第一話 「隔離教室」 第五幕
窓から差し込む西日が真っ白な部屋を暖かな橙色に染め上げる。その眩しさに目が覚めたリーユンはゆっくりと上半身を起こし、軽い眩暈に眸を閉ざす。やや記憶が混乱しているようでリーユンは自分が何故寝台に寝かされているのかと怪訝そうに首を傾がせる。部屋の中を見回し、ここが西棟医務室である事を確認すると、痛む身体を無理矢理動かして寝台から降り立った。
(ああ、そうだ。決闘を申し込まれたんだった)
包帯を巻かれた自分の身体を見下ろして、炎の上級魔術、エクスプロージョンをぶつけ合った事を思い出す。
「目、覚めたか」
リーユンが驚いて声の聞こえた方向へ視線を巡らせれば、医務室に備えられているソファに見覚えのある人物が座っていた。短く整えられた黒髪に切れ長の黒い瞳、中級教室のひとつ、キリ=メイシャー教師の下で一緒に学んだジュン=エンシェンである。彼はソファから立ち上がるとリーユンの傍らまでゆっくりと足を運び、立ち止まる。リーユンは友人に心配を掛けないようにいつも通りの笑みを浮かべようとして、失敗した。ジュンは自分よりも背の低いリーユンを見下ろし、怒気を孕んだ声音を押し出した。
「何、やってんだよ……!」
リーユンにはジュンの怒りの理由も言葉の意味も理解出来ず、蒼い双眸を瞠って驚愕と困惑とを露にする。ジュンはそれすらも怒りの要因だとでも言う様に、更に言い募り、
「第三闘技場破壊するなんて、何考えてんだよ!」
ジュンの語気の強さと告げられた言葉に、リーユンは言葉を失って怒りで紅潮した友人の顔を見つめる。炎の上級魔術であるエクスプロージョンを、しかも片方は暴走した魔力で、もう片方はあらゆる箇所が破綻した威力重視の術式でぶつけ合ったのだ。第三闘技場レベルの対魔術防御では防ぎ切れる筈も無いのは明白だった。そう考えてリーユンはふと疑問に思い、自分が負った怪我の具合を確かめる。対魔術防御を吹き飛ばす程の爆発の中に居た割には、火傷や怪我は軽度の物だったのだ。
「聞いてるのか、リーユン!」
ジュンの苛立ちを含む声が、俯き加減で考えに没頭していたリーユンの意識を呼び戻す。
メイシャー教室で1、2を争う相手であったリーユンはジュンにとって親友と呼べる存在だった。リーユンにとってもジュンは一番親しい相手であり、お互い良きライバルとして認め合っていた。メイシャー教室に入って二年間、ジュンはマイペースのリーユンに呆れ、からかう事はあっても怒る事など決して無かった。
けれど今、ジュンは容赦の無い怒りをリーユンにぶつけている。
「隔離教室の奴らと一緒になって何やってんだって聞いてるんだ」
リーユンが何かを言わなければと口を開くが、言葉は出て来ない。あれは事務局側から許可の出ている正式な決闘だったと伝えても、第三闘技場を破壊した事実には変わりない。隔離教室の問題児、タキ=ヤンフゥとリーユン=ルルディヴァイサーの放った魔術が原因である事も覆しようの無い事実である。
リーユンはただ黙っている事しか出来なかった。
「何とか言えよ! 言い訳位してみせろ」
ジュンが右拳で医務室の壁を力任せに殴りつける。それでも、リーユンにはジュンに伝えるべき相応しい言葉を見つける事が出来ない。ジュンは黙ったままのリーユンに更に言い募ろうと口を開くが、何を言っても無駄と思ったのか言葉を飲み込み、掠れた声で一言だけ告げた。
「……見損なった」
ジュンはリーユンから視線を逸らし、そのまま振り返る事無く医務室を後にする。残されたリーユンはジュンの去った扉をただ黙ってじっと見つめる事しか出来なかった。
「あんなの気にすることないわよ」
いつから二人の遣り取りを聞いていたのか、タキ=ヤンフゥが寝台のひとつに腰掛けてリーユンを見ていた。タキも身体の彼方此方に包帯を巻かれていたが、リーユンと同じく軽傷で済んでいるようだ。リーユンはタキの向かいの寝台へ腰掛けて、先程から気に掛かっていた疑問を尋ねてみた。
「何故僕らの怪我はこんなに軽く済んでいるんでしょうか」
唐突な言葉にタキはきょとんと双眸を瞬かせてリーユンを見つめ、直ぐに可笑しそうに笑い出す。
「呆れた。あなた、友達に怒鳴られている間ずっとそんなことを考えていたの?」
笑うたびに傷が痛むのか、時折顔を顰めてはいるが、それでもしばらくタキの笑いは止まりそうに無かった。そうやって笑顔を浮かべているのがタキにはよく似合っている、とリーユンはぼんやりと思う。綺麗に結い上げられていた黒髪は今は緩くウェーブを描いて背中に流れていて、ガーゼの貼られた頬が痛々しくはあったがその表情には晴れやかな笑顔が浮かべられている。スライム云々と言っていた時とはまるで別人だ。
「軽傷で済んだのは、カイリ先生のお陰だと思うわ。それ以外には考えられないもの」
やっと笑いを収めたタキが自らの右手に巻かれた包帯を見ながら答える。そしてその右手をリーユンの眼前へ差し出し、微笑を浮かべた。
「今回の決闘は私の負け。完敗だったわ。マリアンヌちゃんの事はこれでお終い。以後は仲良くやりましょうね」
リーユンは差し出されたタキの右手が痛まない程度に軽く握って握手に応える。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
リーユンの返事に笑顔を返し、タキは勢いをつけて寝台から立ち上がる。
「私、先に教室に戻ってるわね。いつまでもダサい病人服なんて着てられないわ」
じゃあね、とタキが軽やかな足取りで医務室を出て行く。一人残されたリーユンは動く気になれず、そのまま寝台に横になって静かに目を閉じた。魔術学院で学んできた七年間で一番忙しい一日だった気がする。色々な事がありすぎて少し疲れてしまった様だ。
「ジュン……どうしてあんなに怒ったんだろう……」
ぽつりと呟いた台詞は沈み行く太陽と共に誰に聞かれることも無く静かに何処かへと消えていく。橙色から茜色を経て、やがて薄紫が訪れ、医務室がゆっくりと暗闇に包まれていった。
それからしばらくして、二人の人物がリーユンの眠る医務室を訪れる。
「全くお前は無茶ばかりする」
ハスキーな女性の声と共に医務室の扉が静かに開かれる。現れたのは長い金色の髪と蒼い瞳を持つ女性だった。スタイルの良い身体を飾り気の無いシンプルな漆黒のローブに包み込み、細長い煙管で紫煙を燻らせている。女性に続いて医務室に入ってきたのは中途半端に伸ばされた黒髪と長身の持ち主、カイリ=ドール教師だ。
「メム、医務室は禁煙だぞ」
カイリに非難に満ちた視線を投げ掛けられ、メム=シャウレインドッティ教師は右手に持つ煙管を暫し見つめ、次に教室内を見回した。
「ここには灰皿が無いようだ。火種を床に落とすわけにもいかんだろう」
そう言って何食わぬ顔で煙管を嗜む。メムがヘビースモーカーと呼ばれる類の愛煙家である事は有名だ。カイリは溜息を吐いて説得を諦め、薬品棚から消毒液やワセリン等を取り出して机に広げる。カイリが両袖を捲り上げると焼け爛れた両腕が露になった。その両腕で手際よく火傷痕を消毒し、ワセリンを塗っていくが、ガーゼを当てて包帯を巻く段階になってカイリは助けを求めてメムを見やる。
「手伝ってくれると非常に有り難いんだが」
メムは一度大きく息を吸って紫煙を肺腑へ巡らせ、フーッとカイリに向けて吹き掛けた。
「大莫迦者」
それだけを呟くとメムは煙管をカイリに預け、焼け爛れた両腕に包帯を巻いていく。カイリは手際よく巻かれた包帯を確認してメムへ煙管を返し、捲り上げた袖を元に戻した。そうする事で包帯は衣服に隠れて怪我をした痕跡は全く見受けられなくなる。そんなカイリの様子を眺めながらメムは静かに言葉を紡ぐ。
「闘技場、見たよ。明日から一週間うちの教室で使用する予定だったんだが……」
「それは……済まなかったな」
カイリは一瞬困惑の表情を浮かべて髪を掻き上げながら謝罪を述べた。しかしメム=シャウレインドッティは首をゆっくりと横に振り、カイリの謝罪を拒否する。
「そうじゃない。第三闘技場が使用不可能になった代わりに第一闘技場を使用出来るようになった。公式戦でしか使えない闘技場で模擬戦が出来るんだ。寧ろ感謝しているよ」
メムの台詞にカイリは心底嫌そうな表情を作る。メムらしいと言えばそれまでなのだが、カイリとしてはやはり釈然としないものが残るわけで。
「別に、お前の為にやったわけじゃないんだぞ」
カイリが机に肘を乗せて頬杖をつきながらメムから視線を背ける。その拗ねた様子に苦笑を滲ませ、メムが煙管を口に運ぶ。
「それは十分承知している」
それからメムは非常に言い辛そうに口篭ると、ローブの隠しから一枚の紙切れを取り出した。カイリは怪訝な顔でそれを受け取り、丁寧に広げて目を通し、……固まった。
「第三闘技場の修理費を給料から引くそうだ」
メムが淡々とした口調で紙に記されている内容を要約して話す。格闘訓練道場の修理費も給料から引かれる事になっていたので、これから半年間減給されるという訳だ。
「ご愁傷様……」
メムは同情の眼差しでカイリ=ドールを見つめる。カイリはがっくりと項垂れて財布の中身と今後の出費を想って密かに涙した。
溜息を吐く教師をよそに、リーユンは穏やかな眠りの中にあった。暗闇の中にほろ苦い紫の煙が漂い、静かに春の夜は更けていく。
リーユン=ルルディヴァイサーの上級教室生活はこうして幕を開けたのだった。
~ 隔離教室 終 ~
一頁の文字数制限が40000字なので一話を一纏めに投稿しておりましたが、しおり機能がついている事もあり、サイトでの掲載スタイルと同様に幕毎にページを変更させて頂きました。