4:聴力検査
「はい、受診票をお預かりします。こちらへお入りください」
次の検査の担当は、小柄な若い女性看護師だった。
俺はうながされるまま、防音室に置かれたイスに座る。
「目の前にあるヘッドホンをつけてください。しばらくすると音が聞こえてきますので、その指示にしたがって手元のボタンを押してください」
きわめて事務的な口調でそう告げると、看護師は防音室のドアを手早く閉めた。
そう。そうそう。
こんな感じで、普通にやってくれればいいんだ。いままでの人たちの検査方法がおかしかっただけなんだ。
俺はどこかほっと胸をなでおろす思いで、ヘッドホンを両耳に装着すると、目の前にあった棒状のボタンを手にした。
たぶん「ピー」という音が聞こえたらボタンを押す。それだけの検査のはずだ。
そう考えていた俺の期待は、ヘッドホンから聞こえてきた声によって、あっけなく崩れた。
〈ヘ~イ! 今日も最高の検査、受けてるかい? 『当クリニック限定ウルトラクイズ』司会のハマー寺西だ。これまでの検査で心が折れかかっているお前らへ、ご機嫌な聴力検査を届けるぜ。ヨ・ロ・シ・ク!〉
すみません。もうお腹いっぱいです。
うなだれる俺の耳に、ノリノリな調子の男の声が延々と流れる。
〈いまからクールなクイズをオレっちから出題するぜ。答えはイエスかノーの二択だ。もしイエス! だと思ったらボタンを力強く一回、ノー! だと思ったらボタンをすばやく二回押してくれ。クイズは全部で二問だ。この二問でお前らの聴力が決まっちまうんだから、心キメてボタンを押しやがれ! じゃあさっそくいくぜ。ハマー寺西のウルトラクイズ、アーユーレディ? アーイ!〉
うるさい……。
聴力検査なのになんでクイズに答えなきゃいけないんだ……。
正面にあるガラスの向こうでは、さきほどの女性看護師が俺と同じヘッドホンをつけ、淡々と目の前の機械を操作している。
たぶん彼女にもこの音声が聞こえているはずだが、「ハマー寺西」とかいうわけのわからない司会のテンションの高さと、無表情な彼女とのギャップが気になって音声に集中できない。
〈Yo! 一問目チェケラ!〉
うんざりした気持ちのまま、クイズが強制的に始まった。
〈人気急上昇中のロシア人アイドルグループ『AKB47』のメンバー、ソフィアが最近身につけた特技は「けん玉」である! イエス・オア・ノー?〉
しらねー。
これは直感で選ぶしかない。ってか、これの何が聴力に関係しているんだ。
――深く考えるのはもうやめよう。考えれば考えるほどカオスにはまっていくような気がする。
俺は小さく一回、ボタンを押した。
〈お前の答えは『イエス』か? 本当にそれでいいんだな? やり直すならいまのうちだぜ?〉
ガラスの向こうの看護師が、口元をぴくりとも動かさないまま、こちらに目くばせをする。俺は反射的にうなずいた。
……これ、防音室でやる意味ないよな。
〈オーケー! じゃあ正解発表といこうか! 正解は――――
イエーーース!! イエス、イエス、イエス!! ソフィアが最近身につけた特技は「けん玉」に決まってるだろうがYo! 正解だぜ、コングラチュレーション!〉
もうどっちでもいいです。
〈よーし、ならこの勢いで、二問目いくぜ! 二問目の問題は少しだけレベルアップするからな。お前ら、覚悟しておけYo!〉
なんでもいいからさっさとすませてほしい……。
〈に・も・ん・め、チェケラ!
アパレルメーカーのマーチャンダイジング業務の流れで、デザイン決定・商品立案ののちに必要なのは、パターンメイキングと、出荷指図書の作成である。イエス・オア・ノー〉
急にマジメになったーーーーーー!?
えっ、なにこれ? いきなりまともな問題なんだけど。ってかハマー寺西、いままでのふざけた態度から豹変しすぎだろ……。
ええと、なんだって? パターンメイキングと――。
〈あと五秒以内に回答をしめきります〉
口調も平坦なナレーション風に様変わりしてるし。なんなのこいつ……。
――といっても、アパレル業界に入ったばかりの俺にはどのみちわからない。とりあえずボタンを一回だけ押そう。
〈回答はイエスですね。では正解の方を――
正解は『ノー』。『出荷指図書』じゃなく『縫製仕様書』だぜ。しかたねえなお前は。まだまだ勉強不足ってことだ。そんなんじゃ、一本筋の通った社会人として活躍できないぜ?〉
筋の通っていないのはお前の方だ。
〈じゃあ、今回の成績は――二問中一問正解! オーケーオーケー、人並みってことだ。でも社会人として活躍できるかは、ここからが正念場だぜ。次の挑戦も、楽しみにしてるからな! ハマー寺西の――〉
俺はそっとヘッドホンをはずした。
しばらくして、看護師がドアのノックして開ける。
「お疲れ様でした。次は腹囲計測です。十一番の検査室の前でお待ち下さい」
きわめて事務的に誘導する彼女。
たぶん、このクイズを何百回と聞いて慣れているから、事務的でいられるんだろうな。慣れって怖いと思う。