当たる占いは、ただの脅迫かもしれない―「あなたは今日死にます」と言われたので全力で逃げてみた結果
占いなんて、当たるはずがないと思っていた。
少なくとも、昨日までは。
駅前のロータリーに、妙な行列ができはじめたのは、ひと月ほど前だ。
雨の日も、風の日も、そこには簡易テントと折りたたみ椅子が並び、その奥に一人の男が座っている。テーブルには手描きのボード。
「あなたの未来、百パーセント当てます」
安っぽいマジックの文字に、赤い丸が三つ、やけに自信満々に描かれている。その隣に小さく、料金一回千円。
会社帰りにその前を通るたび、俺は鼻で笑った。
未来が百パーセント当たるなら、そいつは株でも為替でも競馬でも好き放題に儲けられるだろう。駅前で千円札を集めている時点で、お察しだ。
最初は、誰も並んでいなかった。
けれど、ある週末を境に、状況は変わる。
「なあ、聞いた? あの占い師、ほんとに全部当てるってよ」
社内の雑談で、誰かがそう言った。
どうやら、最初のお客の一人がSNSに書いたらしい。「半信半疑だったけど本当に当たりました!」のテンションで、スクショ付きで。
昇進のタイミング、彼女からのプロポーズ、転職のきっかけ。
あとから振り返れば何とでも言えるような内容だが、それでも「当たった」と言い張る人間は多い。
口コミは、雪だるま式に膨らんでいった。
そんな話は作り話に決まっている。
俺はそう思っていたのに、ある日、背中をどんと叩かれた。
「よう、悠真。今日こそ行こうぜ」
大学からの友人、甲斐だった。明るくてノリがよくて、面倒事が好きで、そしてなぜか、変な話を信じやすい。
「どこへ」
「あそこだよ、あそこ。未来当てるおっさん。さすがに気になるだろ?」
「気にならない」
「気にしろよ。ここまでバズってると、ある意味で社会現象なんだぜ。話のタネにでもさ」
気軽な調子で腕を引っ張られる。
仕事帰りで疲れていたし、適当にあしらって帰るつもりだった。だが、駅前に着くと、いつもより長い行列と、スマホを掲げる人たちの群れが目に飛び込んできた。
テントの奥、占い師は、妙に真面目そうなスーツ姿で座っていた。
中年、眼鏡、細身。派手さはない。
その目だけが、やけに静かで、こっちをじっと測っている。
「ほら、ラスト二人だってよ」
甲斐がスタッフらしき男に声をかけて、勝手に列に割り込んだ。
千円札を握らされ、俺はため息をつく。
「なあ、当たらなかったらどうするんだ」
「そのときは、そのとき。ネタとして最高じゃん?」
どう考えても、時間と金の無駄だ。
そう思いながらも、列は進んでいく。
前の女性が立ち去り、次は甲斐の番だ。
「次の方、どうぞ」
占い師は、驚くほど落ち着いた声で言った。
甲斐が椅子に腰かける。
「未来を百パーセント当ててくれるんですよね?」
「はい」
淡々とした相槌。
テーブルには水晶玉もカードもない。あるのは、小さなノートパソコンと紙のメモだけ。
占い師はパソコンに何かを打ち込み、甲斐の顔を一瞥する。
「お名前と、生年月日をお聞きしても?」
「甲斐翔太。平成九年の八月三日です」
指先がキーボードの上を踊る。
ほんの数秒で動きは止まり、占い師は目を閉じた。
その様子は、祈っているようにも、考え込んでいるようにも見えた。
静寂。
ざわつく駅前の音が、テントの中だけ遠くなる。
やがて、彼は口を開いた。
「あなたは、一週間後に仕事を辞めます」
甲斐が目を丸くした。
「え、マジで? いや、辞める予定ないっすけど」
「そうなるでしょう。理由は、あなた自身がすぐに理解します」
あまりにあっさりした言い方に、拍子抜けした。
事故とか病気とかじゃなくてよかった、という安堵すら覚える。
「外れたら、返金してくれます?」
「外れませんから」
淡々とした声だった。
冗談や売り文句の軽さが、欠片もない。
甲斐は笑って立ち上がった。
「じゃ、楽しみにしときますよ」
占い師は小さく会釈し、俺を見る。
「では、次の方」
俺は椅子に座り、千円札をテーブルの端に置いた。
間近で見ると、その目は予想以上に静かだった。深夜の湖面みたいに、風すら立たない。
「お名前と、生年月日を」
「三浦悠真。平成九年の三月二十七日です」
カタカタ、とキーを叩く音。
俺は内心で、どうでもいいと繰り返す。
どうせ「近いうちにいい出会いが」とか「仕事でチャンスが」とか、当たり障りのないことを言うのだろう。
占い師は、画面を見ていた目をゆっくり閉じた。
さっきと同じように、短い沈黙。
そして、すぐに開かれる。
「……なるほど」
小さな呟き。
なぜか、その一言だけで背筋が冷えた。
「では、あなたの未来をお伝えします」
俺は思わず、身を乗り出していた。
彼は、表情ひとつ変えずに告げる。
「あなたは、今日死にます」
時間が、止まった。
今日。
つまり、この日付のうち。
午前零時を回るまでの間に。
「……は?」
声にならない声が出た。
「ちょっと待て。俺、別に病気も怪我もしてないし」
「承知しています」
占い師は淡々と言う。
「ですが、あなたの未来はそうなっています」
「何かの間違いじゃ」
「間違いはありません。百パーセントですから」
さらりと言うな。
心臓が妙なリズムで打ち始める。
「原因は? 事故か、病気か、事件か」
「原因は……そうですね」
占い師は少しだけ首をかしげた。
「あなた自身の行動、ということになるでしょう」
「どういう意味だよ」
「文字通りです。あなたが今日一日、どのように動くか。その果てに、結果として死がある」
それは、どんな説明にもなっていなかった。
ただ、彼の声は少しも揺れない。
「時間は?」
自分でも驚くほど、冷静な声が出ていた。
「だいたいでいい。何時ごろだ」
「はっきりした時刻は見えません。ただ、日付が変わる前であることは確かです」
午後十一時五十九分でも、今日だ。
「……外れたことは?」
甲斐が割って入る。
占い師は、静かに首を横に振った。
「一度もありません」
冗談ではない。
呆れと苛立ちと、説明のできない不安が、腹の底で混ざる。
「わかった。ありがとう」
立ち上がるしかなかった。
テントの外の空気は、生温くて、薄く感じた。
駅前の雑踏はいつもと変わらない。
夕方の人波。電車の接近を告げるアナウンス。誰かの笑い声。
世界は相変わらず動いているのに、俺の時間だけ、別の方向へ何かに引っ張られている。
「なあ……大丈夫か?」
甲斐が、珍しく真面目な顔をしていた。
「なにが」
「今日死ぬってさ。さすがに冗談きついって」
「迷惑な占いだよな」
強がって笑ってみせる。
しかし、喉が乾いていて、うまく声が出ない。
「どうせ、こじつけみたいな形で当たったことにしてるんだろ。『今日、人生が大きく変わるでしょう』とか言って、引っ越ししたら『ほら当たった』みたいな」
「だといいけどさ……」
甲斐は腕を組んだ。
「とりあえず、今日は危ないこと全部避けようぜ。電車乗らない。車にも近づかない。高いところ行かない。包丁使わない」
「子どもか俺は」
そう言いつつ、その提案は妙に現実的に思えた。
死ぬ原因が「俺自身の行動」なら、何もしなければいい。
安全な場所に引きこもって、日付が変わるまで耐えればいい。
その瞬間、俺自身が「占いを信じて行動を変えた」ことに気づいた。
胃のあたりが、鈍く痛む。
「とりあえず、どこかで落ち着こう。ファミレスとか」
「ファミレスって、ナイフとフォークあるだろ」
「じゃ、ファストフード」
「油で滑って転んで頭打つかもしれない」
言いながら、自分で馬鹿らしくなってくる。
だが、ひとたび「今日死ぬ」という言葉が頭に入り込んでしまうと、世界のあらゆるものが凶器に見えた。
歩道の段差。
走り去る自転車。
ビルの窓からの反射光。
信号機が赤から青に変わるタイミングすら、罠のように思える。
「……一回、自宅に帰る」
ぽつりと言うと、甲斐が頷いた。
「送ってく。途中で何かあったら困るし」
「過保護だな」
「占いの内容がアレだからな」
駅は使わず、少し遠回りになるが、歩いて帰ることにした。
夕焼けが薄れて、空には早くも一番星が光り始めている。
横断歩道の前で、俺は立ち止まる。
青信号。だが、車が完全に止まったのを確認してから、慎重に渡る。
周囲の人間は誰もそんなことを気にせずに歩いている。ただ一人だけ、自分だけが過剰に警戒しているのが、滑稽で仕方ない。
「さっきの占い師さ」
甲斐が、ぽつりと言った。
「『仕事辞めます』って言っただろ。あれ、当たってもおかしくないかもな」
「なんで」
「俺、最近ずっと悩んでたんだ。部署変えられてから、上司とも合わないし。辞めるかどうかギリギリのラインで。あんなふうに言われると、逆に背中押されたっていうか」
それはつまり――。
「占いが当たるんじゃなくて、占いに合わせてお前が動くってことじゃないか」
「かもな。でも、それって『当たる』って言っていいんじゃね? 俺の選択も未来の一部だし」
軽く言うな、と思った。
だが、確かに理屈としてはそうだ。
占い師が「あなたはこうなります」と言う。それを聞いた人間が「じゃあそうするか」と動き、その結果として予言通りの未来が来る。
それを「百パーセント当たる」と呼んでいるだけかもしれない。
「でも、死ぬのは選ばないだろ」
俺は思わず、声を荒げた。
「昇進する未来とか、結婚する未来とかなら、多少誘導されたって構わない。でも、『今日死ぬ』って言葉に、どうやって合わせろっていうんだよ」
「……そうだな」
甲斐は口をつぐむ。
その沈黙が、やけに重かった。
家に着くころには、もう十九時を過ぎていた。
玄関の鍵を慎重に回し、靴を脱ぐ。
部屋は、いつも通りだ。狭いワンルーム。未読の郵便物と、洗い忘れの皿と、ベッドの上に脱ぎ捨てられたシャツ。
「なあ、今日は俺も泊まってっていいか?」
甲斐が言った。
「お前ひとりにしとくの、ちょっと気持ち悪いし」
「別に構わないけど」
誰かがそばにいるだけで、多少は安心できる気がした。
二人でコンビニ弁当を買い込み、レンジで温める。
熱々の唐揚げを口に運びながら、俺はふと手を止めた。
「これ、喉に詰まったりしないよな」
「考えすぎだって」
そう言いながら、甲斐は唐揚げを水で流し込んでいる。
普通に飯を食って、普通にテレビを見て、普通にくだらない話をしていれば、あの占いの言葉も、そのうち笑い話になる。
そう信じたかった。
テレビでは、例の占い師の特集が組まれていた。
ワイドショーのコーナー。司会者とコメンテーターが、例のテントの映像を背景に、何やら騒いでいる。
『驚異の的中率! 未来を百パーセント当てる男とは?』
テロップが踊る。
画面の右上には「取材OK」と書かれていて、さっき会ったばかりの男が、落ち着いた様子で質問に答えていた。
『どうしてそんなに当たるんですか?』
『私はただ、未来をお伝えしているだけです』
『何か特別な力が?』
『特別かどうかは分かりません。ただ、人は未来を聞くと、その未来に向かって歩き始めてしまうものです』
俺の背筋に、冷たいものが走った。
やはり、彼自身もそれを自覚しているのだ。
『つまり、予言された人が、その未来を選んでしまうと?』
『選ぶ、というより……そうするしかなくなるのでしょう。未来を知ったという事実が、その人の現在を変えてしまいますから』
司会者は「深いですねえ」とか言って笑っている。
画面の中の男は、相変わらず表情を変えなかった。
『外れたことは?』
『一度もありません』
俺はリモコンを握りしめ、そのままテレビを消した。
「おい、いいところだったのに」
「うるさい」
胸の奥で、何かがざわざわと動いていた。
奴は分かってやっている。人の不安を刺激し、行動を変えさせ、その結果を「的中」として積み上げている。
「なあ悠真。どこまで信じる?」
甲斐が、空になった弁当容器を積み上げながら尋ねた。
「正直なところ、どのくらい本気で怖がってる?」
「……五割」
口から出た数字は、自分でも意外だった。
「なんだかんだで、俺も現実主義だし。あんなの詐欺だろって頭では思ってる。でも、残り五割は……もしもの話を考えてる」
「占いって、そういうもんかもな」
甲斐は笑う。
「じゃ、その五割の怖さを打ち消すために、できるだけ安全に過ごそう。今日は徹夜でゲームでもして、明日の朝、無事だったら酒でも飲もうぜ」
「お前、明日会社だろ」
「一週間後には辞めてる男だからな。多少はいいだろ」
自嘲気味に言って、甲斐はゲーム機の電源を入れた。
画面にタイトルロゴが浮かび上がる。銃撃戦のオンラインゲームだ。
「いや、それもどうなんだ」
俺は眉をひそめた。
「こんな日に、銃撃戦ゲームって縁起悪すぎないか」
「ゲームだぞ。ただの娯楽。気にしすぎ」
コントローラーを握らされる。
数分もすれば、俺も画面に集中していた。敵を狙い、走り、隠れ、撃つ。
そのあいだだけは、現実の不安を忘れられた。
ただ、ふとした瞬間に、頭の片隅で時計の針が動く。
今、二十一時。
あと三時間。
ゲーム内で敵に撃たれて倒れるたびに、胸の奥に嫌なイメージがよぎった。
「悪い。ちょっと、外の空気吸ってくる」
そう言ってコントローラーを置いた。
甲斐が「ああ」と返事をする。
廊下に出て、共用の非常階段に座り込む。
夜風は思ったほど冷たくなかった。遠くで車の音と、隣室のテレビの笑い声が聞こえる。
ポケットのスマホが震えた。通知だ。
何気なく画面を見ると、ニュースアプリの見出しが目に入る。
『未来を当てる占い師、各地で模倣犯も? 過激な予言に注意』
記事を開くと、占いを信じた人間が、仕事を辞めたり、大きな買い物をしたり、恋人と別れたりした例がいくつも紹介されていた。
中には、事故に遭った人間もいるらしい。占いで「近いうちに大きな怪我をする」と言われ、それを気にして仕事を休み続け、最終的に別の場所で交通事故に遭ったという、よく分からない話だ。
記事の最後に、こんな一文があった。
『「予言」は、しばしば「命令」として受け取られてしまう。未来を変えたいと思って行動した結果、むしろ予言どおりの未来に近づいてしまうことがある』
命令。
「今日死ね」と言われた気がして、喉がきゅっと締まった。
廊下の先、非常口の緑のランプがぼんやり光っている。
非常階段の下の暗がりから、誰かの気配がした気がして、俺は身を固くした。
……気のせいだ。
自分に言い聞かせて、部屋に戻る。
「どうした? 顔色悪いぞ」
「なんでもない」
コップに水を汲み、一気に飲み干す。
時計は二十二時を少し回っていた。
「あと二時間か……」
思わずつぶやくと、甲斐が肩をすくめる。
「カウントダウンすんなよ。不吉だろ」
「するなって言われても、しちまうだろ」
そのとき、スマホが再び震えた。
今度は、見慣れない番号からの着信だった。
「知らない番号だ」
「出てみろよ」
嫌な予感がしたが、拒否する理由もない。
通話ボタンを押す。
「……はい」
『こんばんは、三浦悠真さん』
聞き覚えのある声だった。
血の気が引く。
「誰だ」
『さきほどは、占いをさせていただき、ありがとうございました』
あの占い師だ。
「なんで俺の番号を」
『予約の際に、お友達が記入してくださっていましたよ。緊急連絡先として』
甲斐を睨むと、彼は「あ」と間の抜けた声を出した。
『少し、お話ししたくて』
「話すことなんてない。占い、外れてくれればそれでいい」
『いえ。私はただ、確認したいだけです』
「なにを」
『あなたが、どれだけ未来を怖がっているか』
薄い笑い声が混じった気がした。
『怖がれば怖がるほど、人は未来に逆らえなくなりますから』
「脅しのつもりかよ」
『脅しではありません。ただの事実です。……まだ部屋に、いらっしゃいますね?』
思わず窓を見る。カーテンの隙間から、外の闇がのぞく。
「どこからか、見てるのか?」
『もちろん』
ぞわり、と全身の毛が逆立つ。
俺はカーテンを引きちぎるように閉め、窓から離れた。
「警察に通報するぞ」
『ご自由に。ですが、きっと間に合いませんよ』
通話が切れた。
スマホの画面に「通話終了」の文字だけが残る。
「誰だった?」
甲斐が訊ねる。
「占い師だ。俺の居場所、知ってやがる」
「まさか。ここ、住所教えてないだろ」
「電話番号は知らせたって言ったよな。そこから辿ったのか、最初から何か調べてたのか……」
考えれば考えるほど、背筋が寒くなる。
「ここにいるの、危なくねえか」
甲斐がぼそりと言った。
俺も、同じことを考えていた。
「安全なはずの場所を、狙われてる気がする」
部屋のどこにも、隠しカメラがあるように思えた。
壁のシミも、天井の電灯も、全てが監視の目だ。
「出るか」
俺はつぶやくように言った。
「どこへ」
「分からない。適当に歩いて、どこか人目の多いところへ」
自分でも馬鹿げていると思う。ただ、じっとしていることが耐え難かった。
「なら、俺も一緒に行く」
甲斐は即答した。
二人で最低限の荷物を掴み、部屋を出る。
玄関を施錠し、階段を降りる。
夜の街は、思ったより人がいた。
居酒屋の灯り。コンビニの青白い光。
どこかからカラオケの音が聞こえる。
「どこ行く?」
「……とりあえず、駅と逆方向」
占い師のテントがあるのは駅前だ。
そこからできるだけ離れたい一心で、足は自然と裏路地の方へ向かう。
表通りから一筋外れただけで、空気はがらりと変わる。
細い路地。薄暗い街灯。閉まったシャッター。
猫の鳴き声だけが、やけに大きく響いた。
「ここ、本当に人目多いか?」
「……微妙だな」
選択を誤った気がした。
引き返そうかと振り向いたとき、背後から軽い足音が聞こえた。
誰かが、こちらに向かって歩いてくる。
街灯の下に現れたのは、スーツ姿の中年男だった。
さっきまでテレビで見ていた顔。そのままだ。
「こんばんは」
占い師は、にこりと微笑んだ。
「会えると思っていました」
「なんで、ここが分かった」
声が震える。
「簡単なことですよ」
彼はさらりと言った。
「人は、自分が一番避けたい場所に、真っ先に逃げ込むものです」
「意味が分からない」
「駅前は人が多い。私がいる場所でもある。あなたが『安全だ』と考えるなら、普通はそこへ向かうでしょう。でも、あなたは私を恐れている。だから、私のいない方向、裏路地の方へ」
占い師は、足元の舗装を指でなぞるように見下ろした。
「人通りが少ないのに、灯りだけはある。防犯カメラもほとんどない。あなたが『とりあえずここなら大丈夫だろう』と考えそうな場所は、限られています」
「……最初から、俺がどう動くか分かってたってことか」
「未来は、ある程度の枠組みで予測できます。特に、恐怖に支配された人間の行動は単純ですから」
占い師の目が、細められる。
「あなたは、私の占いを信じなかった。頭では。ただ、心は違った。だからこそ、どんどん未来に近づいていく」
「近づいてなんかいるか」
怒鳴り返そうとしたとき、甲斐が俺の腕を掴んだ。
「悠真、落ち着け」
「落ち着いていられるかよ! こいつ、ストーカーだぞ」
「落ち着いてください。私は何もしていません」
占い師は、両手を軽く広げて見せた。
「私はただ、あなたの未来を知っているだけです」
「だったら、その未来を変えろよ!」
「変える権利があるのは、あなた自身だけですよ」
淡々と返される。
その無表情が、火に油を注いだ。
「俺は死なない。絶対に」
「そうですか」
占い師は、一歩だけ後ずさった。
「ならば、ここから先はあなたの自由です。私は、ただ見届けに来ただけですから」
「見届ける?」
「ええ。未来が『当たる』瞬間を」
背中に、冷たい汗が伝う。
ここから逃げればいい。走って、明るい大通りへ出ればいい。それだけのことだ。
だが、足が動かない。
「悠真、行こう」
甲斐が腕を引く。そのまま少し進んだところで、彼のスマホが鳴った。
「……あ、課長?」
画面を見た甲斐の顔から、血の気が引いた。
「今ですか? すみません、ちょっと……はい、分かりました。すぐに行きます」
通話を切った彼が、苦笑する。
「悪い。会社から呼び出しだ。サーバー障害出たっぽい」
「こんな時間に?」
「俺、インフラチームだろ。夜間呼び出し、たまにあるじゃん」
「断れないのか」
「さすがに無理だって。これも未来ってやつかね」
冗談めかして言いながら、甲斐は俺の肩を叩いた。
「大丈夫。すぐ戻るから。二十四時前には多分終わる」
「待てよ」
「お前、一人の方が落ち着くタイプだろ。あんまり煽る人間が隣にいると、余計考えちゃう」
それは違う、と言えなかった。
甲斐がいなくなった瞬間、俺は完全に独りになる。
占い師と、そして「今日」という時間に。
「……気をつけろよ」
かろうじて、それだけ言った。
甲斐は笑って頷き、走り去っていく。
路地には、俺と占い師だけが残された。
「ご覧のとおり」
占い師が、静かに言う。
「未来は、こうして少しずつ、形を現していきます。あなたは今、一人になりました。あなた自身の判断だけで動かなければならない」
「だからなんだ」
「どこへ行きますか?」
夕暮れよりも暗い瞳が、まっすぐにこちらを捉えている。
「家に戻るのも自由。駅前に行くのも自由。このままこの路地に留まるのも自由」
彼は、少しだけ微笑んだ。
「どれを選んでも、あなたは今日死にます」
喉がひりつく。
選択肢が全て罠に見える。
「……お前は、どうしてそこまでして『当てたい』んだ」
絞り出すように訊ねる。
「金目当てか? 承認欲求か? それとも、ただの趣味かよ」
「そんな、大それたものではありません」
占い師は首を横に振る。
「私はただ、『人間が自分の未来にどこまで従うのか』を知りたいだけです」
「実験、ってことか」
「そう言ってもいいでしょうね」
あまりにもあっさりと言われて、笑ってしまいそうになった。
「もし俺が、ここでビルの屋上に駆け上がって、飛び降りたらどうする」
「それもまた、あなたの選んだ未来です。占いどおりですね」
「じゃあ、徹夜で安全な場所に引きこもって、何もしないでやる。水だけ飲んで、トイレも我慢して、じっとしてる。そしたらどうなる」
「恐らく、あなたは途中で限界が来て、どこかへ動き出すでしょう。その時点で、また未来は変化します。ですが――」
占い師は、わずかに肩をすくめた。
「どの道、今日という枠の中からは逃れられません」
逃れられない。
その言葉に、何よりも重い鎖の感触があった。
「……分かったよ」
俺はため息をつき、占い師から距離を取る。
「もう、お前の相手はしない。好きに観察してろ」
そう言い捨てて、路地を抜ける。
占い師は追ってこなかった。ただ、背中に視線だけが突き刺さる。
表通りに出ると、少しだけ気が楽になった。
車のヘッドライト、人のざわめき。
ここなら、少なくとも誰かが見ている。簡単には死なない――そんな錯覚を与えてくれる。
ふと、電光掲示板の時計が目に入る。
二十三時十二分。
「あと、四十八分」
思わず呟き、頭を振る。
歩道橋を渡り、公園の前を通り過ぎる。
ベンチに座るカップルや、スマホをいじる若者がいる。
もし今、いきなり心臓が止まったら。
もし今、上から看板が落ちてきたら。
もし今、走ってきた車が歩道に突っ込んできたら――。
考えれば考えるほど、世界は毒に満ちた迷路に変わる。
「もうやめだ」
俺は公園の脇の細い路地に入り、壁にもたれかかった。
人通りは少ないが、完全な暗闇ではない。
遠くのネオンの光が、かすかに路面を照らしている。
ここで、時間が過ぎるのを待てばいい。
スマホを取り出し、時刻を確認する。
二十三時二十四分。
あと三十六分。
それだけ耐えれば、占いは外れる。
ベンチに座ろうとして、足を止めた。
ベンチの周囲の地面が、妙に濡れている。雨は降っていない。
近づいてよく見ると、それは飲みかけの缶ジュースが倒れてこぼれた跡だった。
ぬるく光る液体。
滑りそうな、嫌な予感。
俺はベンチに座るのをやめ、壁にもたれたまま立っていることにした。
立っていれば、危険があればすぐに避けられる。
そう考えた瞬間、ふと、さっきの占い師の言葉が頭をよぎる。
『人は、自分が一番避けたい場所に、真っ先に逃げ込むものです』
ここは安全だろうか。
それとも、「安全だ」と思いたいだけの場所だろうか。
思考がぐるぐると渦を巻く。
息が浅くなる。
時間だけが、無情に進んでいく。
二十三時三十五分。
二十三時四十二分。
二十三時五十一分。
あと九分。
ここまで来れば、大丈夫なんじゃないか――そんな油断が、頭をもたげる。
「……案外、何も起きないもんだな」
自嘲気味につぶやいた。
声が夜に溶ける。
そのとき、背後から足音がした。
さっきの路地とは違う。もっと軽く、もっと小刻みな音。
俺は振り向こうとして、なぜか体が動かなかった。
歩き慣れた靴の音。
聞き慣れたリズム。
「――当たりましたね」
耳元で、落ち着いた声がした。
占い師の声だ。
なのに、そこには喜びも、勝ち誇りもなかった。ただの事務的な確認。
「言った通り、あなたは今日死にました」
意味が分からなかった。
俺はまだ立っている。呼吸もしている。鼓動もある。
「ふざけるな。俺は――」
言いかけて、違和感に気づく。
胸の奥が、妙に静かだった。
鼓動は、確かにある。だが、そのリズムが、どこか遠くから聞こえてくるような感覚。
「人は『死ぬ』と聞いて、肉体の停止だけを想像しがちです」
占い師は、背後から淡々と話し続ける。
「ですが、未来はもっと細かく分解できます。社会的な死、精神的な死、関係性の死……。あなたが今日迎えたのは、そのうちの一つにすぎません」
「なに、言って……」
スマホが震えた。
さっきまで握っていたはずの手の中には、何もない。
いつのまにか、地面に落としていたらしい。
画面には、見慣れた名前からのメッセージが表示されていた。
甲斐翔太。
一通、二通、三通。立て続けに。
『ごめん、さっきの、マジでやらかした』
『例の占い、当たった。仕事辞めるの、確定』
『さっき、お前の電話番号、課長に教えた。夜間対応の連絡網で必要だって言われて。』
嫌な汗が背中を伝う。
続けて、もう一通。
『それともうひとつ。テントでアンケート書いたとき、お前の個人情報、ちょっと盛っちゃった。SNSアカウントとか、職場とか、最近の悩みとか。ネタになると思って。』
指が震えた。
スクロールする。
『占い師の人、すごく食いついてた。お前みたいなタイプ、珍しいって』
『「未来を知っても、最後まで逆らい続ける人間は少ない」ってさ』
最後のメッセージは、こう締めくくられていた。
『悪い。冗談のつもりだった』
世界が、音を失う。
占い師は、俺の背中越しに、地面のスマホを眺めているようだった。
「あなたの情報は、十分すぎるほど集まっていました。行動パターン、交友関係、仕事の状況。恐怖に対する反応」
淡々とした声。
「だから、私は言えたのです。『今日、死ぬ』と。あなたが、勝手にそこへ向かってくれることを前提に」
「俺は、勝手になんか」
「逃げ続けたでしょう?」
静かに遮られる。
「電車を避け、車を避け、人の多い場所を避け、最終的に一人で薄暗い路地へとたどり着いた。私が少し背中を押しただけで」
『まだ部屋にいらっしゃいますね?』
『ここにいるの、危なくねえか』
あの電話も、呼び出しも、全て――。
「あなたが『死ぬ』と信じれば信じるほど、あなたの選択肢は狭まっていった。安全だと思う場所ほど、あなたを孤立させる場所になる」
占い師は、ふと声を落とした。
「未来を『当てる』とは、そういうことです」
二十三時五十九分。
電光掲示板の時計が、日付の切り替わりの準備を始めるころ。
俺は、ようやく理解した。
今日一日で、俺という人間の何かが、確かに死んだのだ。
占いに怯えて逃げ惑う中で、自分で自分の未来を選ぶ力を、完全に手放してしまった。
これから先、何を決めるにしても、俺はこの一日を思い出すだろう。
「自分で選んでいるつもりで、誰かに選ばされているのではないか」と疑い続けるだろう。
誰かの一言で、簡単に行動を変えてしまう自分を、決して信じられないだろう。
それは、たしかに一つの「死」だった。
自分への信頼の死。
未来を、自分のものだと言い張る権利の死。
ぱちん、と指を鳴らすように、日付が変わる。
遠くで、時計台の鐘が鳴った気がした。
「当たりましたね」
占い師が、もう一度だけそう言った。
今度は、はっきりと満足そうな声で。
俺は振り向こうとした。
しかし、その瞬間、視界がふっと暗くなる。
膝から力が抜け、地面に崩れ落ちる。
頭のどこかで、冷静な声が囁いた。
――今日は死なない。
肉体は。
だが、立ち上がろうとするたびに、自分で自分の足を引っ張るような感覚がある。
誰かが「あなたは歩けない」と言えば、本当に歩けなくなる気がした。
占い師の足音が遠ざかっていく。
誰かが駆け寄ってくる気配も、人々のざわめきもない。
この路地は、最初から最後まで、俺と彼のためだけに用意されていた舞台だったのだろう。
スマホの画面には、日付が変わったことを告げる小さな通知が表示されていた。
新しい日。新しい未来。
だが、俺にはもう、その未来を自分のものだと思い込むことはできない。
「今日死ぬ」と言われて迎えた一日の終わりに、俺は確かに死んだ。
そして、明日からは、「占いどおりに死んだはずの男」として生きていくのだ。
誰かに未来を当てられたまま。
自分の選択を、自分のものだと信じきることのないまま。
それでも時間は、何事もなかったかのように進んでいく。
駅前のテントには、今日もまた新しい行列ができるだろう。
「あなたの未来、百パーセント当てます」
その看板の前で、誰かが笑っている。
自分の未来は自分で選ぶのだと信じながら、千円札を差し出す。
そしてまた一人、未来を売り渡す。




