表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

当たる占いは、ただの脅迫かもしれない―「あなたは今日死にます」と言われたので全力で逃げてみた結果

作者: 妙原奇天
掲載日:2025/11/21

 占いなんて、当たるはずがないと思っていた。

 少なくとも、昨日までは。


 駅前のロータリーに、妙な行列ができはじめたのは、ひと月ほど前だ。

 雨の日も、風の日も、そこには簡易テントと折りたたみ椅子が並び、その奥に一人の男が座っている。テーブルには手描きのボード。


「あなたの未来、百パーセント当てます」


 安っぽいマジックの文字に、赤い丸が三つ、やけに自信満々に描かれている。その隣に小さく、料金一回千円。


 会社帰りにその前を通るたび、俺は鼻で笑った。

 未来が百パーセント当たるなら、そいつは株でも為替でも競馬でも好き放題に儲けられるだろう。駅前で千円札を集めている時点で、お察しだ。


 最初は、誰も並んでいなかった。

 けれど、ある週末を境に、状況は変わる。


「なあ、聞いた? あの占い師、ほんとに全部当てるってよ」


 社内の雑談で、誰かがそう言った。

 どうやら、最初のお客の一人がSNSに書いたらしい。「半信半疑だったけど本当に当たりました!」のテンションで、スクショ付きで。


 昇進のタイミング、彼女からのプロポーズ、転職のきっかけ。

 あとから振り返れば何とでも言えるような内容だが、それでも「当たった」と言い張る人間は多い。

 口コミは、雪だるま式に膨らんでいった。


 そんな話は作り話に決まっている。

 俺はそう思っていたのに、ある日、背中をどんと叩かれた。


「よう、悠真。今日こそ行こうぜ」


 大学からの友人、甲斐だった。明るくてノリがよくて、面倒事が好きで、そしてなぜか、変な話を信じやすい。


「どこへ」

「あそこだよ、あそこ。未来当てるおっさん。さすがに気になるだろ?」

「気にならない」

「気にしろよ。ここまでバズってると、ある意味で社会現象なんだぜ。話のタネにでもさ」


 気軽な調子で腕を引っ張られる。

 仕事帰りで疲れていたし、適当にあしらって帰るつもりだった。だが、駅前に着くと、いつもより長い行列と、スマホを掲げる人たちの群れが目に飛び込んできた。


 テントの奥、占い師は、妙に真面目そうなスーツ姿で座っていた。

 中年、眼鏡、細身。派手さはない。

 その目だけが、やけに静かで、こっちをじっと測っている。


「ほら、ラスト二人だってよ」


 甲斐がスタッフらしき男に声をかけて、勝手に列に割り込んだ。

 千円札を握らされ、俺はため息をつく。


「なあ、当たらなかったらどうするんだ」

「そのときは、そのとき。ネタとして最高じゃん?」


 どう考えても、時間と金の無駄だ。

 そう思いながらも、列は進んでいく。

 前の女性が立ち去り、次は甲斐の番だ。


「次の方、どうぞ」


 占い師は、驚くほど落ち着いた声で言った。

 甲斐が椅子に腰かける。


「未来を百パーセント当ててくれるんですよね?」

「はい」


 淡々とした相槌。

 テーブルには水晶玉もカードもない。あるのは、小さなノートパソコンと紙のメモだけ。

 占い師はパソコンに何かを打ち込み、甲斐の顔を一瞥する。


「お名前と、生年月日をお聞きしても?」

「甲斐翔太。平成九年の八月三日です」


 指先がキーボードの上を踊る。

 ほんの数秒で動きは止まり、占い師は目を閉じた。

 その様子は、祈っているようにも、考え込んでいるようにも見えた。


 静寂。

 ざわつく駅前の音が、テントの中だけ遠くなる。


 やがて、彼は口を開いた。


「あなたは、一週間後に仕事を辞めます」


 甲斐が目を丸くした。


「え、マジで? いや、辞める予定ないっすけど」

「そうなるでしょう。理由は、あなた自身がすぐに理解します」


 あまりにあっさりした言い方に、拍子抜けした。

 事故とか病気とかじゃなくてよかった、という安堵すら覚える。


「外れたら、返金してくれます?」

「外れませんから」


 淡々とした声だった。

 冗談や売り文句の軽さが、欠片もない。


 甲斐は笑って立ち上がった。


「じゃ、楽しみにしときますよ」


 占い師は小さく会釈し、俺を見る。


「では、次の方」


 俺は椅子に座り、千円札をテーブルの端に置いた。

 間近で見ると、その目は予想以上に静かだった。深夜の湖面みたいに、風すら立たない。


「お名前と、生年月日を」

「三浦悠真。平成九年の三月二十七日です」


 カタカタ、とキーを叩く音。

 俺は内心で、どうでもいいと繰り返す。

 どうせ「近いうちにいい出会いが」とか「仕事でチャンスが」とか、当たり障りのないことを言うのだろう。


 占い師は、画面を見ていた目をゆっくり閉じた。

 さっきと同じように、短い沈黙。

 そして、すぐに開かれる。


「……なるほど」


 小さな呟き。

 なぜか、その一言だけで背筋が冷えた。


「では、あなたの未来をお伝えします」


 俺は思わず、身を乗り出していた。

 彼は、表情ひとつ変えずに告げる。


「あなたは、今日死にます」


 時間が、止まった。


 今日。

 つまり、この日付のうち。

 午前零時を回るまでの間に。


「……は?」


 声にならない声が出た。


「ちょっと待て。俺、別に病気も怪我もしてないし」

「承知しています」


 占い師は淡々と言う。


「ですが、あなたの未来はそうなっています」


「何かの間違いじゃ」

「間違いはありません。百パーセントですから」


 さらりと言うな。

 心臓が妙なリズムで打ち始める。


「原因は? 事故か、病気か、事件か」

「原因は……そうですね」


 占い師は少しだけ首をかしげた。


「あなた自身の行動、ということになるでしょう」


「どういう意味だよ」


「文字通りです。あなたが今日一日、どのように動くか。その果てに、結果として死がある」


 それは、どんな説明にもなっていなかった。

 ただ、彼の声は少しも揺れない。


「時間は?」


 自分でも驚くほど、冷静な声が出ていた。


「だいたいでいい。何時ごろだ」


「はっきりした時刻は見えません。ただ、日付が変わる前であることは確かです」


 午後十一時五十九分でも、今日だ。


「……外れたことは?」


 甲斐が割って入る。

 占い師は、静かに首を横に振った。


「一度もありません」


 冗談ではない。

 呆れと苛立ちと、説明のできない不安が、腹の底で混ざる。


「わかった。ありがとう」


 立ち上がるしかなかった。

 テントの外の空気は、生温くて、薄く感じた。


 駅前の雑踏はいつもと変わらない。

 夕方の人波。電車の接近を告げるアナウンス。誰かの笑い声。

 世界は相変わらず動いているのに、俺の時間だけ、別の方向へ何かに引っ張られている。


「なあ……大丈夫か?」


 甲斐が、珍しく真面目な顔をしていた。


「なにが」

「今日死ぬってさ。さすがに冗談きついって」


「迷惑な占いだよな」


 強がって笑ってみせる。

 しかし、喉が乾いていて、うまく声が出ない。


「どうせ、こじつけみたいな形で当たったことにしてるんだろ。『今日、人生が大きく変わるでしょう』とか言って、引っ越ししたら『ほら当たった』みたいな」

「だといいけどさ……」


 甲斐は腕を組んだ。


「とりあえず、今日は危ないこと全部避けようぜ。電車乗らない。車にも近づかない。高いところ行かない。包丁使わない」

「子どもか俺は」


 そう言いつつ、その提案は妙に現実的に思えた。

 死ぬ原因が「俺自身の行動」なら、何もしなければいい。

 安全な場所に引きこもって、日付が変わるまで耐えればいい。


 その瞬間、俺自身が「占いを信じて行動を変えた」ことに気づいた。

 胃のあたりが、鈍く痛む。


「とりあえず、どこかで落ち着こう。ファミレスとか」

「ファミレスって、ナイフとフォークあるだろ」

「じゃ、ファストフード」

「油で滑って転んで頭打つかもしれない」


 言いながら、自分で馬鹿らしくなってくる。

 だが、ひとたび「今日死ぬ」という言葉が頭に入り込んでしまうと、世界のあらゆるものが凶器に見えた。


 歩道の段差。

 走り去る自転車。

 ビルの窓からの反射光。

 信号機が赤から青に変わるタイミングすら、罠のように思える。


「……一回、自宅に帰る」


 ぽつりと言うと、甲斐が頷いた。


「送ってく。途中で何かあったら困るし」

「過保護だな」

「占いの内容がアレだからな」


 駅は使わず、少し遠回りになるが、歩いて帰ることにした。

 夕焼けが薄れて、空には早くも一番星が光り始めている。


 横断歩道の前で、俺は立ち止まる。

 青信号。だが、車が完全に止まったのを確認してから、慎重に渡る。

 周囲の人間は誰もそんなことを気にせずに歩いている。ただ一人だけ、自分だけが過剰に警戒しているのが、滑稽で仕方ない。


「さっきの占い師さ」


 甲斐が、ぽつりと言った。


「『仕事辞めます』って言っただろ。あれ、当たってもおかしくないかもな」


「なんで」


「俺、最近ずっと悩んでたんだ。部署変えられてから、上司とも合わないし。辞めるかどうかギリギリのラインで。あんなふうに言われると、逆に背中押されたっていうか」


 それはつまり――。


「占いが当たるんじゃなくて、占いに合わせてお前が動くってことじゃないか」

「かもな。でも、それって『当たる』って言っていいんじゃね? 俺の選択も未来の一部だし」


 軽く言うな、と思った。

 だが、確かに理屈としてはそうだ。

 占い師が「あなたはこうなります」と言う。それを聞いた人間が「じゃあそうするか」と動き、その結果として予言通りの未来が来る。


 それを「百パーセント当たる」と呼んでいるだけかもしれない。


「でも、死ぬのは選ばないだろ」


 俺は思わず、声を荒げた。


「昇進する未来とか、結婚する未来とかなら、多少誘導されたって構わない。でも、『今日死ぬ』って言葉に、どうやって合わせろっていうんだよ」


「……そうだな」


 甲斐は口をつぐむ。

 その沈黙が、やけに重かった。


 家に着くころには、もう十九時を過ぎていた。

 玄関の鍵を慎重に回し、靴を脱ぐ。

 部屋は、いつも通りだ。狭いワンルーム。未読の郵便物と、洗い忘れの皿と、ベッドの上に脱ぎ捨てられたシャツ。


「なあ、今日は俺も泊まってっていいか?」


 甲斐が言った。


「お前ひとりにしとくの、ちょっと気持ち悪いし」

「別に構わないけど」


 誰かがそばにいるだけで、多少は安心できる気がした。

 二人でコンビニ弁当を買い込み、レンジで温める。

 熱々の唐揚げを口に運びながら、俺はふと手を止めた。


「これ、喉に詰まったりしないよな」

「考えすぎだって」


 そう言いながら、甲斐は唐揚げを水で流し込んでいる。

 普通に飯を食って、普通にテレビを見て、普通にくだらない話をしていれば、あの占いの言葉も、そのうち笑い話になる。

 そう信じたかった。


 テレビでは、例の占い師の特集が組まれていた。

 ワイドショーのコーナー。司会者とコメンテーターが、例のテントの映像を背景に、何やら騒いでいる。


『驚異の的中率! 未来を百パーセント当てる男とは?』


 テロップが踊る。

 画面の右上には「取材OK」と書かれていて、さっき会ったばかりの男が、落ち着いた様子で質問に答えていた。


『どうしてそんなに当たるんですか?』


『私はただ、未来をお伝えしているだけです』


『何か特別な力が?』


『特別かどうかは分かりません。ただ、人は未来を聞くと、その未来に向かって歩き始めてしまうものです』


 俺の背筋に、冷たいものが走った。

 やはり、彼自身もそれを自覚しているのだ。


『つまり、予言された人が、その未来を選んでしまうと?』


『選ぶ、というより……そうするしかなくなるのでしょう。未来を知ったという事実が、その人の現在を変えてしまいますから』


 司会者は「深いですねえ」とか言って笑っている。

 画面の中の男は、相変わらず表情を変えなかった。


『外れたことは?』


『一度もありません』


 俺はリモコンを握りしめ、そのままテレビを消した。


「おい、いいところだったのに」

「うるさい」


 胸の奥で、何かがざわざわと動いていた。

 奴は分かってやっている。人の不安を刺激し、行動を変えさせ、その結果を「的中」として積み上げている。


「なあ悠真。どこまで信じる?」


 甲斐が、空になった弁当容器を積み上げながら尋ねた。


「正直なところ、どのくらい本気で怖がってる?」

「……五割」


 口から出た数字は、自分でも意外だった。


「なんだかんだで、俺も現実主義だし。あんなの詐欺だろって頭では思ってる。でも、残り五割は……もしもの話を考えてる」


「占いって、そういうもんかもな」


 甲斐は笑う。


「じゃ、その五割の怖さを打ち消すために、できるだけ安全に過ごそう。今日は徹夜でゲームでもして、明日の朝、無事だったら酒でも飲もうぜ」


「お前、明日会社だろ」

「一週間後には辞めてる男だからな。多少はいいだろ」


 自嘲気味に言って、甲斐はゲーム機の電源を入れた。

 画面にタイトルロゴが浮かび上がる。銃撃戦のオンラインゲームだ。


「いや、それもどうなんだ」


 俺は眉をひそめた。


「こんな日に、銃撃戦ゲームって縁起悪すぎないか」

「ゲームだぞ。ただの娯楽。気にしすぎ」


 コントローラーを握らされる。

 数分もすれば、俺も画面に集中していた。敵を狙い、走り、隠れ、撃つ。

 そのあいだだけは、現実の不安を忘れられた。


 ただ、ふとした瞬間に、頭の片隅で時計の針が動く。

 今、二十一時。

 あと三時間。


 ゲーム内で敵に撃たれて倒れるたびに、胸の奥に嫌なイメージがよぎった。


「悪い。ちょっと、外の空気吸ってくる」


 そう言ってコントローラーを置いた。

 甲斐が「ああ」と返事をする。


 廊下に出て、共用の非常階段に座り込む。

 夜風は思ったほど冷たくなかった。遠くで車の音と、隣室のテレビの笑い声が聞こえる。


 ポケットのスマホが震えた。通知だ。

 何気なく画面を見ると、ニュースアプリの見出しが目に入る。


『未来を当てる占い師、各地で模倣犯も? 過激な予言に注意』


 記事を開くと、占いを信じた人間が、仕事を辞めたり、大きな買い物をしたり、恋人と別れたりした例がいくつも紹介されていた。

 中には、事故に遭った人間もいるらしい。占いで「近いうちに大きな怪我をする」と言われ、それを気にして仕事を休み続け、最終的に別の場所で交通事故に遭ったという、よく分からない話だ。


 記事の最後に、こんな一文があった。


『「予言」は、しばしば「命令」として受け取られてしまう。未来を変えたいと思って行動した結果、むしろ予言どおりの未来に近づいてしまうことがある』


 命令。

 「今日死ね」と言われた気がして、喉がきゅっと締まった。


 廊下の先、非常口の緑のランプがぼんやり光っている。

 非常階段の下の暗がりから、誰かの気配がした気がして、俺は身を固くした。


 ……気のせいだ。

 自分に言い聞かせて、部屋に戻る。


「どうした? 顔色悪いぞ」


「なんでもない」


 コップに水を汲み、一気に飲み干す。

 時計は二十二時を少し回っていた。


「あと二時間か……」


 思わずつぶやくと、甲斐が肩をすくめる。


「カウントダウンすんなよ。不吉だろ」

「するなって言われても、しちまうだろ」


 そのとき、スマホが再び震えた。

 今度は、見慣れない番号からの着信だった。


「知らない番号だ」

「出てみろよ」


 嫌な予感がしたが、拒否する理由もない。

 通話ボタンを押す。


「……はい」


『こんばんは、三浦悠真さん』


 聞き覚えのある声だった。

 血の気が引く。


「誰だ」


『さきほどは、占いをさせていただき、ありがとうございました』


 あの占い師だ。


「なんで俺の番号を」


『予約の際に、お友達が記入してくださっていましたよ。緊急連絡先として』


 甲斐を睨むと、彼は「あ」と間の抜けた声を出した。


『少し、お話ししたくて』


「話すことなんてない。占い、外れてくれればそれでいい」


『いえ。私はただ、確認したいだけです』


「なにを」


『あなたが、どれだけ未来を怖がっているか』


 薄い笑い声が混じった気がした。


『怖がれば怖がるほど、人は未来に逆らえなくなりますから』


「脅しのつもりかよ」


『脅しではありません。ただの事実です。……まだ部屋に、いらっしゃいますね?』


 思わず窓を見る。カーテンの隙間から、外の闇がのぞく。


「どこからか、見てるのか?」


『もちろん』


 ぞわり、と全身の毛が逆立つ。

 俺はカーテンを引きちぎるように閉め、窓から離れた。


「警察に通報するぞ」


『ご自由に。ですが、きっと間に合いませんよ』


 通話が切れた。

 スマホの画面に「通話終了」の文字だけが残る。


「誰だった?」


 甲斐が訊ねる。


「占い師だ。俺の居場所、知ってやがる」


「まさか。ここ、住所教えてないだろ」

「電話番号は知らせたって言ったよな。そこから辿ったのか、最初から何か調べてたのか……」


 考えれば考えるほど、背筋が寒くなる。


「ここにいるの、危なくねえか」


 甲斐がぼそりと言った。

 俺も、同じことを考えていた。


「安全なはずの場所を、狙われてる気がする」


 部屋のどこにも、隠しカメラがあるように思えた。

 壁のシミも、天井の電灯も、全てが監視の目だ。


「出るか」


 俺はつぶやくように言った。


「どこへ」

「分からない。適当に歩いて、どこか人目の多いところへ」


 自分でも馬鹿げていると思う。ただ、じっとしていることが耐え難かった。


「なら、俺も一緒に行く」


 甲斐は即答した。

 二人で最低限の荷物を掴み、部屋を出る。

 玄関を施錠し、階段を降りる。


 夜の街は、思ったより人がいた。

 居酒屋の灯り。コンビニの青白い光。

 どこかからカラオケの音が聞こえる。


「どこ行く?」


「……とりあえず、駅と逆方向」


 占い師のテントがあるのは駅前だ。

 そこからできるだけ離れたい一心で、足は自然と裏路地の方へ向かう。


 表通りから一筋外れただけで、空気はがらりと変わる。

 細い路地。薄暗い街灯。閉まったシャッター。

 猫の鳴き声だけが、やけに大きく響いた。


「ここ、本当に人目多いか?」


「……微妙だな」


 選択を誤った気がした。

 引き返そうかと振り向いたとき、背後から軽い足音が聞こえた。


 誰かが、こちらに向かって歩いてくる。


 街灯の下に現れたのは、スーツ姿の中年男だった。

 さっきまでテレビで見ていた顔。そのままだ。


「こんばんは」


 占い師は、にこりと微笑んだ。


「会えると思っていました」


「なんで、ここが分かった」


 声が震える。


「簡単なことですよ」


 彼はさらりと言った。


「人は、自分が一番避けたい場所に、真っ先に逃げ込むものです」


「意味が分からない」


「駅前は人が多い。私がいる場所でもある。あなたが『安全だ』と考えるなら、普通はそこへ向かうでしょう。でも、あなたは私を恐れている。だから、私のいない方向、裏路地の方へ」


 占い師は、足元の舗装を指でなぞるように見下ろした。


「人通りが少ないのに、灯りだけはある。防犯カメラもほとんどない。あなたが『とりあえずここなら大丈夫だろう』と考えそうな場所は、限られています」


「……最初から、俺がどう動くか分かってたってことか」


「未来は、ある程度の枠組みで予測できます。特に、恐怖に支配された人間の行動は単純ですから」


 占い師の目が、細められる。


「あなたは、私の占いを信じなかった。頭では。ただ、心は違った。だからこそ、どんどん未来に近づいていく」


「近づいてなんかいるか」


 怒鳴り返そうとしたとき、甲斐が俺の腕を掴んだ。


「悠真、落ち着け」


「落ち着いていられるかよ! こいつ、ストーカーだぞ」


「落ち着いてください。私は何もしていません」


 占い師は、両手を軽く広げて見せた。


「私はただ、あなたの未来を知っているだけです」


「だったら、その未来を変えろよ!」


「変える権利があるのは、あなた自身だけですよ」


 淡々と返される。

 その無表情が、火に油を注いだ。


「俺は死なない。絶対に」


「そうですか」


 占い師は、一歩だけ後ずさった。


「ならば、ここから先はあなたの自由です。私は、ただ見届けに来ただけですから」


「見届ける?」


「ええ。未来が『当たる』瞬間を」


 背中に、冷たい汗が伝う。

 ここから逃げればいい。走って、明るい大通りへ出ればいい。それだけのことだ。

 だが、足が動かない。


「悠真、行こう」


 甲斐が腕を引く。そのまま少し進んだところで、彼のスマホが鳴った。


「……あ、課長?」


 画面を見た甲斐の顔から、血の気が引いた。


「今ですか? すみません、ちょっと……はい、分かりました。すぐに行きます」


 通話を切った彼が、苦笑する。


「悪い。会社から呼び出しだ。サーバー障害出たっぽい」


「こんな時間に?」


「俺、インフラチームだろ。夜間呼び出し、たまにあるじゃん」


「断れないのか」


「さすがに無理だって。これも未来ってやつかね」


 冗談めかして言いながら、甲斐は俺の肩を叩いた。


「大丈夫。すぐ戻るから。二十四時前には多分終わる」


「待てよ」


「お前、一人の方が落ち着くタイプだろ。あんまり煽る人間が隣にいると、余計考えちゃう」


 それは違う、と言えなかった。

 甲斐がいなくなった瞬間、俺は完全に独りになる。

 占い師と、そして「今日」という時間に。


「……気をつけろよ」


 かろうじて、それだけ言った。

 甲斐は笑って頷き、走り去っていく。

 路地には、俺と占い師だけが残された。


「ご覧のとおり」


 占い師が、静かに言う。


「未来は、こうして少しずつ、形を現していきます。あなたは今、一人になりました。あなた自身の判断だけで動かなければならない」


「だからなんだ」


「どこへ行きますか?」


 夕暮れよりも暗い瞳が、まっすぐにこちらを捉えている。


「家に戻るのも自由。駅前に行くのも自由。このままこの路地に留まるのも自由」


 彼は、少しだけ微笑んだ。


「どれを選んでも、あなたは今日死にます」


 喉がひりつく。

 選択肢が全て罠に見える。


「……お前は、どうしてそこまでして『当てたい』んだ」


 絞り出すように訊ねる。


「金目当てか? 承認欲求か? それとも、ただの趣味かよ」


「そんな、大それたものではありません」


 占い師は首を横に振る。


「私はただ、『人間が自分の未来にどこまで従うのか』を知りたいだけです」


「実験、ってことか」


「そう言ってもいいでしょうね」


 あまりにもあっさりと言われて、笑ってしまいそうになった。


「もし俺が、ここでビルの屋上に駆け上がって、飛び降りたらどうする」


「それもまた、あなたの選んだ未来です。占いどおりですね」


「じゃあ、徹夜で安全な場所に引きこもって、何もしないでやる。水だけ飲んで、トイレも我慢して、じっとしてる。そしたらどうなる」


「恐らく、あなたは途中で限界が来て、どこかへ動き出すでしょう。その時点で、また未来は変化します。ですが――」


 占い師は、わずかに肩をすくめた。


「どの道、今日という枠の中からは逃れられません」


 逃れられない。

 その言葉に、何よりも重い鎖の感触があった。


「……分かったよ」


 俺はため息をつき、占い師から距離を取る。


「もう、お前の相手はしない。好きに観察してろ」


 そう言い捨てて、路地を抜ける。

 占い師は追ってこなかった。ただ、背中に視線だけが突き刺さる。


 表通りに出ると、少しだけ気が楽になった。

 車のヘッドライト、人のざわめき。

 ここなら、少なくとも誰かが見ている。簡単には死なない――そんな錯覚を与えてくれる。


 ふと、電光掲示板の時計が目に入る。

 二十三時十二分。


「あと、四十八分」


 思わず呟き、頭を振る。

 歩道橋を渡り、公園の前を通り過ぎる。

 ベンチに座るカップルや、スマホをいじる若者がいる。


 もし今、いきなり心臓が止まったら。

 もし今、上から看板が落ちてきたら。

 もし今、走ってきた車が歩道に突っ込んできたら――。


 考えれば考えるほど、世界は毒に満ちた迷路に変わる。


「もうやめだ」


 俺は公園の脇の細い路地に入り、壁にもたれかかった。

 人通りは少ないが、完全な暗闇ではない。

 遠くのネオンの光が、かすかに路面を照らしている。


 ここで、時間が過ぎるのを待てばいい。

 スマホを取り出し、時刻を確認する。


 二十三時二十四分。


 あと三十六分。

 それだけ耐えれば、占いは外れる。


 ベンチに座ろうとして、足を止めた。

 ベンチの周囲の地面が、妙に濡れている。雨は降っていない。

 近づいてよく見ると、それは飲みかけの缶ジュースが倒れてこぼれた跡だった。


 ぬるく光る液体。

 滑りそうな、嫌な予感。


 俺はベンチに座るのをやめ、壁にもたれたまま立っていることにした。

 立っていれば、危険があればすぐに避けられる。

 そう考えた瞬間、ふと、さっきの占い師の言葉が頭をよぎる。


『人は、自分が一番避けたい場所に、真っ先に逃げ込むものです』


 ここは安全だろうか。

 それとも、「安全だ」と思いたいだけの場所だろうか。


 思考がぐるぐると渦を巻く。

 息が浅くなる。

 時間だけが、無情に進んでいく。


 二十三時三十五分。

 二十三時四十二分。

 二十三時五十一分。


 あと九分。

 ここまで来れば、大丈夫なんじゃないか――そんな油断が、頭をもたげる。


「……案外、何も起きないもんだな」


 自嘲気味につぶやいた。

 声が夜に溶ける。


 そのとき、背後から足音がした。


 さっきの路地とは違う。もっと軽く、もっと小刻みな音。

 俺は振り向こうとして、なぜか体が動かなかった。


 歩き慣れた靴の音。

 聞き慣れたリズム。


「――当たりましたね」


 耳元で、落ち着いた声がした。

 占い師の声だ。

 なのに、そこには喜びも、勝ち誇りもなかった。ただの事務的な確認。


「言った通り、あなたは今日死にました」


 意味が分からなかった。

 俺はまだ立っている。呼吸もしている。鼓動もある。


「ふざけるな。俺は――」


 言いかけて、違和感に気づく。

 胸の奥が、妙に静かだった。

 鼓動は、確かにある。だが、そのリズムが、どこか遠くから聞こえてくるような感覚。


「人は『死ぬ』と聞いて、肉体の停止だけを想像しがちです」


 占い師は、背後から淡々と話し続ける。


「ですが、未来はもっと細かく分解できます。社会的な死、精神的な死、関係性の死……。あなたが今日迎えたのは、そのうちの一つにすぎません」


「なに、言って……」


 スマホが震えた。

 さっきまで握っていたはずの手の中には、何もない。

 いつのまにか、地面に落としていたらしい。


 画面には、見慣れた名前からのメッセージが表示されていた。

 甲斐翔太。

 一通、二通、三通。立て続けに。


『ごめん、さっきの、マジでやらかした』


『例の占い、当たった。仕事辞めるの、確定』


『さっき、お前の電話番号、課長に教えた。夜間対応の連絡網で必要だって言われて。』


 嫌な汗が背中を伝う。

 続けて、もう一通。


『それともうひとつ。テントでアンケート書いたとき、お前の個人情報、ちょっと盛っちゃった。SNSアカウントとか、職場とか、最近の悩みとか。ネタになると思って。』


 指が震えた。

 スクロールする。


『占い師の人、すごく食いついてた。お前みたいなタイプ、珍しいって』


『「未来を知っても、最後まで逆らい続ける人間は少ない」ってさ』


 最後のメッセージは、こう締めくくられていた。


『悪い。冗談のつもりだった』


 世界が、音を失う。

 占い師は、俺の背中越しに、地面のスマホを眺めているようだった。


「あなたの情報は、十分すぎるほど集まっていました。行動パターン、交友関係、仕事の状況。恐怖に対する反応」


 淡々とした声。


「だから、私は言えたのです。『今日、死ぬ』と。あなたが、勝手にそこへ向かってくれることを前提に」


「俺は、勝手になんか」


「逃げ続けたでしょう?」


 静かに遮られる。


「電車を避け、車を避け、人の多い場所を避け、最終的に一人で薄暗い路地へとたどり着いた。私が少し背中を押しただけで」


『まだ部屋にいらっしゃいますね?』

『ここにいるの、危なくねえか』


 あの電話も、呼び出しも、全て――。


「あなたが『死ぬ』と信じれば信じるほど、あなたの選択肢は狭まっていった。安全だと思う場所ほど、あなたを孤立させる場所になる」


 占い師は、ふと声を落とした。


「未来を『当てる』とは、そういうことです」


 二十三時五十九分。

 電光掲示板の時計が、日付の切り替わりの準備を始めるころ。

 俺は、ようやく理解した。


 今日一日で、俺という人間の何かが、確かに死んだのだ。

 占いに怯えて逃げ惑う中で、自分で自分の未来を選ぶ力を、完全に手放してしまった。


 これから先、何を決めるにしても、俺はこの一日を思い出すだろう。

 「自分で選んでいるつもりで、誰かに選ばされているのではないか」と疑い続けるだろう。

 誰かの一言で、簡単に行動を変えてしまう自分を、決して信じられないだろう。


 それは、たしかに一つの「死」だった。

 自分への信頼の死。

 未来を、自分のものだと言い張る権利の死。


 ぱちん、と指を鳴らすように、日付が変わる。

 遠くで、時計台の鐘が鳴った気がした。


「当たりましたね」


 占い師が、もう一度だけそう言った。

 今度は、はっきりと満足そうな声で。


 俺は振り向こうとした。

 しかし、その瞬間、視界がふっと暗くなる。


 膝から力が抜け、地面に崩れ落ちる。

 頭のどこかで、冷静な声が囁いた。


 ――今日は死なない。

 肉体は。


 だが、立ち上がろうとするたびに、自分で自分の足を引っ張るような感覚がある。

 誰かが「あなたは歩けない」と言えば、本当に歩けなくなる気がした。


 占い師の足音が遠ざかっていく。

 誰かが駆け寄ってくる気配も、人々のざわめきもない。

 この路地は、最初から最後まで、俺と彼のためだけに用意されていた舞台だったのだろう。


 スマホの画面には、日付が変わったことを告げる小さな通知が表示されていた。

 新しい日。新しい未来。


 だが、俺にはもう、その未来を自分のものだと思い込むことはできない。


 「今日死ぬ」と言われて迎えた一日の終わりに、俺は確かに死んだ。

 そして、明日からは、「占いどおりに死んだはずの男」として生きていくのだ。


 誰かに未来を当てられたまま。

 自分の選択を、自分のものだと信じきることのないまま。


 それでも時間は、何事もなかったかのように進んでいく。

 駅前のテントには、今日もまた新しい行列ができるだろう。


「あなたの未来、百パーセント当てます」


 その看板の前で、誰かが笑っている。

 自分の未来は自分で選ぶのだと信じながら、千円札を差し出す。


 そしてまた一人、未来を売り渡す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ