第一話 立案!引っ越し計画!
この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
また、特定の団体の政治的方針を批判・擁護する意図を含めたものではありません。予めご了承ください。
空の上には宇宙ではなく別の世界があり、この世は地球を中心として九つの世界が層状に重なってできている。
各世界を隔てる『断絶層』の大崩落によりその事実が公になってから今年でちょうど二十年。
交渉や武力行使が積み重なり、最終的に互いの住み分け方を定める規則が纏められ、各世界間の関係はようやく落ち着いたのだった。
最下層の地球を除いて。
「異世界人は地球に来るなー!」
「世界連合に抗議をしない政府もおかしい!国会を今すぐ解散させるべきだ!」
「私たちは異世界難民保護協定に反対する署名を集めています!聡明な地球の皆さん!私たち自身の手で、この世界を守りましょう!」
「……」
歩道の一角を占領している活動家達を横目に、少年は帰路につく。
彼の名は祈里。苗字は無い。
世間の高校1年生と同じ年齢の彼だが、平日のこんな真っ昼間に出歩いていることから分かるように高校には行っていない。
というか行けなかった。
なにせ、異世界の技術や知識が流入したことで高校や大学に行く必要性が薄れ、ほとんどの高校や大学が財政難によって潰れたのだから。
多言語をリアルタイムで翻訳できるイヤホン型翻訳機や数世代先を行く生成AIだけならまだしも、安い費用で地球以上に高度な教育と職業訓練を受けることが出来る教育AI搭載のVRキットなんてものが輸入されたのが致命的だったようだ。
『———この世界連合の決定に対し、世界各地で多くの反発が集まっています。一部地域では暴動も発生し、世界連合所有の建物に被害が―――』
通りがかったバス停に取り付けられたホログラフィックテレビに、先進的なデザインの建物の窓を割ったり火炎瓶を投げ込んだりする人々の映像が浮かび上がる。
こんな事態になっている原因は、先日世界連合が合意した異世界難民保護協定にある。
この協定は、地球は他の世界で発生した難民の入国を拒否できず、その難民たちには必ず補助金を出さなければならないというものだ。
地球にとってのメリットは、異世界が技術交流の場を増やしてくれるということ。
ただ異世界側は共有する技術を秘密裏に搾り、制限できる仕組みになっているという、あまりにもリスクとリターンが見合っていない協定だったのである。
加えて異世界がなぜそんな協定を求めたのかも明らかになっておらず、結果的に世界中でブーイングが巻き起こった。
いや異世界側も少しは補助金を負担しろ、あとせめて軽い移民審査くらいはさせてくれよ、と。
そのため、政治的関心が比較的薄い日本ではまだ活動家たちが署名活動や公的機関の前に陣取るだけで済んでいるが、海外ではあの映像のように暴動が起きまくっているのである。
あ、暴徒がまとめてぶっ倒れた。
こういう時は催涙ガスが鉄板だったはずだが、新しく鎮圧用の技術も輸入したのだろうか。
「荒れてるなぁ……」
ホログラムが鎮圧後の光景に切り替わり、リポーターが被害状況などを話し始めたため再び歩き出す。
日本では多くの人々が今の祈里のように他人事みたいな顔をして過ごしているが、正直日本もいつああなるか分からない。
過激な人というのは世の中に一定数いるし、あの協定によって何か実害が出始めたらさらに暴徒は増えるはずだ。
そうなると祈里の周囲にも危害が及ぶ可能性がある。
「……ていうかこの世界の立場が弱すぎるんだよね、色々と」
特筆すべき技術は無く、武力では遠く及ばず、文化は見向きもされない。
四回も世界大戦が起きるほど争い合い、足を引っ張りあったこの世界には他の世界にとって魅力的なものがほとんどなかった。
いずれ世界は異世界たちに食い潰されるようになり、物価高やなんやらで生活は更に苦しくなっていくだろう。
はっきり言おう。そんな生活はごめんだ。
今、ただでさえ両親が他界し保護者もいない状態なのだ。
物価まで上がってしまえばバイトと親の遺産でしのぐのも厳しくなってしまう。
「久しぶりだなぁ、ここ。何で昔あんなに通ってたんだっけ」
治安の悪化の影響を避け、ある程度豊かな生活を続けるためにはどうすればいいか。
その答えを得るために、祈里は県立データベース閲覧所の門をくぐるのだった。
□□□
「俺たちは今週末、異世界に引っ越しをします」
「……ん?」
夕飯時。
データベースでいろいろと調べて出した結論を聞いた祈里の妹は、ハンバーグを箸で切る手を止め、呆けたような声を出した。
「弟クン。急にどしたの?風邪ひいた?」
「熱でとち狂ったと判断するのは、せめて話を聞いてからにしてほしいな」
いつの間にか逆さまに浮かんだ状態で額を合わせにきた妹を席のほうへ押し戻し、空気を改めるように咳払いをする。
「今の地球の状況は知ってるでしょ?」
「まあそりゃね。変な協定を結ばされてて、世知辛いなーとは思ってたケド」
「じゃあ異世界に引っ越すしかないんじゃないかなと」
「結論単純すぎない?」
野菜ジュースを飲み干した妹は苦笑し、指を鳴らす。
その瞬間、目の前に九つの世界の3D断層図がホログラムのように浮かび上がった。
「ま、ボクがいるから無理難題ってわけでもないんだけど。感謝してよ?」
「あざーす」
「主導権がこちらにあることを忘れてるみたいだね」
彼女がジト目になった瞬間断層図が消え、代わりに目の前に巨大なピコピコハンマーが浮かび上がる。
感謝の言葉がお気に召さなかったらしい。
「ごめんごめん冗談だって!あー悪魔の妹がいてよかった――あだっ」
「だからボクはお姉ちゃんだって」
わりと威力のあるピコピコハンマーの一撃に、おもわず頭を押さえる祈里に鼻を鳴らして見せながら、妹は再び断層図を出現させた。
彼女の名はデルティニス。
愛称は略してティニー。
母が病気で他界した影響で悪魔崇拝に傾倒していた祈里の父がうっかり命と引き換えに召喚してしまい、なんやかんやで祈里の家族になった正真正銘の悪魔だ。
姉なのか妹なのかは諸説あるため確定していない。
元は二層目や三層目の世界で辻斬り的に願いを叶え、対価としてその者にとって一番大切なものを奪っていくという、物凄くタチの悪いことをしていたそうだ。
そんな血も涙も無さそうな超常的存在がなぜ最下層である九層目の、しかもこんな普通の住宅街に住む普通の人間である祈里に付き合ってくれているのかは、未だによく分からない。
理由を尋ねても『願いの悪魔だからだよ』の一点張り。
なので最近では、悪魔業を続けるのが体力的に厳しくなってしまったという説が祈里の中で濃厚になっている。
年齢を頑なに教えてくれないのも、おそらくそういうこと――
「今、失礼なことを考えてるね?」
「……第四層とかどう?ほら、空の世界とか景色良さそうだし」
「フンッ」
「痛っ!?」
腕を伸ばして祈里に強烈なデコピンを一発食らわせたティニーは、断層図の四階層の部分を拡大する。
そこでは羽の生えた人形が弓や銃を抱えて優雅に飛び回っていた。
「鳥人達の世界だね。確かに翼をつけるだけで紛れることが出来るから住みやすいかも」
「でしょ?」
「でもここって昔の戦争で月が破壊されたせいで隕石がよく降るんじゃなかった?年間で数千人は隕石被害にあってた気がするんだけど」
「よしやめよう」
そんな毎日ロシアンルーレット状態の世界に住むなんてたまったもんじゃない。
というかデータベースにそんな情報は無かったはずなのだが。
「やっぱり大して情報教えてもらえてないってことかな。平和式典で対等な関係を~とか言ってたのに」
「建前だったんでしょ。それより、第五層はどう?」
そう言ってティニーが拡大して見せたのは、陸地が全て海に沈んだ世界だ。
エメラルドグリーン色に着色された水の中を尾やヒレが生えた人形たちがのんびりと泳ぐ姿は確かに魅力的に見えるが……
「俺、溺死しない?」
「ボクの力で種族を変えればいいんだよ」
「それ元に戻れる?」
「……イノリの気分によるカモ。肉体を再構成するわけだし」
「怖っ」
なんか倫理的にアウトそうなので第五層は避けることにする。
そうなると残った中で人が住んでいる世界は三つだけ。
とりあえず地底世界の第六層は除外するとして、残るは魔法が存在する第七層か、それとも科学技術が発達しまくったSF世界の第八層だ。
「じゃあ第八層で」
「あれ、第七層はいいの?魔法だよ?男の子のロマンじゃん」
「いいんだよ」
男心に理解のあるティニーの不思議そうな顔に苦笑する。
どうやら理由が自分自身にあると本気で気づいていないらしい。
瞬間移動も空中浮遊もできる妹が身近にいると、わざわざ自分で魔法を学ぶメリットを薄く感じてしまうのだ。
それに、訓練して火の玉や水鉄砲を撃てるようになっても日常生活では使い道がない。
なら手軽に数世代先の技術を楽しめそうなSF世界に住むほうがいいに決まっている。
「そっか。じゃあここでいいとして、引っ越しの荷物はどうするの?」
「後から家ごと送ってほしいんだけど、できる?」
「悪魔使いが荒いね~。まあ一か月分貯まってるからできるけどサ。」
コーンスープを口に含みながら軽くうなずくティニー。
ティニーが叶えられる願いにはいくつか上限や制限があり、その内の一つが『エネルギー』不足だ。
願いを叶えるには悪魔が独自に保有する特殊なエネルギーが必要で、ティニーはそれを日々の食事でコツコツと溜めているらしい。
ならたくさん食事を用意すればそれだけエネルギーが溜まりまくってなんでも願いを叶えられるのかというと、そういうわけでもないらしく、美味しい料理を適度に楽しく食べるのが一番効果的だそうだ。
まあ財政状況がそこまでよくない我が家にとっては、食費が少なくて済むためとてもありがたい話である。
「一応イヤホン型とコンタクト型の異世界対応翻訳機は買ってきたから、あとは……服か」
調べてみると、第八層では男女ともに裾の部分がゴムなどでキュッと締まる、所謂ジョガーパンツというやつとスウェットがデフォルトで、後は好みで上をパーカーに変えたりコートを羽織るスタイルらしい。
それにしても『第八層 服装 画像』で検索したのだが、見事にすべての画像がジョガーパンツだ。
また情報が絞られてるのかと思ったが、第八層の街並みを映したらしい画像もジョガーパンツばかりだったため本当の情報なのだろう。
「空飛ぶバイクとかスクーターに乗るからかな?」
「ん?何か言った?」
「いや、八層はジョガーパンツが主流らしくてさ」
「じゃがーぱんつって?――ああ、ヒョウ柄のズボンね」
「そうそう。よく知ってるね」
「フフン。悪魔は博識なのサ」
「……」
どこをどうツッコむか迷ったためスルーし、通販サイトを開いてジョガーパンツを二着購入。
明後日には届くだろう。
「とりあえずティニーの分も一着注文したから」
「え、やったー」
余談だが、届いたジョガーパンツを見たティニーは少し残念そうだった。
なんでも、自分で着たかったというよりは普段大人しめの服しか着ない祈里が着ているところを見て爆笑したかったらしい。
誰に似たのか分からないが、性悪である。