第一話 「隔離教室」 第四幕
麗らかな春の陽気。太陽はまだ空の真上には達していない所為か、少し肌寒いと感じる涼やかな風が吹き抜ける。魔術学院本館の西側に建てられた石造りの屋外闘技場の一つ、収容人数二千人ほどの第三闘技場客席には三人の人物が座っていた。一人は水色の髪から小振りな角を覗かせた小竜族のクゥ=ラ=ルゥ、もう一人は長い金の髪を持つエルフ族のケイ、三人目は白髪が混ざり始めた体躯の良い教師キリ=メイシャーだ。
「早く始まんないかなぁ」
落ち着きなく手足をばたつかせるルゥに、ケイが冷ややかな視線を送る。それに気付いたルゥは悪寒を感じ、ぴたりと動きを止めて行儀良く席に座りなおした。
「何がおかしいんですか」
二人の一連のやり取りを見ていたキリが、ケイの左隣でくっくっと忍び笑いを漏らしている。ケイは柳眉を顰めて咎める様な響きで問い掛けた。
「いや、お前も成長したと思ってな」
キリの台詞を聞き、ケイの眉間に刻まれた皴は僅かに深さを増して不快さを露にする。元担任を相手にするというのは何かとやり難い様に思う。その感情を『気恥ずかしい』と表現するのだということをケイはまだ知らない。
ケイは左右の観客を完全に無視することにして、闘技場中央に立つ三人に意識を向ける。タキ=ヤンフゥは長い黒髪が邪魔にならないようにきっちりと結い上げ、身動きの取り易そうな短いスカートとスパッツ、ノースリーブに上腕まで覆う手袋を身に纏っている。彼女に対峙して立つリーユン=ルルディヴァイサーは学院から支給されている濃紺の格闘用スーツを着込み、右手には革製の手袋を嵌めていた。
「最初に言っておくが」
と、カイリ=ドールが言葉を紡ぎつつ二人の生徒を見比べる。一晩経っても怒りは治まらなかったらしく、タキはかなり気が高ぶっているようだ。逆にリーユンの方は今から決闘を行うとは思えない程の落ち着きを見せている。決して表には出してはいないが、カイリ=ドールは正直この決闘を楽しんでいた。タキが怒りを抑えてきちんと魔力をコントロールできるかどうか、リーユンの素質はどの程度のものなのか。本当は近い内に模擬試合を行いたかったのだが、一月ほど前に格闘訓練道場を一つ破壊したばかりだったので、事務局側はドール教室への道場及び闘技場貸し出しを禁止していた。
しかし決闘となると話は別だった。ウィズムントでは決闘は神聖視されていて、何を置いても優先すべき物という風潮がある。それ故に色々とルールはあるのだが、白魔術師キリ=メイシャー監視の下という条件付ではあったものの今回のタキの決闘は事務局側に受理された。
カイリは言葉を続ける
「どちらが勝っても恨み言は無しだ。怪我をしようが装備が痛もうが責任を問う事は出来ない。マリアンヌの事も勝負が付いたら以後は引き摺らない、いいな?」
二人が頷くのを確認し、カイリ=ドールは数歩後ろへ下がる。タキが重心を落として魔力を蓄え、戦闘体制に入る。リーユンは静かに目を閉じて戦闘をシミュレートしている様だ。二人の気力と緊張が徐々に高まっていくのが分かる。それが臨界点に達した瞬間を見計らって、絶妙のタイミングでカイリが宣言した。
「始め!」
試合開始の声と同時に二人は魔力を編み始める。大方の予想通り、魔術を構築する速さはリーユンの方が上だった。先日タキが術式を組み立てる所を見ていたリーユンはスピードで勝負するつもりらしく、初級の簡単な魔術を先制で放つ。
「ファイアーボール!」
リーユンの周囲に朱と赤のグラデーションを纏う光が満ち、それが急速に右手へと収束し、燃え盛る火球となって一直線にタキへ向かって突き進んでいく。火球がタキに届くよりも前、彼女の魔術もまた完成する。
「アクアヴェール!」
地面から突如として現れた水の膜に阻まれて、火球はタキに届く前にかき消されてしまった。周囲には蒸発した水が満ちて淡く景色を揺らがせ、互いの姿をぼやけさせる。リーユンが先制攻撃を仕掛けてくると読んでいたタキは始めから防御用の魔術を編んでいたらしい。しかし、それも計算の内だったリーユンは既に次の術を完成させていた。消えきらない水膜と蒸気に揺らぐ空気の向こう、淡いブラウンの術式を纏うリーユンの姿が見える。
「ストーンブラスト!」
リーユンの声に応えるかのように、術式は無数の飛礫となってタキへ降り注ぐ。背後へ飛んで避けるだろうとのリーユンの予想に反して、タキは石飛礫の中を突っ切ってリーユンに肉薄する。無論全ての飛礫を避けきれるはずもなくタキは軽い裂傷を幾つか負ったが、勢いを衰えさせずにリーユンに鋭い右蹴りを放った。
「たぁっ!」
タキの可愛らしい外見から直接打撃に来るとは思っていなかったリーユンは、両腕を交差させて受け止めるので精一杯だった。左脇を庇う腕に重い一打が打ち込まれる。
「!?」
思いの外強烈な衝撃を受けたリーユンは息を詰め、数メートル後方へ飛ばされる。痺れた腕を気に留める暇もなく、体制を立て直したところにすかさずタキの魔術が追い討ちを掛ける。
「ウィンドカッター!」
淡い緑の術式が鋭い真空の刃となってリーユンに襲い掛かる。石畳を蹴り付けて横へ飛び、かわし切れなかった鎌鼬が腕に当たるものの、衣服を僅かに傷付けるのみであることを見て取る。大した威力が無い事に気付いたリーユンは、一時的に身体能力を向上させる為に魔力を自らの両足へと集中させた。リーユンは大きく踏み込んでしっかりと足裏に地面を捉え、驚異的なスピードで前方へ走り出す。タキが放った鎌鼬は次に大きな魔術を編み上げる為の時間稼ぎであったが、速く放とうとした為にリーユンを足止め出来る程の十分な魔力を編む事が出来なかった様だ。
強力な魔術の構成を始めていたタキはリーユンの突撃に対応出来ず、まともに体当たりを受けてしまった。しかし、編み始めていた魔術を解く事はせずに術式を少しだけ変更して発動させる。
「スネークバインド!」
リーユンの足元から数本の蔦が伸び上がり、身体を絡め取ろうと襲い掛かる。リーユンは追撃を諦めて後方へと飛び、蔦から逃れた。その隙にタキは身を起こして再び構えを取る。二人は一定の距離を保ちながら互いの次の出方を伺う。
ヒュゥっとルゥが口笛を鳴らした。
「リーユンってばなかなかやるじゃん。あのタキ相手に負けてない」
タキの実力を良く知るルゥが楽しそうに感想を紡ぐのを聞いて、キリ=メイシャーは苦笑を漏らした。
「あの子はメム=シャウレインドッティの再来と言われているんだ。もっと高度な魔術だって扱える。……面白くなるのはこれからだろう」
メム=シャウレインドッティの再来と聞いて、クゥ=ラ=ルゥはまじまじとリーユンを凝視した。ケイも珍しくその表情に驚きの色を滲ませている。上級教室の一つを担任しているメム=シャウレインドッティ教師は数少ない黒魔術師の一人である。彼女はありとあらゆる魔術に精通しており、それらの術式を自由自在に構成する事から『幻想の魔女』の二つ名で呼ばれていた。しかし、通常は全ての魔術を自在に操る事は難しい。術者本人が生まれ持つ属性と反する術は一般的に相性が悪いとされているのだが、メム=シャウレインドッティにはそれが無いと言われている。
「リーユンにも苦手な属性が無い、と言うのですか?」
ケイの呟きにキリ=メイシャーが補足する。
「正確には得手も不得手も無いと言う所だ。メム教師程どの魔術にも長けている訳ではない。まあ、今後の成長が楽しみではあるがね」
その成長の責任を負う事となったカイリ=ドールは二人の戦いを静かに観察していた。悪く無い、と思う。タキはしっかり魔力をコントロールして冷静に対処しているし、リーユンは状況に応じて多様な魔術を使い分けている。実力も拮抗している様で、思ったよりも良い試合だ。
「アイスニードル!」
リーユンの前方三十センチ程先の地面から、突撃してきたタキ目掛けて無数の氷の棘が伸びる。
「ファイアーウォール!」
タキは通常ならば防御に用いる筈の炎の壁を氷の棘にぶつけて相殺させようと目論むが、動きながらの魔術構築は難しくて十分な威力を発揮させることが出来ない。タキは右拳に魔力を込めて溶け残った氷を打ち砕いた。接近戦に持ち込めば魔力の高い自分の方が有利なのだ。しかし壊した氷の向こうには標的の姿が見当たらない。どこへ消えたのかと視線が惑い、怯んだ隙を逃がさずに、リーユンが横合いから掌打を喰らわせる。
「きゃっ!」
腕に強い衝撃を受け、タキがザザァッと地面を転がる。急いで立ち上がるものの、疲労とダメージで息が上がってしまっていた。魔術を唱えるには呼吸を整えて魔力を練り、正確に術式を組み立てる必要がある。今の状況ではそうそう魔術を唱える事は出来ないだろう。
タキは焦り始めた。
自分の魔力であればもっと簡単に勝てると思っていたのだが、どうやら甘かったようだ。タキは前方の小柄な少年を睨み付ける。リーユンは呼吸を乱す事も無く次の魔術構成に入り始めていたが、流石に疲労はしているようで前髪が汗で額に張り付いていた。それでも、リーユンが放つ魔術は次第に強力な物となっていく。
「セイントアロー!」
前方へ伸ばしたリーユンの右腕の先から二本の光の矢が出現した。タキは魔力を体内に蓄えて全身の身体能力を向上させ、リーユンの魔術をどうにかかわしていく。かわしつつ距離を縮めようと何度と無く接近を試みるが、リーユンはそれを難無く魔術で牽制して来る。タキは接近戦に持ち込む事も落ち着いて魔術を構築する事も出来ずにただ逃げ回るしかない。
(勝負有り、か)
カイリ=ドールはリーユン=ルルディヴァイサーの魔術の多彩さに舌を巻いていた。メム=シャウレインドッティの再来と謳われてはいても、相性の悪い魔術でもそれなりに扱えるというだけの事だと高をくくっていたのだが、リーユンの唱える魔術はどれも平均以上の威力を発揮しており、また、突出して秀でているという魔術もなかった。どうやら本当に属性に対する得手不得手が無い様だ。それに、
(戦闘の運び方と相手の行動の読みも悪くない)
威力ではタキに及ばない事を認め、相手よりも勝っているスピードで勝負した点。相手が魔術を避けるのかそれとも魔術で応戦するのかという読み。判断ミスの際も適切に対処できる洞察力と落ち着き。そして自らの疲れを見せずに高度な魔術を立て続けに使用することで相手を精神的に追い詰め、疲労を誘う戦術。
戦い方としてはオーソドックスな、言ってしまえば面白味に欠ける戦いではあるが、それ故に確かで効果的だと言えよう。実際にタキ=ヤンフゥは必要以上に疲労しているように見える。ダメージの蓄積はあるにしても、強大な魔力を誇るタキがたったあれだけの魔術を使用しただけでそれ程疲労するとは考え難い。確実にタキは追い詰められている。対峙しているとリーユンの魔力が無尽蔵であるかの如く見えて焦りを覚えることだろう。そして焦りが焦りを呼び、冷静な判断力を損ない、余計な疲労を被る事となる。そうなるともう駄目だ。完全な悪循環である。
しかしながら、人一倍負けず嫌いなタキにはまだ諦めた様子が無い。焦りは見えているがしっかりとリーユンの動きを観察し、隙を窺っているのが分かる。今の劣勢を逆転するには有りっ丈の魔力を込めた得意の一撃必殺しかない。タキは焦りと戦いながらも必死にリーユンの動きを追い、隙を探る。
「サンダーストーム!」
リーユンが雷の上級魔術を構成する。よく晴れた春の穏やかな空に突如として紫の放電が走り、落雷が空気を引き裂いてタキの立っている地面に突き刺さる。その数五本。タキが地面を転がりながら直撃を避けたその刹那、彼女は見逃さなかった。リーユンが試合開始後初めて荒い息を吐いたのを。
(今しかない)
タキはボロボロになりながらも残された魔力を振り絞り、彼女が扱える魔術の中でも最大の威力を誇る術式を編み始めた。魔力を持つ者ならば見える術式の数字や記号がタキの周囲を取り囲んでいく。赤と黄色の美しい魔力の織物。
(早く、早く、もっと早くっ!)
タキは普段の倍に近い速さで複雑で緻密な術式を編み上げていく。リーユンは急いで呼吸を整え、タキに対抗出来得る魔力を体内に溜め込み始めた。炎の魔術に対抗するには水の防御魔術を構成するべきだ。そう考えたリーユンが術式を編み始めようとした瞬間、その場の空気が突如として変化する。強大な魔力の奔流とでも表現するのが相応しい程の魔力がタキから流出しているのだ。
「タキ!」
(いかん、コントロールを失ったか)
カイリ=ドールが慌てて止めに入ろうとするが、今から魔力を練っていたのでは到底防御が間に合わない。それでも防御壁を構成するために意識を集中させるが、それよりも早くリーユンが魔力を編み始めた。彼にしては随分と乱雑な構成ではあったが、込められた魔力の量とスピードを考えれば驚異的な物と言えるだろう。
タキ=ヤンフゥとリーユン=ルルディヴァイサーの魔術は同時に完成した。
『エクスプロージョン!!』
激しい熱風と爆音。
視界が、鮮やかな赤に埋め尽くされた……。
一頁の文字数制限が40000字なので一話を一纏めに投稿しておりましたが、しおり機能がついている事もあり、サイトでの掲載スタイルと同様に幕毎にページを変更させて頂きました。