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追放天使と見習い悪魔

作者: 南華

「―――天使界法第202条により、人間界への追放とする」


ざわめく法廷。


人間界への追放……それは不老不死の天使にとって一番の罰である。

しかしその天使は笑っていたという。


何故なら……


その天使は自分の決断が正しいと疑っていなかったから






◇◇◇


「いらっしゃいませ」


「ルーナちゃんこんにちは、今日もいつものお薬もらえるかしら?」


「わかりました。252ゴールドになります」


採取してきた薬草でできた薬を、後ろの棚から取り出す。


「お大事になさってください」


「えぇ、いつもありがとうね」


お客さんを見送った後、私は両手をあげて体を伸ばす。

時計の針はもう17時を指しており、薬屋はもう閉業の時間だ。


そろそろ店を閉めようとドアへ向かおうとしたが、私はどこからか謎の視線を感じて、店の中を見回す。

中ではない……この視線は外からだ!


窓の向こうからこちらを凝視しているのは……二本の黒い角に特徴的な黒い羽根……まさしく「悪魔」であった。


もう閉店の時間なので、店の看板を裏返さなくてはならない。

なんだか面倒ごとに巻き込まれるような気がして気が乗らなかったが、私は仕方なく外へ出た。


ドアにかかっている「開店」の看板を裏返している間にも、その悪魔はこちらを見つめてくる。

まさかずっとここにいる気だろうか?


普通の人から見れば悪魔も人間に見えるはずではあるが…… 人間の姿であったとしても、窓に張り付く不審者が店の前にいるのは営業妨害である。


「あの」


私が声をかけると、その悪魔は驚いたように体を震わせた。


「営業妨害なのでどいてもらえますか? それとも……そうすることで私の店のもうけを減らそうというのがあなたの『悪行』ですか?」


「……ち、違うんだ。ただ、その……お金をとるんだなと思って」


「薬の対価としてお金をもらう。当然のことでしょう?」


「だって君は見習い天使だろう? 普通、天使は見返りを求めず『善行』をする生き物なんじゃないのか?」


「……」


目の前の悪魔は、どうやら私のことが天使に見えているようだ。


「ふーん、でも、それはあなたにも言えるはずよ。私とお客が取引している時からそこにいたのに、何もしなかった。普通、悪魔は『悪行』をする生き物なんじゃないの?」


私の言葉に、彼は黙ってしまった。


「僕はまだ見習いの悪魔なんだ。だから……その、そういうことをするのはまだ慣れていないだけで……できないわけじゃない」


「へぇ」


面倒ごとが舞い込んできたと思っていたが、案外彼は面白い悪魔のようだ。

「悪行」を苦手とする悪魔なんて初めて見た。

彼なら、私のつまらない日常を彩ってくれるような気がする。


「それなら明日10時からまたこの店に来て。その『悪行』をみせてもらうから」


「ほ、本気か!? でも、天使と悪魔は関わってはいけないという暗黙のルールがあるじゃないか!」


「そんなの、どうでもよくない? どうしてそんなルールがあるのか、あなたは理由を知っているの?」


「知らない……ふん、いいだろう。僕も君がちゃんと『善行』をしているのかどうか見に来るよ」


それだけ言って彼は姿を消した。


◇◇◇


「いらっしゃいませ……あ、昨日の」


「僕はソルだ」


それだけ言って彼は店の椅子に腰を掛ける。


「私はルーナ。さて、お手並み拝見ね」


私がそう言った瞬間に店のドアが開き、一人の女の子がやって来た。


「ここがおくすりやさんですか!」


お使いだろうか?

明らかに買い物に慣れていなさそうな彼女は、大きな声で私に尋ねた。


「えぇそうです。何の用ですか?」


「お母さんがびょうきになっちゃったからおくすりください!」


差し出されたメモに書かれている症状に合う薬を用意しながらも、女の子とソルの様子をそっと見てみる。


「おにーちゃんは店員さんなの?」


「僕は……ただの客だ」


「そうなんだ! もしかして……びょーきなの?」


「いや……そういうわけじゃ……」


子ども相手にたじたじになっているソルを見て、薬を包みながら思わず心の中で笑ってしまった。


「準備できました、300ゴールドです」


「ありがとう!」


女の子は300ゴールドきっかり私に手渡すと、薬を大事そうに持って店のドアへと向かう。

結局ソルは見習い悪魔のくせに悪行はできないのか……なんて考えていると、彼は女の子の通る道に向かって足を突き出した。


そのまま歩けば女の子は転んでしまうだろう……一歩、二歩、どんどんその足へと近づいていき……ついに女の子はバランスを崩してしまった……が、


「ありがとうお兄ちゃん! ごめんね躓いちゃって」


「……」


ソルによって支えられた女の子はお礼を言うと、今度こそ店を出ていった。


「自分で足を出しておいて、自分で助けるなんて……何意味のないことをしているの?」


「君は見習い天使だろう!? 君が助けると思って僕は何もしないつもりだったのに……あのままだったら女の子が転んでしまっていたじゃないか!」


「私はあなたと違って、『善行』をするなんて一言も言っていないわ。それに、女の子が転ぶように『悪行』をしたのはあなたでしょう? どうして私に対して怒るのよ」


正直に言えば、ソルはきっと悪行を完遂できないだろうと思ったからこそ、助けなかったのだけれど。

やはり予想通り、彼は悪行が苦手な悪魔のようだ。


「それで、ソルはどうするの? まさか自分で助けても悪行にカウントされるわけじゃないでしょう?」


「……」


見習い悪魔が悪魔になるための条件。

それは数々の悪行をした後に、人を「殺す」ことである。

無事に悪魔になり更なる悪行を重ねれば、彼らの神の元へ行くことが出来るというわけだ。

同じように見習い天使は、善行を積んだ後に、人を「救う」ことで天使になることが出来る。


「僕は……」


口を開けて、口を閉じて、を繰り返していたが、遂に決心したように私の方を見た。


「僕は見習いの悪魔だけど……悪行なんてしたくないんだ」


「そうなのね」


「君はいつも興味がなさそうな返事をするね」


「これでも割とあなたには関心があるわよ?」


心外だ、と口をとがらせると、彼は少し心がほぐれたようだった。


「どうして悪行が嫌いなの?」


「前に悪行をしたときに……うっかりその結果、人間を助けることになってしまったんだ。でもその時に助けた男の子の笑顔を見たら、僕はどうして悪行なんてしているんだろうって思って」


「ふーん」


「やっぱり返事が冷たくないか!?」


「ううん、考え事をしているだけ」


悪行が嫌いな悪魔。

彼は……どういった一生を送るつもりでいるのだろうか?


「で、悪行をしないとずっと見習い悪魔のままなわけだけれど、それでいいの?」


「それは……怖い。ほら、僕らは不老不死だから、悪魔になって悪行を積んで、神の元へ行かないと救われない。天使も同じだろう?」


「そうかもね」


悪行は嫌いだけれど、一生見習い悪魔のまま永遠を過ごす気はないと。

まったく、意志の弱い悪魔だ。

でも……そんな悪魔は嫌いじゃない。


「それなら心が痛まない悪行をすれば? 面白そうだし私も手伝うから」


「分かった……って、え!?」


「ほら、今外で家出少年が座り込んでる。連れて帰ったらきっと男の子はあなたを恨むでしょうね」


「でも……あの少年を親元へ連れ帰るのは善行じゃないか!」


「そう? それは親からしたら善行かもしれないけれど、少年からすれば悪行かもしれないでしょう?」


「……変な天使だな」


「そっくりそのままお返しするわ」


「……ははっ、それなら悪行をしてくるとするよ」


この日から、私はソルが悪行を積むための手伝いをするようになった。


◇◇◇


それから一年。

薬屋は今日もそこそこの儲けを出している。

そして……


「ただいま」


「あら、もう閉店よ」


「ちょっと、僕だよ僕」


二階で夕食を作っていると、階下から声が聞こえてきた。


「今日はどうだったの?」


階段を駆け上がってきたソルに声をかける。


「今日は八百屋の前にいた人の頭を叩いて、仕事中の人の書類を窓からバラまいて、おばあさんの家の庭に咲いてる花を抜き取ってきた」


全部悪いことのように聞こえる……けれど、彼は本当の悪行などできない。

きっと今日も人助けをしてきたのだろう。


「そう、順調そうで何より」


私は二人分のパンをお皿に盛り、スープをよそって、テーブルの上に並べる。

私達はいつものようにご飯を食べながら、ソルの話を聞いた。


知れば知るほど、普通の悪魔にはない面白さをもつソルに対して、私は不思議な感情を抱いていた。

「大切にしたい」「そばにいたい」そんな気持ちとはもう無縁だと思ってたのに。


「どうかした? なんだか元気がないけど……」


「ううん、何でもないよ」


ソルは私のことについて深くは聞いてこない。

その距離感が私にはありがたかった。


「そう言うソルこそなんだか元気がなさそうに見えるけど」


「あぁ、やっぱりルーナにはバレるか……」


乾いた笑いをこぼすソルは、その悩みを打ち明けようとした。


「……そろそろだと思うんだけど……最終試験が


彼がそう言いかけた時、窓を叩く音が鳴った。

二階の窓を叩いてくるなんて、普通の人間ではない。

誰だろうと音のする方向をみれば……悪魔の姿があった。


「隠れて!!」


何故かソルは私をタンスの陰へと隠す。

そんなことをしても、もう見られているのに。

私はそっと彼らの様子をうかがってみた。


「無事に……」


「ありが……ござ……」


「最終試練……そこ……何故……人間」


「……」


「……」


五分ほど会話をしたかと思えば、その悪魔は窓から飛び立っていった。

ソルはそれをしばらく見つめた後、そっと私がいる方へと近づいてくる。


「もう終わった? どうして私を隠したの?」


「それは、悪魔と天使が一緒に居てはいけない暗黙のルールを破っているところを見られてはいけないと思ったから」


彼はそのまま私のことを見つめるばかり。

しばらくして困惑の色をその瞳に宿しながら、こう問いかけてきた。


「……君は……ルーナは、一体、誰なんだい?」


「気づいちゃった?」


「さっきの悪魔が僕に『十分な悪行をしたから、後は人を殺すだけでいい』と伝えに来たんだ。あと、『そこに隠した人間を殺せばいい』とも言っていた。つまり君は……見習い天使じゃない」


「そういうこと、私は天使なんかじゃない」


「それならどうして、僕にはルーナが天使に見えるのか……」


おそらく羽があるのであろう位置を、そっと触るように手を動かす。


「君は人間なのか?」


いつになく真剣に語りかけてくるソル。

深く聞いてこない距離感がありがたいと思っていた矢先に……

でも、これで何も話さないのはいくら何でも、一年間一緒に居た彼に不誠実だ。


そう思って、私は私の秘密を……彼に打ち明けることにした。


「……数千年生きてきて、私を天使と見た人はソルが初めて。もしかしたら、あなたが悪魔の中でも特殊な考えを持っているから、なのかもね」


そこで一息ついてから、もう一度話を始める。


「私は見習いの天使だった――――


◇◇◇


見習いの天使として順調に善行を積み重ねた私は、人を「救う」ことができれば天使になることが出来る段階まで来ていた。

でも……人を救うなんて状況自体があまり喜ばしいことではない。

だから、偶然その時に出会うまでのんびり人間を助けていこうと思っていた。


「ルーナ、今日も来てくれたの?」


「えぇ、あなたと遊ぶのはとても楽しいもの」


この時の私には大切な友達がいた。

私が助けたことで友達になったのだけれど……彼女無しの生活なんて考えられないほど彼女のことが大好きだった。


お嬢様である彼女は、あまり外に出ることは許されていないそうで……だから私は毎日彼女の部屋の窓を叩いて、遊びに来ていたのだ。


しかし……ある日を境に、彼女はベッドから起きることが出来なくなった。


「ねぇ、流石に病気が長引きすぎてない? ちゃんと薬は飲んでる?」


「ふふっ、私のことなら大丈夫。それよりも、外の話を聞かせてちょうだい?」


ルーナは心配性なんだから、という彼女の笑顔を信じて、私は何も知らずに彼女と過ごしていた。

だが、そんな平和な日々にも終わりはやってくる。


「……ルーナ? えへへ、来ちゃったのね」


「来ちゃったのね……じゃない! どうしてこんなになるまで教えてくれなかったの!?」


一週間ほど会えていなかった間に、彼女は死人のような青白い顔になっていた。

話し声も小さくかすれており、ただの病気ではないことは見ただけでわかる。

死の匂いが濃く漂う雰囲気の中、彼女は口を開いた。


「……ごめんね、ルーナには隠していたかったの」


「そんな……もしもっとはやくに教えてくれていたら」


「はやくに教えていても結果は同じよ。それなら病気のことなんて気にせず、ルーナと遊びたかった」


彼女はお嬢様だから外に出れないわけではなかった。

生まれつきの病気のせいで、体が弱かったのだ。


天使は不老不死だから、事故などから人をかばうことは出来る。

しかし病気となれば……私は無力だった。


「何か、何か! 私にできることはないの?」


「……私がお願いしたら、ルーナは叶えてくれる?」


「当たり前じゃない! だってあなたは私の大切な友達だもの」


彼女の細い腕にしがみつく私。

そんな私に彼女はこうねだったのだ。


「私を……殺してほしい」


◇◇◇


「彼女は死を待つ運命にあったの。死はつらい。苦しみや痛みと共に訪れることがわかっていた。だから、私は嘱託殺人を犯した」


テーブルをはさんで向かいに座っているソルは、唇をかみしめている。


「その後人を殺した私は裁判にかけられた。『人間界への追放』の罰を負うことになった私だけど、私はそれが善行だったと疑わなかった。いくら天使たちや彼女の家族にののしられようと、それが彼女の願いだったから」


部屋の中は静寂に包まれる。

私はもう一度口を開いた。


「ソル、あなたはどう思う? 私がやったことは果たして悪だったのか」


私の問いかけに、彼はしばらく考えた後、首を横に振った。


「……わからない」


「実を言うとね、私ももうわからないの。裁判にかけられた後は、人間として一生を終えるものだと思っていたのに……私の罪は重かったみたい。心臓だけは天使のままだった。不老不死の人間として、数千年を過ごしていくにつれて、何が善で何が悪かなんて、わからなくなっていった」


世界中を渡り歩いて気が付いたことは、善悪の基準なんてどこにもないということ。

私が見習い天使だったころにしていたことも……もしかしたら私にとっては善行だったけれど、誰かにとっては悪行だったのかもしれない。


そんなことを考え始めたら……なんだかもうすべてが面倒になっていった。


「でも、そんなときに私の前に現れたのが、ソル、あなただった」


「僕?」


「えぇ、悪魔のくせに、悪いことはしたくないってね」


「馬鹿にしてる?」


「そうかもね。数千年生きてすべてが面倒になった私に、一緒に居たいとか、大切にしたいだとかいう感情をよみがえらせてくれるほどには馬鹿」


「……それって」


私にはその先にどんな言葉が続くか理解できた。

何故なら、一年一緒に過ごす中で、彼も私に対して同じような思いを抱いてくれていることは伝わってきていたから。

きっとこれは私のうぬぼれではない。

でも……その言葉を聞くわけにはいかなかった。


「だからね、ソル……私を殺してほしい」


「……」


「前に、『天使と悪魔が関わってはいけない』というルールが何故あるのかって聞いたでしょう?」


ソルは完全に困惑した顔をしている。

これから私が何を話すのか、まったく予想できていないようだ。

そんな顔さえ可愛く見えてしまうのだから、私は相当彼にほだされているのだろう。


「その理由はね、数千年前の天使と悪魔の戦争に由来するの」


私がまだ見習い天使だった頃。

悪魔と天使の間で戦争が起きた。

双方不老不死の体を持っていたが、何故かお互いを殺すことが出来てしまった。

沢山の天使が、そして悪魔が、醜い争いの中で死んでいった。

もともと不老不死を前提とした数しか天使も悪魔も存在しない。

だから……戦争によって双方、とても少なくなってしまったのだ。


それ以来、天使と悪魔が関わることは禁じられた。


「私は天使界でも異質な存在だった……何故ならその戦争で悪魔を助けたから。きっと私のことが皆気に入らなかったんでしょうね。人間界に追放する罪に加えて、私に不老不死の天使の心臓だけは残す、なんて嫌がらせをしたんだから」


「つまり……ルーナは、悪魔である僕に……天使としての部分も殺せる僕に、不老不死を断ち切ってほしいというのか?」


「そういうこと」


「でも、そんなのって……」


「ソルは人間を殺さなきゃ、一生見習い悪魔のまま。つまり、不老不死。そのつらさは私が一番味わってきたの。大切な人だからこそ、そんなつらさを背負ってほしくない。だから……善行だと思って……私を殺して」


「でも僕は、ルーナと一緒なら不老不死でも……」


「それに言ったでしょう? 私はもう疲れたって」


「……」


「さっきの悪魔は、『最終条件をクリアすれば悪魔になれる』って伝えに来てくれたんでしょう? ほら、人間の私を……人間でありながら死ねない私を……殺して」


ソルはしばらく動かなくなった後に、スッと立ち上がり台所へと向かった。

そして……目当ての物を持ってきて、私の方へやってくる。


「ルーナ、君は僕にとって大切な人だった」


「私も、最期にソルに出会えて良かった」


「大好きだよ、ルーナ」


私は右胸に鋭い痛みを感じたあと、視界は黒くぼやけ、次第に音が遠のいていった。


◇◇◇


「まとめて487ゴールドです」


「ありがとうね。そういえば最近ソル君を見ないわね、どうしたの?」


「あぁ、彼は……ちょっと旅にでているんです」


「そうなのね、若いころに世界を見て回るのは大切なことよ。でも、それじゃあルーナちゃんは寂しいんじゃないの?」


一週間に一回、決まった薬を買いに来てくれるおばさんが、ストレートな質問をしてきた。


「……まぁ、少し」


「あらあら、早く帰ってくるといいわね」


そう言って、おばさんは店から出ていった。


あの後、殺された翌日に……私は目を覚ました。

床に倒れていたため、背中が痛かったが、刺された右胸には何も傷は残っていない。


そして……自分の体が時を受けて入れているのを感じた。


きっと私は不老不死を断ち切って、本当の人間になったのだろうと思っている。

そばに彼はいないけれど。


それでも、これまで人間界で生きてきた経験や、彼と過ごした時間をもとに、この限りある人生の中で、もう一度善悪について考えてみてもいいかもしれない。


そう思っている。


時計の針を見れば、閉業時間の17時を指していた。

手元にある薬をしまってから、ドアにかけてある看板を裏返しに行こう。

そう思った時、ドアが開く音がした。


「ただいま」


懐かしい声。

数千年の内、彼と過ごしたのはほんの一年だったにも関わらず、私はその声を心から欲していた。


「……もう閉店よ」


「ちょっと、僕だよ僕」


振り返ればそこには……ソルがいた。


「やっぱり生きてたんだ。じゃないとおかしいと思ったんだ」


「ソルのほうこそ……どうして戻ってきたの? 悪魔になったんじゃなかったの?」


「僕だってそう思ったよ。でも僕を迎えに来た悪魔は、僕を式典会場ではなく、法廷に連れて行った」


彼はドアに掛かった看板を裏返し「閉店」にすると、店の奥まで入ってくる。

私は椅子を二つ並べ、二人でそこに腰を下ろした。


「裁判長が言うには、僕は一人の人間を救ったらしい。それも、僕はあふれんばかりの感謝を受けたそうだ。だから、僕は罰を受けなければならない……つまり、人間界へ追放されたんだ」


私が殺人を犯したときには彼女は死んでいた。

だから感謝の気持ちがあったとしても届かなかったのだろう。

でも、今回殺された私は……殺されることに感謝していた私は……死んでいない。

それによって、ソルは人間界に追放されて……


「え、じゃあまさかあなた……」


「不老不死ではないただの人間になった」


「……」


ソルは清々しい顔でにっこり笑った。

私はそんなソルを見ていたら、何千年前にどこかに忘れてきてしまった涙があふれてきた。


「……ルーナは前に『私のやったことは悪なのか?』って僕に聞いたよね?」


私が犯した嘱託殺人。

それはソルも……


「あの時は唐突だったから言えなかったんだけど……僕は、善悪の判断は自分ですればいいと思うんだ」


「自分で……?」


「あぁ、一つの行動だとしてもそれは善にも悪にもなり得る。それなら、自分が思うままに判断すればいいんじゃないかと思って」


答えになっていないかな? と不安そうな顔をするソルに、私はずっと奥底にしまっていた笑顔で答えた。


「それって、とっても素敵な考えね。何千年と生きていたのに……そんな考え、思いつかなかった」


「そんなに褒められると照れるな」


彼は顔を赤くして、頬をおさえている。


「ソル、私と出会ってくれてありがとう。人間であり天使であった私を見つけ出してくれてありがとう。長年さまよっていた私に光をくれた……私が月だとしたら、ソルはきっと太陽ね」


「僕の方こそ、ルーナがいなければ、取り返しのつかないことをしていたかもしれない。あの日僕に話しかけてくれてありがとう」


夕日が部屋を照らす中、私たちはそっとキスをした。


◇◇◇






「と、これが私のおじいちゃんとおばあちゃんのお話だよ」


「ええ! じゃあ、僕達って天使と悪魔の血が流れてるの!?」


「私、天使になりたーい!」


「でも……二人とも人間になったからねぇ……」


「そっか、残念」


「それで? その後二人はどうなったの?」


「二人は仲良く一生を過ごして、今は一緒のお墓で眠っているよ」




お終い

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