2,アジサシ、開店
空を進む馬車の中から窓の外を眺める。
眼下には、海と陸の境目が広がっていた。このまま海岸線を辿ると、大陸間が細くなっている関所部分に着くのだが、アジサシの馬車はそこを通る必要も無いのでそのまま少し海側へ逸れた。
この世界の陸地は、全て繋がっている。大陸を分けるように細くくびれた陸地には関所が設けられ、人の通行を監視しているのだ。
第一大陸から第五大陸までがぐるりと円を描くように繋がって、内海と外海を隔てている。
その二つの海を行き来出来るのは、第一大陸と第五大陸の海峡だけ。
第六大陸は、内海に面しておらず、第四大陸に隣接している。そこからさらに第七大陸に繋がるが、第七大陸は基本的に門を閉ざして人も物も行き来は無い。
ちなみに、今アジサシが通過している海は内海だ。
「さーて、アンドレイ」
「はいはい」
「道順を決めよう。とりあえずは、ギベの村だね」
「ダラン村を通って、ガルダに入って、その後は?」
「ヴィの村にも寄っておこうか。漁村にも寄りたいねぇ」
話している間に馬車が下降を始めた。
どうやら、第三大陸の内陸まで移動していたようだ。
周りに人のいない草原に静かに降り立った馬車から一度降りて、チグサは綺麗な装飾が施されている輪飾りを取り出す。
慣れたように大人しくしている馬の足にそれを付けると、美しい馬の毛並みの色が変化した。
真っ白と真っ黒だった二頭は、揃ってよく見る茶色の毛並みに変化して、発せられていた魔力がほとんど分からないくらいに抑えられる。
「よし、じゃあ行こうか」
馬の頭を撫でながら声を掛ければ、返事のように鼻先で手を押し返された。
アジサシの馬車が空を進める理由は、この馬たちだ。
まだアジサシを始めたばかりの頃にチグサが見つけて、二頭まとめて買い取って以降、こうして巨大な馬車をけん引したまま空を進んでくれている。
チグサがこの子たちを見つけた時、二頭はこの目立たない茶色の毛並みをしていた。
その時には既に足にあの魔道具が装着されており、馬喰がそれを外そうとすると酷く暴れるからそのままなのだと説明をうけたのだ。
それ故に、まさか空を進めるような馬だとは思われておらず、二頭まとめて当時のチグサでも買い取れるくらいの値段しか付いていなかった。
まぁ、実際は手持ちが少し足りなかったから盛大に値段交渉をしてどうにか買い取ったのだが。
それくらい、チグサはこの馬たちが欲しかった。
一目見た時からその毛並みと魔力に違和感があったから、買い取った後に人のいない静かな森で足の飾りを外し、本来の毛並みである純白と漆黒を見た時にはテンションが馬鹿上がって馬に煩がられたりもした。
一目見ればただの馬では無いと分かる毛並みと魔力は、美しいが同時に面倒事も引き寄せる。
だから人の集まる場所へ行くときは、魔道具を付けて茶色の馬二頭に姿を変えて貰うのだ。
二頭もその方がいいらしく、人の生活圏から出れば飾りを外せと催促するが、村に立ち寄る前には飾りをつけるまで動かない。
再度馬車に乗り込んで、チグサは御者台に座る小柄な人影に声を掛けた。
外套のフードを目深に被っていて表情は分からないが、いつもの事なので気にしない。
「カタリナ、まずはギベの村だ」
「あい」
緩く返ってきた返事に笑い返し、梯子から二階へ上がる。
そして二階の窓から一階の屋根に上がり、そこに腰を下ろした。
ここからは陸路だから、ここに座っていても問題はない。ここはチグサのお気に入りの場所で特等席なのだ。空を進んでいる時か、天気が悪い時以外は大体ここにいる。
何か問題が発生して馬車が急停止や急旋回したとしても、それなりに広さのある場所なので転げ落ちることはない。
本当に、ごく稀に落ちることもあるが、これまで長く旅をしてきて数回しかないので、まぁ無いと言ってもいいだろう。
そんなわけでいつも通り屋根の上でくつろいでいる間に、馬車はどんどん進んで目的の村が見えてきた。
村によっては入口の狭さ、高さの問題で村の中に入れないこともあるのだが、このギベの村は通れるギリギリの大きさをしているので、入口のゲートを崩さないように慎重に中に入る。
「アジサシだ!」
村に入った途端に聞こえた嬉しそうな声に笑って手を振ることで応じ、馬車が止まったのを確かめて地面に飛び降りた。
そして、馬車の方を振り返って大きく声を張る。
「アジサシ、開店!」
声を合図に馬車の壁が開き、カウンターへ早変わりする。
その作業を終えてアンドレイが傍に来たので、アジサシの馬車へ駆け寄って行った子供たちを追うように歩いてきた大人たちへ声を掛ける。
「やあ、今回は果実を買いたくて来たんだけれど……大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ。今年も大豊作なので、買って行ってもらえるなら有難い」
毎年来ている村なので、話が早い。
店の方は任せてしまって大丈夫なので、チグサはアンドレイを連れて収穫済みの果実を確認しに行くことにした。
多めに買わないと売る分が無くなってしまうから、今回の仕入れはそれなりの量になるだろう。