第四話 「海の王」 第一幕
ウィズムントの沖で巨大生物が船を襲ったと報告を受け、4人の魔術師と1人の魔導師が船で調査に向かう。一方その頃、陸の上では不穏な動きが……!?
六月も終わりを迎えようとしていたその日、黒の位を冠する四名の人物に呼び出しが掛かった。ウィズムント魔術学院中央区南棟最上階の院長室に最初に姿を見せたのは、黒いローブをきっちりと着こなした神経質そうな男だった。上級教室担当主任、黒魔術師アレッシオ=デ=ガスペリは鳥人族らしい細身の身体を真っ直ぐに伸ばして礼儀正しく一礼すると、部屋の主へ声を掛ける。
「緊急招集を掛けるとは一体何事ですか、院長」
広々とした院長室には今し方訪れたアレッシオの他に、窓の外を眺める長い黒髪の若い女しか居ない。ウィズムント魔術学院の理事長兼院長であるスウォン=ヤンユィは窓の外に見える学院の風景から視線を外す事無く、入口付近で佇むアレッシオへ返事を返す。
「無論、厄介事じゃ」
二十歳そこそこの女が使う物言いとしてはいささか不自然な言葉遣いであるが、彼女が纏う貫録は外見の若さを裏切るには十分であった。アレッシオはスウォンの声に混ざる楽しげな響きを咎めようと口を開くが、諫言を音にするよりも先に院長室の扉が新たな客人を迎え入れる為に開かれた。
長い金髪を無造作に結い上げ、身体のラインを見せないややゆったりとした作りの黒いローブに身を包んだ上級教室担任、黒魔術師メム=シャウレインドッティ。黒髪を後ろで一つに縛った小柄な青年、ウィズムントの政を取り仕切る執政官の一人、黒魔導師フェイ=マオシー。扉よりも頭一つ分背が高く頑健な体躯の持ち主で、学院西棟責任者でもある巨竜族、黒魔術師ラキ=ア=ジャッキ。
院長室に三人が入り込み、総勢五名となった室内は流石に少々手狭に感じる。スウォンは口元に薄い笑みを浮かべ、青い風も収まりつつある景色から己の呼び出しに応じた四名へ視線を転じた。
「急に呼び立てて済まなんだのう。お前達には今朝起こった事件を早急に調査して貰いたいのじゃ」
スウォンの言葉に心当たりがあるのか、頷いて応えたのはラキ=ア=ジャッキだ。
「ああ、沖で商船が沈んだというあれか」
「そうじゃ。幸い乗員は軽い怪我で済んだらしいのじゃが、目撃者の証言が気になってのう」
詳しい情報まではまだ知らなかったらしいラキは、スウォンの言葉に訝る表情を浮かべる。他の三名に至っては商船が沈没したという事件すら初めて聞いたばかりだ。説明を求めて押し黙る四人をゆっくりと見回し、スウォンが告げる。
「乗組員は皆、口を揃えて海竜を見たと言うとるそうじゃ」
「海竜!?」
並大抵の事では動じない四人も流石に驚いたと見え、異口同音に声を上げた。
海竜、海蛇、シーサーペント。呼び名は多々あるが、彼等は総じて遥か西方、ルドレイド大陸最西端のギムリギムル山脈より更に西の海に生息する生き物だ。全長は軽く十メートルを超え、全身が美しく煌めく鱗に覆われている。その優美で壮麗な姿と強大な力とに、一部の人々は畏怖を込めて「海の王」と呼んだ。
「西方の海を出ない筈の海竜がウィズムントの沖で目撃され、商船まで襲ったとなるとただ事ではないですね」
アレッシオが薄い唇を引き結び、顎先に手を当てて眉根を寄せる。メム、フェイ、ラキの三人も同様に深刻な表情を浮かべた。
「港に船を用意させておる。一度海へ出て、本当に海竜がおるのかどうか確認してきておくれ」
スウォンは厳かな調子でそう告げた後、「あぁそうじゃそうじゃ」と途端軽い口調となって思い出したように付け加える。
「既に現場に一人黒魔術師を遣っておるから、詳細はそやつから聞くがいい」
「カイリ=ドールか」
アレッシオが眉間の皺を深めて嫌そうに呟くのを耳にし、他の三人は思わず視線を合わせて苦笑する。
「取り敢えず真偽の確認が最優先だな。急ぐとしよう」
四人は最低限の打ち合わせだけ済ませると、ラキが年長者らしく促す声を合図に院長室を後にする。思いの外大きな事件に四人とも声も無く思案気な様子で廊下を歩いていたが、フェイがふと視線を起こして「そうだ」と声を上げ、
「持って行きたい物があるから、一度工房に寄ってから行くね。港で合流するよ~」
と、後半はやや怒鳴るのに近い声音で足早に去って行く。小さくなるフェイの背を見送りながら、残る三人も各々支度を済ませるために、学院から宛がわれている部屋へ足を向ける。
「各自準備出来次第港へ向かおう」
「あぁ、そうだな」
「解った」
「ではまた後程」
アレッシオの言葉に二人が頷き、その場は一度解散となる。
四人が準備を整え現場へ向かっている頃、港は既にウィズムント魔術師団、兵士団によって封鎖されており、団員達は漁船や商船を扱う住人の抗議に対しての説明に難儀していた。港に並んだ沢山の船を見れば、抗議の理由は明らかだろう。
「今船を出すのは危険ですから」
「そうは言っても今日中に荷物を届けないと、こっちも信用問題なんでねぇ」
「鮮度が命なんだよ、賠償はしてもらえるんだろうな」
「いつになったら船が出せるんだ」
そんな会話を続ける群衆の中に遠慮なく突っ込んでいったのは港に到着したばかりのフェイ=マオシーだ。
「ごめんね~、ちょっと通してね~」
漁師や商人達を相手にしていた魔術師が慌てて止めようとするが、フェイの顔を確認するや否や驚きの声を上げた。
「これは、執政官殿!」
急ぎ敬礼の姿勢を取る魔術師の青年に笑いかけ、フェイは現在の状況を問う。
「教えて欲しいんだけど、今朝沈んだ商船以外に既に出港してしまった船の数と、その人達と連絡が取れてるかどうかと、助けられた船員が居る場所と、先に来てる筈の黒魔術師の所在、知ってる限りで良いから答えてくれるかな~」
一字一句聞き洩らさないよう真剣に耳を傾けていた魔術師は、「はいっ」と元気の良い返事を返してから答える。
「本日未明から現在までで出港した船の数は八、その内五隻とは連絡が取れています。残り三隻に関しましてはワジェソレス連邦からの商船ですので、連邦を経由して連絡を取っている最中です。船員は病院へ運ばれましたが、比較的軽傷だった船長が一人、第二ポートに残って事情聴取を受けております。黒魔術師殿は……先程までいらっしゃいましたが、申し訳ありません、存じ上げません」
要領を得た簡潔かつ分かりやすい説明に満足し、フェイは若い魔術師を労うように微笑みかけた。
「よく分ったよ、ありがとう。船長さんもなるべく早く病院へ連れて行ってあげて。じゃあちょっと通してもらうね~」
「はい! お疲れ様でございます!」
魔術師のフェイに対する尊敬しきった眼差しを複雑な気分で見ているのは、アレッシオ、ラキ、メムの三人だ。港を取り囲むように張られたロープを潜り、先を行くフェイの後に続いて群衆から遠ざかりながら、三人は目の前を歩く青年に視線を合わせた。
「あれの正体は知らぬが仏、か」
アレッシオが溜息交じりにそう呟けば、
「頭が良いのは確かなのに否定できません」
と、メムがしみじみとした様子で同意を示し、
「馬鹿と天才は紙一重と言うからな」
と、ラキが豪快に声を立てて笑いながら締め括る。フェイは言いたい放題な三人を振り返り、引き攣った笑顔を浮かべながら言った。
「聞こえてるんだけど~?」
「聞こえるように言っているからな」
綺麗に揃った三人の返答には流石にフェイも気分を害したらしく、くるりと前方を向くと足早に歩きだした。こう言う子供っぽい所が一国を担う執政官としてはどうかと思うのだが、フェイ=マオシー個人としては憎めない魅力のひとつであると、彼を知る者は言うだろう。
四人が第二ポートに近付くと、それに気付いた兵士が隣に居る部下の魔術師に何事か声を掛けてから四人の元へ駆け寄ってきた。
「現場指揮を担当しております、兵士団のコアン=ソムヒです」
実年齢はともかく、見るからに黒位の四人より年上であろうその男は、礼儀正しく敬礼しながら自己紹介を済ませると、早速簡単に状況説明を開始する。
「襲われた商船船長の話によりますと、海竜と思しき生物はここから西北西に三キロメートル程の地点で現れたそうです。海底深くを移動していたのか、気付いた時には接近されていて船尾に噛み付かれ、転覆。その後も何度か商船を襲ったそうですが、船腹が破損し、航行不能となった所で海竜は海底に姿を消しました。時間にしてほんの数分の出来事だったそうです。被害は船一隻と小麦等の穀物凡そ三十五トンの積み荷、乗員の軽傷です。乗員の怪我は船が転覆した際に負ったもので、海竜に直接傷付けられた者はいない、との事です」
コアンの報告を受け、アレッシオ、ラキ、メムの三人は表情を険しくした。フェイだけが落ち着いた微笑を浮かべたまま、コアンに頷いて見せる。
「わかりました。海竜の調査は僕たちが引き継ぎますので、兵士団、魔術師団の皆さんは引き続き港の監視をお願いします。あ、あと、船長さんも病院へ連れて行ってあげてくださいね~」
コアンは再度敬礼すると、先程まで待機していた場所へ駆けて行き、魔術師に新たな指示を出した。それを眺めながら、フェイが「さて……」と紡いで三人を振り返る。
「三キロメートルってかなり近いよね~。人間を襲わずに船だけ襲ったっていうのもちょっと気になるし……。まあ、取り敢えずカイリと合流しよっか」
フェイが手の平サイズの通信機を取り出して操作し、カイリ=ドールの端末を呼び出すが、しばらく待っても応答が無い。
「……もしかして、寝てる?」
「いいや、起きてるぞ、っと、ぅおお?」
唐突に頭上から降ってきた返答に四人が頭上を振り仰ぐと、倉庫の屋根の上からカイリが落下するところだった。どさっと音を立てて地面と激突したカイリを見下ろしながら、アレッシオは舌打ちを鳴らしそうな調子で吐き捨てる。
「何をしているんだ、貴様は」
「いや、ははは……。フェイに貰った新しい通信機の使い方が分からなくて」
立ち上がり、衣服に付いた砂埃を払いながらのカイリの返答に、アレッシオは更に声音に剣呑な響きを乗せて双眸を眇める。
「私が聞いているのはそんな事ではない」
アレッシオはカイリを見据え、続けて何か言葉を発そうとするものの、結局は言葉を飲み込んで溜息を吐いた。
「……まあいい。我々が調査に使う船はどこに泊められているのだ」
厭味の一つでも来るのだろうと構えていたカイリは、若干拍子抜けした様子で眼を瞬かせてから、視線を前方へ送る。
「第四ポートの、あの白いヤツだ。ばあさんの私物らしい」
アレッシオはそれだけ分かれば用はないとばかり、無言で踵を返して船へ歩いて行った。その後を追いかける様にラキも歩き出すが、肩越しに視線だけをカイリへ向けてニヤリと笑いかける。
「俺も、何の用で浜辺へ行っていたかは聞かないでおいてやろう」
アレッシオとラキの後姿を眺め、カイリはがしがしと頭を掻いた。フェイがその肩を軽く叩く。
「二人とも優しいよね~」
「優しい、か。まあ、そうかも?」
フェイの言葉が完全には腑に落ちない様子ながらも、カイリも同意を示しつつ船へ向かう。そんな二人の背中を見ながら最後尾を行くメムは、気付かれないように小さな溜息を吐いた。
「あの三人の所為で私も尋ねられなくなる訳だ」
どうにもむしゃくしゃとした気持ちが落ち着けられず、メムは愛用の煙管に葉を詰め込んで火を点ける。口に馴染んだ煙をゆっくりと吸い込めば、多少は苛立ちも緩和される様な気がする。メムは歩む足取りを少し速め、カイリを追い抜く際にわざと盛大に煙を吐き出した。
「げほっ!」
「ああ、すまん。わざとだ」
まともに煙を吸って咳き込むカイリへ向けてしれっと謝罪を紡ぎ、足を速めたまま先を行こうとするメムに、カイリが涙目になりながら情けない声をあげる。
「めむぅ~……」
「気持ち悪い、近付くな」
甘ったれた声音に心底嫌そうな一瞥を投げ、メムはカイリとフェイを置いてさっさと行ってしまった。
「や~い、嫌われた~」
フェイはというと、非常に楽しそうな様子でカイリを指差して笑い、メムの後を小走りで追いかける。一人残されたカイリは大きな溜息を吐き出してから苦笑を浮かべ、衣服に残っていた白い浜辺の砂を払い落し、船に乗るべく皆に続いた。