第四話 「海の王」 第二幕
時間は少し遡る。まだウィズムントの東の空が薄っすらと明るくなり始めたばかりの早朝、港に近い通りではいつもの如く朝市が開かれていた。取れたばかりの新鮮な魚類や甲殻類、貝類などが露店や商店に並べられ、朝の早い時間ではあるものの、通りは仕入れに訪れる人々で賑わいを見せている。
問屋、店主、料理人、主婦といった人々が多く行き交う中にあって、可愛らしい少女と小竜族の少年という組み合わせは自然と人目を引く。それが有名人であるなら尚更だ。人々の注目を浴びながら、しかしそれも常の事なのか、二人は気にも留めずに目的の物を探して道を進んで行く。暫くしてから、可愛らしい少女、タキ=ヤンフゥが口を開いた。
「うーん、無いわね」
それを受け、小竜族の少年、クゥ=ラ=ルゥも頷く。
「こっちも、特に面白いモンはねぇな」
タキは軽く溜息を吐いて肩を落とし、「しょうがないわね」と呟いた。
「今日こそはマリアンヌちゃん三号を完成させようと思ったのに、材料になるクラゲが手に入らないんじゃね」
「え、あのスライムの材料ってクラゲだったのか?」
驚いた様子で声を上げるルゥに、タキは非常に得意そうな笑みを浮かべて目を細める。ルゥが「しまった」と思ってももう遅い。
「そうよ。クラゲの体液濃度があの質感と艶を出すのに丁度良いの。以前は本物のスライムを素材にしてたんだけど、鮮度の良い物を手に入れるのが大変だし、加工も面倒だし、手触りもいまいちで可愛くなかったのよね。だからマリアンヌちゃん一号からはクラゲを使ってるわ」
生き生きと語り出すタキから一歩退きつつ、ルゥは「へぇ、そーなんだ」とだけ相槌を打つ。他に反応のしようがないのもあるが、下手に言葉を挟んでタキの饒舌に拍車が掛っては堪らない。魔法生物に関する話題を振ってしまった事をルゥが後悔しても後の祭り、覆水盆に返らず。そうこうしている内にも、タキは初代スライム「フランソワちゃん一号」の時代から熱く語り出し始めた。ルゥは流石にげんなりし、右から左へ聞き流そうと視線を彷徨わせる。その視線の先、俄かに騒々しくなり始めた人々が何処かを目指して移動しており、ルゥの好奇心をこれでもかと刺激した。
「タキ、あれ何だと思う」
勢いに乗ってきた語りを急に遮られ、少々ムッとしながらもルゥの指し示す方向へ視線を移す。そうして騒ぎに気付いたタキもまた、楽しげに眼を輝かせた。二人は視線を合わせて頷き合うと、人混みを掻き分け、集団を追って港の方へ走って行く。
辿り着いた港には、たくさんの商船が荷物の積降を行う為に停泊している。大通りに一番近い大型船が並ぶ第一ポート前には既に人だかりが出来ていた。タキとルゥは迷わず人垣を掻き分け、騒ぎの中心に顔を覗かせる。
「事故かしら」
タキが眉を顰めつつ呟く。救助船から降ろされた船乗り達を、医者を生業としているらしい魔導師が手当てしていた。
「船が襲われたらしいぞ」
タキの呟きに応えてか、隣に居た男が言う。それを受けて更に隣の男が口を開いた。
「そう言えば、ホイの爺さんが沖で巨大な影を見たとか言ってたな」
「なんだよそれ」
「まさか、モンスターか?」
瞬く間にざわめきが広がり、集まった人々が不安そうに囁き合う。そんな中、青い顔をした男が二人、慌ただしく駆け足で去って行くのをルゥが目撃した。初めは被害に遭った船乗りを心配する知人か何かだと思ったのだが、どうにも様子がおかしい。ルゥはいつもそうするように、今回も自分の直感を信じて行動する事にした。
「タキ、こっち」
周囲の噂話を興味深そうに聞いていたタキの手を引き、無理矢理人混みの中から引っ張り出す。ルゥの視線は建物の角を曲がって行く男の姿を見付け、見失ってしまわないようにと急いで走り出す。
「ちょっ、なんなのよ、一体」
何の説明も無しに引っ張られたタキは、ルゥの後をついて行きながらも小声で抗議する。ルゥは直ぐに答える事はせず、男達を追って角を曲がる前に一度立ち止まり、建物の影に隠れて通路の先を窺いながら、ようやく手短に先ほど港の人込みで見た出来事を説明した。
「怪しいだろ? だから、あの事故の事、なんか知ってんじゃねぇかと思ってな」
「なるほどね。確かに行動が意味深だわ」
タキもルゥの頭上から通路の先を覗き込む。二人組の男は余程慌てているのか、足を緩める事なく先を急いでいる。適度な距離が開いたと見てとったタキとルゥは視線で頷き合い、怪しい二人組を見失わないように尾行を開始した。
自分に尾行が付いている何て事には全く気付かずに、二人の男達は砂浜に近い防波堤までやって来る。防波堤の途中、側面に作られた階段を下り、波消しの為に置かれている巨石の数々を越えて行けば、防波堤が自然の岸壁に取って代わる。その岸壁に沿って更に歩くと、波に削られて出来たのだろう洞窟が現れた。多少人の手が加えられているようだが、一目見た限りではそれ程奥行きの無い、誰も不審には思わない程度の自然の物に見える。二人の男達がその穴の中へ消えて行くのを見届けてから、ルゥはタキを見上げた。
「よし、洞窟の入り口をふさごう」
「バカ。何が、よし、よ。もうちょっと様子を見るわよ」
タキとルゥの二人がそんなやりとりをしている間に、洞窟の中から男達が姿を現した。タキは急いでルゥの首根っこを掴み、積み上げられた巨石の影に潜む。洞窟から出てきた男達は先ほどの二人を含む四人。新しく現れた二人は大きな木箱を大事そうに運んでいる。手ぶらの男の内の一人、立派な口髭を生やした男が通信機に向かって何やら捲し立てているのが、波の音に混ざってかすかに届いた。
「引き取りの期限はとっくに過ぎてんだろうが。いつまで待たせりゃ気が済むんだ。もう待てねぇ。今すぐ取りに来い! 十分以内に来なけりゃブツは海に放棄する!」
そう怒鳴り散らして忌々しそうに通信を切った髭の男に、木箱を抱えた小男が不安そうに声を掛ける。
「奴らにそんな言い方していいんですかい?」
小男の不安を振り払うように、髭の男が憤りの勢いのままに大声で怒鳴り散らす。
「あいつらは俺達を騙したんだぞ!? 何が積み荷を運ぶだけの簡単な儲け話だ。何が24時間荷物を管理するだけだ。こんなやべぇブツだって知ってりゃ引き受けねぇよ。畜生、小物だと思って舐めやがって!」
怒り冷めやらぬといった様子ではあったが、髭の男は一度深く息を吸い込んでどうにか気を落ち着けたらしい。四人は会話を切り上げ、比較的面積の広い巨石まで移動して木箱を静かに地へ下ろす。見た目よりもかなり重量があるらしく、運び終えた男達は手首をぶらぶらと振ったり、肩を回したりしていた。やばいブツと表現された荷物の中身も非常に気に掛かるが、何か裏のある密輸めいた雰囲気に、タキとルゥの二人は息を殺して様子を見守る事にする。
数分後、若干退屈を覚え始めていたルゥの聴覚が、かすかなモーター音を捉えた。海面を気にするルゥに習い、タキもそちらへ視線を向ける。穏やかな波の上に豆粒の様に小さな物影が確認出来た。それが小舟であると視認出来る頃になれば、タキの耳にもモーターの音が届く。髭の男が通信していた相手だろうか。タキとルゥは更に身を小さくして岩陰に隠れ、事の成行きを見守る。
魔導モーターで動くタイプの小舟は波消しの岩の一つに接岸し、船と繋いだロープの先に取り付けられた鉤爪状のフックを岩と岩の隙間に嵌め込んで、船が流されないように固定する。小舟に乗っていたのは二人の小柄な人物だ。砂埃で薄汚れた生成りの布を頭部から首に掛けて巻きつけ、目元だけを覗かせている。ゆったりとした布地の衣服は砂漠の民を彷彿とさせるが、肌の露出が極端に少なくて人種は分からない。顔もはっきりと見えず、男女の判別すらも付かなかった。小柄な怪しい二人組は身軽な身のこなしで巨岩を渡り、四人の男達へ近付くと、手にしていた布袋を無造作に突き出した。ジャラリと金属製の物が擦れる音が鳴り、中にはコインが入っているのだろうと予想出来る。髭の男もそう思ったのだろう。木箱を二人に示すと、差し出された布袋を受け取ろうとして手を伸ばす。髭の男の手が袋を掴もうとした瞬間、顔の見えない小柄な人物はその布袋を男達へ向けて投げ付けた。
「なっ……!?」
驚いた髭の男が袋を抱えるよりも早く、布袋を食い破って内側から何かが飛び出す。手の平に乗る大きさの小さな黒い塊が数個、羽音らしき駆動音を響かせながら男たちに襲い掛った。
タキは躊躇なく岩陰から飛び出し、ルゥも後に続いて全身に魔力を満たし、戦闘態勢に入る。タキは素早く術式を構成すると、ターバンの二人組と四人の男達の間にバレーボール程の大きさの火の玉を放った。
「ファイアーボール!」
続けざまに二発目を打ち込むと、流石にターバンの二人組も警戒して下がり、男達との間に距離が出来る。全員の注目が唐突に現れた乱入者に集まり、自警団らしからぬその姿に驚いて場が硬直する隙を狙い、ルゥは慎重に魔力を調節して編み上げた術を発動させる。
「ライトニングバインド」
細い網目状の雷電が突如男達の頭上に出現し、四人に覆い被さった。男たちを襲っていた黒い塊は電気に触れ、バシュッと音を立てて煙を噴きながら活動を止め、巨石を転がり落ちる。電流の網に捕らわれた男達は脱出しようと足掻くが、手足が痺れて思うように動けない。ターバンの二人組は直ぐに混乱から立ち直り、タキとルゥに向き直ると術式を構築し始める。美しいオレンジとブラウンのグラデーションが、少々古めかしい式を描き出す。式を描くスピードは決して遅くは無かったが、二人組が術式を完成させた時にはもうタキとルゥの二人は彼らの傍らにまで距離を詰めている。タキの回し蹴りが一人の側頭部に、ルゥの右拳がもう一人の鳩尾に決まり、ターバンの二人組は呆気なくその場に崩れ落ちる。
「なんだ、弱ぇな」
気を失って倒れる二人を見下ろしながら、ルゥが拍子抜けした様子で呟いた。タキはそれには何も答えずにただ肩を竦めて見せ、電撃の網に捕らわれて動けない男達に視線を移す。
「さぁて、どうして欲しい?」
可愛らしく小首を傾げて尋ねる少女を、男達が怯えて今にも泣き出しそうな顔で見やる。
「ぶっ、怖がられてやんの」
「うるさいわね、ルゥは黙ってなさいよ」
思わず噴き出したルゥをひと睨みし、タキは改めて男達に向き直る。美少女が放つ容赦の無い上段回し蹴りの衝撃映像から立ち直ったのか、二人の他愛ない遣り取りを見て落ち着いたのか、髭の男が恐る恐る二人に声を掛ける。
「お嬢ちゃん達、助けてくれた事には礼を言うが、奴らに手を出したのはマズイぞ」
男の声には純粋に二人を心配する響きが有り、タキは一度きょとんと目を瞬かせてから、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「平気よ。この二人、『砂の手』の連中でしょう?」
『砂の手』とは、ウィズムントの北に位置する大陸、ルドレイド大陸の中央、ストラス砂漠から東方のワジェソレス連邦にまたがる広大な範囲で活動している密輸組織である。ありとあらゆる御禁制の動植物から人に至るまでを扱い、彼らに頼めば手に入らぬ物は無いと言われている。その代わり法外な報酬を要求されたり、その手法が酷く強引かつ残虐な物であると言う話もよく耳にする。そんな組織の名をあっさりと口に出すタキに驚きつつも、男達は彼女の問いに肯定の頷きを返した。
「そうだ。取引を邪魔したと知られれば、あんたらもタダじゃ済まないぞ」
タキは男達の心配を余所に、笑顔のままでルゥの魔術に捕らわれた彼らを眺め回す。
「私、連邦高官のお嬢様だもの。『砂の手』だっておいそれと手出しなんかできないわ」
タキ=ヤンフゥと言うのは母方の姓で、彼女の本名はタキ=リクセト=シェルヴェンと言う。ウィズムント人の母とサニヤ人の父との間に生まれた混血児である。シェルヴェンと言えば要人中の要人、ワジェソレス連邦の政治を左右するその名を知らない人間は少ない。そんな有名人の名であるからこそ、タキはウィズムントではヤンフゥの姓を名乗っていた。
「上段回し蹴りをかますお嬢様ってのもどうなんだ」
そんなルゥの呟きに拳をお見舞いしてから、タキは再び男達に向き直る。
「まあ、そういう訳だから、私の心配はいらないの」
タキのその台詞に反応を返したのは男達ではなく、またしてもルゥだ。
「俺にはそんなバックがねぇんだから、危険を負う見返りが欲しいぞ。……そうだなぁ」
わざとらしく考える素振りを差し挟み、ルゥは黄金色の瞳を楽しげに輝かせ、『砂の手』との取引商品であったと思しき木箱を指差す。
「その木箱をくれるってゆーんなら、このまま見逃してやってもいいぜ」
タキもポンと手を打って賛成の意を表明する。
「あ、ルゥそれナイス」
「そ、それは……」
慌てたのは荷の中身を知っている男達だ。視線を交わし合い、困惑した表情を浮かべて言い澱む。タキはその様子を眺めながら、少しだけ考えを巡らせる様子を見せ、更に条件を付け加えた。
「もしその箱を譲ってくれるなら、父に言ってあなた達の身の安全を保証させるわ。私の身元が確かなのは、これを見てくれれば証明できると思うけど」
そう言ってタキが胸元から引っ張り出したのは、赤い石が飾られ、緻密な細工が施されたペンダントだ。タキが軽く揺らして見せる度、赤い石が朝日を浴びてキラキラと光る。他に類を見ない濃厚な深紅と透明感と艶と照り。ワジェソレス連邦で極稀に産出される最高級の魔石は、連邦の『赤い貴族』に属する印だった。
「……分かった。その木箱は譲ろう」
初めて目の当たりにした『赤い貴族』の印と、身の安全を保証するとの言葉に折れたらしい男が溜息交じりの声を発する。男達に本当に譲る意思があるらしい事を確認すると、ルゥはライトニングバインドを解いて男達を自由にした。
「じゃ、そう言う事で」
「大使館には連絡を入れておくから、連邦への亡命手続きは各自でよろしくね」
魔術が解けたとは言え、未だ痺れて体の自由が利かぬ男達を放ってタキとルゥは嬉しそうに木箱を抱え上げる。二人は想像していたよりも重い木箱を、どうにかこうにかドール教室のルゥの部屋まで運び込んだ。途中道行く人々に不審そうな眼で見られはしたが、タキが大荷物を抱えて歩くのは日常茶飯事なのでそれ程怪しまれはしなかった様だ。
ルゥの部屋で二人は木箱を挟んで向かい合う。
「何かの薬品かしら」
運んだ際の感覚から中身は液体だと予想していたタキが言った。
「ま、開けてみりゃわかるさ」
ルゥが急いた様子で木箱の蓋を押さえていた金具を取り外し、蓋に手をかける。ゴクリと喉を鳴らし、何が入っているのかとワクワクしながらゆっくりと蓋を持ち上げ、
「~~~~~~~~~ッッッ!!!?」
危うく大声で叫んでしまうところだったが、タキが咄嗟に自分とルゥの口を塞いで事なきを得る。二人は驚きで大きく見開いた視線を持ち上げ、お互いの顔を見つめ合う。それからもう一度視線を箱の中へ戻し、それが幻でない事を確かめた。タキが互いの口から手を外せば、ルゥは思い出した様に木箱の蓋を横に置き、そっと木箱の中身を人差し指でつつく。木箱の中には箱よりも一回り小さなガラスケースが収められており、海水が満たされていた。そしてその海水の中には、乳白色に煌めく鱗に覆われた、蛇の様な生き物が泳いでいる。全長は凡そ一メートル位だろうか。
ルゥにつつかれてくすぐったかったのか、その生き物はキュイと一声啼いて尾鰭で水を跳ね上げた。ルゥは滑らかな鱗に触れた自分の人差し指をマジマジと眺めながらタキに尋ねる。
「本物、だよな?」
タキも信じられないと言った表情だったが、ルゥと視線を合わせて肯定の頷きを返す。
「えぇ、間違いなく……海竜だわ」