殺姫 -サツキ-
気のせいだろうか。
ルクスが来るのが遅くなっている気がする。
今日はまだ来ていないと、ロゼは噴水に腰掛ける。
少し経つとルクスが駆け足でやって来た。
「ごめん! 遅れた」
息を切らしながら謝る彼に、ロゼは自然と笑みが溢れる。
「私も今来たところよ」
いつもの様に何気ない話をする。
ロゼは最初の頃と比べて、彼との会話を楽しんでいる事に気付いていない。
すると、雨が降り出した。
建物の下に雨宿りをする。
「濡れちゃったね。服が張り付いて気持ち悪い」
ルクスは言うが、ロゼはそれどころではない。
ロゼは母達の様に健康な薔薇ではなく、雨に弱い。
明日黒や白の斑点が出ていたらどうしよう。
綺麗じゃなきゃ、もう誰も家に連れて行けない。
母達に愛されない。
その思考ばかりが頭の中を巡る。
「…………着替える? 僕の家、近くなんだ。
……あ! や、やましい気持ちは無いからね!」
軽率な発言だったとルクスは顔を赤らめ、直ぐに訂正する。
そんなルクスを見て、少し落ち着く。
「ありがとう。じゃ、お言葉に甘えて」
まさか自分が連れ込まれる立場になるとは思わなかったと、ロゼは少し可笑しくなる。
服装から何となくは想像出来ていたが、ルクスの家はとても裕福とは言えない。
「……散らかってるから、余り周りは見ないで欲しいな」
「分かったわ。出来るだけ見ないでついて行くね」
ギィと立て付けの悪そうな音が響き、少しドアを開く。
その時、ルクスの顔が、これまでロゼが見た事も無いような、酷く怯えた顔をした。
「な、なん……で…………」
「どうしたの? ル」
言いかけた所で、ルクスはロゼの手を引き、家から離れようとする。
だが、
「何 人を蛇でも見たかの様な顔しやがって。あたしの家だ。何か都合でも悪いのかい!」
その声を聞き、ルクスは暗い面持ちで戻る。
そして弱々しく、怯えた声で微かに「ごめん」と呟いた。
ドアを開けると、酷い酒と煙草の臭いがし、ロゼは思わずむせ返りそうになる。
「今寝てんだ。五月蝿くするんじゃないよ」
中には煙草を吸う下着姿の女。
奥のベットには上半身裸の男が寝ている。
「あんた誰だい。良い身なりしてるねぇ」
にやりと笑った女はロゼに近付く。
ルクスがそれを遮るかのように、ロゼの前に立つ。
「なんだい。別に取って喰やしないさ。そういう所があたしを苛立たせてんだよ!」
五月蝿くするなと言った女が、ルクスの頬を叩き、五月蝿い音を出す。
その女の行為に、ロゼは今まで抱いたことのない感情で満たされる。
それが必死に顔に出ないように堪え、対称となるであろう笑顔を作る。
「はじめまして。いつもルクス君と仲良くさせて頂いています。ロゼといいます」
顔が見えないよう深々とお辞儀をする。
この女を睨みつけてしまわないようにだ。
この女はルクスの母親だろう。
私の母達とは違い、下品で汚くて愛情の欠片も感じられない。
私の毒も効かない訳だ。
ロゼは頭の中で言葉を紡ぎ、罵声が出ようとするのを堪らえる。
「…………? ルクスって誰だい」
ロゼの頭の中が疑問符で埋め尽くされる。
ロゼがルクスの顔を見ると、これまで見た事の無いような、暗い顔をしている。
「ぶっ あはははははははははは」
いきなりルクスの母親が笑いだした。
「そんな大層な名前を自分につけたのかい! あたしはあんたに名前をつけた覚えはないよ! よくもまぁ……あはははははははははは!!」
可笑しげに笑う。
なんて女だ。
思わずロゼは顔を歪ませる。
花には名前をつけるという習慣が無い。
だが人間には名前という習慣がある事をロゼは知っている。
こいつは愛情以前に名前を与えていない。
煙草と酒の臭いをより一層強く感じ、嘔吐きそうになる。
「叔母様。もし宜しければ、これを受け取って頂けませんか? ほんの気持ちです」
自分のポケットから取り出した高価な小箱を取り出し、女に差し出す。
ここでこの女に気に入られれば、ルクスにこれ以上の酷い事はしないはずだ。
「っ……ロゼ!」
女は受け取り、中身を取り出す。
「…………何だいこれ」
まじまじと見ている。
分からない筈だ。
「デザートローズという石です。本来この様な色の物は存在しないので、コレクターは喉から手が出るほど欲しがると思いますよ」
本来デザートローズとは、石膏や重晶石で出来ているが、ロゼのデザートローズは違う。
朽ちた薔薇が凝縮され、また、人を魅惑するという毒も作用して出来ている。
それ故に、本来なら茶色や白といった砂の色だが、このデザートローズは、薔薇のドライフラワーのような色をしている。
「ふぅん。もらっておこうじゃないか。あんたまたここに来なよ」
にやりと笑みを浮かべ、ロゼに言う。
「はい。喜んで」
お前には二度と会いたくないけど。
口に出した言葉とは裏腹に、内心は軽蔑している。
「ではこれで」
お辞儀をして、家の外へ出る。
ルクスもついてきた。