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(六)

 とにかく茂子さんは愉快な人だった。独特な機転にたくましいくらいの柔軟さを備えていた。飾らない振る舞いの中に周囲をいい気分にさせる不思議な魅力を持っていた。それは、相手に気をつかわせないために自分が気をつかわないというようなマニュアルみた所作しょさとは対極にある、彼女の内側から放たれる未知のエネルギーのようなものだった。そもそも来客を楽しませようなどというやる気はほとんど感じられない。夜の店の女たちが共通に身に付けている作法の大部分がごっそり抜け落ちていると言っても過言ではなかった。聞けば話術を駆使するような接客を仕事にしていたとか、特殊な業界で重鎮たちを相手にしてきたとか、そんな経験はまったくないという。普通の会社に勤めて知人の紹介で知り合った福富と結婚して家庭に入った普通の専業主婦らしい。本人がその経歴を遠慮がちに熱く語る変な自慢話がまた妙に爽快であった。福富より少しだけ若いかもしれないが、それでも顕也とは干支えとで一回り以上の年齢差はあるであろう。本人の言うとおり、何も話さなければ、茂子の見た目はいたって普通のおばさんであった。

「村沢先生、すみませんねえ、適当で。」

 顕也から冗談交じりにやる気のなさを指摘された茂子が、ニコニコしながらちょっと本気で謝る。

「招待してって言い出したのは私なんだから、これでもやる気満々なんですよ。ここまで言われて後には引けないわ。ヒロさん、ぜひ私のやる気を見せてあげて。」

 福富は茂子から名前で呼ばれていた。腕組みしていた茂子が真剣な表情で福富の足元にあるクーラーボックスを指さす。

「何だよ、やる気って。これか?」

 福富がクーラーボックスから適当に肉のパックを取り出す。

「そうそう、それそれ。極上のオージービーフ、百グラム百九十八円・・・・そんなわけないでしょ!」

 茂子の関西人のようなボケを聞いて、顕也はふとひらめいた。さっきからずっと彼女が誰かに似ていると思っていたら、福富が贔屓ひいきにしているクラブのリエ子さんだったのである。茂子さんは関西弁でもないし、厚化粧でもないし、何より緊張感がまるでない。それでもいるだけで周囲をき付けてしまう存在感はリエ子さんにウリ二つで容姿もどこか似ている。本人が自覚せずとも話し出すと周りが聞き入ってしまう状況を生み出す特殊な能力という点で、顕也には二人が完全にダブって見えた。大雑把おおざっぱに言えば美人でないところも共通点である。きっと福富はこういう女性が好きなのだ、そう確信した。ただ、そんなひらめきや想像をここで展開できるはずもない。

「ビール以外のお酒、あるでしょ?」

 どうやら茂子さん秘蔵のお酒があるらしい。

「ならこれか?」

 福富が取り出したのは、このシリーズにこんなに小さなびんがあるのかというくらい小さな緑色のガラスの容器に入った梅酒だった。なんじゃこりゃ、と福富がツッコミを入れる。

「当たりー。さすがヒロさん。付き合いの長さは伊達だてじゃない。かわいくてつい買っちゃった。」

 実は茂子さんはお酒が滅法弱いらしい。最初に小さな紙コップにそそがれたビールが半分も減っていない。

「梅酒を飲むのは人生で二度目よ。あんたたち、覚悟した方がいいわ。今日はすっごいものが見られるかもよ。」

「ほどほどにな。俺はこれからもずっと村沢先生といっしょに仕事すんだから。」

 福富がそう言いつつうれしそうに新しい紙コップに氷を入れて梅酒をそそいで茂子に差し出す。確かに、今現在ほとんど素面しらふでこの状態なら、梅酒で話が全開になったら茂子さんはどういう状態になるのであろう。

 福富と顕也が顔を見合わせた後、二人同時に茂子がいとおしに両手で握る紙コップに注目する。次の瞬間、茂子はにんまりと笑ってそれをしょぱなの麦茶のごとく一気に飲み干す。福富も顕也もただ驚いて言葉にまる。

「うひー。」

 茂子がからのコップを福富に差し出す。

「うひーじゃないよ。お前、大丈夫か?」

 福富がますますうれしそうに心配している。

「私は平気。残りも頂戴ちょうだいね。それより、さっき、何か違うこと考えてたでしょ?」

 顕也は、さすがに自分のことではないだろうと聞き流して目の前のビールを飲み干したが、すぐにその憶測が外れていることがわかった。

「ヒロさんじゃなくてよ。村沢先生の方。お酒探してもらってるとき、何だか違うお顔をされてたわ。今日初めて見た表情。へー、村沢先生はこんなお顔にもなる人なんだ、って思った。」

 さっきのひらめきが正しかったことがはっきりした。この観察眼こそがまさにリエ子さんと同じだったのである。リエ子さんの前でウソは付けないと言っていた福富の言葉を思い出す。しかし、さすがにすべて正直には言えない。

「・・・・美人って何だろう、って考えてました。」

 少しの酔いも手伝って、思い付くまま、顕也は咄嗟とっさに話をはぐらかした。正直には言っていないが、まったくのうそではない。茂子が初対面の時とまったく印象が違って、どんどん魅力的な女性かもしれないと感じ始めている自分に心底驚いていたのである。ぼかして正直に話すしかない。

「美人? 何だか面白そうな話。」

 幸い茂子さんの反応は良かった。顕也が気持ちを伝えようと遠回しに言葉をつなぐ。

「初対面できれいだなと思っても、その後その人のことをだんだん知ってくると全然きれいだと思わなくなってしまったり、逆もあったりしませんか? 初対面できれいじゃないなと思っても・・・」

「ちょっと待ったぁー。」

 茂子がいきおいよく顕也の話をさえぎる。話をはぐらかす相手として、茂子は頭が良すぎたのかもしれない。なぜか福富が大喜びしている。

「それ私のこと言ってるでしょ、ブスだって。」

「いえ、その・・・」

「ブスって言ったなあ。」

「ええ、いや・・・」

 しどろもどろになっている顕也に、福富が大笑いしながらコップに並々といだビールを差し出す。茂子は最高に楽しそうである。

「さすが村沢先生。ヒロさんから度々(たびたび)聞いておりましたけど、いい度胸をしていらっしゃる。それ飲んだら私が続きを話してあげましょうとも。村沢先生の言いたいこと、ぜーんぶわかりますよ。」

 どうやら地雷を踏んだらしい。それもどちらかと言えば福富の地雷を。一気に飲み干すビールが格段に美味おいしい。待ってましたと言わんばかりに茂子が話し始める。

「ブスだって言いたいんでしょ。実はすっごい言われるのよ、私。もちろん面と向かってブスって言われることはないんだけど、みんな初対面はぜーんぜん何とも思わないらしいの。でも付き合い出すと、ずいぶんいいヤツだ、いい女だ、って。今でも時々言ってくれる人がいるのよ。あっ、ヒロさんいるからあんまりくわしく言えないけどね。そもそもヒロさんがプロポーズしてくれた時は、お前みたいなブスは俺がもらってやらないと一生いっしょうもらい手がない、なんて言ったのよ。ひどくない? 私、頭に来て、あなたの代わりは他にもいますから、って言ったら、お前しかいないって言ってくれる俺の代わりはいないだろ、なんてわけわかんないこと言うから結婚してあげた。」

 いい話だった。話す茂子さんはもちろん、聞く福富も満更まんざらでもない。

「このとおり私は美人じゃない。どちらかと言わなくてもブス、そんなことは百も承知。昔はちょっときれいなだけでちやほやされてる同級生とか見て、私もあんなふうに生まれたかったなあ、って思ったこともあったわ。いつ頃からだろ。そんな気持ちは全然なくなっちゃった。だって、私、自分でもよくわからないくらいモテるのよ。なんちゃってー。酔っぱらっちまったなー。」

 それは本当だろうと顕也は思った。モテ自慢を茂子が言ってもかん違いにも強がりにも聞こえない。本当にこの人は、今も異性から、いや同性からもモテている、そう思わせるだけの十分な何かが茂子さんにはあった。そこまでブスじゃないから大丈夫だよ、と笑って否定する福富をさえぎって茂子が続ける。

「ひがみを言わせてもらうとね。美人は無条件にモテるのよ。あの子は美人だけどモテないなんてうわさするやからもいたりするんだけど、そいつらはまったく現実を見てない。美人は無条件にモテる、性格悪くてもモテる、それは確か。ブスの私が言うから間違いない。でもね、村沢先生、ブスがモテないわけでもないのよ。いや、何て言ったらいいのかなあ。美人だけがモテるわけじゃないの。これが人の世の面白いところなんですぜ。」

 茂子がニコリと微笑ほほえんで、からになった顕也のコップをハイっと福富に差し出す。

「ねっ、美人をたくさん作り出す美容外科のダ・イ・セ・ン・セ・イ。」

 茂子にはそこまで意図しない酔いに任せた軽い嘲笑ちょうしょうだったであろう。しかし、顕也には実に含みのある言葉だった。心のどこかに引っかかっている仕事への迷いのような心理を的確に表現していた。患者はいったい何のために手術を受けてまで美人になろうとするのか? 茂子の言うところのモテる手段なのだろうか? そうであれば、術後経過を診るために見た目が少し変わった患者を診察する限り、受ける印象が大きく変わったと感じることはたいして多くない。実は自分たちのやっているあの程度の美容医療では、多くの患者が全然変わらずにモテるようになっていないのではないか? はっきり言って美人は手術前から美人である。術後にガラリと変わって美人になったという印象を与える患者はかなり少数と言ってよい。患者にとってはもちろん、執刀医にとっても言うなれば自己満足程度の変化ごときで決定的にモテるようになるとは到底とうてい思えない。要するに、患者が術後にモテるようになったかどうかという点では、まず確かめようもないわけで、一向いっこうに自信がなかったのである。

 ただ、今の顕也にはそんなことはどっちでもよかった。ポリシーなど必要ない。ニーズにこたえて注文通り切るだけ。床屋と同じだ。そこに降って湧いた避けようのない疑問。

(患者は美人になって魅力を増しているのか?)

 その答えに、顕也はその日その場ですぐにたどり着くことになった。


「おおー。お帰り。」

 福富が右手を大きく上げて手招きするように、顕也と茂子の背後に向かって呼びかける。顕也と茂子が反応して振り返ると、庭のすみに福富の娘さんがいた。顕也が娘さんに会うのは抜糸の時以来だ。家屋の横の小径こみちから庭に出てこちらに歩いて来る娘さんを見て、顕也はまずその容姿の変化に驚いた。お化粧はもちろん、ノースリーブの肩に下がるこげ茶色のつややかな髪と、母の茂子さんに似たスリムな体型に、膝上丈(ひざうえたけ)のスカートとハイヒールがばっちり決まっている。まさに別人であった。

「お前も何か食べるか? お酒もあるぞ。」

 福富が新しい椅子をテーブルの横にセッティングしながら言う。その横で、茂子が顕也へのお礼をうながす。

「その前にちゃんとご挨拶あいさつしなさい。手術ありがとうございました、って。」

「ああ、そうだ。お前、村沢先生に手術やってもらったんだったな。」

「何言ってんのよ、ヒロさん。そうじゃなかったら村沢先生、今日ここにいないわ。すみませんねえ、村沢先生。この人、けっこう適当でしょ。」

「茂ちゃんに言われたくないよ。お前こそ、さっき村沢先生に適当だって言われてたじゃん。」

「そうだっけ? 私はただ村沢先生には、ブスだって・・・」

「そうだそうだ、そりゃ確かにそっちの方が心に残るな。」

 そんな酔っ払いの両親の掛け合いを横目に、娘さんは外来の時と同じように顕也に向かっておなかの前で手を交差させて深々と頭を下げる。

「ありがとうございました。」

 頭を起こした娘さんの耳に揺れる大き目のブーケピアスが、二重ふたえまぶたで大人っぽくなった顔によく似合っている。

「よくなったんじゃないかな? だいぶ雰囲気変わったね。」

 顕也が顔を近付けて娘さんのまぶたをもう一度よく見る。

「おかげさまで。父が大学デビューだってからかうんですけど、みんなそんなもんですし。私も並みの大学生になれたと思っています。」

 娘さんは、話し方もしっかりして声も大きくなっていた。特徴的なお辞儀じぎがなければ本人と気付かなかったかもしれない。これなら手術前よりも美人になってモテるようになったに違いない。

「本当にありがとうございました。」

 本人に重ねて茂子が礼を言う。

「手術してもらったこともあるんだか、最近彼氏ができたらしいんです。今は大学のテスト中だから今日も早く帰って来てるんだけど、ふだんはいつも彼氏とどっか行っちゃって、なかなか家に帰って来ないんですよ。そんなんだから、私らはこうやって度胸ある若者でも呼び付けて宴会でもするしかないわよねえ。」

 顕也の予想は的中していた。以前のノーメイクの高校生だと彼氏とデートする姿すら想像できないが、今目の前にいる娘さんは、どう見ても一端いっぱしの女子大生、銀座のクラブでパパの横に座っていたという話も満更まんざら冗談ではない容姿である。彼氏がいて当然であろう。ここまで変わるなら、予定外の手術を遅くまで頑張ってやった甲斐かいがある。きっと、クリニックでは術後何年も経過を診るために通う患者が少ない上に日常がほとんど見えないから、こんな変化を感じることができないだけなのだ。娘さんのように、大きく印象を変える患者は他にもたくさんいるに違いない。

 娘さんは少しそこにいてカルビを二切れほど食べると、テスト勉強しなきゃだから、と言ってその場を去って行った。

「村沢先生に手術してもらって本当に良かったよね、ヒロさん。」

 また三人になった後に、茂子が言葉を付け足す。それは顕也を持ち上げる意味だったのかもしれない。

「ああ。けっこう変わったでしょ。俺らもびっくりしてるのさ。」

 福富が急に真顔まがおで言う。

「もともと冴えない感じだったでしょ。茂子が洋服買ってやるからって言って買い物に誘っても全然付き合ってくれなくってね。お洒落しゃれしたいだの、カッコいい男の子がいるだの、そんな会話はまったくなかったな。俺は男親だから、女子高だしそんなもんかな、って思ってた。真面目に学校行って勉強してくれてんだからそれでいいじゃない、って。でもこいつはけっこう心配してたんだと思う。あんまり言ってくれなかったんだけど。あいつが今あんな感じになって一番喜んでるの、あいつじゃなくてこいつだもん。」

 照れ隠しであろうか。茂子が残りの梅酒を一口ひとくち飲むのを見て、福富が話を続ける。

「とは言っても茂子が手術を勧めたわけではないんだ。こいつ自身は手術なんてぴらごめんって感じ。今でもね。それが何でだろう。ちょうど一年前くらいに塾の夏期講習に行き始めた頃から、あいつ、よく鏡をのぞくようになったんだよな。気になる男の子でもいたんじゃないかな。あんまり鏡の前にいる時間が長いんで、冗談のつもりで『二重ふたえまぶたにしてやろうか?』って言ったらさぁ。『今すぐやれ。』くらいなこと言うわけ。それで茂ちゃんがいっしょに反対してくれるんじゃないかと思ったら、これが大間違い。半分は茂ちゃんの遺伝子な訳じゃん。いっつもやるって言ったらやるんだよ、この二人。二人して乗り気だともう引くに引けないさ。このアウェイで追い込まれた状況を分かってもらえるでしょ? やんないと一生いっしょう二人に口利いてもらえなくなると思ったね。」

 福富の家族への思いがまた爽快であった。自分流でさりげなく家族を大事にしている姿勢がどこか近付きがたいくらいに尊かった。度々(たびたび)自分を誘って夜の街に繰り出すのも、このみずからの家族への思いを維持するために必要な息抜きなのかもしれない、とさえ思えてしまう。同時に、父親が美容外科医であっても娘さんの手術について一筋ひとすじなわではなかった、と聞いて妙な親近感が湧く。たかが二重ふたえまぶたの手術に家庭内で様々な葛藤が繰り広げられる微笑ほほえましい光景が目に浮かんだ。

「きれいになっててよかったです。正直、別人じゃないか、って思いましたよ。」

 顕也がさっき感じたままを茂子に伝える。

「ほんとうに。ごめんなさいね、村沢先生。私、美容外科を馬鹿にしてたかもしれない。いや、今でもちょっと馬鹿にしてるんです。」

 茂子さんがもとの茂子さんに戻っていた。悪意はないにしても、明らかに福富と顕也の仕事である美容外科を嘲笑ちょうしょうしているのを感じ取った福富は、庭木の下で煙草を吸いに席を外す。

「あんなふうにちょっと二重ふたえまぶたになったり、バストに谷間ができたくらいで魅力的な人になるわけないじゃない。他にやるべきこと、別に磨くべきものがあるってもんよ、そう思ってた。いや、今でも私自身はそう思っている。」

 茂子がへらへらと力説する。傍目はためには単なる酔っ払いのからみである。しかし、顕也は少しだけ酔った頭でその茂子の自説がものすごく重要な意味を持つことを直感していた。

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