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(三)

 顕也が大学の研究室に現れたのは、日曜日の日中であった。あちこちに電話して、同期で第一外科の渡辺が夕方までという約束で日直の分を代わってくれたのである。

 湘南医科大学は、横浜こども病院からバスと電車を乗りいで小一時間のところにあった。顕也はこの湘南医科大学の形成外科の医局に所属していたが、実はこの大学の卒業生でもなければ附属病院の形成外科で常勤としてちゃんと働いたこともない。神奈川県内で生まれ育って地元の私立中高一貫校を卒業し、首都圏の国公立大学よりも入りやすいという理由で一浪の末に東北の国公立大学を選んで受験したら合格した。卒業後のことなど考えないで入学したが、神奈川県は考えていたよりもずっと都会であり、そこで育った自分が地方で暮らすことは考えていたよりもずっと厳しいことだと知った。卒業後は迷わず地元の神奈川県に戻って地域中核病院で研修医を勤めた。その総合病院に開設されていた常勤医が二人しかいない形成外科が、顕也にはなぜか魅力的に見えた。戦場のような緊張感と忙しさしか印象に残らない診療科もある中で、形成外科には独特のゆったりした時間が流れており、大凡おおよそ生き死にとは関係のない領域しか扱わない余裕に満ちているように感じた。それでいて縫合の手技や創傷の管理などは他のすべての外科医に対して指導的な立場にあることを知って、研修医の自分までをも妙な優越感にひたらせてくれた。一般的に、卒後二年間の研修期間で各診療科をローテートして二年目の後半に進むべき専門の診療科を決めるのであるが、顕也は一年目に形成外科をローテートした時からほぼ湘南医科大学形成外科に入局する決心がついていたほどである。

 入局後に一人前になるまでは医局の関連病院と言われる施設を一、二年の周期で再びローテートするというシステムも、どの診療科でも同じである。顕也もローテーターとして横浜こども病院に派遣されたわけであるが、それなりのやる気を買われて派遣後すぐに後藤の研究を手伝うことになった。顕也と同じ湘南医科大学形成外科の医局には一人だけ同期がいたが、彼が配属された救命救急センターの仕事は同じ形成外科でありながらまったく畑違いのようなところもあるので、入局してすぐに研究室に出入りすることが名誉なことなのかどうか、それすら顕也にはわからなかった。ただ、病院業務は残った上級医がやるから毎週研究室に行って来い、と言われて正直明るい気持ちにはなれなかった。

 何より、顕也は大学の研究室の雰囲気が好きではなかった。守衛室でサインをして共同利用室の鍵を受け取る時には、高校時代に嫌いだった物理の授業が始まる時と同じような気分になった。暗幕が吊り下げられた研究室には試薬の臭いが立ち込め、足元にはいかにも古くて不潔な製氷機のうなりと頭上には通気口にほこりが揺れる具合の悪そうな空調の吐き出しの振動だけが永久に繰り返されている。顕也は早速さっそくパラフィンに包埋ほうまいされた検体を専用の器械で黙って切り始めたが、誰かが気のいた音楽でも聞こうとしたのか、すぐ横に最近打ち捨てられたままになっているCDプレーヤーがますますやる気をいだ。この後夕方から当直に行っていつ眠れるかは運次第という業務を一晩こなした明朝には、朝七時半に始まるこども病院のカンファランスに出なければならないのである。鳥肌が立つほど絶望的な気分のまま、顕也は検体整理を続けた。


 顕也が何とか研究のノルマをこなして当直先の病院にたどり着いたのは、夜七時であった。

「よう、久しぶり。」

 同期で第一外科の渡辺が、車の雑誌を小脇こわきに抱えて当直室から出てきた。第一外科は、循環器と呼吸器以外の、主に消化器を専門とするいわゆる一般外科である。顕也は、久しぶりに気心の知れた相手と会話できて、少しうれしかった。

「どうよ、形成外科は?」

「いやあ、それなりに大変だよ。雑用ばっかりで。」

「どこも同じようなもんだな。まだ横浜にいられるだけでもいい方だよ。俺も、たまたま横浜に残ってるから今日はここに来れたけど、四月からは小田原に行くかもしれない。村沢はどうなの?」

 第一外科の忙しさが形成外科の比ではないことは誰もが知るところであり、彼もまた診療科を越えて誰がどこで何をしているのかという情報がほとんど入って来ないのであろう。顕也と同じく一番の関心事は同期の近況であった。

「まだ決まってないけど、形成外科は遠くの関連病院がないからこのへんにはいると思う。」

「留学とか考えてないの?」

「留学?」

 顕也の心の中には一切なかった選択肢である。

「形成外科で留学する先生はあんまりいないし、自分も全然考えてない。第一外科は、誰か留学に行ったやついるの?」

「佐伯が行ってるよ。大学院生とはいえ附属病院で臨床しかやってなくて、研究のテーマもまだ決まってなかったらしいけど、この九月からボストンに行った。やつ、結婚したばかりだったから、最初はすっごく嫌がったらしい。でも案外奥さんが行きたいって言ったみたいだよ。教授の前でポロっと『奥さんは行ってもいいって言ってる。』ってこぼしたら、いきなり会ってもない向こうの教授から来月から来るようにって英語のメールが来たって話だよ。まあ俺だったら医局辞めてるね。」

 渡辺が湘南医科大学を卒業して母校の第一外科に入局したのに対して、佐伯は顕也と同じ大学から湘南医科大学やその関連病院に研修医として就職した人物だった。物静かで大学時代に語り合ったわけでもないが、東京出身なので卒業後はどうするか顕也と同じ悩みを抱えながら過ごした仲ではある。オーケストラに熱中するあまり成績は良くなかったらしく、都内の大学病院で優秀な先生方と肩を並べてしのぎを削るはつらいと感じたというのが本音であろう。気が付くと実家のある東京をオーバーランして湘南医科大学の第一外科に入局していたという話を、顕也は佐伯本人から附属病院の採用者説明会の時に聞いていた。

「佐伯が留学かあ。」

 そう顕也がつぶやいた瞬間、当直室の電話が鳴った。佐伯についてまだ語りたそうな雰囲気のまま、渡辺が電話を取った。

「はい、もしもーし。」

 軽くて歯切れのよい電話の会話が、いかにも厳しい職場環境で切磋琢磨せっさたくまする一般外科医である。

「えっ、三人も待ってるの? 待たせなくても呼んでくれたら行くのに。それじゃ交代の村沢先生に申し訳ないよ。」

 何ということもない電話応対であったが、順調に一人前の臨床医になりつつある同期の渡辺が、顕也にはとても頼もしく思えた。

「いいよ、あとは自分が診るから。急な当直を頼んだのは自分だから、気にすんなって。」

「ありがとう。じゃあ、よろしく。」

 渡辺はそう言うと、スポーツバッグに雑誌を放り込んで、颯爽さっそうと当直室を出て行った。

 顕也は、一人になった当直室で白衣を羽織りながら、同じような悩みを抱える同期を心の底からありがたいと思った。それと同時に佐伯の身の上を案じた。佐伯だって臨床医を目指していたはずなのに、手術をほとんど経験しないまま留学して向こうでまったく臨床をやらずに数年間ずっと研究だけやるなど、自分には考えられない。収入はどうしているのだろう。食べ物は口に合うのだろうか? 手術はほとんどできずに雑務ばかりとはいえ、毎日臨床に関わっている自分は彼に比べればたいしたことはない、と顕也は思った。


 当直明けの勤務自体はごく当たり前のことであった。早朝に当直病院から電車を乗りいで横浜こども病院に戻ってそのまま形成外科外来に向かうことは、顕也にとってたいした苦痛ではない。月曜日は手術日なので朝七時半から当日の手術カンファランスが行われる。顕也は患者さんの病歴をプレゼンテーションしなければならない。これは金曜日に準備しておいたものをそのまま読み上げるだけである。

「三カ月、男児。右不全唇顎裂(ふぜんしんがくれつ)の患者さんです。妊娠、分娩に特記すべきことはなく、合併奇形もありません。顎裂がくれつはありますが、軽度なので術前(がく)矯正は行っていません。」

 上級医たちの前で、顕也が患児かんじの顔写真を指さしながらプレゼンする。

「じゃあ、村沢先生、デザインしてみてよ。」

 部長の後藤がカンファランスの進行役でもある。単純なケースは若手の医師に部分的に執刀してもらうために、朝のカンファランスで手術内容の理解度を試されるのである。

 言われるままに、顕也は用意されたホワイトボードに唇裂しんれつのシェーマをいて切開線をデザインし始めた。大部分の形成外科手術の成否でもっとも重要なことは審美である。審美とは、見た目の自然さ、傷痕の目立たなさである。審美的手術でとくに大切なのが、この切開線のデザインであった。小児は覚醒かくせいしていると動いてしまうので、全身麻酔がかかればまずは緻密なデザインを行ってから切り始めるのであるが、複雑な完全唇顎口蓋裂(しんがくこうがいれつ)ともなれば口唇こうしん形成術のデザインだけで十五分以上の時間を費やすのが普通である。そもそも、先進国でちゃんと治療を受ける口唇口蓋裂こうしんこうがいれつの患者が、将来的に言葉や摂食といった機能的な問題に悩むことはほとんど皆無と言ってよい。口唇口蓋裂こうしんこうがいれつの患者に将来唯一(ゆいいつ)残される問題が審美であり、だからこそ審美改善を本分とする形成外科医がこの疾患を扱うのである。ましてやまったく生まれつき審美の問題しかないと言える単純な不全ふぜん唇裂しんれつであれば、手術の目的のすべてがこのデザインで決まってしまうのである。

 しかし、口唇口蓋裂こうしんこうがいれつの手術では、毎回違った手法を用いるわけではなく、ほぼ全例に行われる切開線のデザインのパターンがあった。扱う施設や術者によって決められたパターンであり、要はここ横浜こども病院で引きがれてきた現部長の承認が得られているデザインのパターンであった。慣れない術者であれば、そのデザインのシェーマや手術手順のプロトコールを書いた紙を、手術室のシャーカステンに吊り下げて手術に臨むことが珍しくなかった。それくらい、審美改善を目的とする手術に切開線のデザインは重要なのである。

 当然、顕也もそのデザインの理論くらいは十分に理解していた。顕也がすらすらと解剖学的な基準点をとってデザインを続ける。

「じゃあ、こう輪筋りんきんの処理はどうするの? 断面図でいいから、いてみて。」

 まだき終わらないうちに、部下が問題なく平面的なデザインを理解していることを見抜いた後藤が続けて要求した。

「こっ、こう輪筋りんきんですか?」

 確かに、こう輪筋りんきんの処理を行っているのを助手として幾度となく見てきたが、断面図でえがけと言われるとあやふやである。カルテに公文書として残す目的で上級医の行った手術の手術記事を書くのがこの施設をローテートする下級医の役割の一つであったが、手術のパターンがほぼ同じであるために、手術記事にかれたシェーマはすべて過去の同じような手術記事の丸写しであった。覚えている範囲で目の前のホワイトボードにこう輪筋りんきん処理の断面図をけと言われても、平面的な切開線のデザインと同じようなレベルで頭に入っているわけではない。顕也は、過去に何度か丸写しでいたシェーマを思い出しながら断面図らしきものをえがいていく。自信がないので、くシェーマが小さくなってしまうのが自分でもわかる。

「まあ、いいよ。時間ないから。」

 後藤が笑いながら顕也のプレゼンを中断した。

「これじゃあ、なかなか任せられないよね。まあ、しっかり勉強しといて。じゃあ、次の症例のプレゼンやって。」

 顕也は黙ってうなずくとホワイトボードの横の席に着いた。三学年上の新田が次のプレゼンを続ける。

 実は、顕也にとってこんな叱責しっせきもまたたいした苦痛ではない。後藤や新田が自分よりも多くの知識があるのは当然だし、それを一年かそこらのローテーターが同じレベルで語れるようになるはずがない。上手うまく理論を説明できない下級医に勉強しておけという上級医はいつも決して機嫌が悪いわけではなくむしろその逆であることに、顕也は研修医時代から気付いていた。できないローテーターを演出するわけではないが、内容に疑問を持たずに上級医の理論をまずは鵜呑うのみにする姿勢こそが重要と感じることが度々(たびたび)あった。鵜呑うのみにすれば差がでるのは当然で、上級医との適度な差を見出してもらうことこそがカンファランスを円滑に終わらせる秘訣のようであった。直属の上司のやり方を一つの指標にすることで他のやり方を評価しやすくなるという理屈も頭では理解できたので、意義のあることだと自分に言い聞かせて、顕也は手術の勉強を続けてきたのである。

 かといって、このようなカンファランスを何度繰り返せばよいのかという自問は、日々強くなっていった。準備に時間がかかるし、上級医の機嫌取りのような空気はおおよそ建設的ではなかった。何よりも、将来この分野でそれらの知識を実際に毎日用いるような要職にくかどうかもわからないのにそこまでやる意味はあるのか、と感じていた。

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