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魔術学院騒動記  作者: いさ
第二話 『黒き書』
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第二話 「黒き書」 第一幕

 新学期が始まりカイリ=ドール教師から最初に与えられた課題は、黒い本に掛けられた魔術を解く事だった。

 四月も二週目に入り、ウィズムント魔術学院の新学期が本格的に始動した。各教室では今学期のカリキュラム等が担当教師によって発表され、早速其れに従って授業を開始している教室も少なくはない。しかしながらウィズムント魔術学院本館北西奥に位置するドール教室、通称隔離教室では春休みと変わらない風景が繰り広げられている。今学期から上級教室であるドール教室に編入となったリーユン=ルルディヴァイサーが今後の授業方針を聞く間も無く、カイリ=ドール教師は朝から出かけてしまったのだ。仕方がないのでリーユンは最近の日課であるエントランスの片付けを始めたのだが、十分もしない内に作業の手を止める事となる。

「見てみてリーユン、マリアンヌちゃん二号よ」

二階から軽やかな足取りで駆け下りてきたのはクラスメイトのタキ=ヤンフゥだ。彼女の腕の中には、美少女には相応しいとは言えない緑色で半透明で半液状の物体が大切そうに抱えられている。ここ二、三日部屋に閉じこもって何をしていたのかと思えば、魔法生物マジッククリーチャーの製造に勤しんでいたらしい。

「また、造ったの?」

リーユンは呆れを悟られまいとして如何にか口元に笑みを貼り付けたが、微かに吐息の混ざる声音がその努力を打ち消していた。タキが其れに気付かない筈も無く、少々ムッとした様子でリーユンに近付くと腕の中のマリアンヌちゃん二号を彼の眼前へと突きつけ、

「このマリアンヌちゃん二号はね、以前のマリアンヌちゃんとは性能が違うのよ!」

と、勢い良く言ってのけ、一枚の紙片を取り出してマリアンヌちゃん二号のぷるんとしたボディに突っ込んだ。半透明の体液に包み込まれた紙切れが徐々に溶かされていき、跡形も無く消え失せるのにものの数秒も掛からない。二人の視線が見守る中、突然マリアンヌちゃん二号が小刻みに震えて声を発し始める。

「おはよう。わたしはマリアンヌちゃん二号です。よろしくね」

半液状の魔法生物が可愛らしい声で可愛らしく挨拶をしても気味が悪いだけだとリーユンなどは思う訳だが、タキにとってはそうではないらしい。自慢げに胸を張り、リーユンのコメントを待っている。

「えっと……」

リーユンは取り敢えずの時間稼ぎにそれだけを口にすると、改めてじっくりとマリアンヌちゃん二号を観察した。……残念ながらどう見ても不定形アモルファスモンスターの代表格であるスライムだ。可愛らしい声に似合いの顔も身体も唇も無く、勿論脳や声帯といったものも見当たらない。

「どうやって喋ってるの?」

何とか話題を見付け出し、リーユンはホッと胸を撫で下ろしつつタキに尋ねると、待ってましたと言わんばかりに彼女の瞳が輝きだす。振る話題を間違えたかと些か後悔の念を抱いても後の祭り。

「この子はね、溶かした紙に書かれている文章を話すことができるの。製造過程で使用した雷の魔力で文面を読み取って、動力源として利用した風の精霊、風蠱シルフが体液を振動させることによって空気を震わせて音を出しているわけ。その上驚くべき事に一度読み込んだ情報はロストする事無く半永久的に蓄積されていくのよ!」

タキの淀み無く流れる口調に圧倒され、リーユンは少々後退さる。そんなリーユンの様子を気に掛ける事も無く、タキの説明は益々ヒートアップの一途を辿り、

「でもね、でもね。何と言っても今回一番苦労したのが精霊を固定する事なの。風蟲をマリアンヌちゃん二号に留めて置くのに錬金術書やら論文やら魔導書やら読み漁って、材料集めに奔走して、ほんっと大変だったのよ! で、どうやって固定したかというとね……」

延々と続きそうだったタキの台詞を遮ったのはいつの間にやら彼女の背後に佇んでいたユエ=ルイェンだ。長身のユエは二人を見下ろす姿勢で凄む。

「資料が見当たらないと思ったらやっぱりお前が犯人か」

ユエは初日の夕食時にリーユンと会って以来、一緒に食事を取る時間も無い程忙しいらしくて少しやつれ、無精髭も伸ばしたままになっていた。

「『ハイマンの錬金術書』全十八巻と『魔導器全集』の六十七年版、六十九年版、七十年版、それからジェス著『精霊世界』上下巻、後は俺の魔導器の研究論文」

そう言って手を出したユエの視線から逃れるように、タキは視線を天井へと向ける。あからさまに何かやましい事があると分かるその態度にユエが更に言い募ろうとした矢先、タキの腕の中でマリアンヌちゃん二号が愛らしい声音でぷるぷると話し始める。

「ハイマンの錬金術書第一巻、目次。第一章、金属の精錬。第二章、金属の融合。第三章、金属と魔力。第四章、魔力の相性。第五章、魔力の融合。第六章、魔力と……」

マリアンヌちゃん二号が話す内容はどう考えてもハイマンの錬金術書第一巻だった。三人の間に沈黙が降り落ちる。リーユンは言おうか言うまいか刹那の逡巡の後、意を決して口を開く。

「確か、そのスライムは体内で溶かした紙に書かれている文字を読み取って話すって、タキは言ってたよね」

ユエ=ルイェンの眼にやや剣呑な光が宿った。無理も無い。研究が思うように捗らず睡眠時間も殆ど取れずに寝不足と疲れで参っているところに、今回のタキの所業である。怒るなと言う方が酷というものだ。ユエは暫くマリアンヌちゃん二号の声を聞いていたが、ふと何事か納得したような表情になるとタキに向けて人差し指を突き付けて命じる。

「タキ、今週のお前の課題は書写だ。スライムが食べた書籍を全部紙に書き写す事」

「ええええええええええ―――――!!!?」

ユエの言葉が脳裏に届いて正しく理解出来るまでの一瞬の沈黙の後、タキは盛大に絶叫した。

「冗談でしょう!? 今週中に全部書き写すなんて無理に決まってるじゃない!」

 タキの抗議は尤もな話で、『ハイマンの錬金術書』は一冊五百頁を軽く超える分厚い書物で『魔導器全集』も使える使えないに拘らず一年間に開発された魔導器の設計図、製造までの研究論文、製造に携わった人物の履歴等事細かに書かれているのだ。ちなみに魔導器は年間五十個前後は開発されている。その中で使い物になるのは一個あるか無いかという所なのだが……。

 ユエは抗議を続けるタキを一睨みして黙らせ、大きな欠伸を零しながら娯楽室へ向かって歩いていく。ドアを開き、身体を半ばほど部屋へ進ませたところで一度振り返り、

「俺なら四日で終わらせられるけどね」

との捨て台詞を残し、扉の閉まる音を伴って完全に姿を消した。

 ユエの姿がエントランスから見えなくなり、リーユンは怒りに震えて娯楽室へ続く扉を睨み付けているタキに疑問に思ったことを口に出す。

「タキがああいう無茶を言われて本気で逆らわないのって、意外だ」

普段のタキならばまず間違いなく力に訴えてでも嫌だと主張していたのではないかと思うリーユンである。今回も完全に大人しく承諾したとは言えないのだが、それでも結局は課題を受け入れた事に驚きとともに疑問が生じる。失礼な言い方だが、ユエ=ルイェンは背は高いがお世辞にも鍛えられているとは言えない身体つきで、魔力が強いようにも見えない。確かに先輩にあたる人物ではあるが対等な立場であるはずのクラスメイトであり、無理難題を吹っかけられる立場にある訳でもないし、書物だって買い直したほうが断然早い。

 タキはうぅ~と小さく唸っていたが、不思議そうに首を傾げているリーユンに視線を転じて彼にしか聞こえないくらいの小声で答える。

「リーユンはまだあいつの怖さを知らないのよね。あー、何であいつが私のお目付け役なのかしら」

タキはさめざめと嘆いたと思ったら意を決した様にマリアンヌちゃん二号を抱え直して二階へ続く階段を駆け上っていった。

「三日で仕上げてやるんだからあぁ――――ッ!」

タキの気合の咆哮がエントランスに響き渡る。リーユンが呆然とタキの背中を見送っていると、ドアの開く音がして娯楽室からユエが顔を覗かせた。

「相変わらず負けず嫌いで扱い易い奴だねぇ」

笑いを抑えようとしているのだろうが、ユエの両肩が小刻みに震えているのがリーユンにも分かる。リーユンはどう対応すべきかを悩み、結局はエントランスの清掃に戻るのが一番良いと判断し、そのように行動を開始する。床に散らばっている本を拾い上げては壁際に丁寧に積み重ね、階段横の応接室兼書斎へと続く道の開拓に勤しむ。リーユンの様子をしばらく黙って見守っていたユエだったが、ふと何事かを思い立った様子で「リーユン」と声を掛ける。

「何ですか?」

リーユンは丁度数冊の本を抱えて身を起こしたところで、本が落ちないよう抱え直してからユエを振り返る。小首を傾げて不思議そうな表情を浮かべるリーユンを、ユエは娯楽室のドアから上半身を覗かせた姿勢で見つめ、にこやかな笑みを浮かべて手招く。

「片付けは一先ず中断して、少し話をしないか」

「えぇ、構いませんけど」

怪訝さを隠せないリーユンを気にした様子もなく、ユエは扉を開け放ってリーユンを室内へ促す。リーユンが勧められるままに広い娯楽室内へ踏み入れ、ソファに腰を下ろしたのを確認してから、ユエは向かいのソファに身を預けた。柔らかな革張りの座面が長身のユエの体重を受け止めて小さく軋む。背凭れにぐったりと沈み込むユエとは対照的に、リーユンは膝に本を乗せたまま行儀良く背筋を伸ばして座っている

「えと、それで、話って何でしょうか?」

リーユンが落ち着かない様子で恐る恐る話を切り出す。ユエは眠そうにも見える眼差しをリーユンへ注ぎ、片眉を僅か持ち上げて笑みを見せ、

「いや、色々と聞きたい事があるんじゃないかと思ってね」

そう紡いだユエはリーユンからの言葉を待つかの如く一度唇を閉ざす。リーユンは改めてこのドール教室の事を考え、確かに解らない事だらけであると再認識するに至る。初級、下級、中級と経験してきたクラスとは余りにも何もかもが違いすぎていて、何から問えばいいのかも咄嗟には思い浮かばない始末だ。ユエはリーユンが思考を巡らせている間も静かに言葉を待ってくれている。本当ならばしっかりと睡眠を取りたいだろうに、態々リーユンの事を気に掛けて時間を作ってくれているのだろう。リーユンはユエの好意に感謝し、ありがたく甘えさせてもらうことにした。

「ドール教室の授業カリキュラムってどうなってるんですか?」

授業開始初日だというのに、ドール教室の担当教師、カイリ=ドールは出掛けてしまって教室には居ない。かといって事前に何をしろと提示されているわけでもなく、本来ならば授業中だというのに皆好き勝手動いているのだ。こんな事は今まで経験したことは勿論、聞いたこともなく、リーユンは戸惑うばかりだったのだが、クラスメイトを見ていると普段の様子と変わらない。クラスメイトには事前に何か宿題が出されていて、リーユンにだけ伝え忘れたのだろうかとの思考も過ぎるのだが……、

「適当、かな」

リーユンの淡い期待はあっけなく砕かれる事となる。ユエは軽く肩を竦ませ、困った表情を作るリーユンに続けて言葉を投げ掛ける。

「一応俺がタキの、ケイがルゥの面倒を見る事になってるけどね。リーユンの事は特に何も言われていないから、先生が直接指導するつもりで居るんだとは思うよ」

ユエは小さく欠伸を噛み殺し、目元に落ちかかる黒髪を掻き上げる。余り日に焼けていないのだろう白い手指は細長く、思いのほか繊細な動きを見せるので、リーユンの視線はつい彼の手を追ってしまう。

「まあ、ここの基本は『自分の学びたい事を好きに学べ』だから、リーユンが今一番興味を持っている分野を調べればいい。わからない事があれば俺やケイに聞くといいよ」

そう言って穏やかに微笑むユエ=ルイェンは隔離教室に在籍している問題児だとは到底思えない。事実、彼の魔導器開発における業績は素晴らしい物だと聞く。隔離教室を設立する切欠となったのが、ドール教室の記念すべき一人目の生徒である彼だと言う噂は果たして本当なのだろうか。

 リーユンは内心に沸き起こった疑問を隠し、ユエに頭を下げて「その時はよろしくお願いします」と礼儀正しく伝え、しばし逡巡を経てから躊躇いがちに口を開く。設立当初からここに居るユエならば知っているのかも知れない。

「あの、二階の立入禁止の部屋には何があるんでしょうか」

ユエの視線は自然と天井へ流れる。アイボリーの淡い落ち着いた色彩の天井の向こうには、件の立入禁止の部屋がある。ユエが鼻から小さく呼気を吐き出し、眉尻を下げた笑みでリーユンに向き直る。

「それは俺も知らないんだよね」

ユエは姿勢を前傾へ保ち、腿に両肘を突いて掌で顎を支えた。そうすると視線が低くなり、僅かにリーユンが見下ろす体勢となる。居心地が悪そうに身動ぐリーユンをユエは楽しげに見上げ、

「あの部屋の事を知りたいなら、直接カイリ先生に聞くのがいいよ。……聞けたら、だけどね」

ユエは吐息の混ざる声で続け、それを聞いたリーユンも少しばかり難しい表情を滲ませる。数少ないルールに組み込まれている事から、余程干渉されたくない部屋なのだろうと言う事は理解できる。考え込んでしまったリーユンへ「気にしない方がいいよ」とユエが声を掛け、話題を変える。

「他に、聞きたいことはあるかな?」

リーユンは少し考えてからもう一つだけ質問させてもらう事にした。

「えっと、ユエさんはどうしてこの校舎で寝泊りしないんですか?」

純粋な疑問を口に出したリーユンへ、ユエは何処か遠くを映す黒い眸を差し向ける。心なしかその背中に哀愁が見える様な気もする。

「俺の部屋、階段上って右手側にあるんだよねぇ」

激しく脱力した様子のユエへ、リーユンは同情の眼差しを送った。その一言で理解してしまったのだ。二階の右手側というと、タキが初日に「右側の通路は女の子の部屋だから、近寄ったら容赦なくぶっ飛ばすわよ」と言っていた、あの右手側だ。自室があるからといって男のユエが近付くとどうなるのかは想像に難くない。それがいくら不条理で理不尽なことであったとしても、彼女には関係ないのだ。

「研究棟にも部屋を貰ってるし、こっちに居る事もあまり無いから問題は無いよ」

ユエは相変わらず穏やかな口調で眠そうに目を擦り、ソファから立ち上がって大きく伸びをした。

「珈琲を淹れるけれど、リーユンも飲むかい?」

「あ、僕がやりますから、座っててください」

ユエに尋ねられ、リーユンは本をテーブルへ置いて慌てて立ち上がる。流石にそこまでして貰うのは申し訳なくもあり、ユエの返事も聞かずに娯楽室を抜けて盛大に散らかっているエントランスを通り、台所へ向かう。リーユンも何度か食事当番をこなしている内にどこに何が置いてあるのかは大体把握してきている。台所に入ると鍋に水を入れて火に掛け、食器棚から珈琲豆と珈琲ミル、食器を取り出して支度にかかる。豆をミルに入れてハンドルを回していると、キッチンに珈琲の香ばしく馨しい香りが広がっていく。豆はカイリ=ドールの特性ブレンドらしく、数種類の珈琲豆が一定の割合で混ざり合っている。毎日の食事メニューもカイリが考えているらしい。食事時間の一時間前には台所にレシピが貼られていて、複雑な下拵えが必要なものはその準備も既に完了していたりする。妙なところに拘りを持っているのだなとリーユンは感心したものだった。

 水が沸騰して湯気を立て始めたので、リーユンはポットとカップを暖めてから、お湯をポットに移した。銀盆に湯の満たされたポットと食器類とドリッパー、挽き終えた豆、シュガーポット、ミルクピッチャーを乗せて慎重に持ち上げ、娯楽室へ戻ろうとするのだが、食堂を出たところで校舎が凄まじい衝撃を受けて大きく揺れる。突然の揺れに対応できず、リーユンはトレイを引っ繰り返してしまった。ガチャンと耳障りな音を立てて食器が割れるのと同時、

「痛ってえぇぇぇぇ―――――――ッ!!!!」

と、クゥ=ラ=ルゥの盛大な絶叫が響き渡る。リーユンは次第にこうした出来事に慣れてきている自分を感じながら、何が起きたのかを確認するために外へ続く扉を開いた。

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