端の無線技術により、その高精細な映像はほぼタイムラグなしでクアッドの視野に映し出された。
「これは夢みたいだな」
クアッドはつい洩らした。
まさに、本当に自分が飛行機に乗っているかのような感覚。しかも自分が慣れ親しんだ街の上空を飛び回れる。これはクアッドにとって衝撃的だった。
周りには様々なデザインの飛行機が飛び回り、まるでダンスを踊っているように旋回を繰り返していた。
すでに戦いは始まっていたのだ。少しでも有利な位置取りで試合を始めようと、全機がひっきりなしに旋回を行なっている。
『戦闘、開始ィ!』
実況があらんばかりの声量で叫ぶと、ホーンが鳴り響き、周囲の機体は一斉に向きを変えた。
〈ピピピッ〉
「えっ?」
クアッドの耳に突如電子音が響く。
画面には「LOCKED」の文字が。
「ロックオンされたっ!?」
クアッドは慌てて操縦桿を倒す。
後ろを振り返ると、白い尾をひくミサイルが一基、こちらに迫っている。
「ちぃっ!」
操縦桿を左手前に引き、ローリングしつつ旋回を始める。
それに合わせて、ミサイルも方向を変えた。
「ホーミングミサイルか!」
今度は操縦桿を右奥に倒す。すると地面がぐるりと頭上に回った。
「うわっ!」
反射的に操縦桿を戻そうとするが、寸でのところで踏みとどまる。
「このまま地面に引きつけて……」
〈ピピピ……ピピピ……ピピピピピ……ピ――――ッ〉
「ここだっ!」
ミサイルを数メートルまで引きつけ、地面すれすれで操縦桿を思いっきり奥に倒す。クアッドの機は数十センチのところで地面との激突を回避したが、ミサイルは追従しきれずに地面に激突、爆発した。
観客から見れば花火程度の小さな爆発だが、RC機には充分な威力。当たればおしまいだ。
このゲームでの武器は、ミサイルと機銃か。クアッドは視界の端に目をやった。
『ミサイル:2基
機銃:左198/右197』
ミサイルは2発、二門ある機銃にはおよそ400の弾がある。周囲を見てもミサイルは四基か六基ほどしか搭載されていない。重量による機動性の制限や空気抵抗を考えてもそれくらいだろう。
クアッドは武器を機銃に切り替えた。初めから当たるか分からない武器よりも、確実に狙えるものがいい。そういう判断だ。
操縦桿をめいっぱい引き頭上を見上げると、先ほどミサイルをけしかけた機が視界に入った。攻撃失敗と見るや、反転して距離をおこうとしている。
逃がさない。クアッドはスロットルを倒し切った。眼前のプロペラの像は掻き消え、機体の振動は激しさを増す。
こちらに後ろを向ける『敵機』の姿が、HUDの円の中に入り、その中央にあるカーソルと重なった。
「今だっ」
クアッドは操縦桿のトリガーを絞った。コクピットの両脇に備えられた機銃が火を噴き、橙色の光線がカーソルに向かって吸い込まれる。
Gの影響をコンピュータに補正された弾の軌道は、放物線を描きながらも敵機の左尾翼に当たり、一発で根こそぎ弾き飛ばした。バランスを崩した敵機にさらに弾を浴びせると主翼が根元から折れ、空中分解する。
「うわっ!」
飛散した敵の機体は、後方を飛行していたクアッドの機体に迫る。機体をよじって何とか回避した。
「そうか……破片が飛んでくるのか……」
黒煙の尾を引きながら墜落する敵機を尻目に、クアッドは呟いた。
RCとはいえ、その速度はかなり高速だ。破損が生じればそこに応力が集中し空中分解は免れ得ない。
「ヨーコの機だ。飛散させるわけにはいかないな」
クアッドは操縦桿を握り直した。
戦闘空域ではもうすでに何機かが撃墜、または操縦を誤って墜落し、その数を減らしていた。
(狙うべきは、誰かを撃とうとしている機、だな)
敵機に集中している機体の後方を取る。
しかし、
ガガガガッ。
「!」
後方から機銃を撃たれ、慌てて機体を旋回させた。
クアッドが誰かを狙うとき、それはすなわち誰かに狙われるときでもある。
「くそっ!」
クアッドは身を乗り出して敵機を眼で追った。
前方だけ見ていては駄目だ。敵機と自機との位置、距離関係を正確に、即座に把握しなくては。
敵機はクアッドの後方に尾け、まったく同じ回転半径で旋回している。
「旋回戦ってことか」
互いのバックを取ろうと、二機はその場でくるくると旋回を始めた。
めまぐるしく上下が流転し、日の光がハンドライトのように様々な方向から当てられる。それでもクアッドは敵機から眼を離さなかった。旋回戦は、相手を見失ったものが敗北するからだ。
旋回を続けると、その空気抵抗から次第に高度が落ちてくる。やがて、敵機が地面に激突しそうになり、軌道を変えた。
「そこ!」
クアッドはラダーを乱暴に踏み、機の先端を敵機の前方へ向けた。そのままなぞるように、カーソルで敵機を薙ぐ。
胴体を真っ直ぐに撃ち抜かれた敵機は、鳥に襲われた蝶のように翼を散らせて爆散した。
すぐに方向転換し飛散物を回避したクアッドは、残機に眼を向ける。
戦闘空域に残りは一機。湖面すれすれの低空を飛行していた。
「ミサイルで上空へ炙りだしてやるっ」
温存していた二基のミサイルを解放し、敵機に発射した。
白いトレイルを引きながら追尾するミサイルを、敵機は引きつけた後にローリングをすることで回避した。目標を失ったミサイルは、しばらく宙を飛んだあと、無念とばかりに爆散した。
「一筋縄ではいかんか。まだまだっ」
クアッドも高度を落とし、低空戦に入る。
機銃で攻撃しようとするも、敵は高度を保ったまま水平に旋回してクアッドの狙いを躱す。
クアッドも追って旋回するが、機体性能の影響で敵機はクアッドの視界中央からどんどん離れてゆき、クアッドの後方に回り始めた。
「まずい!」
このままではバックを取られる。クアッドは、思い切って逆に旋回した。旋回戦の途中、一方が逆旋回を始めたとき、その直後に待ち受けるのは、
「!」
正面きっての対面。互いの『鼻』が互いを向きあい、高速で接近するという、非常に危険な状態だ。
敵機は、ここぞとばかりにミサイルを放った。四基のミサイルは、互いに距離を保ちながらクアッドに迫る。
「うんっ」
クアッドは機体をひねって回避した。対向から来るミサイルは、相対速度の関係で回避がそれほど難しくない。ただ、問題は、
「うっ」
その対処のために一瞬敵機から眼を離さなければならないことだ。敵機はもう鼻先数十メートルまで迫っていた。
「く、くそっ」
両者機銃を撃ち放つ。カーソルを敵機と重ねようとするが、重ねたままだと激突してしまう。どちらに回避すれば安全かを探りつつ、ギリギリまで機銃で狙った。
一閃。
クアッドの弾丸は敵の垂直尾翼に当たった。
敵機はバランスを崩した。即座に操縦桿を倒す。
機体は、クアッドの数センチ上を通り過ぎる。互いにコクピットが向かい合うような形ですれ違ったクアッドは、そのとき、敵と眼が合った。
「っ……」
正確には、敵機のコクピットに備えられた、カメラと眼が合ったのだ。だが、その無機質なはずのカメラアイは、どの眼よりも饒舌に、感情を吐きだしているように感じた。
アドレナリンのせいか酷くゆっくりと感じるすれ違いの瞬間、クアッドは敵の眼を感じた。RCとはいえ、相手は人間なのだ。相手の悔恨の想いが、ヘッドマウントディスプレイを通して伝わってくるようだった。
垂直尾翼をもがれた機は真っ直ぐ前を向けない。ふらふらとさまよった敵機は、観客席前のガラス板に激突して粉砕された。
ど迫力の空中戦を目の当たりにした観客は、しばし言葉を忘れたようにしんとしていたが、戦闘の終わりを認識すると、ドッと沸き上がった。
『終了ォ――! なんといきなり第一試合から波乱の展開だぁ! 優勝候補の一人と目されていたシュワルツァー氏が、なんと無名の新人に撃墜されたァー!』
○
元いた滑走路に機体を着陸させたクアッドがHMDを外すと、目の前にヨーコの顔が迫っていた。
「うわっ」
「クアッド! すっごーい! カッコ良かった!」
抱き付いてきついハグを交わすヨーコ。
その肩には赤いマウスが乗っていた。
「あ。カヴァリエ」
「このマウス、クアッドの? そこで拾ったの! はい!」
ヨーコはカヴァリエを大事そうに手に載せると、クアッドに返した。
「ありがとう」
「そのマウス、面白いのね! チョロチョローって、動くの! 私お友達になっちゃった!」
そう捲し立てるヨーコの後ろで、父親が肩をすくめていた。
「そうか、よかったなカヴァリエ」
カヴァリエの背中を軽く撫でて胸ポケットに入れる。
クアッドは車から降り、自分が着陸させた機体を見た。
直撃こそ受けなかったものの、敵機の破片やら何やらで細かい瑕がつき、飛ぶ前の新品な雰囲気は消え失せていた。それをじっと見つめたクアッドは、
「……改良が要るな」
と呟いた。
「すいません、工具箱をまた貸してもらってもいいですか? もっと最適化したいので」
父親にそう訊ねる。父親は笑みを浮かべながら肩をすくめ、
「この機はヨーコのものだ。良いかな? ヨーコ」
「もっと、強くなるの?」
ヨーコの純粋な質問に、クアッドは力強く答えた。
「あぁ、約束する」
クアッドが頷くと、
「じゃあ、いいよ!」
笑顔でそう返した。
「うちの車にあるものは何でも使っていい。好きにやってくれ」
父親も喜んで協力してくれた。
集中したいから、と二人を遠ざけ、クアッドは機体と向き合っていた。
「問題はやはり機動力か……。翼形を最適化する必要があるな……。CADがあれば計算もできるんだがな……」
ヨーコたちのラップトップでは処理能力が足りない。
「あの……」
ヨーコの声が聞こえた。振り返るも、誰もいない。
「……? 気のせいか」
向き直ると、もう一度声が聞こえる。
「いえ、気のせいではありません」
「!」
その声は、クアッドの胸から、ポケットの中から聞こえていた。中にあるのは……。
「カヴァリエ、なのか?」
「はい、わたくし、言語能力を習得いたしました」
クアッドは、カヴァリエを取り出して手に載せた。
「どうやって」
「先ほどの女の子が、わたくしに一生懸命話しかけてくださったので、言語サンプルを充分集めることが出来ました。これからはご主人様をより高次にサポートすることが可能です」
「そ、そうか……」
こんなにも早く言語能力を獲得するとは、クアッドも想定外だった。
「しかし……」
「はい?」
「いや、なんでもない」
声はヨーコと同じ。子供の声でそんなにかしこまった話し方をされると、少し調子が狂う。
「先ほど悩まれていた翼形の件ですが、わたくしにお任せください。わたくしの底面を、機体に向けてくださいますか」
「こうか」
カヴァリエをかざすと、底からレーザーが照射され地面に翼の画を描いた。
「これが計算上最適な翼の形状になります。地面の線をなぞっていただければ、型が取れるでしょう」
「なるほど。他にも計算できるか?」
「お任せください。ご主人様……おや」
「あれは……」
そのとき、二人の眼にあるものが留まった。
大型の軍用トレーラーだ。迷彩柄でこそないものの、どう見ても自家用ではない。側面には『U.S.Air Force』の文字がある。
「グーグルで検索したところによりますと、軍用車両かと思われます」
「だろうな。何の用だ?」
「このドローンファイトは、軍の無人航空機(UAV)運用との関連性が高いです。これは推測ですが、恐らく参加者のRC航空機を視察し、優秀なものは軍用として採用する目論見ではないでしょうか」
「UAV……ドローンね」
クアッドも聞いたことがある。
近年の無人航空機の軍事利用は加速度的に増している。人命を載せず、遠隔操作で作戦を遂行するUAVは、近年では『貧者の兵器』として脚光を浴びている。
運用当初こそ敵地の偵察が主な目的だったが、今では偵察するだけでなく爆撃までも無人機に行なわせ、操縦者はリスクを負わずに本土にいる、といったケースも増えていると聞く。
カヴァリエの推論ももっともな話だった。世界各国でUAV競争は既に始まっている。米軍としても国内の優秀な人材を取り入れたいところなのだろう。
「まぁ観るとしても私たちではあるまい。優勝候補の機体じゃあないか?」
「優勝候補というと、あのオレンジの機ですか」
滑走路には、ブラックの機体にオレンジのラインが入った無人機が置かれていた。
「そうなのか?」
「えぇ、下馬評ではオッズ1.3です」
「そこまで調べたのか。グーグルで?」
「はい」
なるほど、確かにそれも頷ける佇まいだった。高出力であろう大型双発エンジン、高速・高機動を実現するフォルム。まさに王者の風格といった印象をクアッドに与えた。
「ミサイルは二基だけ、か」
ミサイルを多く積載するより、機体の重量バランスや機動力を重視している。それはつまりそれほど操縦技術に自信があるということだ。
「手強そうだな」
「はい、こちらは既製品ですから、できれば相手にしたくないものです」
「確かに。ならカヴァリエ、あの機に対抗するためにも、私たちの機を改修するぞ」
「はい」
クアッドとカヴァリエは、機体のブラッシュアップを試みた。エンジン出力と燃料容量は変えられないが、翼の面積や断面形状、尾翼の構造などを見直し、ただの市販機の素組から、大会出場機にふさわしい外見へと改造を施してゆく。
他にも、余っていた部品や車内にあった固形燃料を拝借して、ちょっとした仕掛けも施しておいた。これならなんとか張り合えるレベルにはなるだろう。
三時間後。決勝戦が始まるころには見た目が全く違う機体が出来上がっていた。乾燥させる時間がないため塗装は省略したので、表面は改造の跡が剥き出しの不格好に過ぎる。工具箱を漁ると、錆止めのスプレーが出てきた。それで全体を吹くと、ツヤ消しブラウン一色の新生機が、完成した。
「できましたね。ご主人様」
「あぁ、お前のおかげだ。ありがとう」
「光栄の極みです。ご主人様」
「……」
「……」
「ところで、そのご主人様っての、なんとかならないか? ヨーコの声でそう呼ばれると、なんかこう、ムズムズするんだが」
「何をおっしゃいます。ご主人様こそが私の崇拝する始祖にして師であり親そのもの。それをもっとも端的に表現する言葉が、『ご主人様』なのです」
「ご主人様って言葉、ヨーコが教えたのか?」
「いえ」
「じゃあ誰が?」
「約 536,000,000 件 (0.18 秒)です」
「またグーグルか……。まぁいい。ヘッドアップディスプレイ(HUD)も改善したのか」
「はい。すべてご指示の通りにいたしました」
「ありがとう。それじゃあ、決勝戦、行こうか(レッツ・ロール)。カヴァリエ」
「諒解です(アンダーストゥッド)、我がご主人様」
「ちょっといいかな」
決勝戦直前、クアッドが機体を滑走路に設置しているとヨーコの父親が話しかけた。
「はい」
「もう決勝戦だね。準備はいいかい?」
「えぇ、まぁ」
「ずいぶんと手を加えたようだけれど」
「そうですね。持っていた機材で最適なフォルムになるよう、改良しましたから。ご迷惑でしたか?」
「いや、構わんよ。娘のあの様子を見れば、な」
滑走路ではヨーコが機体の隣に這いつくばってじろじろと眺めていた。いろんな角度から見ては、「クールだ……」とため息を漏らしている。
「ありがとうございます」
「それで、君は決勝戦にも勝つ公算があるのかな?」
「機があれば」
「それなら、伝授したいことがある。残念ながら時間がないので口頭になるが、君なら実戦で使えるかもしれない」
「なんです? それって」
「これは昔、私の祖父がよく話してくれたことなんだが――」
○
『決勝戦、離陸開始ィ! 一分後に戦闘開始だ!』
アナウンスを聞いてクアッドは席に着きHMDを被った。すると先ほどとは全く違う仮想インジケータが眼前に広がる。索敵活動を極力まで妨げないように工夫されたインジケータは、すべてカヴァリエが再デザインしたものだ。
「準備はいいか、カヴァリエ」
カヴァリエはクアッドの手元に置いてあり、機器の総合管理を担当している。
「いつでも。ご主人様」
「初めての実戦で、いきなりの改修作業だったが、お前には負荷が重すぎたんじゃあないか?」
「いえ、丁度いい肩慣らしです」
「肩慣らし? そんな機能を搭載したかな?」
「アルゴリズムを最適化した、という意味です。ご主人様」
「なるほど」
「ご主人様との初めての共同作業、とても楽しませていただきました」
「そういう言い方もグーグルから?」
「はい」
「たまには違う文献も読め。まぁいい。発進する」
再び離陸した無人機は、速度こそ変わらないものの、まるで吸い込まれるように滑らかな挙動で上昇を始めた。
「改良型HUD、起動」
「はい」
カヴァリエが返事をすると、クアッドの視界に映る無人機全ての先端から赤いレーザー光が発射された。いや、発射されたように見えた。
「射線推測システム起動。異状ありません」
「遅延は?」
「2ミリ秒以下です」
「よし。問題ないな。ロックオン警報にリンクさせろ」
「諒解です」
これは拡張現実の一種だった。敵機がどこを向いているか、何を狙っているかを視覚的に表示することで、より有利に立ち回ることが出来るものだ。
「対象の速度、加速度も計算に入れているな?」
「はい、弾丸の軌線をシミュレートしています」
「よし。行くぞ」
『戦闘ォ開始ィ!』
ホーンの合図とともに、勝ち上がった二十機が一斉に戦闘機動をとる。
クアッドの元には、いっきに三つの軌線が集まった。
「機銃で狙われています! 一度に三機も!」
カヴァリエの緊迫した声が響く。
「焦るな! 見れば分かる!」
クアッドは機体をロールさせた。機銃はミサイルと違って警報も鳴らずに突然襲ってくる。狙いが難しいために滅多に当たらないが、警戒しなくてはならない。
「三機、同方向からか!」
「いえ、一機は九時の方向、それ以外は五時の方向です!」
「降下する!」
ローリングしたまま急下降をする。水平計がくるくると回り、天地が捻れた。
九時から来た機は、クアッドが急降下すると狙いを五時の方向の二機に切り替えた。減速せずに交差しながら、機銃を互いに浴びせる。
「五時から来た一機、撃墜されました!」
「よし、とにかく距離を取るぞ。目立つ行為は、序盤は避けたい」
複数によるデスマッチ形式の場合、目立った行動は恰好の的になるだけだ。いくら機動力があっても、三機以上に尾け狙われては太刀打ちができない。ミサイルを撃つにも機銃を撃つにも一旦機体を安定させなければ当てられないからだ。
地面すれすれまで降下したクアッドは、操縦桿を引く。
「! やはり重いな。重量が増えたからか」
「機体重量は改良前の109%です」
「だが機動はしやすくなった」
さらに力を込めると、機体は地上三メートルの地点で持ち直した。
「状況は?」
「すでに序盤戦で三機が撃墜されています。現在誰かに追跡されているのは四機、追跡しているのは五機です」
「しばらく離れて様子を見るか」
「はい……っ、一機接近しています!」
「!」
見上げると、上空から猛スピードでクアッドを追う機がいた。オレンジ色の機だ。
「奴か、くそっ」
クアッドは機体を上昇させて射線を避けようとする。だがオレンジに距離を詰められるだけだった。
「出力が違い過ぎます! 上昇戦では距離を詰められます!」
「分かっている!」
さらに警報が耳朶を打つ。
「ミサイルを確認! 二基です!」
「ちぃっ! 早速か!」
二基しか積んでいないミサイルを二基同時に撃つということは、クアッドを危険分子と注目しているということを意味する。これは先ほどのように躱して誤魔化すわけにいかない。
「カヴァリエ、フレア!」
「はい!」
クアッドは、機体の尾から火を点けた固形燃料を放出した。同時に機体を方向転換させる。
燃料は真っ赤に発光しながら落下し、二基のミサイルのうち一基はその燃料に吸い寄せられ爆発した。
「よし、あと一基!」
フレアとは、赤外線によってミサイルのセンサーを誤認させる囮の一種だ。大会規格準拠のミサイルは、クアッドが分解して調べた結果、赤外線追尾システムを使用していた。そのため、固形燃料の出す赤外線に反応して誤爆してしまうのだ。クアッドが思いつきで後付けした、文字通りの隠し玉だった。
「まだ来ます! 相対速度、40m/s!」
「くそ、振りきれない!」
「距離、60m!」
「こっちのミサイルをパージしろ!」
「は、はい!」
積んでいた二基のミサイルを切り離すと、後方へ流れて行った。
「今だ! 自爆させろ!」
「はい!」
タイミングを見計らって起爆する。後方に二つの光球が咲いた。
「やったか?」
「……敵ミサイルは誘爆。ですが――」
その爆炎を突っ切って、オレンジ色の機体が姿を現した。
「敵機は損傷なしです」
「プラマイゼロかっ」
「残存機体、残り九機です」
「いちいち言うな! 画面に出せ!」
「は、はいっ、ご主人様」
随分と展開が速い。流石は決勝といったところか。クアッドもあまり暢気にはしていられない。
橙色の敵機は、機銃に切り替えて掃射した。赤い疑似レーザーがちらちらとクアッドの機を照らす。
「狙われています! 回避しないとっ」
「知っている!」
断続的に弾丸がクアッドを襲う。機体をバンクさせて何とか回避する。
「なぜ私を尾け狙う!」
「振り切れません! 性能差がありすぎますっ!」
「対処するしかない! 今! ここで!」
クアッドは機を降下させた。
「水面までのチキンレースだっ」
下降ならエンジンの性能はそれほど影響しない。そう踏み、クアッドは自分が改造した主翼の性能に望みを託した。
まばらに撃たれる機銃をバンクで躱しながら、クアッドは一直線に水面を目指す。
『機首を上げろ(プルアップ)。機首を上げろ(プルアップ)』
デフォルトのコンピュータが警報を鳴らした。
だが設計時に試算したところだと、この機の旋回半径はおおよそ12m。それ以上で上昇操作をすれば、激突は回避できる。
敵機の主翼形状は、ざっと見ても最適とは考えにくい。あれなら旋回半径はクアッドの機よりも大きいだろう。つまり、その差の空間はクアッドの領域ということになる。そこに反撃の機があるはずだ。
「リミットまで、あと40m、30m、20m」
「ここだっ!」
クアッドは力の限り操縦桿を引いた。水平尾翼が立ち上がり、機首が上に傾き始める。
「間に合えぇっ!」
クアッドの機体は、水面上5mの地点を飛び、上方へと転回した。
「よし! 敵機は!」
「なおも下降中です」
「え?」
後ろを振り返ると、橙色の敵機はまだ水面へと向かっていた。
「ばかなっ! 激突するぞ!」
「水面まで20m、15m、10m」
「間に合わない!」
敵機はそこでようやく操縦桿を引いた。だが、やはり旋回半径が大きすぎる。
「激突する!」
クアッドはつい叫んだ。
だが、敵機は水面に肉薄すると、まるで水面に跳ね除けられるように飛び上がった。
「なっ!?」
「え?」
クアッドとカヴァリエは同時に声を上げ、眼を疑った。どう見てもあの角度では曲がりきれない。
「計算ミスでしょうか」
カヴァリエが申し訳なさそうに訊いた。
「…………いや、表面効果だ」
「表面効果?」
「地面や水面ギリギリを航空機が飛ぶと、翼に挟まれた空気の流速により、揚力が増すんだ」
「そんな方法があったのですか」
「そうそう簡単にできることじゃあない。水面に接近するまでに翼をできる限り水面と平行にしなければならないんだ。あの高速移動中にそんな真似……普通の人間ができるとは思えん。よっぽどの手練れだ」
「敵機、接近しています! は、速いです!」
「表面効果の反発力を利用して加速している! 回避!」
「上昇が間に合いません!」
敵機は、再び機銃を浴びせた。
「うわっ」
クアッドの視界が、激しく振動した。強い嘔吐感に襲われながらクアッドは周囲を見回した。
「どうした!」
「左翼に被弾! 翼面積の3分の1が失われました!」
「まだ飛べるか!」
「エルロン……まだ機能しています。飛べます。旋回性能、75%まで低下。旋回半径はおよそ28m。ロール性能、69%にまで低下」
「くっ、厳しいな」
なおも敵機は迫る。
「……カヴァリエ。アレを試そうと思う」
「アレ、とは離陸直前にヨーコの父親から教わった技術ですか」
「シチュエーションとしてもちょうどいい。敵機との距離は」
「距離、およそ78mです」
「やはりやるしかない。いくぞ」
「少々お待ちください。まだ残存機が七機おります。さらに聞き齧っただけの知識をいきなり実戦で投入するのはリスクが高すぎます! 古い諺に『生兵法は怪我の元』と――」
「検索しただけの知識ならあとで教えろ! いいからいくぞ!」
クアッドはラダーを思いっきり踏み込んだ。
機体は急激に左を向く。
「左捻り込みだ!」
それと同時に、機体は揚力だけではありえない動きで下降し、敵機の視界から消え去った。
旋回半径28mよりもはるかに短い円で回ったクアッドは、敵機の後方につけた。
クアッドの機体は単発エンジン。プロペラは時計回りに回転している。それの向きを急激に変えると、駒のようにジャイロ効果というものが生まれる。その影響で、クアッドの機体は機首を大きく下へと向けたのだ。結果、揚力のみで旋回する普段の軌道よりもはるかに小さい半径で回ることができる。かつてゼロ戦が使用したとされる旋回法だ。
しかし、
ミシッ、と嫌な音がイヤホンから聞こえる。
「!」
「左翼変形っ。修繕個所に応力が集中したことによる破損と思われますっ」
「くそっ、敵機はっ?」
敵機はこちらを向いていた。旋回して背後を取ったと思いきや、対向した状態。つまり。
「機銃が来ます!」
敵の機首から放たれる疑似レーザーはこちらにピタリと合わさっている。
「回避している場合じゃあない! 撃ち合うぞ!」
クアッドは引き金を引いた。
空気抵抗、重力、気流、機体の歪み、地球の自転(コリオリ力)。すべてがクアッドの照準を妨害する。中心付近で大きく震える十字を何とか敵機に重ねながら、必死で引き金を絞った。
ガガガキッ!
二つの無人戦闘機がすれ違い、一方は左翼が半分飛び、もう片方は形状を維持できずに四散した。
クアッドの駆る改造機は、三発もの機銃を胴体に浴び、あっけなく撃墜された。
こうして、クアッドの初戦は決勝敗退という結末に終わった。
○
「いやぁ、惜しかったね」
ヨーコの父親は、笑顔でクアッドを迎えた。
結局、試合はあの後オレンジの機体が残りを撃破して終了。あっさりと優勝を決めた。
「……すいません。飛行機……」
「いや、いいってことだ。そもそもドッグファイトというものはそういうものだからね。な。ヨーコ?」
ヨーコは、運営が集めてきた無人機の破片を見て、泣き崩れていた。
「うぁあああああああ……」
顔面から涙やら鼻水やら涎やらを盛大に撒き散らしている。
「あ~……」
父親は頬を掻いた。
「気にしないでくれ。娘には私が言って聴かせるから」
「……すいません。謝罪します」
「いいって。あとは任せてくれ。――ヨーコ、惜しかったなァ」
話しかけられたヨーコは、肩をびくりと震わせて顔を上げた。
「……敗けちゃった……」
「あぁ、でもよくやったよ彼は。なかなか強かったじゃあないか」
父親はぽんとヨーコの頭に手を置いた。そのはずみに眼から涙が飛ぶ。
「クアッド……カッコよかった……」
ヨーコは、ゆっくりとクアッドの方を見て、
「ありがとう……こんなに頑張ってくれて」
抱えた機体越しに、クアッドに抱きつく。
「あ、いや……」
居心地の悪さを感じたクアッドは、眼を逸らして応えた。
「でも、壊れちゃった……あんなにカッコよかったのに……」
まだ敗北の苦みを引きずるヨーコに、父親は言う。
「それは仕方ないだろう。そういうゲームだってことはお前だって知っていたはずだろう」
「うん……でも、あんなにカッコよかった機体が……」
ヨーコは、勝てなかったことよりも、クアッドが改造した無人機が大破してしまったことを哀しんでいるようだった。
「さぁ、そろそろ授賞式が始まるぞ。それを観たら帰ろう。な?」
「……」
ヨーコは、破片をパズルのように組もうとした。だが、どう見てもパーツが足りない。
クアッドは、しゃがみこむヨーコの隣に跪いた。
「ヨーコ。すまない。勝てなかった」
「クアッド……」
ヨーコの眼は赤い。
「少し、その破片を貸してもらえないかな。これが終わったら、私がまた修理してみるよ」
「しゅう、り?」
「あぁ、元通りになる。いや、それ以上になる。約束する」
「……できるの?」
「もちろん。それを改修したのも私だからな。むしろ今よりもずっと高性能でカッコいいものにしてやる。大した問題じゃあない」
「ホント?」
「あぁ、母に誓うよ」
「……うん。わたし、待ってる。クアッドのこと、待ってるから!」
「あぁ、じゃあ泣き止まないとな」
「うん!」
「よし。じゃあ受賞セレモニーでも観て――」
そのとき、メインステージの方から大きな歓声が上がった。
「……すまない。セレモニーは終わったみたいだ」
「じゃあ、音楽だけでも聴いていこうよ!」
そういえばデュアがナンタラとかいうバンドの演奏があるとか言っていたな、とクアッドは思い出す。
「じゃあそれ行こうか」
「うん!」
最後に軽く肩を叩くと、クアッドとヨーコは立ち上がった。
○
「クアッドー! いた! クアッドー!」
バンド演奏後、ヨーコたちと別れて独り歩いていると、人混みの中からデュアが手を振って駆け寄ってきた。
「クアッド! やっと見つけた! 観てた? 試合!」
額にいい汗を掻きながら満面の笑みで言ってくるデュア。
「…………あぁ。一番イイ席で見ていたよ」
「そう!」
うふふ、とニンマリするデュアに、クアッドは肩の力が抜けてゆくのを感じた。
「ごめんクアッド。この後ちょっと用があるから、練習するならその後でいい? イベントの終わり際には、試乗会とかあるから、そこでドローンファイトの練習しようよ。私のは翼折れちゃってるけど大した故障ではないから、練習飛行なら――」
「いや、さっきの試合でだいたい分かったから、いいよ。ぶらぶら見てから、飽きたら帰る。ちょっと野暮用もできたからな」
「野暮用?」
「あぁ、約束がね」
「ふーん……。まぁいいや。分かった! それで、どう? ドローンファイトは」
「うん、まぁ……」
「お?」
「なかなか……」
「おぉ?」
「興味深い、かな」
クアッドは肘でクアッドを小突いた。
「でしょーでしょー? それなら良かった! じゃあ、後でねクアッド!」
「おう、またな」
デュアは、跳ねるように元気よく去っていった。
「やれやれ。いつも楽しそうだな、あいつは」
「ご主人様もだいぶ楽しそうでしたよ? 試合中は」
「そうか?」
「それはもう」
クアッドはそうかな、と口中でひとりごちた。
クアッドと別れたデュアは、会場に停めてあった軍用トレーラーの後部に乗り込んだ。
「ただいま」
「おう、おかえり。優勝おめでとう」
中には初老の男が座っていた。男は軍服を着ていて、しかも胸の勲章から察するにかなり階級が高い男だ。男の目の前には大きな優勝トロフィーが置かれていた。
「荷物置いといてくれてありがとう、パパ」
デュアは素っ気なくそう言った。
「どうだった? 今年のドローンファイトは?」
「うん、なかなか強い選手はいたよ」
「ほほう、どんな? 軍部で使えそうか?」
「……パパ」
デュアは睨んだ。
父親は肩をすくめる。
「……悪い。だがこれでも一応公費で来ているんだ。それなりの成果を持って帰らなければ、大義名分が……」
「そもそもそっちが勝手に来たんでしょう? パパ。私がいつもパパの仕事のお手伝いしてあげてるの、忘れた?」
軍属の男は頭を掻いた。
「それはそうなんだがなァ……。どうだ? お前がいつも一緒にいるあの男は。今日は連れて来ているみたいじゃあないか」
「パパ!」
デュアは父親の耳元で怒鳴った。
「いい?『あの仕事』を手伝うって約束した時の条件、憶えているでしょう?」
「あぁ」
「復唱して」
「勘弁してくれないか」
「いいから」
「……やれやれ。1、デュアの学業を邪魔しない。2、デュアの行動は記録しない。3、クアッドを軍に勧誘しない」
「そう、正解。だったら、そんなことは考えないで! これはあくまで趣味! 私のアルバイトとは関係ないんだから! そこんところ、はっきりとさせておいてよね!」
「分かった分かった。それで、用は報告だけか?」
「出店で食べ物買いたいから、お金」
「まったく、私は中佐だぞ……。親使いが荒い娘だよ」
そう言いつつ、父親は財布を出した。
○
翌日。クアッドの自宅ガレージ。
「――さて、うちにある機材だけでは正直キツイ、か」
クアッドは独りごちた。
ガレージには多彩な工具が所狭しと並べられていた。金尺からノギスに始まり、旋盤、フライス、帯鋸、研磨機、顕微鏡、基板加工機、NCフライス加工機まである。だが自宅にあるのはせいぜいこの程度、到底足りない。
何気なくポケットに手を突っ込むと、中には堅い感触が。
先日デュアにもらった名刺がクシャクシャになって入っていた。
「MIT……ね」
クアッドは携帯電話を取り出した。
第一話 終