第一話 「隔離教室」 第三幕
マリアンヌちゃんが居ない。
それがとてつもなく重大な事柄であるかのように黒髪の美少女、タキ=ヤンフゥは言った。しかしながら少女が期待していた反応が返される事はなく、新顔の一人は事態が飲み込めずに呆然と少女を見つめ、師匠は全く興味を示さず大きな欠伸を一つ零し、同級生の一人に至っては少女の登場にさえ気付いていないかの様に五月蠅く喚いている。
タキ=ヤンフゥは怒りのあまりワナワナと震える四肢を何とか抑え、もう一度口を開いた。
「マリアンヌちゃんが居ないのよ」
先の叫びよりは抑えられた、落ち着いた声音の第二声ではあったが、タキの怒りの度合いが先程よりも上がっているであろう事は容として知れた。リーユンはどう対応して良いのか分からず、助けを求める様に隣に立つ長身の教師を見上げる。リーユンの視線に気付いたのかは不明だが、カイリはタキの背後を指で指し示して欠伸を噛み殺しながら不明瞭な言葉を紡ぐ。
「マリアンヌなら其処で消し炭になってるぞ」
「……………………………………………………」
冷たい風が三人の間を吹き抜けた。実際には風など吹いてはいないのだが、タキの立つ扉の辺りから底冷えする様なオーラが流れてくるのだ。先程までタキの登場に気付かず喚いていたルゥも押し黙る程の、殺気。
「俺じゃないぞ!?」
ルゥがハッと我に返り自身の潔白を叫ぶ。どうやらルゥはかなりの前科があるらしく、タキの視線と殺気は主にルゥに注がれていた。呆気に取られていたリーユンだったが、ルゥが濡れ衣を着せられそうになっているのを黙って見ている訳にはいかない。リーユンは一歩踏み出してルゥとタキの間に割って入ると、真っ直ぐにタキを見つめてから頭を下げた。
「ごめんなさい。スライムを燃やしたのは僕です」
リーユンの言葉を聞いた瞬間、タキが一気に魔力を編み上げる。冷静さを欠いた乱雑な術式であったが、感情が籠もっている分編み込まれた魔力は半端ではない。リーユンは反射的に防御の魔術を展開させようと魔力を満たす。
「そこまで」
カイリ=ドールのやる気のない声と同時にタキが編み上げていた術式が唐突に弾けて消える。リーユンが溜めていた魔力も同様に何処かへと四散した。どうやらカイリが何かしたらしい。タキは怒りの持って行き場を無くし、キッと鋭くカイリを睨み付けた。
「タキ、もうすぐ飯の時間だからそれまでに此処のルールをリーユンに教えておいてくれ」
タキの視線など何処吹く風で意に介さず、空気を読まない言葉を一方的に伝えるだけ伝えると、カイリは踵を返して隣の部屋へ通じる扉へ歩む。ルゥもチャンスとばかりにカイリの影に隠れる様にして隣室へと消えていった。
再び居心地の悪い沈黙が場を支配する。今度の沈黙を破ったのはタキだった。
「……先生が消えた方が娯楽室。その向かいの扉が食堂。荷物で隠れてるけど階段の横には応接室に行く扉もあるわ」
先程までの雰囲気とは打って変わった淡々とした口調で扉を指差しながら語るタキだったが、挑む様な眼差しはずっとリーユンに注がれている。
(どうやら此処ではドール教師は絶対的な存在らしい)
リーユンは少なからず衝撃を受けていた。普通教師というのは教室では絶対的な存在であるのだが、隔離教室の問題児達の暴れっぷりからカイリ=ドール教師は生徒達から侮られていると思っていたのだ。
でも、だとしたら何故隔離教室の生徒達は問題を起こすのだろうか。リーユンは考えに没頭しかけたが、タキが二階へと続く階段を上り始めたので其方に意識を向ける。
「ついてきて」
階段の中程まで上った所でタキが振り返って言う。リーユンは荷物を載せた小さな荷台を抱えると、黙ってタキの後を付いて上った。階段を上ると左右に廊下が伸びていて、右手側の廊下に四つ、左手側の廊下にも四つ、左手側廊下の奥、突き当たりに一つ扉が付いていた。合計九つの部屋のうち六つが使用中らしく、扉にプレートが下げられている。
リーユンが何とか重い荷物を二階の廊下に下ろした所で、タキが説明を開始した。
「右側の通路は女の子の部屋だから、近寄ったら容赦なくぶっ飛ばすわよ。左側の空いている部屋なら好きな所を使うと良いわ。必要最低限の家具は設置されてるから」
リーユンは言われるままに左の廊下を進む。突き当りと手前の部屋が使用中で、階段上って直ぐの部屋のプレートには「クゥ=ラ=ルゥ」、奥のプレートには「カイリ=ドール」と記されていた。リーユンは迷う事無くカイリ=ドール教師の隣の部屋を選ぶ。ルゥの隣だと落ち着いて休めないと判断したからだ。
奥から二つ目の扉を開けるのを見たタキが「まあ、そうでしょうね」と呟いたのを聞いて、自分の選択肢は正しかったのだとリーユンは安堵の呼気を零す。
部屋は予想以上の広さだった。東棟の寮部屋を二つ並べた感じの縦長の部屋は、一見しただけで必要最低限以上の家具が揃えられているのが分かる。部屋に入って右手に浴室に続く扉、左手には大きな本棚が二つ、これまた大きなクローゼットが一つ、机と座り心地の良さそうな椅子のセット、手足を広げて寝ても余裕がありそうな寝台、ふかふかの絨毯、通信用の魔導器らしき物まで設置されている。
「びっくりしたでしょ。外見はおんぼろだけど、中は最先端の技術が導入されてるのよ」
タキはリーユンを押し退けて部屋へ入ると、壁に設置されている半球状の魔導器に指先を触れさせ、
「この魔導器一つで空調や床暖房や通信その他諸々が出来るから、後でマニュアルでも読むといいわ」
と視線も合わさずに告げるタキの言葉はやはり友好的とは呼べないものだったが、リーユンは首肯を返して振り返るタキへ視線を戻す。タキは真っ直ぐにリーユンと眼差しを重ね、指を突き付けて言った。
「それから、一番奥の『立入禁止』のプレートが掛かった部屋には絶対に入っちゃダメよ。ここで生活する上で決して破ってはいけない約束の一つだから」
「わかった」
リーユンは一言だけ口にし、大人しく頷いた。何故入ってはいけないのか理由を尋ねても教えて貰えそうになかったからだ。タキは指折り数えながら『決して破ってはいけない約束』の他項目について語り始めた。簡単に纏めると以下の通りだ。
1、立入禁止の部屋には入らない
2、警告ポイントが最高値の者は校舎の掃除をする
3、朝、昼、晩の食事は決められた時間に共に取る
4、割り振られた当番をサボらない
これさえ守っていれば後の事は結構どうでも良いらしい。何故『騒ぎを起こすな』という項目を作らないのかリーユンは不思議で仕方が無かったが、取り敢えずはその四項目を頭の中へ叩き込んだ。
「……ところで、当番っていうのは?」
リーユンが控えめな口調で疑問を口にすると、タキはあからさまに嫌な表情を作って見せた。
「私、あなたを許したわけじゃないのよ? 気安く話しかけないで欲しいわ。細かい事は他の人に聞いてちょうだい」
そう言ってのけると、タキはスカートのポケットを探り、白い布を取り出してリーユンに向けて勢いよく叩き付けた。
「リーユン=ルルディヴァイサー、あなたに決闘を申し込むわ! 可愛いマリアンヌちゃんの敵は取らせてもらうわよ!」
そう啖呵を切って、タキは振り返りもせずに部屋を出て行く。一人取り残されたリーユンは押し付けられた白いハンカチを握り締めて唖然とするしかなかった。
「来た早々災難だなぁ」
いつの間に其処に居たのか、カイリ=ドールがドアの隙間から中を覗き込んでいる。
「ドール先生……。これって、手袋の間違いですよね。この場合決闘は成立するのでしょうか」
リーユンはひらりと白いハンカチを両手で摘んで開いてみせる。確かにそれは正方形の布だった。
「……難しい問題だ。取り敢えずそれは俺がタキに返しておいてやる。決闘を受けるかどうかは、お前が決めろ」
カイリは手を伸ばし、リーユンからハンカチを受け取ると無造作に折り畳んでポケットに仕舞い込む。リーユンはそれを見届けてから、顔を上げてカイリ=ドールと視線を合わせた。
「成立するなら決闘は受けます。じゃないと、彼女は納得しないでしょう?」
リーユンの返答を聞いて、カイリは何とも言いようのない表情を作った。微笑というか、苦笑というか、呆れ顔というか……。
「お前がそう言うのなら決闘は成立だ。俺が証人になろう」
リーユン=ルルディヴァイサーは「お願いします」という気持ちと「ご迷惑をお掛けします」という謝罪を込めて頭を下げる。カイリは嫌そうに手を振ってその仕草を止めさせると、扉横の壁に凭れ掛かってリーユンを見下ろした。
「で、タキからはちゃんと説明を受けたんだな?」
「はい。最低限のルールは聞いたと思います」
「そうか。なら三つ目のルールを破らないように食堂へ移動するぞ」
カイリ=ドールは壁に預けていた体重を両足に戻し、踵を返してリーユンに背を向ける。リーユンは荷物を部屋の隅へ置き、深紅のローブを脱ぐと急いでカイリの後を追った。
階段を下りきったところで、クゥ=ラ=ルゥが娯楽室から姿を現す。カイリは既に食堂へ入っていったようで、エントランスにはリーユンとルゥの二人だけだ。ルゥは周囲を警戒した様子で見回してから、リーユンの傍に寄って背伸びをし、
「リーユン、気を付けろよ。タキはああ見えて結構強いぜ」
と、耳元でぼそぼそと注意を促す。ルゥはそれだけを告げるとさっさと食堂に続く扉を開けて中へと消えていった。
タキ=ヤンフゥは強いんだろう、とリーユンも思う。先ほど見せられた魔力から察するに、魔術が発動していたら並の教師でも敵わない程の威力だったのではないだろうか。ただ魔力が強い分、精密さとスピード、安定性に欠ける。そこを突けばリーユンには十分勝ち目があるように思えた。
「リーユン! みんなを紹介するから早く来い」
扉向こうからカイリ=ドールの声が聞こえ、リーユンは慌てて食堂への扉を潜る。中には十人掛けくらいの大きなダイニングテーブルが置かれ、椅子は八脚、整然と並べられている。テーブルの上には清潔そうな白いクロスが敷かれ、美味しそうな料理が四人分と何とも形容しがたい料理が一人分、野菜のみの料理が一人分用意されていた。上座にカイリ=ドール、その左隣にクゥ=ラ=ルゥ、更に左隣は空席だ。カイリの向かい席には黒髪の青年が座り、ルゥの向かいがタキ=ヤンフゥ、そしてまた空席が続く。手前の二つの空席にはごく普通の料理と野菜のみの料理が並べられている。ルゥの隣か、タキの隣か、果たしてどちらの席に座るべきかと逡巡していれば、カイリ=ドールに座れとルゥの隣を勧められた。リーユンが席に着くと、奥の、恐らくはキッチンであろう場所から金髪を腰まで伸ばした細身の女性が現れた。揺れればさらさらと音を立てそうな柔らかな金糸の髪、翠色の眼は切れ長で、白皙の頬、高い鼻梁、整った目鼻立ち、目の覚めるような美貌の持ち主とは彼女のことを言うのだろう。
タキと同様に凛とした雰囲気を持ってはいるが、彼女のように天真爛漫な感じではなく神秘性が漂うのはその尖った耳の所為だろうか。
その女性が椅子に腰を下ろしたところで、カイリ=ドールが話し始める。
「リーユンの事はみんな知っているだろうから紹介は省く。ルゥとタキも良いとして、ケイ」
金の髪が柔らかく流れる。ケイと呼ばれたエルフ族の女性が軽く会釈をしたからだ。その所作に思わず見惚れていたリーユンも、ハッとした様子で会釈を返す。どうやら挨拶はそれで終わりらしく、カイリ=ドールは次の人物紹介に移った。
「で、こっちがユエ=ルイェン」
長めの黒髪を後ろへ撫で付けた青年が軽く片手を上げて挨拶する。リーユンは先と同様に会釈で応えた。
エルフ族のケイとウィズムント人のユエ=ルイェン。この二人はルゥやタキの様な騒動を起こしているという噂をあまり聞かない。とは言っても二人と比べてと言うだけで、それなりに話題に上ることもあるようだ。ケイとユエの二人はルゥやタキが起こす問題に巻き込まれているような印象も受ける。
「さて、食事の前にみんなに言っておきたい事がある」
一通り自己紹介を終えた後、カイリ=ドールは真面目な表情でそう前置きする。当然何事かと皆がカイリに視線を集中させ、そのタイミングを見計らってカイリ=ドールは告げた。
「明日一○○○時にタキ=ヤンフゥとリーユン=ルルディヴァイサーの決闘を行う。場所は第三闘技場で立会人は俺だ」
「明日!?」
五人が異口同音に驚きを表したのは言うまでもない。
一頁の文字数制限が40000字なので一話を一纏めに投稿しておりましたが、しおり機能がついている事もあり、サイトでの掲載スタイルと同様に幕毎にページを変更させて頂きました。