第五話 宿と新しい日常
(ここの道をまっすぐ行けば宿屋があるって言ってたよな)
ライオネルはコティーに教えてもらった、枝に鳥がとまっている看板の「渡り鳥の止まり木」という宿屋を探して歩いていた。
(お、あれじゃないか?)
ライオネルが見つけた建物は、他の建物と同じく白い壁だったが屋根は赤ではなく茶色に塗られ、入口の扉の近くに止まり木と鳥の描かれた看板が下げてあった。
「いらっしゃい! 宿屋『渡り鳥の止まり木』にようこそ!」
ライオネルが扉を開けると威勢のいい女性の声が飛び込んできた。
入口を開けると目の前にカウンターがありそこに恰幅のいい豚人族の女性が立っていた。
「収集者ギルドで宿を聞いたらここを勧められてきた」
「おぉ、デカいねお客さん……。でも大丈夫! ウチはそんな大きな人族種の人のために大きいベットのある部屋を用意してあるからね、ゆっくり寝られるよ!朝、夜の二食付きで一泊大銅貨五枚! どうするね?」
「とりあえず七日泊まりたいんだが、大丈夫か?」
「もちろん大歓迎さ! ちょうど大きな部屋は空いてるからね! 七日でえ~っと……銀貨三枚と大銅貨五枚だね! 基本的には前払いなんだけど金が無いなら三日間だけツケがきくよ! でも三日過ぎてもツケが払えないようならギルドに出向いて処分してもらうから気を付けな!」
「いや、大丈夫だ。はい、銀貨三枚と大銅貨五枚。数えて確かめてくれ」
ライオネルは革袋から銀貨三枚と大銅貨五枚をカウンターの上に置いた。
「ちょうどだね! じゃ、ちょいと説明させてもらうね。朝ご飯は朝の鐘が鳴ってから、夜ご飯は夕方の鐘が鳴ってから一階の食堂で食べられるよ。鐘が鳴ってからあんまり時間が過ぎてから来られても余りものしか出せないから気を付けてちょうだいね。お客さんの部屋はそこの階段を上ってずーっと行った一番奥の部屋ね!」
「あぁ、ありがとう。世話になるよ」
ライオネルは豚人族の女将に礼を言うと早速部屋へと向かい、階段を上って一番奥の扉を開けて少し背を屈ませながら部屋へと入った。
ライオネルの泊まる部屋には、確かに女将の言う通りライオネルが悠々と寝られそうなくらい大きなベットがあった。窓もベットの大きさに比例して大きめに作られており、今は夕日なのでわからないが日当たりも悪くなさそうだった。扉は内側からかんぬきを掛けて施錠するようだ。
ライオネルは部屋に入りかんぬきを掛けると、早速着込んだ装備を外し始めた。大剣と短弓を外し壁に立てかけ、鎧も全部外して武器のそばに置いた。
そうして肌着一枚になったライオネルはう~んと一つ伸びをして、綺麗なベットへと倒れ込んだ。
(やっとベットで眠れる……。狩りとかで地面に寝ることに慣れているとはいえ、ベットの寝心地は最高だ……。明日は収集者ギルドで依頼を受けて金を稼ごう……)
ベットへ倒れ込んだライオネルは初めて大きな街に来て気づかぬうちに溜まった疲労と、ベットの気持ちよさにやられ、すぐに寝息を立て始めた。
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朝日が昇る少し前にライオネルは目が覚めた。村で日の出より早く起きていた習慣はここグルドの街に来ても変わらないようだった。
(あぁ、そうだ。グルドの街に来たんだった……)
見慣れない天井を少し見つめた後、ベットから起き出した。
壁に立て掛けておいた鎧を身に着けて、大剣と短弓、それと金の入った革袋を持って部屋を見渡した。
(うん、これで部屋には何もないな)
持ち忘れたものが無いことを確認すると、部屋の扉から閂を外し部屋の外へ出た。この宿の部屋は外から鍵をかけることが出来ないので、物を取られたりしないように持ち物はすべて持っていく。
廊下の先の階段を降りると、食堂の方からトントントンと包丁の小気味いい音が聞こえて来た。
気になったライオネルが食堂へ顔を出すと、厨房でご飯の仕込みをしている小柄な普人族の男性と目があった。
「おはようございます、お客さん。朝食の方はもう少し待ってくださいね」
「おはよう、昨日からここの世話になっているライオネルだ。いや、食堂の方から音がして気になったから覗いただけなんだ。気にしないでくれ」
ライオネルが軽く自己紹介すると、男性は少し驚いたような顔をしていた。
「これはご丁寧にどうも。ここは収集者ギルドと提携しているから、ちょっとやんちゃなお客さんが多くってね、挨拶してくれるお客さんは少ないんだよ。私はここの女将の夫で、この宿の食事を担当しています。大きい人族種の方用の部屋に泊まられているライオネルさんだね、昨日女将から聞いたよ。礼儀正しくて珍しい新人収集者だって」
と、亭主はおっとりとした優しい声でライオネルに自己紹介を返した。
「ところでライオネルさん、こんな早くにどこに行くんだい? まだギルドも市場も開いていないよ」
「これから少し鍛錬をしてくるんだ。朝の鐘が鳴るまでには戻ると思う」
「あぁ、そういう事ですか。それならここの裏庭も使ってください。収集者の方が宿に居ても体を動かせるように作ったんだよ。井戸もそこにあるから体を洗ったりするのに使うといい。体を拭く布は無料で貸し出しているからね」
「そうだったのか、昨日はすぐに寝てしまって気づかなかった」
「宿の横にある小道から裏庭へ入れるよ。それじゃいってらっしゃい」
「ありがとう、いってきます」
丁寧にいろいろと教えてくれた亭主に礼を言い、ライオネルは朝の日課である鍛錬をするために宿を出た。
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ライオネルはまだ朝日の出ていない暗い道を歩いて大通りまで出て来た。今よりももっと暗い山の中の森で過ごしてきたライオネルにとって、視界の開けた闇は闇ではなかった。
(とりあえずこの大通りを走って往復するかな)
軽く屈伸をしてからライオネルは人のいない大通りを走り出した。
獅子人族は闘うために、狩りをするために鍛錬を欠かさない。体を鍛え心を鍛えることで何者にも屈しない力を養えると信じている。ライオネルが子供のころから欠かさずやっていた鍛錬をこの街でも行うことは、獅子人族()である彼にとって何ら不思議な事ではなかった。
街の中心あたりから走り出したライオネルは、自分が昨日入ってきた大きな門、つまり南門までたどり着いた。そのまま転進して来た道を走って戻っていく。走り出した場所を過ぎてもまだ足を止めず、反対側の北門へ着いてから足を止めた。
(うーん、道がきちんと石畳で舗装されている所為かものすごく走りやすい。山とは大違いだ。これじゃあ鍛錬にならないぞ。でも、朝の鐘が鳴るまで門は開かないから、街の中で鍛錬するしかない。回数を増やすしか手は無いか……)
そう考えたライオネルは再び走り出し、宿の前に戻ってきたのは往復の回数が三桁を超えてからだった。
宿の裏庭に来たライオネルは背中の大剣を正眼に構えた。そして大剣を振り下ろし、再び構える。これを無心に繰り返す。この素振りをしながら剣と体に闘胆から練り上げた闘気を巡らせる。
ライオネルには剣を扱う技術は無い。振り下ろし、叩きつけ、ぶん回す。それだけだ。だがそれが力だとライオネルは知っているし、闘気もまた自らの力だと知っている。
力を鍛えることと闘気を鍛えることで自分は強くなっているのだとライオネルは知っていた。
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「シッ……!」
振り下ろした大剣を地面すれすれで止めたライオネルは辺りが少し明るくなっていることに気が付いた。
(もう朝日が昇ったか……。今日の鍛錬はこれくらいにしておこう。今日は朝から収集者ギルドに行って初仕事だしな!)
本日の鍛錬を終えたライオネルは裏庭にある井戸の前に行き鎧や大剣を外して傍らに置いた。そして井戸水を汲み上げるとそれを頭から被った。
(くぉ~! 気持ちいい~!)
鍛錬でかいた汗を水で流すこの瞬間がライオネルは好きだった。
幾度か井戸水で汗を流してさっぱりとしたライオネルは、たてがみに入り込んだ水を飛ばすために頭を勢いよくブルブルと振った。
「わぷっ!!」
「……わぷ?」
横から聞こえた奇声の方へ顔を向けると赤いほっぺと豚の鼻がかわいい小さな女の子が、厚手の布を片手にびしょ濡れになっていた。
「あ~、気づかなかった、すまない」
「ブルブルするの、体毛の長い人族種の人はよくやるもんね。近づいた私が悪いよ」
ライオネルが謝ると、女の子は自分も悪かったからとはにかんでいた。
「その布は……?」
「あ、これ? お客さん、朝早くに出て行って布を借りていかなかったってお父さんが言ってたから持って行こうと思ってたんだけど、逆に私がびしょ濡れになっちゃった。たはは……」
女の子は布を後ろ手に隠しながら気まずそうに笑った。
その笑顔を見て、ライオネルはいっそう罪悪感に苛まれた。
「本当にすまん……。その布は君が使ってくれ」
「え? それはありがたいけどいいの? お客さん、濡れたまんまだよ?」
そう言われたライオネルは得意げな顔をして言った。
「いいんだよ、まぁ見てな。フッ……!」
ライオネルが闘気を体中に巡らせると、彼の体が熱を帯びていく。すると、体についていた水分が蒸気となりライオネルの体が乾いていく。
朝日を背負い体から蒸気を立ち昇らせるライオネルはキラキラと輝いて見えた。
「な? 体を拭く必要が無いのさ」
「うっわ~! すっご~い!! お客さん、どうやったの!?」
ニカッと笑ってそう言ったライオネルに、キラキラと目を輝かせながら詰め寄る少女だったが、ライオネルに諫められて幾分か落ち着きを取り戻したようだった。
「さっきはすまなかった。俺はライオネル。昨日からここの宿で世話になっている。君は?」
「私は『渡り鳥の止まり木』の看板娘のリーナ! よろしくね、ライオネルさん!」
お互いが自己紹介したところで大きな鐘の音が街に鳴り響いた。
「あ、朝の鐘が鳴ったよ! ご飯食べに行こう!」
「あぁ、腹が減ってるからいっぱい食えるぞ」
「ウフフ! ウチのパンは固い黒パンだけど、おかわりは無料だからい~っぱい食べてね!」
そんな話をしながら二人で宿へ戻った。
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宿の一階の食堂は既に多くの人で埋まっていた。ライオネルが昨日宿に来た夕方過ぎには人と会わなかったので、あまり繁盛していないのかと思ったがそうでもなかったようだ。
一緒に食堂に来たリーナは既に給仕の仕事をして忙しそうに走り回っている。
厨房近くの小さな二人掛けのテーブルが空いていたのでそこに腰を下ろした。
ライオネルが席に着くと、恰幅のいい女将がテーブルの間を縫うように近づいてきた。
「おはようライオネルさん! ウチのベットはどうだった? よく眠れたかい?」
「あぁおはよう女将。久々に体を伸ばしてぐっすり眠れたよ」
「そりゃあ良かった! まぁ昨日夜ご飯を食べに来なかったからよく寝てるんだろうとは思ってたけどね!」
「あ~、そういえば昨日の夜飯を食べ損ねたのか。もったいないことをした」
「ハハハ! 残念だけどその分のお金は返さないよ?」
そう言って笑う女将に肩をすくめて返したライオネルは彼女に朝食の注文をすることにした。
「朝食を一人前頼むよ」
「はいよ! 今日の朝ご飯はワイルドボアのすじ肉を使ったスープと黒パンだよ! 黒パンはいくらおかわりしてもタダだからね!」
注文を取った女将は再びテーブルの間を縫うようにして厨房へと消えていった。
朝食が来るまで手持無沙汰になったライオネルは周りの人たちを見回してみた。多種多様な人族種が同じテーブルに着いて笑いあったりしながら食事をしている風景はライオネルにとって新鮮で、そして幸せそうに見えた。
その人たちも鎧を着ていたり魔術師風のローブを着ていたりして、ここに泊まっている人はほとんどが収集者なんだと気が付いた。やはり収集者ギルドと提携しているこの宿には収集者が多く集まってきているようだった。
「は~い! 朝食お待たせしました!」
「あぁ、ありがとう」
「さっきライオネルさんがお腹空いてるって言ってたから、最初から多めに黒パン持ってきたよ!」
「それは助かる。ありがとうリーナ」
「えへへ、どういたしまして!」
リーナが気を利かせて多めに持ってきてくれた黒パンは小さな山のようになっていたが、鍛錬で腹を空かせたライオネルにとってはちょうど良い量だった。
ワイルドボアのすじ肉は固いため焼いて食べたりすることは出来ずに捨て値同然で売られているが、時間をかけて煮込めば良い味を出すので量を必要とする宿屋などには重宝される食材である。
そのワイルドボアのすじ肉のスープに、固い黒パンをちぎって浸して食べるのが主な食べ方だが、ライオネルは黒パンをそのまま食べていた。獅子人族の強靭なあごの力の前には数々の収集者達のあごを疲弊させてきた黒パンでも無力のようだった。
黒パンをさらに一人前おかわりして腹が満たされたライオネルはそろそろギルドへ行って依頼を探して来ようと考えた。
「ごちそうさま。うまかったよ」
「おそまつさん。ワイルドボアのスープはどうだった?」
食べ終わった食器をお盆に乗せて厨房に返す際に亭主から朝食の感想を聞かれたライオネルは、握り拳から親指だけを上にあげ、「うまかった」と返答した。
持ち物を全て持っているライオネルは、このまま部屋に戻らずに収集者ギルドに向かうことを入口付近のカウンターにいた女将に伝えて外に出た。
「さぁ! 今から俺の初仕事だ!」
ライオネルは気合を入れて、朝の陽ざしの降り注ぐ通りを収集者ギルドに向けて歩き出した。
今回の人族種の説明
豚人族
豚の特徴を持つ人族種。大柄な人が多く性格もおおらかなものが多い。適応能力と体力及び力が強く、パーティーでは守りの役目を持つことが多い。彼らの美的感覚では、体が大きく太っている人の方が魅力的に見えるらしい。