第一話 「隔離教室」 第一幕
成績優秀なリーユン=ルルディヴァイサーが、何故か隔離教室の異名を取るドール教室に編入することに。
科学の代わりに魔導が発達し、翼の生えた者、獣の姿に変じる者、人、そして竜が共に暮らす世界、セフィラ。そこに存在する六つの大陸の中で最大の面積を誇るルドレイドの南東にはオーファン大海と呼ばれる海が広がっている。ルドレイド大陸から船で丸一日の距離に小さな大陸が浮かんでいた。大陸と呼ぶにはあまりにも小さなその島は、島全体で一つの国家を形成している事から大陸として扱われている。国の名はウィズムント。魔法大国と冠される新興の国だ。
この小さな大国が他国と同等に渡り合えている理由の一つとして、人材の質の高さが挙げられる。魔国ウィズムントには土地の三分の一を使用した巨大な施設がある。それが『ウィズムント魔術学院』だ。世界各国から優秀な魔術師を教師として招き入れ、生徒の指導に当たらせている。そうして育て上げられた優秀な魔術師は世に出て様々な活躍をし、その結果、短期間の内に魔国の地位を飛躍的に向上させた。
二つ目の理由。それは魔術学院の研究機関で日夜開発される様々な道具である。中でも魔導器と呼ばれる物が魔国に莫大な利益をもたらした。高度な技術力と多種多様な魔術の知識とが必要とされる魔導器の開発は、現段階では魔国の専売特許であった為だ。
およそ上記の様な理由で、この小さな魔法大国ウィズムントは各国から一目置かれているのである。
季節は春である。
ウィズムントではこの時期になると国中がにわかに活気付く。理由は簡単で、魔術学院の新たな年度が始まるからであるが、国民の八割近くが学院と何らかの関係を持っていると言うのだからそれも頷ける話である。港には他国からの入学者を乗せた船が続々と到着し、益々新しい季節の到来を告げていた。賑やかなのは街中のみに限らず、学院内でも慌ただしい空気が流れていた。
院生が住まう寮内も、外に負けず劣らずの喧騒に包まれている。一年間世話になった部屋を清掃し、新たに一年世話になる部屋へと荷物を運ぶ。毎年この時期恒例の部屋替えである。寮の部屋は教室単位で固められる為、進級する者、退学を余儀なくされた者、特別な理由で同学年内の別教室に移る者、理由は様々だがこの時期は必ず誰かしらが部屋を移る事になる。
荷物を纏めた箱が三個並べて置いてあるだけの部屋。その中央に佇んで感傷に浸っている少年も部屋替え組の一人だ。少しくすんだ金色の髪に、蒼色の眸。雪に閉ざされた北方のローズル大陸に多く見られる人種である。十七と言う年よりも幼く見える小柄な体躯を深紅のローブに包んだ少年は、一番身近にある箱をよろめきながらも何とか持ち上げ、落とさぬよう留意して入り口に置いてある小さな台車へ丁寧に乗せる。学院に入って七年。その間に学んだ事は全てこの一つの箱に詰め込まれている。それは少年の宝物、と言うよりは少年の青春そのものであった。その箱の上に生活用品や衣類の入った箱を積み上げると、少年は今一度自室であった部屋を振り返った。
「二年間、お世話になりました」
そう呟いて頭を下げた後、踵を返して部屋を後にする。扉を閉めると同時、聞き慣れた声が少年を呼び止めた。
「リーユン! リーユン=ルルディヴァイサー!!」
リーユンと呼ばれた小柄な少年が声の聞こえた右手へ視線を巡らせると、黒髪に黒い瞳という典型的なウィズムント人である友人、ジュン=エンシェンが慌てて駆け寄って来る姿が視界に飛び込んで来た。
「どうしたの? そんなに慌てて……」
普段は落ち着いていて、大人びて見える彼が珍しく動転しているのに怪訝な表情を浮かべ、リーユンは浅く首を傾がせる。リーユンより頭一つ分大きいジュンは、友人の顔を覗き込んで顔を寄せると低く押し殺した声で告げた。
「隔離教室」
「は?」
リーユンの首の角度が更に増す。
ウィズムント魔術学院には幾つかの教室がある。教室と言うと授業を受ける部屋そのものを指す場合もあるが、この学院では主にクラス、学級の事を教室と呼んでいる。担任一人につき生徒八名前後。それが平均的な教室の人数だ。平均的、と表現するからには勿論其れに当て嵌まらない例外が存在する訳で、ジュンが口にした隔離教室も其れに該当する。正しくはドール教室と呼ばれるその教室は、カイリ=ドール教師と四名の生徒で形成されていた。
リーユンが全く事情を飲み込めていないらしい事に苛々して、ジュンは短く整えている黒髪を掻き混ぜ、不機嫌な表情で口を開く。
「お前、次のクラス割りが発表されたの、未だ見てないのか?」
「え、うん。鍵を返しに行くついでに見ようと思って……」
リーユンは答えながらも嫌な予感を感じていた。普通に考えれば絶対にあり得ないその予感は、友人の口から事実としてリーユンに告げられるのであった。
「お前、……隔離教室編入になってたぞ」
言い難そうなジュンの言葉が脳に浸透するのに少々時間を要したが、その意味をしっかりと理解すると同時にリーユンはその場に力無く座り込んでしまった。
ドール教室が隔離教室の異称で呼ばれているのには相応の理由がある。カイリ=ドール教師含め、教室の皆が一癖も二癖もある要注意人物ばかりなのだ。更に言えば実力は並大抵の者では適わないと言うのだから尚のこと性質が悪い。つい先月も学院の施設の一つである格闘訓練道場を半壊させたともっぱらの噂だ。理由は公にはされていないが、どうも隔離教室生徒間の模擬試合が原因であるらしい。たまたま近くに居合わせた教師が止めに入ったが、その教師は全治二週間という怪我を負ったそうだ。現在格闘訓練道場はほぼ復旧しているが、本格的な使用許可が下りるのはもう少し先になりそうだった。
そこで、疑問が生じる訳である。
品行方正で非の打ち所のない優秀な生徒であるリーユン=ルルディヴァイサーが何故隔離教室編入なのか。
ウィズムント魔術学院を正式に卒業するには一般基礎学年を三年、下級教室を二年、中級教室を二年、上級教室を三年、一度も留年せずに通ったとしても十年は掛かる。通常は昇級テストの度に一、二度は落ちるものであるが、リーユンは一度も試験に落ちることなく最短で上級教室まで駆け上ったのだ。才能も実力も、其れを活かす機転もあるが、決して奢る訳でもなく粛々と自己鍛錬を続けてきた。
(その結果が……隔離……)
リーユンが、いや、リーユンだけではなく、彼を知る者皆が目を疑うのも頷けるであろう。
温み始めた風が深緑の香りを運んでくる。呆然と座り込む少年にも、難しい顔で心配そうに友人を見つめる少年にも、等しく其れは訪れる。
季節は春である。
「納得いきません」
ウィズムント魔術学院本館の南、学院主要施設の玄関口にもあたるこの南棟の一室で、不服を隠しきれない声音が発せられた。其れを受け止めるのは部屋の主、白髪が少し交ざり始めた黒髪と黒い瞳、純白のローブに身を包んだ四十代前半のウィズムント人の壮年だ。中級教室の一つを受け持つ魔術師キリ=メイシャーは、数日前まで自分の教え子であった少年を見やる。
「納得、いかないかね」
リーユンの言葉を反芻するのは愉快そうな声音。キリは口端を持ち上げて、相変わらずの飄々とした態度でリーユンに対峙する。その普段と変わりのない姿がこの時ばかりは憎らしい。リーユンは珍しくキリに食って掛かった。
「いくわけがないでしょう。どうして僕を隔離教室に……いえ、ドール教室に推薦したんですか」
教師の前で思わず俗称を使ってしまった事を恥じ、リーユンは視線を僅かに伏せて言い直す。そんなリーユンに苦笑を零しつつも、優しい眼差しを湛えてキリが口を開く。
「カイリ=ドールは優秀な魔術師だよ。何せ、数少ない黒魔術師の称号を与えられた人物だからね」
そうなのである。カイリ=ドールは全世界に二十名程しか居ない黒の地位を持っている。魔法大国と謳われるウィズムントでも、黒と冠される人物は七名しか居ない。
この色による階級分けは魔国ウィズムントが中心となって査定と認定を行うが、主要国の殆どが階級分けを受け入れている。要するに、上位の地位を得た魔術師は何処の国へ赴いても其れ相応の特別な扱いを受けられると言うことだ。階級は十段階で、一位から黒、白、青、赤、緑、紫、七と八位が茶、九と十位が黄とされている。ウィズムント魔術学院を卒業すれば青の位までは得ることが出来るが、それ以上となると並大抵のことでは認定されない。勿論、学院を卒業する事自体が難関である事は先にも述べた通りで、青位以上の魔術師は数える程しか存在しない。魔術学院院長は黒位の上、銀位を冠しているが、それはまた別の機会に語ることにしよう。
リーユン=ルルディヴァイサーは気を落ち着かせる為に大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
「……上級教室の黒魔術師ならメム=シャウレインドッティ教師が居られるじゃないですか」
声を荒げない様に抑えている為に、リーユンの幼さの残る声は低く掠れている。リーユンの次の教師はメム=シャウレインドッティであろう、という予想は万人が考えていた事で、リーユンも例に漏れず誰に言われた訳でもないがそう思っていた。キリは何人かの同僚にも聞かれた問いを耳にし、髭を蓄えた口元に笑みを浮かべて座り心地の良い椅子から立ち上がる。数歩リーユンへと歩みを進め、おもむろに少年の頭部へゴツゴツと骨張った大きな手を乗せた。
「リーユン。彼は、……カイリ教師はな、お前にとって今一番必要な事を教えてくれる」
キリは我が子を慈しむかの様な眼差しでリーユンを見つめ、柔らかな金糸を優しく撫でる。
「私では上手く教えてやれん事だ」
そのキリ教師らしからぬ台詞の内容と語気の弱さに、リーユンは思わず恩師の顔をまじまじと見つめてしまった。リーユンが中級教室で二年間教わって知ったキリ=メイシャーという教師は、兎に角強靱で厳格な人だと言うことだった。もちろん厳しいだけではなく、生徒各人に適切な対応をしてくれる気配りの人でもあり、何より己自身に一番厳しい人でもあった。
そんなキリ教師が自分では教えられないと断言する事は、リーユンにとって驚き以外の何物でもない。そして恩師の口からそんな言葉を引き出してしまったのは他でもないリーユンだ。
(……そうだ。先生が意味もなくドール教室に僕を推薦する筈が無いじゃないか。何時だって生徒のことを一番に考えて下さっているのに、確かめた訳でもない噂を鵜呑みにして食って掛かるなんて……。僕は何て失礼な事を)
血の気が引く音が聞こえるのではないかと思う程に、頭に上っていた熱が一気に下がっていく。リーユンは慌てて頭を垂れた。二年間の恩有る相手に暴言を吐いて、謝っただけで許される問題でもないとは思うものの、謝らずには居れなかった。
「キリ先生が僕を思ってお決めになった事なのに、差し出がましいことを言って申し訳ございませんでした」
リーユンは恥ずかしさと申し訳なさのあまり耳まで赤くし、情けなくて涙まで溢れそうで、尚のこと頭を深く下げる。
「……ふぅ…」
キリがやれやれとでも言いたそうな溜息を吐いた。その直後、リーユンはゴツゴツとした大きな手に頬をつねられ、顔を上げさせられる。
「…ぃ、……痛いです…」
両頬を引かれ、唇が歪んだ状態では上手く発音出来ずに間抜けな声で苦痛を訴えるが、キリはジッとリーユンを見下ろし、頬をつまんだまま蓄えられた口髭を揺らして言葉を紡ぐ。
「お前の良い所は素直でよく気が付き、決して驕らない所だ。しかしな、長所と短所は紙一重だという事をよく覚えておきなさい」
厳格な口調で告げたキリは、そこで漸くリーユンの頬を解放する。リーユンはひりひりと痛みを訴える頬を両手で包み、見上げる姿勢で体格の良い教師と視線を合わせた。キリは普段通りの余裕の笑みを浮かべて続ける。
「まぁ、隔離教室の名前は伊達じゃないからな。それなりの覚悟はして行く事だ」
結局噂は本当なんだなと、痛む頬を撫でながらリーユンは思う。ただ、噂に隠されている何事かがあるのもまた事実らしい。その本質を知っているからこそ、キリは隔離教室へリーユンを推薦したのだろう。
(なら、僕がすべき事はひとつだ)
リーユンはそれを見てやろうと決心した。キリは自分にならば成し遂げられると信じているはずだ。その期待に応えることがキリに対する恩返しになるだろう。
リーユンは気を引き締めると、直立の姿勢を取ってしっかりとした声で告げる。
「二年間、厳しい教師に鍛えて頂きましたから、簡単には根を上げませんよ」
リーユンにもいつもの笑顔が戻ってきていた。キリは頑張れと伝える代わりに僅かに頷いてみせる。師と弟子は視線を交わし合い、暫し、二年間で培ってきた時間の流れを思う。
「……お時間を取らせて済みませんでした。先生、二年間ありがとうございました」
心からの感謝を伝え、失礼しますと暇の挨拶を口にしながらもう一度頭を下げ、キリ教師の部屋を後にする。荷物を載せた小さな台車を引きながら向かう先は、隔離教室と呼ばれる小さな建物。これからリーユンが三年間学び、寝泊まりする事になる曲者の巣窟である。