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魔術学院騒動記  作者: いさ
番外編 其の一
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番外編 「魔女の憂鬱」

第三話「秘薬」読了後にお読みください。

 天気の良い正午。授業が一段落して生徒達を昼食へ送り出し、漸く一人でゆっくりとくつろげる時間がやって来た。学院から貸与されている南棟の自室へ戻り、メム=シャウレインドッティは座り慣れた椅子に腰を下ろす。

「……ふぅ」

知らず知らずの内に小さな溜息が零れ、メムは眉間に皺を寄せて肩に落ちかかる長い髪を鬱陶しそうに背後へ払った。そうして既に体の一部と化している煙管の灰を慣れた手付きで灰皿へ落とし、新しい葉を詰め直して吸口を唇へ運ぶ。常であれば着火の魔術を使用して火種を灯す所だが、メムは机の上からマッチを取り上げて火を熾した。燃えた燐特有の香りが鼻腔に届く。その香りのお陰か、メムは先程よりも多少くつろいだ様子で煙草に火を移し、マッチの火を消して灰皿へ放る。

「フゥ――……」

吸い込んだ紫煙を吐き出しながら、今度は長く息を吐いた。細い煙がゆったりと宙を彷徨い、やがて空気中に紛れて薄くなり、消えてゆく。その様子をぼんやり眺めていると、コココンと聞き慣れたリズムで三度扉がノックされた。メムはもう一度深く煙を体内へ落とし込み、吐き出すと同時に扉の外へ向けて声を掛ける。

「どうぞ。開いている」

ゆっくりと開かれる扉の隙間から姿を現したのは予想通りの人物で、メムは非常に胡散臭そうな視線を投げかけながら尋ねた。

「昼時に来るなんて珍しい。何の用だ」

室内に踏み入れて後ろ手に扉を閉める人物、すらりとした長身にボサボサの黒髪が相変わらずなカイリ=ドールは、何かを言いたそうにしながらも入口で立ち止まったまま、口を閉ざしてメムの様子を窺っている。どちらかと言えば傍若無人に分類されるカイリだ。その非常に珍しい様子にメムは嫌な予感をひしひしと感じずには居られない。カイリが言おうとしている事は、はっきり言って聞きたく無い類の物だと思われた。自然、メムの態度や表情には警戒の色が浮かぶ。

「用が無いなら帰れ」

「用ならあるぞ」

メムの先制に、カイリは間を置かずに返答した。蒼と黒の眼差しが絡み合う間が暫し。

「……聞きたくないな」

眉間の皺を深めたメムがぽつりと呟くと、カイリが大仰に傷付いた表情を作ってみせる。

「酷い、メム……。俺がこんなに真剣に悩んでいるのに」

「解った、聞いてやるよ。聞いてやるからさっさと話して帰れ」

「何か引っ掛かる言い方だが、まあいい」

カイリは一度咳払いをしてから、気を取り直してメムの座る机へ歩み寄りつつ言葉を続けた。

「実は、どうしても欲しいモノがあるんだ」

「欲しい、もの……?」

カイリの発言に、メムは強い違和感を覚えて怪訝な表情を浮かべる。

「欲しい物があるなら買えば良いじゃないか。あぁ、金が足りないのなら貸してやるぞ?」

付け足された台詞にがっくりと肩を落としたカイリだったが、直ぐに顔を起して「ちっがーう!」と叫んでから、おもむろにメムへ詰め寄った。

「これはメムにしか頼めないんだ。俺が欲しいモノはメムが持っている」

珍しくカイリが真摯な表情を見せる。至近距離で顔を覗き込まれたメムは、両肩を掴むカイリの手の強さや布越しに伝わる温度、真っ直ぐに向けられる視線にうろたえた。カイリと初めて出会った時も、この黒い瞳に魅せられた。曇りの無い一対の眼がジッとメムを見据える。メムは手に提げたままだった煙管を銜える事でカイリから視線を外し、気持ちを落ち着ける為に殊更ゆっくりと煙を吸い込んでは吐き出す。

「わ、私が持っている物でカイリが欲しがる物なんて」

無いだろう、と続けるつもりだった唇の動きが止まる。カイリから逸らした視線の先には、部屋の隅に設置されているアンティークの棚。マホガニーの艶のある滑らかな焦げ茶色が視界に入り、メムの表情が僅かに強張った。

(いや、まさか。私がアレを持っている事は、院長以外は誰も知らない筈だ)

心の内でそう否定の言葉を繰り返すが、メムには他に思い当たる物が無いのも事実だった。

「だ、駄目だぞ。それだけは絶対に駄目だ」

メムはカイリの手を振り払って慌てて立ち上がり、小振りな棚を背後へ隠すように立つ。その様子に唖然としたのはカイリだ。

「……何をしているんだ、メム」

「駄目だ。何処で聞き付けたのかは知らないが、これだけは手放せない」

「いや、良く分からんが、俺の欲しいモノは多分其れじゃない」

「そ、そうか……」

メムはホッと息を吐くが、ではカイリが欲しい物とは一体何だと言うのだろうか、と疑問が浮かぶ。棚には収まりきらない物なのか。それともメムの私室には置いていない物なのか。しかし私室に置いていないメムの私物など殆ど無いに等しい。

 メムが思考を巡らせていると、いつの間にかカイリが眼前に立っていた。心臓が大きく脈打ち、メムの白い顔が仄かに朱色を帯びる。煙草の苦みを纏うメムとは違い、石鹸や陽だまりの匂いがするカイリの体臭が、メムの胸を締め付ける。何処か懐かしいと感じさせる不思議な匂いだ。メムはカイリに心音が聞こえはしないかとの内心の焦りを押し隠し、煙管を口にする。そうして一呼吸置いて気持ちを落ち着けると、きつくカイリを睨み付けた。

「いい加減もったいぶらずに用件を言わないか」

「ん、えーと、だな。メム。落ち着いて聞いてくれ」

少々言い辛そうに、カイリはそう前置きして用件を口にする。

「ジュン=エンシェンを隔離教室(うち)にくれ」

「一度死んで来い」

「うわ、即答された」

間髪を入れずに言葉を返したメムに、カイリが物凄くショックを受けた様子で言葉を募った。

「なぁ、メム。もうちょっと考えてくれても良いと思うぞ?」

「考える余地などあるものか、この莫迦者」

メムは自分よりも背の高いカイリを見下すような眼差しで睨み付ける。うろたえてしまった自分が情けないやら恥ずかしいやら腹立たしいやらで、メムは必要以上に冷たい表情と声とを作ってカイリに宣言した。

「殺されない内に出て行け」

メムの本気らしい台詞に冷や汗を垂らしながら、カイリは挨拶もそこそこに退散する。音を立てて閉まる扉を睨み、メムは本日何度目かの溜息を吐いた。

「……本当に、大莫迦者め」

メムは薄く自嘲の嗤いを浮かべると、背後の棚を振り返る。

「いや、大莫迦者は私かも知れないな」

腰の位置にある引き出しの一つに右手を伸ばし、素早く開錠(アンロック)の魔術を使って封印されていた抽斗(ひきだし)を開けた。中には大小様々な薬品瓶が仕分けされ、整然と並べられている。メムはその中から親指ほどの大きさの、赤い液体が満たされた小瓶を取り出した。ややとろみのある液体が、メムの動きに合わせて瓶の中で揺れ動く。

 不老不死の秘薬。

それが事実かどうかは分からないが、この小瓶はメムが黒魔術師の冠位を授かった時に院長から祝いの品として贈られた物だ。本当に不老不死の秘薬だと信じている訳では無かったが、院長が齢一五〇を越えているのは事実であり、その院長が言うのだから、少なくとも加齢を緩やかにする効果はあるのだろう。肉体的に女は男と比べるとどうしても衰えるのが早い。十代の後半がピークで、二十歳を越えると後は衰える一方だ。

(どうせ飲むならば早い方が良い)

そうと分かっては居ても、簡単に飲み干せる物ではなかった。時間に取り残されると言う苦痛は、想像すればする程、筆舌に尽くしがたい恐怖を煽る。

「……カイリ」

メムの小さな呟きは、誰に聞かれる事も無く空気に溶けて消えて行った。


~ 魔女の憂鬱 終 ~

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