第一話 「隔離教室」 第二幕
魔法大国ウィズムントの国土の三分の一を占める施設「ウィズムント魔術学院」。その魔術学院には本館と幾つかの別館が存在し、本館には大きく分けて五つの校舎が建てられている。
正門を潜ってすぐの南棟には一般事務受付や応接室、職員室、各教師の私室、客の為の宿泊施設等が誂えられている。東棟には学院生徒達の寮や学院食堂、オープンテラス、文具や勉学に必要な道具類の購買部、書店、図書館、スポーツジム等の娯楽施設といった、生活に密着したスペースが造られている。
そして西棟だが、ここは棟と呼ぶよりは体育館と表現した方が分かり易い様に思う。所謂、実技実践の為の闘技施設だ。屋内に格闘訓練道場と魔術訓練道場が一つずつと、屋外に大小四つの闘技場が用意されている。それから北棟。ここは授業を行う為の校舎だ。各教師に最低一部屋ずつ、実験室や特別講義用として使用される多目的ルーム等、合わせて約七十程の部屋が用意されている。
それら東西南北の校舎に囲まれ、更に厳重な警備に護られてそびえ立つのが中央棟、最新の設備が整った研究室だ。此処はウィズムントにとって心臓部であり重要な収入源でもある。棟内部には様々な実験施設、研究室、それから研究員が寝泊まりする為の仮眠室が設置されている。
さて、問題のドール教室、通称隔離教室だが、この教室は特別に建物を丸々一つ与えられている。その建物は学院の北西奥、緑の木々が生い茂った辺りにぽつんと建築されていた。
リーユン=ルルディヴァイサーは二階建ての木造校舎を見上げ、本日何度目かの溜息を吐く。リーユンが学院に入学して七年目。初めて目にした隔離教室は、良く言えば古めかしい、悪く言えばおんぼろという様な代物であった。
荷物を載せた台車を傍らに置き、軽く呼吸を整えて気持ちを静める。そうしてリーユンは意を決した様子で扉を開けようとドアノブに手を伸ばす。
ドロ……。
ノブに触れるか触れないかと言う所で、扉の鍵穴からゲル状の物体が溢れ出て来た。
「ぅ……わ…ッ!?」
リーユンは咄嗟に腕を引くと同時に、数歩後退って扉との距離を置く。ゲル状の物体は徐々に質量を増していき、直径が三十センチを越えた辺りでボトリと鈍い音を立てて地面へ降り立った。薄緑色をした半透明で半液状のそれはプルプルと細かく震えながら左右に揺れ動いたかと思うと、いきなりリーユン目掛けて跳躍する。リーユンは落ち着いて体内に魔力を満たし、魔術を発動させる為の術式を練り上げる。魔力を有する者同士が知覚できる赤を基調とした色彩の公式がリーユンの周囲で複雑に絡み合い、一瞬の内に編み上げられていく。赤は益々鮮やかな輝きを放ち、力強い魔力の手応えが満ちるのを見計らって、リーユンは魔術を発動させる呪を口にする。
「ファイアーボール!」
前方へ突き出した両手の平から燃えさかる炎の玉が放たれる。炎はゴゥと唸りを上げてゲル状の生物を包み込み、一際大きく炎を揺らがせた後にふっと消えて無くなった。
「何で……スライムが……」
炭と化した生物と木造の扉を交互に見比べて、リーユンはごくりと唾を飲み込んだ。隔離教室の中は魔物や魔法生物で溢れかえっているのかも知れない。そんな不安がリーユンの頭を過ぎるが、二、三度頭を振る事で無理矢理追い払う。
今度は先程よりも慎重にノブを掴むと、そっと、用心深くノブを回して扉を開いていく。
「……失礼します」
訪問の挨拶を控えめに伝えたリーユンは、扉と壁の隙間から中を覗き込んで思わず固まってしまった。魔物や魔法生物で溢れかえっている方がある意味マシだったかも知れない。
リーユンは現状を確認しようと扉を完全に開き、改めて視界に飛び込む惨状に目を奪われる。
エントランスであるはずのそのスペースは十分な広さを有しているにもかかわらず、完全なる物置と化していたのだ。辛うじて二階へ続く階段と左右の扉への道が開かれてはいたが、実験器具やら書物やら、どう見てもガラクタとしか思えない様な物やらが絶妙なバランスで積み重ねられている。当然、何時崩れてもおかしくない有様だ。
リーユンは再び溜息を吐いた。溜息の数だけ幸せが逃げるという迷信が本当ならば、これから此処で生活する三年間は間違いなくリーユンの幸福を根こそぎ奪っていくであろうと思われた。
カイリ=ドール教師や隔離教室の生徒達と出会う前から疲れ果ててしまったリーユンだが、此処で呆けていても仕方がないと思い直して項垂れ気味だった顎先を上げ、口を開く。
「ドール先生はいらっしゃいますか?」
リーユンは普段よりも幾分大きめの声音でカイリ=ドール教師を呼ぶ。待たされる事数秒。ダダダダダッと二階の通路を走る音が聞こえたかと思うと、エントランス正面の階段から転がり落ちる様な勢いで子供が駆け寄ってきた。
十歳くらいの外見をした少年はくりくりとした黄金色の眸を更に丸く大きく見開いて、好奇心丸出しでリーユンを見上げる。少年の薄い水色の髪からは二本の角が覗いていて、背後では同色の尾がゆらゆらと揺れ動いていた。竜族である。
竜族はルドレイド大陸の最西端、ギムリギムル山脈に住んでいる種族だ。標高四千メートル以上の山々が連なるギムリギムル山脈の頂は平らになっており、鬱蒼とした森に覆われている。其処では数種の竜族が小さな小競り合いを起こしてはいるものの、比較的平和に共存しているらしい。少数民族である彼らは他種族との交流を極端に嫌う為に詳しい生態は知られていない。
リーユンの目の前にいる少年は竜族の中でも更に希少な小竜族と呼ばれる一族だ。竜族は得てして人よりも長命である訳だが、小竜族はそれに輪を掛けて長寿な種族であった。それ故に不老長寿を欲しがる欲深い人間に乱獲され、以来人里に出る者は居らず、ギムリギムルにしか生息していないと言われていた。が、やはり中には変わり者も存在するらしく、好き好んで人の多いウィズムントまで出て来ては魔術を習ったりもする訳である。
リーユンは記憶の中から隔離教室生徒のデータを探す。小竜族と言うだけでも話題に上がると言うのに、尚且つ隔離教室生徒の中でもトップを争う問題児とくれば思い出すのは容易かった。
「クゥ=ラ=ルゥ君、ですよね」
リーユンの呼び掛けに、小竜族の少年はこくこくと幼い仕草で頷いた。可愛らしい小柄な外見と見た目を裏切らない子供らしい所作からは、噂に聞く様な問題を起こすなんて俄には信じ難かった。しかし現実に格闘訓練道場は半壊している訳だから、用心するに越した事はない。
リーユンは相手に分からない程度に身構えながらカイリ=ドール教師の所在を尋ねた。
「今年度からドール教室でお世話になるリーユン=ルルディヴァイサーです。カイリ=ドール教師に挨拶がしたいんですが、何処に居られるか教えて頂けますか?」
「なーんだ。誰かが問題でも起こしたのかと期待したのに。ちぇっ。まだ俺が一番ポイント高いんじゃん。何でみんなもっとこう……」
丁寧な問いに対して返されたのは、あからさまに興味を失った表情と投げやりな言葉だった。ルゥは一頻りぶつぶつ言った後で、思い出した様にリーユンを見上げて見るからに面倒臭いと言った様子でぼそっと呟く。
「あぁ、カイリ先生な。……ソコ」
リーユンはルゥの視線を辿って「ソコ」と示された場所を見る。階段の横、他と変わらず荷物が山積みになっている一角。唯一他と違う所を上げろと言われれば、何時から埋もれていたのかは分からないナマモノらしき腕が荷物の隙間から生えている所だろうか。
「……ッ!!?」
一瞬思考が凍ってしまったリーユンだったが、慌てて荷物の山へ駆け寄ってその腕を掴むと、埋もれた人物を引っ張り出そうと努力する。しかし直ぐに崩れそうな見た目とは裏腹に荷物の山はビクともせず、カイリ=ドール教師を引きずり出す事は不可能だった。
「ドール先生、しっかりして下さい!」
救助が不可能だと悟ったリーユンは掴んだ腕を揺さ振りながら大声で呼び掛ける作戦に変更した。黒魔術師と呼ばれる程の教師なのだから、気が付きさえすれば自力で何とか脱出してくれるだろう。しかし、その行為は直ぐに横から遮られた。
「それじゃぁ何時まで経っても起きないよ。どいてな」
小竜族のクゥ=ラ=ルゥだ。ルゥはリーユンを横へ押し退けると、唐突に魔術を編み始めた。リーユンが止める暇もない程の驚異的なスピードで紫紺の術式を編み上げたルゥは、右手を前方へ、つまりは自分の師が埋まっている山へ向けて術を発動させる為の言葉を嬉々として紡ぐ。
「ライトニングボルト!」
ルゥの右手から凄まじい電流が迸る。まるで激しくのたうつ蛇の様に光が錯綜しながら「ソコ」に直撃した。リーユンは急いで編み上げた魔術の防壁で身を守ったが、それでも両腕が感電した様に痺れている。まともに喰らったら……と思うとぞっとする。
電流と光が収まると、吹き飛んだ荷物が辺り一面に散らばり落ちる。最初に見た時と殆ど代わり映えしないと言ってしまえばそれまでなのだが、ただ一つ驚いた事に、あれだけの電撃を喰らっているにもかかわらず、書物等には一切焦げや傷が付いた様子が無かった。
(対魔術防御が掛けられているのか?)
リーユンは無傷の荷物達に興味を引かれつつも、今一番の心配事に視線を向ける。荷物が吹き飛んでぽっかりと空いた空間。其処には黒い衣服に身を包んだ一人の男がだらしなく転がっていた。恐らく、いや、間違いなくこの人物が黒魔術師であり上級教室担任、カイリ=ドール教師なのであろう。
伸ばしているのかただ単に切るのが面倒で伸びてしまったのか、肩に届く程のぼさぼさの黒髪、ウィズムント人にしては色白の肌、程良く鍛えられた長身。パッと見た所心配する様な傷や火傷は無さそうだった。……頬が少し煤けてはいたが。
「だ……大丈夫、……なの?」
リーユンは視線をカイリ=ドールに注いだまま、恐る恐ると言った様子で隣に立つ問題児に問い掛けた。
「大丈夫だろ。此処までやれば流石にちゃんと目を覚ますって」
クゥ=ラ=ルゥのずれた返答にリーユンが再度口を開こうとした所で、むくりとカイリ=ドールが上半身を起こした。カイリはボーっと周辺を見回して、目の前の少年二人を見比べて頭を掻く。ぼさぼさの黒髪が更に鳥の巣の様相を呈し始めるのを、リーユンはただ黙って眺めつつカイリ=ドール教師の第一声を緊張の面持ちで待った。
やがて何事か思い至ったらしいカイリ=ドールはポンと両手を打つと、視線をリーユンへ向けて思いの外しっかりとした声音で告げる。
「何時軟派したのか全然覚えて無いんだが、職場まで押しかけられるのは困るな。仕事が終わってからならおじさん喜んでお付き合……ぐおはぁッ!」
カイリの寝言を遮ったのはルゥの右手から放たれた魔術だった。
「こら、変態教師。とうとう男の教え子にまで手を出すつもりか。目ェ覚ませ」
魔術の直撃を喰らって後ろに仰け反った首をかくんと正面に戻すと、カイリは両手で長い前髪を掻き上げて後ろへ撫で付けた。かなり整った顔立ちを不快そうに歪めてルゥを睨み付ける。
「お前、また室内で魔術をぶっ放したな。しかも二度も」
「お、起きない先生が悪いんだろ!」
ルゥは憮然と言い返すがカイリは全く取り合う様子無く、ポケットからメモ帳とペンを取り出して『クゥ=ラ=ルゥ +1」と書き付けた。
「理不尽だ! 新入りに親切にしただけなのに、何でプラスが付くんだよ!」
尚も言い募るルゥの抗議を完全に無視してカイリはゆっくりと立ち上がると、衣服の埃を叩いて払い、リーユンの正面に立った。口の端を持ち上げどことなく邪悪な微笑を浮かべ、リーユンに右手を差し出して握手を求める。
「ようこそ、隔離教室へ」
「初めまして、リーユン=ルルディヴァイサーです。お世話になります。よろしくご指導お願いします」
自ら蔑称を使う教師に面食らいながらも、リーユンは自分も右手を持ち上げて握手に応じ、挨拶の言葉を口にする。台詞の語尾に合わせて頭を下げようとしたのだが、カイリにジッと眼を見つめられてタイミングを逃してしまった。さぞや居心地の悪そうな表情を浮かべて居たのだろう。カイリはポンとリーユンの頭に手を乗せて苦笑を零した。
「キリの教え子か。……俺は堅苦しいのは苦しいから嫌いなんだ。ま、気軽にいこうぜ」
それからまだ抗議を続けているルゥや、いっそ清々しい程に散らかっているエントランスへ視線を向けて、
「じゃないと身が持たないぞ。俺からの最初の教えだ」
と、肩を竦めながら付け加える。リーユンはその言葉を肯定するかそんな事は無いと否定の言葉を紡ぐか迷ったものの、結局は素直に頷く事しか出来なかった。
「で、お前の部屋とか此処での授業とか生活とかについてなんだが……。そろそろタキが帰ってくる頃だからそいつに聞いてくれ」
「タキ……」
リーユンは聞き覚えのある名前に記憶を手繰る。案の定ルゥと同様に直ぐ引っ掛かった。タキ=ヤンフゥ。長い黒髪を綺麗に結い上げ、真っ直ぐに背筋を伸ばして立つ姿が印象的な美少女だ。
彼女の姿を脳裏に思い描いた所で、バンッと乱暴に扉が開け放たれる。勢い良く開いた木製の扉は壁に当たって悲鳴を上げるが、それを掻き消す大声を上げるのは先程リーユンの脳裏に居た美少女だ。せっかくの整った顔が台無しになる位に凶悪な表情を滲ませ、少女は愛らしい薄桃の唇を開いて悲痛に叫んだ。
「マリアンヌちゃんが居ないわ!!」