(四)
香穂は薬学部に通う大学生だった。将来は化粧品メーカーの研究職を目指しており、美容外科医の顕也に興味を持ったらしい。夜の店でドレスを着ていればそれなりに大人っぽく見えたが、普段着姿はどこにでもいる女子大生そのものであった。
顕也は香穂と何度か昼間に会ったことがあった。彼女は最初からお店に飲みに来てほしいとは言わなかった。平日で顕也の仕事がない日に彼女に誘われてお茶をした。彼女のお気に入りの表参道のカフェで、お茶はおごるからと度々大学のレポートの面倒を見ることになった。
思えば、医学部には卒業論文もなければ漠然としたテーマで自由にレポートを書かせるような課題もほとんどなかった。論文といえば、横浜にいた頃にせいぜい四、五ページしかない症例報告を二つ書いたことがあった。どちらもこの先何十年と珍しいケースに困って調べてたどり着く数人の医師にしか読まれないことが確定していると断言できる極めて寂しい論文であった。それでも大学生のレポートくらいなら、論文らしい語句の使い方や引用文献の書き方を少し教えるくらいには十分に役立つようであった。心外にも、顕也は現役大学生の香穂に感謝されていた。
同伴にしろお店にしろ、香穂はよく真面目に自身の将来の夢について語った。そして同じくらい、顕也の仕事内容の話題になった。医学部受験や研修医時代の話から小児先天異常の手術や大学の研究室の話まで、香穂の顕也の仕事についての興味は尽きないようであった。
「先生はなんで美容外科医になったんですか?」
香穂からカフェでその質問を受けた時、二人とも素面であった。夜の店でも美容外科医という職業を明かせば常に受ける質問である。しかし、この時の彼女の質問が一歩踏み込んでいることは瞬時に理解できた。普段さほど積極的とは言えない香穂の真剣な質問であれば尚更である。
「ビジネスだよ、ビジネス。ビジネスはお金儲け。お金儲けと自分の興味が一致する人は多くない。だったら得意なことを生かして少しでも儲かる方がいいんじゃないか、って。立派な研究して大勢の人の役に立つことなんて到底自分には無理だし。」
夜と同じように、平然と用意された答えを使い回してはぐらかす。
「それはそれでわかるんです。」
控え目でも聡明な香穂は多少詮索好きだった。
「私が聞きたいのはそこじゃなんです。先生って、私の知ってる美容外科の先生と、なんか違うんです。ふつうのお医者さんって感じ。だって、ビジネスだっていうならもっとお金たくさん稼いでるところを見せつけていいじゃないですか? 見せつけるために稼いでるって感じだもん、みんな。ロレックスとフェラーリ。それしかないのか、って。私はうんざりなんだけど。」
大人しい香穂が、この時は人が違ったように主張した。
「ありがとう。褒め言葉かな? みんな同じじゃつまんないし、こんな美容外科医もいていいでしょ?」
ガードが甘かった。自分もロレックスくらいは身に着けておくべきだったと反省した。しかし、自身のモノへの執着のなさを詮索されたところで話さなければ彼女がその理由を知る由もないし、知ったところで理解してほしくもない。こういう相手には勝手に想像させておくに限る。それもまた美希から学んだやり方だったのかもしれない。
そんな香穂に、顕也はある時アフターに誘われた。あまり気が進まなかったが、いくら酒が入っているとはいえ、夜の店で働く女として違和感があるくらい真面目な彼女からの誘いを簡単に断れば傷付けてしまうことは確実だった。何よりも、彼女には同じ医療系の専門職を目指す後輩として情が湧きつつあった。そういう情こそが時に他人の人生を左右してしまうことなど自身がもっともよくわかっているつもりなのに、酒がそうさせたのであろうか? 顕也は、そのアフターのさらに後、招かれるまま彼女の自宅に上がり込んだ。
自宅は女子大生らしい質素なワンルームマンションだった。顕也が学生時代に過ごしたアパートの部屋の半分ほどしかない広さだ。親が出してくれるのは学費だけという話を聞いていたので、確かに夜の仕事をしなければ生活が成り立たないのだと納得する。それでも金品目当てに男を相手にしているという雰囲気とは真逆の気位が彼女にはあった。収納に入りきらない洋服が両側の壁一面に掛けられている狭い部屋を見せておいて、貧乏なのよねと笑い飛ばすこともしない香穂に若干痛々しさを感じた。
「何もないんだけど、そこに座ってて。」
香穂がシングルベッドの横の小さなテーブルを指さす。顕也が言われるままに彼女の方を向いてテーブルの横に座る。テレビの横に大学のテキストらしい医学書が二冊ばかり見えて、その横の目覚まし時計がもうすぐ三時になろうとしている。その向こうで、香穂が冷蔵庫を開けて困った顔をしていた。
「ごめんなさい。野菜ジュースしかないみたい。」
「大丈夫。ありがとう。お水でいいよ。」
顕也が気遣って笑いながら言葉を返す。
「お水もないの。自販機で買って来ようかな。」
律儀な香穂が申し訳なさそうにバッグから財布を取り出そうとしたが、見兼ねた顕也がスクッと立ち上がって狭い通路沿いにある流しに向かう。
「お水もらうよ。」
そう言って冷蔵庫の上に置いてあったコップを取って蛇口に近付ける。
「ダメダメ。そんな水、そのまま飲んだらお腹壊しちゃう。」
香穂が慌てて顕也の動きを遮ろうとする。勢い、コップを奪おうとした彼女の細い両腕が顕也の右腕に絡みつく。ワンルームマンションの部屋の通路は人がすれ違えるほど広くはない。彼女に奪われたコップをさらに奪い返そうと体をねじって振り返れば、軽く突き飛ばされた彼女の体がすぐ後ろの壁で跳ね返って顕也の胸元に飛び込む。顕也が流しの上に仰け反るようにして奪い返したコップを香穂から遠ざけるように腕を高く伸ばす。向かい合う彼女がそれを追うように見上げた時、薄暗い通路の明かりの下で、その口元が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
そういう状況こそ、後で酔いの回った頭で冷静に酒のせいだったと勝手に思ってもらえばお互いのために何よりであることぐらい、顕也の方ではとっくに心得ている。しかし、時に香穂のような女もいた。そう幾度も同じ朝を迎えることなく、香穂は今月で夜の仕事を辞めると言い出した。顕也が困って黙り込むと、すべてを察した香穂が朝の素面の頭で感情的に顕也を責めた。
「ごめんなさい。勝手に勘違いしちゃったみたいで。いっしょにやっていけたらな、って夢見ちゃった。」
香穂が怒りに任せて泣きながら言う。顕也は黙ってただ話を聞く。
「私、不器用だから。そもそも夜の仕事なんて向いてないし。そんなの見ればわかるでしょ。ちょっといっしょにお酒を飲みに行っただけの男の人からブランドのバッグとか買ってもらったりするのって、無理なの。そんなんだけじゃない。自分の女になったら学費も生活費も全部出してやる、って言ってくる男の人が何人もいた。でも私には絶対無理。私が何とも思わない人たちだもん。ずっとそんなのありえないと思ってた。」
顕也との今の関係を何となく続けることを受け入れていないという点で、彼女の本気さと偽りない不器用さ加減が伝わってくる。
「もうちょっと真面目な人だと思ってた。先生って・・・」
嗚咽によって途切れた言葉に長い沈黙が続く。ここは黙るしかない。
「先生って・・・ちゃんと人を好きになったことないんでしょ。」
最後の香穂の言葉は子供に言い聞かせるような優しい口調だった。その捨て台詞が顕也の胸にチクッと刺さって、苦い記憶がほんの少し滲み出る。素面はいけない、こんな時はいつもそう思った。黙って振り返らずに部屋を出る。
夜になって酔いの回った頭で冷静に考えれば、こんな出来事はどうでもいいかすり傷だった。すれ違う感傷こそ何一つお互いのためではない。そもそも自分の代わりなどいくらでもいるであろう。また違う男が現れては消え現れては消えて、やがて落ち着くところに落ち着くだけのことである。酒を飲んで落ち着いて考えれば考えるほど、こんな飲んだくれが彼女を傷付けてしまうはずもなければ、本当に自分に好意があったかどうかすら怪しい。その後、香穂が本当に夜の仕事を辞めたかどうか、顕也にはわからない。確かめようもなければ確かめたいとも思わなかった。
「村沢先生、今度お姉ちゃんの手術してやってよ。むすめの手術。」
副院長の福富から突然そう言われた時も、顕也は少し酔っていた。酔っていたが、福富の真面目な話かもしれない呼びかけに、襟を正すような心意気で斜め向かいに座る彼の方にたぶんまあまあちゃんと向き直ることができるくらいにしか酔っていなかった。福富は相当出来上がっていたが、手の込んだ冗談くらいはまだ言えそうな雰囲気である。通い慣れた深夜のクラブだった。
「お姉ちゃん? むすめ?」
何の前振りもなく突然娘の手術と言われた顕也は、福富の横に座っている若くて細くて綺麗なだけの風情の女の子をもう一度よく見た。アップされた髪で強調された長い首と膝丈のタイトドレスからスラリと伸びる細い脚が少し目に留まるだけで、言ってしまえばここでは大勢の一人である。確かに娘くらいの年齢かもしれない。
「どこの手術? どっこも必要なーいない。」
お世辞ではなく、この女の子が昼間のクリニックにやって来ても顕也はそう言ったかもしれない。もともと綺麗な女の子は当然手術による改善に乏しく満足度が低めなので、本人の訴えのままに手術することはできれば避けたいのである。
「会ったこと、あったっけ?」
赤ら顔の福富が眉を寄せて腑に落ちない表情で顕也に聞き返す。横の女の子はクスクス笑い出している。
「会ったことって? えっ、娘さんって、まさか!」
勘違いに気付いた顕也は、女の子と目を合わせて右手の握りこぶしで左の手のひらをオーバーに叩いた。女の子が解説する。
「そう、その、ま・さ・か。今、福富先生の娘さんの話をしてたの。大学に入ったら二重瞼の手術をしてあげるって約束されてたんですって。素敵よね。合格祝いに二重瞼。」
福富が言うには、娘さんはクリニックの事情をそこそこ心得ていて父の二重瞼の手術の腕前を信用していないらしい。控え目な二重瞼になっちゃいそうだからちゃんと自分の好みに合わせてやってくれる先生にやってほしい、ということのようだった。確かに、瞼の手術は型通りにやるだけでは希望通りに仕上がらなかったり、後戻りして二重瞼がなくなってしまったりすることが少なからずある。顔や体形に個性がある中でもとくに瞼は個々の解剖学的な違いが大きい。そういう違いは様々な手術を何百例も経験していれば当たり前に気付くことであるが、逆に小さな切開で手間をかけずに短時間で終わる型通りの手術しかこなさなければ気付きようがない。瞼の手術を多く手掛ける美容外科医が型通りの手術しかやらないということはあまりないのであるが、顕也が瞼の解剖学的なバリエーションに対して手術のバリエーションで対応しているのはごく自然な普通の流れであった。少なくとも、父親の福富が娘さんのこだわりに対応できないことは確かなように思えた。
「いいですよ。いつ頃にしましょうか?」
「それがさあ、村沢先生にはいつも無理言って申し訳ないんだけど・・・。」
酔いに任せた二つ返事を一瞬反省したがもう遅かった。飲み過ぎはいけない、こんな時はいつもそう思った。
「今週の土曜日なんだよ。大学の入学式までに何とかしたい、っつうんで自分のオペ枠を押さえてある。いや、ちょっと覗いてくれるだけでもいいんで。この通り。お願い。今日ここは全部出しとくから。」
とか何とか言って、福富に誘われてクラブに来るときはいつも顕也が支払ったことはない。そんな気前のいい酔っ払いに両手を擦り合わせながらお願いされたら断る道理はなかった。にしても初対面で知人の家族の手術をするのはプレッシャーもあるし、今週末とは何事であろうか。
「とんでもない。もちろん全部やりますよ。あんまり美人になって半年後にここでお父さんの隣に座っちゃってても知りませんよ。」
顕也がそう言い放って残りの水割りを一気に飲み干す。売り言葉に買い言葉であった。女の子が大ウケしてぜひぜひと手招きしている。
「ありがとう! さすが村沢先生! やっぱり村沢先生! ありがとう。ありがとう!」
福富が大袈裟に泣き真似をしながら何度も顕也に礼を言う。女の子が新しい水割りを作りながら、まだ若そうな顕也が職場の上司にずいぶん頼りにされていることに痛く感心している。その場では顕也としても煽てられて悪い気はしない。そうは言ってもそろそろ飲み過ぎで気分が悪くなりそうなので、差し出された大して旨くもない水割りを半分だけ飲む。こうして週末に福富の娘さんの手術をすることになった。
二重瞼の手術は、直前に必ず患者を座らせてどこに二重瞼の線を作るかデザインする。手術室でやってもよいのであるが、顕也はいつも外来の診察室でデザインするようにしていた。診察室でないと電子カルテが開けなかったり、患者自身がデザインを確認するための大きめの手鏡が外来にしか常備されていなかったりするからであった。全例で初診時に術式を決めてあるが、その判断が正しいかどうかを手術直前にもう一度チェックを兼ねて、カルテと本人の瞼の状態を再確認しながら二重瞼の線の位置をデザインするのである。
カルテは電子カルテが導入されていた。田舎の病院とは違い、手書きのカルテの保管場所に苦労する都心の病院では、いち早く電子カルテが採用されていたのである。電子カルテは慣れないうちは苦労したが、同じような患者のカルテはコピーで済むことが多く、非定型的な文章は主訴だけ、それも一、二文書くだけである。福富の娘さんの手術当日も、まずは電子カルテを開いて診察室で話を聞いた。当然、カルテには半月前の術前検査の採血の項目以外には何も記されていない。
父の福富といっしょに診察室に入って来た娘さんは、おおよそ本人が二重瞼を希望しそうにない真面目そうな女の子だった。卒業したばかりとはいえ、どう見てもまだ高校生である。今ここで化粧を落とした感じではないところをみると、化粧デビューもまだなのかもしれない。父の福富は二重瞼なので母親似なのであろう。診るほどに化粧した時の顔が想像できない一重瞼の童顔は、銀座の美容外科クリニックの雰囲気と見事に調和していなかった。
さらに、娘さん自身は顕也とあまり話さなかった。自分の考えを父の福富にボソボソと小声で伝えて、福富がそれを、お前がちゃんと言えよ、とか言いながらほとんど代弁している。恥ずかしいのかもしれないし、初めての体験で緊張しているのかもしれないし、両方かもしれない。それはおそらく他愛もない親子の会話の延長に違いなかった。顕也にはどこかで見たことのある微笑ましくて懐かしい光景であったが、普段この年齢の娘を父と二人セットで診ることがあまりなかったので斬新な光景でもあった。美容外科を受診する未成年の女性患者に親が付いて来る時は、ほとんど母親が付いて来たからである。何よりも、まだまだ多感な十八才は、そんな顕也の心情を鋭く見抜いて顕也との距離を置いたのかもしれない。自分と同じ医師の父とその娘、この二人の日常の断片が、今の顕也には確かにちょっと眩しかった。ふと照れているのはむしろ自分だと気付いて、カルテの方に目を逸らせる。
「腫れぼったいのがイヤ。脱脂希望。」
顕也は淡々と電子カルテに一行、そう打ち込む。つまり、腫れぼったいのが気になるから奥の方にある脂肪を切除してすっきりしたいということであった。
一行書くだけのカルテとは違って、実際にはこの手術は二重瞼の手術の中ではそれなりに大変な術式であった。小さな皮膚切開から糸で癖付けするだけでは腫れぼったさを改善できず、二重瞼の線に沿ってちゃんと皮膚を切開して眼の奥の脂肪を少し引っ張り出して切除するという内容で、術後に目の奥の方で出血する合併症が起きれば最悪の場合は視力に後遺症を残すことがあった。そもそもダウンタイムが長いので一カ月以内に大学の入学式を控えた患者には不向きでもある。本来はその日の仕事の最後にちゃちゃっとやってお仕舞いという手術ではないことを、顕也自身が一番よく知っていた。
しかし、顕也は迷わずに本人が希望する二重瞼のためにできる最大限の手術を行うことを選んだ。それは、もちろん希望の二重瞼の形成にもっとも適している術式だからであるが、自分のような部下に全信頼を寄せてくれている福富に対して最大限の敬意を表したいからでもあった。福富は、就職当初からほとんどの顔面の手術を顕也に流して任せてくれている。顕也自身は手の抜けない手術に集中していれば大抵の雑念から少し遠ざかっていられる。福富がそんな複雑なモチベーションを知る由もないのであるが、そういう機会を与え続けてくれている福富への感謝を込めて、娘さんには最大限の術式を選択したのである。慎重にやれば合併症など滅多に起きはしない。
「じゃあ、麻酔するよ。」
手術台の上で横になって覆布を被って顔だけ出した福富の娘さんに、頭側から顕也が声をかける。その日最後の手術だったので、予定時間をオーバーしても次を気にしなくてもよいのが幸いであった。
「大学は何学部? 将来何やりたいとか決まってるの?」
器械出しの看護スタッフが緊張を解そうとして娘さんに声をかける。豊満なバストだけが彼女のトレードマークではない。明るくてお話好きの彼女は患者との気の利いた会話が得意だった。
「獣医さん。」
覆布で口を動かし難そうに、娘さんがボソッと呟く。
「そうなんだー。じゃあ獣医学部だね。お医者さんじゃなくていいの? お父さんはお医者さんになってほしいんじゃないの?」
「父は何も言わないです。」
娘さんは生真面目に答えているが、会話のお陰で緊張している感じでもない。
「あー、わかるかも。あのパパならそんな感じだよねー。だいたい、獣医さんになったら、いつかパパの手術をやってあげればいいんじゃない? 免許的にはきっと大丈夫だよ。」
看護スタッフにそう言われた娘さんが、覆布に抗ってくすくすと笑っている。局所麻酔さえ効いてしまえばこんな日常会話をしながら手術をすることは珍しくない。患者が話好きでなければ神妙な雰囲気のまま手術が進むが、顕也としては看護スタッフと患者で勝手に話が盛り上がっている間に終わってしまう手術がもっとも気楽である。福富の娘さんなら尚更そうだった。そんな顕也の習性を知ってか知らずか、看護スタッフが娘さんの話を上手く引き出してくれる。そのうち自分とはほとんど会話のなかった娘さんが、クラスメイトにでも話すような口調で学校のことや将来のことなどを自分から話し始める。
デザインどおりに皮膚を切り始めてから四十分くらいで脂肪の切除を始める。本人には伝えていないが、脂肪切除の前に眼を大きく見せるために少しだけ瞼を持ち挙げる筋肉の処理も行った。次の脂肪切除は、瞼の上から眼球を少し圧迫して奥の脂肪が押し出されて盛り上がって来るところに当たりを付ける。脂肪は起き上がっている時には瞼を持ち挙げる筋肉の上に垂れ下がって瞼を腫れぼったくしているが、仰向けになっていると奥の方に移動してしまうので少し引っ張り出して切除する必要がある。脂肪から出血することはないが、脂肪を包み込んでいる膜は血管が豊富なので切開部を丁寧に止血する。これを内側と外側、両側なので四カ所に行った。
そうやって最後に仕上げの二重瞼の調整をし始める頃にはとっくに一時間を超えている。二重瞼の引き込みが悪そうなので切開した皮膚の睫毛側の皮下組織を瞼の固い板状の組織や脂肪を包み込んでいる膜の切開部などに固定したりしていると一時間半が経った。最後に皮膚を縫う前に娘さんにその場で座ってもらって正面からの状態を確認して何度か調整し直す。ようやくいい感じになって皮膚の縫合を始めると、最初の局所麻酔はすでに切れ始めていて、ちょっと痛い、と娘さんが呟く。局所麻酔を追加して、結局、皮膚の縫合を終えると、入室から二時間が経過していた。




