第三話
店を出る頃には、辺りは薄暗くなっていた。
まだ雨がぱらついていたので、五線の入ったハードケースをビニールで巻いておいた。
老人の残した住所によると、ここから歩いて10分程度で着くはずだった。
しかし、いざ歩いてみると、細い路地を何回も曲がったり、行き止まりに3回も出会ったりと、その道のりはちょっとした迷路のようだった。
やがて、こじんまりとした森のような公園が現れた。
公園の真ん中には、立派なガジュマルの樹が立っている。
太い枝から垂れた何本もの蔦がまるで髭のようで、さっきの老人に似てるな と思ってしまった。
肝心の老人の家は、公園のすぐ側にあった。
表札には『比嘉 宗徳』と書いてある。 あの老人の本名だ。
表札のすぐ横には、『比嘉宗徳 古典音楽研究所』という木造りの看板が掛けてあった。
古典音楽… 要するに、五線の先生をしているのだろう。
見るからに立派な家だ。 結構有名な先生なのかも知れない。
少しの間、この大きな家を眺めていたが、ふと、あることに気づいた。
電気が点いていない。 もうすっかり陽は暮れているのに、家の中は真っ暗だった。
インターホンを鳴らしてみる… ピンポーンという音が、やけに虚しく響いた。
イヤな予感が当たったらしい。
老人は留守だ。
独り暮らしがどうかは知らないが、他に人のいる気配もない。
公園のベンチにでも座って時間を潰そうかとも思ったが、電灯ひとつ無い夜の公園は不気味だった。
老人の電話番号はケータイではなかったので、連絡のとりようがない。
明日出直そう… そう決心して、もと来た道へと歩を進めた。
ずっとハードケースを持っていた左手に、少し痺れを感じた。
そういえば、いつの間にか雨が止んでたな、…。
翌朝。
昨日の僕の『イヤな予感』がハズレていたことを知った。
老人は家の中にいた…。
いや、、その表現は適切ではないな。
『この世』にはいなかったのだから…
テレビの中でその事実を話しているアナウンサー… その無表情な瞳が、僕を見ている気がした…。