夜のプールで泳いでいたら生徒会長に見つかりました!?
夕日に照らされて校舎は赤く染まっていた。生徒達は部活動を終え、あるものは寮へ、あるものは山のふもとにある町へと帰っていく。
そんな時間に生徒会資料室では薄青色の髪をした生徒が机に向かっていた。
ばん
突然扉が開かれ、薄茶色の髪をした生徒が乱暴な足取りで、しかし音は立てずに入ってきた。
「あゆ!」
茶色の青年はあゆと呼んだ青年に近づくと両手で机を叩いた。
「お前、止めるって言ってたのにまだやってたのか!?」
「ち、お前今日は早退じゃなかったのか?」
他の生徒の前では決してしないであろう苛立たしげな表情、しかし、幼い頃からの付き合いである茶色の青年はそれを見慣れており、反省していないと余計に腹を立てる。
「あゆ、お前がそういう態度なら、こっちにも考えがある」
「考え?奇遇だな、僕にもひとつ考えがあるんだ」
その日、生徒会に所属する生徒が一人、姿を消した。
強い日差しが照りつけて、ジリジリとプールサイドを焦がしていく。
私はため息をついて立ち上がると、授業が始まるときに先生から渡されたバケツでプールの水を汲み、程よく熱せられたコンクリートに空ける。見学者に与えられた大切な任務だ。
そうしてまた日陰に戻って折り畳み椅子に座る。
先生の笛の音、時折響く笑い声、そして水しぶき、
「いいなぁ」
ぽつりと呟く。
私は見学だが別に熱があるわけではない。
心臓が弱いわけでも、感染する皮膚病なわけでもない。
そして今まで一度も、泳いだ事がない。
授業は最後の自由時間に入ったようで、友人達がこちらを見て手を振っていた。ひらひらと振り返す。
プールに入れない事はしょうがないと思うけれど、こんな暑い日にはさぞかし気持ち良いんだろうな。
「秋ちゃん、ちょっとだけ足浸したら?気持ちいいよ」
皆が上がる前にと水を汲みに行ったら友人に声をかけられた。
「ありがと、でもあんまり触ると後で赤くなっちゃうから止めとくよ」
「そっかぁ」
一応は皮膚が弱いから、という理由で通している。
プールが終わって昼休み、購買で買った唐揚卵焼きそばパンとミニサラダを持って友人と共に中庭へ向かう。
「朝ちゃんは何にしたの?」
「えへへ~、クロックムッシュとミニシーザーと半生チーズケーキ!」
「……今日はチーズの気分だったの?」
彼女の購入する昼食は毎回何らかの共通点があって、それを私が当てるのが決まりのようになっている。
「当ったり!秋ちゃんは今日もそのパン?好きだねぇ」
そんなことを言い合いながらよさそうな木陰を見つけて腰を下ろした。
お昼ごはんを食べ始めて少し、近くの植え込みがガサリと揺れたかと思ったら一匹の子猫が現れた。
『な~ん』
白と薄茶色のトラ柄で白い首輪をつけている、人を怖がる様子はない。
「あはっ、かわい~。君、ハム食べるかい?」
『なう』
朝ちゃんが食べかけのパンからハムを引き抜いて差し出すと、手の平から直接食べ始めた。
「ゆで卵食べる?」
子猫がハムを食べ終わった頃を見計らい、ミニサラダの蓋の上にスライスされたゆで卵を載せて差し出してやる。
『なう』
かつかつとゆで卵を平らげる子猫を後ろから見て、朝ちゃんがあることに気付いた。
「おや、このにゃんこ男の子だね」
『ふに!?』
何に驚いたのか、子猫は卵をくわえて逃げてしまった。
「あれ、行っちゃった。野良かな?」
その日の夜、寮の食堂で夕食をとった後、出された宿題も全部片付けて、
「さーてと、お風呂入ろっかな」
一人呟いて、お風呂場に向かう。
宿題の前に給湯ボタンを押しておいたから浴槽にはなみなみとお湯が張られていた。
寮には大浴場があるので部屋の浴室は小さいけれど、私にはありがたい。
「ふはぁ~」
肩まで浸かってほっと息を吐く。やっぱりお風呂は良いなぁ。
「ん~、ちょっと温いかな?」
追い焚きボタンをポチリと押して、湯船を尾っぽでかき混ぜる。そう、尾っぽ。私の下半身は今、魚な状態です。これがプールに入れない、今まで泳いだ事がない本当の理由。
幸い水気を無くせば元の足に戻るので日常生活に支障はない。
「はぁ」
ため息をつきつつ尾をなでるとつるりとした感触が伝わる。魚そのものみたいにぬめりや匂いがないだけましか。
「泳ぎたいな」
気付けばそうつぶやいていた。
「何かあったの?」
お昼休み、今日はお弁当の朝ちゃんと中庭で待ち合わせだ。いつものパンと野菜ジュースを持って到着するなりそんなことを聞かれた。
「別に何もないよ、何で?」
「ここ二、三日くらい元気ないように見えたからね、特にプールの後とか……」
「あぁ、うん。一度でいいからプールに入って見たいなって思ってたんだ」
「あー、うん。暑いもんねぇ」
『にゃぁ……』
朝ちゃんが納得したとうなずいていると、横からいつもの鳴き声がした。
「お、来たね」
ここのところ毎日現れる茶色の子猫に話しかけた朝ちゃんは小さなタッパーを取り出す。
「じゃん、今日は君のために猫まんまを作ってきたんだよ!」
ふたを取り差し出されたそれをのぞき込み、慎重に匂いをかぐと食べ始めた。
「ん、どうやら私の手料理は気に入ってもらえたみたいだね」
「首輪もしてるしずいぶん人に慣れてるみたいだし、どこかの飼い猫かなぁ?」
「首輪?」
朝ちゃんが首を傾げたその瞬間、子猫はぱっと駆け出してどこかへ行ってしまった。
そして校舎に近いところで上がる歓声。
「きゃぁっ!姫海会長!!」
「中庭に何か御用ですか?」
集まってきた生徒達と朗らかに話しているのは姫海生徒会長、この学校一の有名人だ。生まれつきだという薄青色の髪の毛は生徒達のなかでとても目立つ。
「相変わらずきらきらしてるねぇ」
「そうだね、何しに中庭に来たんだろう?」
そんなことを話しているうちに会長は去っていった。残された生徒の一人がこちらに向かってくる。
近づくにつれ誰か分かった、隣のクラスの子だ、えっと確か有野さん。
「ねえねえ、朝子ちゃんと、えぇと……鳴海さん?」
「うん、鳴海秋音。有野さん、だっけ?」
「えぇ、有野友香。さっき姫海会長が子猫を探してるって言ってたんだけど、あの猫ってひっかいたりする?」
『あの猫』、茶色いにゃんこの事なんだろうけど、何で会長がわざわざ探すんだろう?
「おとなしい、人に慣れてる子だけど、会長は何故探してるって?」
朝ちゃんも同じことを思ったみたいだ。
「同じクラスの子から話を聞いたらしくて、飼い猫なら飼い主が心配してるだろうし、野良猫なら貰い手を見つけようと思ってるんだって」
優しいわよね~と、恋する乙女のように瞳をきらめかせる有野さん。実際恋してるんだろうな、この学校、生徒会役員への片思い率が異様に高いから。それはともかく、
「へぇ、生徒会長って結構優しいんだね」
もっと厳しい人を想像していただけに意外だった。
「そう、姫海会長はすっごく優しいんだから。去年うちのお姉ちゃんが夜中プールに忍び込んだ時だって……っと、身内の恥をばらすところだった。ということで、明日猫捕まえちゃうね、それで会長にほめてもらうんだ~」
最後の一言は心の中で言ったつもりなんだろうな。
かわいらしい野望を抱く有野さんを応援しつつ見送って、私達は昼食を再開した。
ところが、それ以来子猫はふつりと姿を消した。
あれから数日後の週末、有野さんが言っていた“夜中のプール”の言葉がどうしても頭から離れなかった私は今、こっそり開けておいた窓から更衣室に忍び込んでいる。
プールサイドで耳を澄まして周りに誰もいないことを確認してから静かに服を脱ぐ。身に着けているのはTシャツ一枚という人様にはお見せできない姿となって、月明かりの下そっとプールへ足を入れた。
水は昼間の熱を捕らえたままだったのか温かく、私を受け入れてくれている気がして嬉しくなる。
そっとふちから手を離し、頭がとぷんと水面に沈んだ。
目を開くと映る水中の景色、はぁっと息を吐き、ごぼごぼ上へ昇っていく気泡を見送った後、胸いっぱいに水を吸い込んだ。
あぁ、気持ち良いなぁ。
そのまま泳ぐ、泳ぐ。まるで昔から知っていたかのように水中では自由自在に泳ぎまわれた。
少し塩素臭いのが気になるけれど、どうって事はない。勢いをつけて水中から飛び上がり再び水の中へ、イルカになった気分!
授業中はいつも皆が泳ぐのを見ていたけど、その中でも私が一番速いんじゃないかな?大会に出たら優勝できちゃうかも、あ、その前に見世物にされちゃうか……。
少しだけ沈んだ気分を振り払うために思いっきりプールの中を泳ぎまわった。
そして、大きくジャンプ!
飛び上がった私の目に校舎が飛び込んできた。明りのついた部屋、開いている窓、こちらを見ている人影。
目が合った!?そんな気がしたが否定する。いやいや、この距離じゃはっきりと見えないはず。水中に身を沈めてうかがっていると部屋の電気が消えたので、慌ててプールから上がり足の水分をふき取った。
服を着て、寮に戻ってベッドに飛び込み……。
翌日、何事もなく寮で目覚めた私はようやくほっと息をつく。
「よかった、やっぱり見られてなかったんだ」
今日は日曜日、だけど昨日の出来事で疲れてしまった私は特に何もせずぐうたらして過ごす事にした。
が、何もしないとなるとかえって色々考えてしまうもので、気晴らしにお風呂に入っても目に映るのは青い魚の尻尾。
「う~、明日テレビとか来てたらどうしよう。携帯で撮られてたら言い逃れできないし……。雨鳥先生に相談したほうがいいかなぁ」
雨鳥先生というのは私の主治医だ。両親以外で唯一この足の事について相談できる人でもある。
私がまだお母さんのお腹にいた頃、羊水の中でただよう私はすでにこうだったらしい。
足の奇形だと詳しく調べようとしたお医者さんと嘆く両親の元に現れたのは、上森学園大学付属病院の雨鳥先生だった。
私と同じ症例の子供たちを扱ってきた雨鳥先生の説得により、両親は出産を前向きにとらえるようになれたという。しかし、
「む~、やっぱり何かあってからでいっか」
実は苦手なんだよな、あの先生。
幼い頃、足のことを秘密にしておくようにと言い聞かせられ、無邪気に何故かをたずねた私に先生がしてくれたお話は八百比丘尼だった。人魚の肉を食べると不老不死になる。他にも不死を求めた時の権力者の話、最後には、
「と、言うわけで、秋音ちゃんが人魚だってわかると食べられちゃうから絶対内緒よ?」
聞き分けのない子供に言い聞かせるのには必要だったのかもしれないけれど、五歳の子供には中々ハードな内容でしたよ、先生。
さて、月曜日。なんとあのにゃんこは尾崎先輩の家の猫だという噂が学校中で流れていた。
尾崎先輩は生徒会の会計で、やっぱり人気があるのだが、今は風邪で学校を休んでいる。
うーん、何で学校に尾崎先輩の家の猫が、よっぽど方向音痴だったのか?
あれ、そういえば、姫海会長と尾崎先輩は幼馴染だと聞いたけれど、会長は猫の事を知らなかったのかな?
いつものように中庭で昼食をと思ったのだが、今までにない数の生徒がいたので結局学食で食べる事にした。温かいご飯がちょっと嬉しい。
「中庭にいた人たちって、やっぱりにゃんこ探してたのかな?」
「だろうね、尾崎先輩の取り巻きの人たちが中心になってたし」
私がつぶやくと、隣に座っている朝ちゃんが袋海苔をぴーと開けながら答えてくれた。
「取り巻きねぇ、漫画の中の話だと思ってたよ……」
私は高校からこの学園に入ったので初めに知ったときはかなり驚いた。
「あの人はねぇ、もてはやされるのが好きだから。他の役員にはいないよ」
今度は向かいの席にいる葵ちゃんがため息と共に答えた。ちなみに、『あの人』なんて気安いのは葵ちゃんが生徒会役員の来期会計だからである。
ざるうどんをぞぞっと吸い込むと口の中で刻んだショウガとネギが弾け、鮮烈な香りと出汁の旨味が混ざり合い、強いコシのあるうどんがすべてを包み込み見事なまでの調和を生み出した。
「おいしー!」
「だよね!生徒会役員の特権なんて要らないけど学食無料券だけは良かったと思うわ」
朝ちゃんは焼き魚定食、葵ちゃんは山菜蕎麦とミニ親子丼、私はざるうどん定食と奇しくも三人とも和食だが、洋食も中華もおいしいらしい。
そんなこんなで久しぶりに三人でとった昼食も終わり、午後の授業が終わる頃にはプールでの出来事なんて綺麗さっぱり忘れていた。
先生が教室から出て行って、さあ帰ろうという時、お知らせのチャイムが鳴り響いた。
『一年三組、鳴海、秋音さん。一年三組、鳴海、秋音さん。至急生徒会室まで来てください。繰り返します……』
教室の皆が一斉にこっちを見る。
「鳴海さん、呼び出されるような事何かやったの?」
隣の岩崎君に聞かれて慌てて首を振る。心当たりは無い。でも、
「これって、行かないとまずいかな?」
「そりゃ、ねぇ?」
「だよねー」
突然の呼び出しに不安を覚えながらも、私は教室を後にした。
さて、この学校、上森学園高等部には三つの校舎がある。
ひとつは生徒が過ごす生徒棟。もうひとつは職員室や保健室がある管理棟。最後に家庭科室や理科室、美術室などがある別棟。普通生徒棟や、管理棟にありそうなものだけど、生徒会室は別棟にあった。
授業が終わり、教室へ帰って行く生徒の流れに逆らって生徒会室へと向かう。
誰もいない最上階、他の教室とは違う両開きの重そうな扉の前ですくんでいると後ろから声がした。
「鳴海さん?」
「は、はい!?」
驚いて振り向くと姫海会長がいた。
「待たせてごめんね」
「い、今来た所です」
「そう、よかった」
あ、いまのなんだかデートの定例句っぽい。内心焦ったけれど、会長は何も気付かなかったようで、生徒会室の扉を開けた。
「さあ、どうぞ」
「お邪魔します……」
お邪魔しますって何だ、ここは失礼しますだろう!
どうやら私はずいぶんと緊張しているらしい。
部屋に入って左側にある応接スペースのいすを勧められたので腰掛けたら想像以上に沈んで驚いた。立てるのだろうか。
会長はお茶でも入れて来ると言って奥に行ってしまった。一人残された私は初めて入った生徒会室を見回してみる。部屋の真ん中には役員用の大きな机が置いてあり、ファイルが立てられていたりペン立が乗っていたり、逆に一切何も乗っていなかったりと様々だ。あ、私が以前あげたキーホルダーが飾ってある。ってことはあれが葵ちゃんの机か。奥にはドアが二つあり、片方は入り口と同じく重そうな木の開き戸、もう片方はプレハブの入り口みたいなガチャガチャするノブが着いているドアで、会長が入って行ったのもこちらのほうだ。たぶん向こう側に給湯室みたいなものがあるんだろう。あとは小さな棚や本棚、上に花が活けられた花瓶がひとつ、壁には絵や写真がいくつか飾られている。
きらり、と窓から光がさしたので何があるんだろうかと不思議に思い椅子から立とうとしたところで会長が戻ってきた。湯気の立つカップをのせたおぼんを持っている。
立ち上がろうとしたら「いいから座ってて」と言われてしまった。
受け取ったカップからはふんわりとよい香りが立ち昇っている。
勧められるままに一口いただくとほうっと息がこぼれた。
「美味しい……」
「それはよかった、実は僕は紅茶を入れたことがなくてね、いつも兼子がやっているのを見よう見真似で入れてみたんだが、上手く行ったようだ」
「兼子って、兼子葵ちゃんですか?」
「そうだよ、ああ、同じクラスだったっけ、仲が良いの?」
「はい、友達です」
そこで会長は少し考えるような素振りをして、申し訳なさそうな顔で、
「じゃあ、鳴海さんから謝ってもらってもいいかな?」
なんてことを言った。
訳が分からずに首をかしげる。
「実は、この紅茶兼子が棚の奥に隠しておいた奴なんだ。よい茶葉なら下手に淹れても美味しいと思って、でもそれを知ったら兼子が怒るだろうし、友人である鳴海さんから僕が謝っていたと伝えてもらえば角も立たないかなってね」
「それ、余計怒ると思います」
「そうか、あきらめて怒られるか。ところで話は変わるけど、鳴海さんは特待生だったね、誰の推薦?」
「え、雨鳥先生ですが……」
高校受験のときに実家に近い学校を受けようとしたのだが、ここなら何かあったときに自分の顔で融通が利かせられるからと勧めてくれたのだ。
「雨鳥先生ってことは、雨鳥三羽?じゃぁ……」
なにか言いかけたところでベルを鳴らしたような音がした。会長は困った顔をして、
「ごめん、人が来たみたいだ。悪いんだけどそっちの資料室で待っててもらえるかな?中の本は自由に読んでいいから、本当にごめん、すぐに帰ってもらうから」
先ほどのベルは来客を告げるものだったのだろう。余りにすまなさそうな顔になった会長に私は大丈夫ですよと言って資料室へと向かった。
資料室には大きな本棚とファイルの詰まった棚、木製の立派な机がひとつと同じく立派な椅子のセット、隅のほうに立てかけてあるこの部屋には似つかわしくないパイプ椅子があった。壁には生徒会室と同じように絵が飾られている。
窓から見下ろすと部活をしている生徒達が見えた。今日のグラウンドは野球とハンドボールの日らしい、プールでは水泳部が泳いでいる。
読んでもいいって言ってたけど、どんな本があるのかな?
机の上に置いてあった本を見ると、人魚姫、しかも子供向け。
「誰が読んだんだろう……」
本の下には作りかけのパズルがあった。ピースがとても小さいものだ。生徒会の中にパズルが好きな人がいるんだろうか。
「いつっ」
本を戻して机から離れようとした時に、引き出しからはみ出ていたものに手が引っかかった。
「紙?あ、写真だ」
するすると引っ張り出されたそれには黄色味がかった肌色の下地に描かれている青い模様が写っていた。何かの絵の写真かな?どこかで見たことあるような……
思い出せないものは仕方がないと本棚に目をやると一冊ぶんの隙間が目に付いた。人魚姫の本はあそこから出したんだろうな。日本昔話、イングランド民話集、200%こわ~い話4、西遊記、なぜ資料室にあるのかは分からないけれど子供向けの本が置いてある場所なのだろう。
再び窓から外を見る。水泳部の人達気持ちよさそうだなぁ、また思いっきり泳ぎ回りたいな。そういえばあの時は人に見られたかと思ってひやひやして……あれって、あの時人影を見た窓ってここだ。
背筋がすっと寒くなる。そういえば人魚姫ってイングランドの言い伝えが元になったって聞いた事ある。いやいや、まさかこんな時代に本気で人魚を信じてる人なんていないいない。気を取り直してこわ~い話を開くと目次に『人魚を食った娘』と書かれていた。本を棚に戻す。いやいやいや、まさか、ね。壁に掛けられた絵に目をやる。
「あ、これパズルだ」
絵や写真だと思っていたものはすべて完成して額に入れられたパズルだった。
「このミニパズルも完成したら飾るのかな?」
机に戻って作りかけのパズルを見る。半分ほど完成したそれは、子猫の写真のようだった。ふと、引き出しから引っ張り出した一枚の写真が目に入る。
「ん~、やっぱり見覚えが……あ、あれだ。前にお母さんが携帯で撮って見せてくれた、私の肩にあるあざによく似て……もうやだ、絶対偶然じゃないよぅ」
姫海会長が思ってたより気さくだったからすっかり油断してた。今日のところはすぐに帰ってもう会わない様にしなくちゃ。来客中で失礼だけれどもうここを出よう。
ガチ
鍵がかかっててノブが回らない。
「せ、先生に電話……何で圏外?!」
学校でも寮でもいつもは三本立ってるのに。
携帯が壊れたのかといじっていたらノブの回る音が聞こえた。ドアが開いていく。
「やあ、ごめんね、待たせちゃって」
にこやかに笑う会長がそこにいた。
「あ、あの」
「ん?」
その優しげな笑顔が妙に怖かった。
「さっき電話があって、急用ができたので失礼します」
「電話?」
首をかしげる会長は、しかしドアの前から動いてくれなかった。
「はい、友人から電話があって、急ぎなので……」
「おかしいな」
にこにこと、まるで通せんぼをするかのようにドアの縁に手をかける。
「その部屋は電波が入らないのに」
携帯の故障じゃなかったんだ。失言に気付いたがここは誤魔化す。
「窓、開けてたからじゃないですか?」
「どうやって?」
「どうやってって、普通に」
「へぇ、やってみて欲しいな」
しぶしぶ窓に近づいて開けようとするが、開けられない。留め金が見当たらないのだ。
「別棟の窓はちょっと変わってて、知ってる人じゃないと開けるの難しいんだよね。
それで、電話、あったの?」
何も言えない私に近づいてくる会長、た…た、食べられちゃう!(物理的な意味で)
みゃ!
そこに突然子猫が現われて、飛び上がって会長の手を引っかいた。
「っつ!」
手の甲を押さえる会長を尻目に、子猫は机に飛び乗り作りかけのパズルを床にけり落とした。
「あ、馬鹿、とら!」
あわてて駆け寄りパズルを拾い始めた会長、子猫はこちらを向いて尻尾を振ってから走り去った。こっちに来いと言われてる気がして後を追う。
着いた所は一階の家庭科室、内側から鍵をかけてへたり込む。一応は外に出ようとしたのだけれど、防火シャッターが下りていてあきらめた。
なぁ
頭をすり寄せてきた子猫をなでてやる。
「ありがとう、とらちゃん。助かったよ」
みゃん
子猫のとらちゃんはこちらの言葉が分かっているかのように返事をして、再び頭をすり寄せた。かさりと手に何かがこすれる。
それは首輪だった。いや、首輪だと思っていたものは首に巻かれた紙だった。
「折りたたまれた、紙?」
とらは何度も首をこすりつけてくる。
「取って欲しいの?」
なぅ!
首がしまらないように用心して外してやると、スッキリしたのかプルプルと頭を振った。
「はぁ~助かったよ。ありがとな」
そして、少年のような声で礼をのべた?え?
「あゆの野郎、厄介な封しやがって。あんたがいなけりゃどうなってたことか。昼飯といい、札を外してくれたことといい感謝してもし足りないな」
「いえ、え?」
「三羽に解いてもらおうと思ったんだが姫海に連なるものしか解けないようになってるって言われて困ってたんだよ」
「あの、つかぬ事をお聞きしますが」
「何だ?」
「あの、ネコさんでいらっしゃいますよね?」
「一応は虎なんだがな」
「虎にしては小っちゃい……」
「うるせ」
とりあえず分かったことは、彼は虎らしい。
「言っとくが、こう見えて俺は人間だからな」
訂正、彼は人間らしい。しゃべる虎の姿をした人間かぁ。
不思議と受け入れている私がいた。まぁ、私自身も半分魚になったりするし、虎になる人間がいてもおかしくないのだろう。
「というか、姫海の人間が何で尾崎の事知らないんだ?」
突然とらさんが不思議なことを言ってきた。
「私は鳴海ですよ、鳴海秋音。姫海じゃないです」
「いや、でも姫海の遠縁なんだろ?」
「いえ、親戚に姫海さんはいませんが」
とらさんは黙り込んでしまった。
さっきからずっと触りたかったふわふわの頭をなでてみると嫌そうな顔をして距離をとられてしまう。
「あんたは、何であゆに呼び出されたか知ってるか?」
「あゆ?」
「歩、生徒会長のことな」
「あぁ、多分、私が人魚だってことがばれて、食べようとしたんじゃないかと……」
「……あぁ、ウン。ソウナノカ」
とらさんがここから動くなと言い残して出て行ってから五分程、一人で無いという事がどれほど安心できたかを身にしみて感じていると、遠くのほうでドアを開ける音が聞こえた。耳をすましてようやく聞こえるくらいの音で、しばらく後には閉める音も聞こえた。
それが、だんだんと近づいてくる。
カラカラ タン
ガラガラ
ガラガラ パタン
いても立ってもいられなくて、教卓の下に隠れようと向かう際に椅子に足を引っ掛けてしまった。
カタ
結構小さい音だったのだが会長には聞こえたのだろう、足音がだんだんと近づいてきて、
ガッ!
鍵のかかっているドアを勢いよく開けようとした為、すごい音がした。
ガッ!ガッ!
家庭科室の鍵は内側からしか開け閉めできないようになっている。棒状の、ねじねじする鍵のため、鉄の鍵をへし曲げるくらいの力が無ければ開かないはず。
あきらめたのか、足音が遠ざかる。ほっと息を吐いたのだが、安心するのは早かった。
カチ
隣の、家庭科準備室の鍵を開ける音がした。家庭科準備室と家庭科室はもちろんつながっていて、鍵は向こうからかかるようになっている!
教卓の下から飛び出して、ねじねじ鍵を回す。急がなきゃ、会長が入ってきちゃう!
ようやく鍵を外して家庭科室から飛び出すと、
「みつけた」
にっこりと笑った会長がいた。
「あ……」
後ろに下がると同じだけ前に出てくる。
「急に逃げるからびっくりしたよ」
「あ、あの、ワタ、私、急用が」
「ごめんね?」
会長は笑顔のまま言った。
「今君を逃がすと面倒なことになりそうなんだ」
「~~っ!!」
伸ばされた手が怖くてぎゅっと目をつぶった、そのとき!
「こんの、バ会長~!!」
「ぐふぅ!」
聞き慣れた声と、会長のうめき声、そして、
「すまん、防火シャッターと兼子に手間取って遅くなった!」
聞き覚えの無い男の人の声。
目を開けると葵ちゃんにしばかれている会長と、心配そうな顔で私を覗き込んでいる青年の顔があった。
聞き覚えは無いけれど見覚えはある。
「尾崎先輩?」
「別にさっきみたいに『とらちゃん』でもかまわないが?」
会長をしばき終えた葵ちゃんが、にやりと笑った尾崎先輩を押しのけて戻ってきた。
「秋ちゃん、大丈夫だった?」
「うん」
「ごめんね~、一回生徒会室まで行ったんだけど、バ会長に言いくるめられちゃってさ」
にかっと笑った葵ちゃん。そのいつもの顔に安心したのかは判らないが、
「あ、葵ちゃん~~!」
私は葵ちゃんに抱きついてしばらく大泣きしてしまったのだった。
翌日、私は再び生徒会室へとやってきた。今日は葵ちゃんと尾崎先輩と会長、さらには雨鳥先生も来ている。
「まずは私から。ごめんね、秋音ちゃん。先生あなたに嘘ついてたの。
秋音ちゃんは人魚じゃなくて……龍だったの!」
「はい?」
しょっぱなから話についていけない予感がひしひしと。
「ごめん、秋ちゃん。やっぱり私から説明させて」
「う、うん」
葵ちゃんの話によると、隣の中国には昔四神と言う神様のような生き物がいて、その四神の子孫達が日本に渡ってきたそうな。朱雀と呼ばれる火の鳥を祖先とする雨鳥、玄武と呼ばれる蛇の尾を持つ亀を祖先とする兼子、白虎と呼ばれる白い虎を祖先とする尾崎、青龍と呼ばれる龍を祖先とする姫海。各家では今でも四神の名残を持つ子供が生まれるという。
「そんな子達を守るために創られたのがこの上森学園ってわけ。ここまではわかった?」
「うん、まぁ」
葵ちゃんの話は更に続く。
血のすっかり薄まった、四神のことも何も知らないような遠い親戚にもまれに先祖がえりの現われることがあり、私はそのケースらしい。上森学園の付属病院が奇形の研究に力を入れているのは、先祖がえりが見つかったときにすぐ話が来るようにだそうな。
「で、ここからが本題なんだけど……虎先輩のこと内緒にしといてくれないかな?」
「にゃんこになること?うん、わかった」
「にゃんこ……」
なにやら打ちひしがれてる様子の尾崎先輩だけど、まぁ気にしない。
「よかった!」
嬉しそうな葵ちゃん。
「でもさ」
「何?」
「会長は何で私を呼び出したの?」
「それは……」
言い辛そうに視線をさまよわせる葵ちゃん。
それを見た尾崎先輩がこほん、と咳払いをひとつ。
「それに付いては俺から話そう。まずは幼馴染として弁解させてもらうが、こいつは、あゆは優秀な奴なんだ。でもどうにもパズルに執着していて、もともと姫海には一つの事に固執する奴らが多いんだけどな、欠片持ちの欠片に目を付けやがって……あ、欠片ってのは例のあざのことな、欠片持ちは四神の特徴を持ってる奴のこと。欠片持ちは体のどこかに欠片があるんだよ。んで、姫海の当主も止めたんだが、聞かずに足りない欠片を探して目を付けたのがあんただったって訳だ」
「……え~と、会長は人の体にあるあざをピースにパズルをしようとしたって事ですか?」
「そういうこと」
「非常に解り難い説明をどうもありがとうございます」
私がそう言うと尾崎先輩は心底驚いた顔になった。
「ていうか、今ので解った秋ちゃんすごいよ。虎先輩の翻訳係やって欲しいくらい」
「いや、勘弁」
そういえば、前に葵ちゃんが、普通の会話は問題ないけれど解説能力が壊滅的って言ってたっけ。
とりあえず、私のこの体質は先祖がえりで姫海の人にはよくある普通のこと、会長はあざの写真が撮りたくてあの日呼び出したのだそうな。
「会長のことは分かったけど、なんで尾崎先輩は猫になってたの?」
「それは……」
「私が説明するから虎先輩は黙っててください」
口を開きかけた尾崎先輩を葵ちゃんがぎろりと睨みつけ黙らせた。
「まずは欠片の話から始めるね。
何て言ったらいいのかな?……欠片って名前の通り、これはひとつの模様の一部なの」
少し考えながら話す葵ちゃん。
「どんな模様なのかっていうのは残されていないから判らないし、欠片を絵や写真にすることも禁止されてる」
ふむふむ、とりあえずそういうものなのだと理解しよう。
「会長はその決まりを破って欠片を集め始めたから虎先輩が止めようとして、返り討ちにあったというわけ」
なるほど、返り討ちにあうと猫になるんだ?
「いやぁ、人としての部分が封じられて大変だった」
そんなこんなで話も終わり、皆さん解散となりかけたときに、改めて会長に謝られた。
「本当にごめんね、あの時は夢中になってて、怖がらせてるつもりは無かったんだ」
「もういいですよ、ちゃんと謝ってもらえましたし」
正直な話、葵ちゃんは別として、会長達とはもう関わりたくないし、関わる事も無いだろうし。
そう思っていたのだが、
「それじゃ余りにも済まないし・・・・・・そうだ、今度僕の家にこないか?家には大きなプールがあるから好きなだけ泳ぐといいよ」
この言葉に私の心はぐらりと揺れた。
巡り巡って次の土曜日、決して一人では行かないようにと念を押された私は尾崎先輩と共に会長の家に来ていた。広大な、普通の家が二、三件は建ちそうな魅力的なプール、満面の笑みの会長、その手にはデジカメと、お詫びをかねて用意すると言ってくれた水着が……。
「さいってー」
白い、いわゆるマイクロビキニと呼ばれるそれを見て罵ってしまった私に罪はないと思う。
もちろん自分でシャツは用意して持ってきているけれど、これは無いでしょ。
「お前、もうちょっと人のこと考えろよ」
尾崎先輩は呆れたように言って持っていた紙袋を私に差し出した。
「?」
「こんなこともあるかと思って用意しといた」
「開けてもいいですか?」
断わってから中の包みを開くとチュニックタイプの水着が出てきた。オレンジ色で、すそにフリルが付いていて可愛い。
「兼子と一緒に選んだからサイズも大丈夫だと思うぞ」
「あ、ありがとうございます」
「そんなの着たら欠片がっ」
会長のたわごとは無視した。
結局プールの魅力には逆らえず、その日はしっかりと泳ぎまわって時は再び月曜日。
朝、一年昇降口の人だかりを見て、いやな胸騒ぎに襲われた。
主に女子生徒に囲まれていた姫海歩生徒会長は、人の隙間から私の姿を目に留めると真直ぐに近づいてきた。
「鳴海さん」
人違いです、と言いたい。
薄青色の瞳がこちらを見つめていたが、私は必死に眼をそらし続ける。
「鳴海秋音さん、僕と、結婚を前提にお付き合いしてください」
「お断りしますっ!」
この日、私の付きまとわれ高校生活の幕が上がった。
虎「お前さ、何で結婚とか言い出したわけ?」
歩「結婚したら夜の営み、つまりは合法的に服の下が見れる!」
葵「いっぺん死んで来い!このバ会長!!」