98.あれから二年①
朝霧が湖面を覆い、陽光が湖面に柔らかな光を浴びせているレンモール湖。小鳥のさえずりを聴きながら、桟橋から眺める風景に目を細めるライオネルは、明るい希望に満ちた未来を想像しては、胸を高鳴らせていた。
(おはよう、今日も一日が始まる)
見上げた瞳に映る綺麗な青空は、清々しい気持ちにさせてくれる反面、ライオネルには寂しさを彷彿させる。
あの日から今日まで、二年の歳月が経過していた。
月日が流れるのは早く、愛する人を迎え入れるために、日夜奮闘する日々を過ごしていた。
◇◇◇
クレイアス国王は、議会における審議の結果、斬首刑執行の決議が採択される。
処刑場には大勢の観衆が集まり、終焉の訪れに、ざわついた空気に包まれていた。
号令とともに姿を現した国王。鋭い視線が一点に集中して、どよめきが起こる処刑場は緊迫した雰囲気へと一変していた。俯いたまま、誰とも視線を合わせず、口を真一文字に結び、ゆっくりと台に上るクレイアスは、未だ罪を認めず黙秘しているかのように、そう捉えられてもおかしくない意味深な態度を取る。国王の姿に観衆は殺気立ち、もはや救いようのない人間に慈悲はなく、敬愛の心は微塵もない。怒号と罵声が飛び交う中、この世を去った。
地下牢に収容された罪人たちは、国王と同じくして、公開処刑される。
絞首刑が執行される中で、最期の最期まで悪足掻きをするザィードとシーラは、ロマイクスが悪魔の形相で恫喝させて鎮めていた。憂いが晴れた穏やかな笑みを見せるロマイクスは、「あにうえ」と大きく口を動かして、声は出さずとも兄を慕う言葉を紡ぎ、最期の別れを告げる。愛する弟に、兄は別れの言葉を手向けた。「ありがとう」と優しく微笑みかけるライオネルに、満面の笑みを浮かべるロマイクス。嬉しさと悲しみが入り混じりながらも、兄弟愛を確かめ合う二人は、互いに涙を流して最期の一瞬を心に刻むのであった。
まるで青空のように、晴れやかな表情で見送るライオネルに、クライシスとマリアンヌは安堵して優しく微笑むのであった。
雲一つない空に、燦々と輝く太陽の光を浴びて、青葉の爽やかな香りが、心地良い初夏の風に乗って運ばれてくる。
春から夏へと移ろいゆく季節に、ロズウェル国は静かに、ゆっくりと歴史に幕を下ろした。
王族が意図的に黙認した罪は白日の元に晒されて、長い間、暗闇の中に葬られていた真実が露見される。
国を愛し、支え続けてきた民は、心が報われる刻を切望して、すべてが明かされる日を待ち望んでいた。
大歓声が上がる中、市街地の中央に位置する時計塔のバルコニーから、一際大きな声で高らかに宣言するクライシスに、群衆から拍手喝采が降り注ぐ。
クライシスは権威の象徴、権力を振り翳す君主を生み出した、ロズウェル国の紋章が刻まれる玉座を、公衆の面前にて真っ二つに破壊した。まるで過去の呪縛を完全に断ち切るかの如く、見るも無惨な姿となる。
だが、破壊された玉座は王宮の一室に飾られて、大切に保管されていた。
忌まわしい過去を忘却せず、己への戒めと後世にまでネビルの敬愛精神を受け継ぐ意味を破壊した玉座に込めるクライシスは、目にする度、報われなかった者たちの心は救われると、固く信じて疑わない。
“民を愛して、平和と幸福をもたらす”
ネビルが抱いた信念を貫くために、努力を惜しまなかった。
王族の使命を果たしたクライシスは、その後、真価を発揮して、新国の王と認められたのであった。
ーーー過去の罪は、善行を積めば、未来は必ず幸せな報いを受けるーーー新生国が建国される日を夢見て、命のある限り復讐を続けたミレーナの悪行は、ようやく浄化されたに違いない。
新生国誕生二周年を迎えるオリビア国。
オリビア連合国総帥クライシスが腐敗したロズウェル国を、新たな国に生まれ変わらせた日。
ガバニエル伯爵家に厳重に保管されていた国王証書と印璽、更にはライオネルがザィードから守り抜いた証明書が確固たる証拠となり、ロズウェル国の深い闇が暴かれた日。
ゴードンの祖父デニスが命懸けで遺した証書は、その後もイザークが、尊敬する義父と誓った約束と、亡き妻の想いを胸に大事に守ってきたのであった。クライシスは証書を手にする前から、彼らの想いを強く感じて、身が震える思いであった。
想いや期待に応えるように、大きく動き出すクライシスは、国の変革に乗り出す。
瞬く間に民から厚い信頼を得て、国王に即位するが、王というよりは総帥時代に培ったノウハウを活かして、革新的な政権を取る統率者であった。
マリアンヌは王妃の座に返り咲き、ライオネルは出自を明かした後、王位継承権の剥奪を免れて、地位は以前と変わらぬままであった。
王妃と王太子である二人は、クライシスと共に国の再建と発展に尽力していた。
建国と即位式典を明日に控える王宮内は、華やかな色とりどりの花々と緻密な銀工芸の細工が、至る所に飾られており、近隣諸国の重鎮を丁重にもてなす準備に余念がない。
王宮内に飾られている花々のほとんどが、ラリーシュシュ辺境伯から卸されており、中でも薔薇は、特に品質が高く特産品として他国の評価も高い。また、昨年末にサバト鉱山の再始動を実現させたことにより、国内外に銀が流通。銀製品の売上・利益ともに順調に右肩上がりであった。
闇組織を一掃した国は、重点的に法律の見直しと制定に取り組み、規定を遵守するための罰則強化と治安を維持するための警護体制の強化にも取り組んでいた。それにより、安全・安心な暮らしを実現、数年前まで閑散としていた首都ルクセルは、以前のような活気が戻っていた。
ラリーシュシュ辺境伯の陞爵については、リリーローズがキールッシュ帝国皇帝カイアスの皇妃に難なく迎え入れられたことと、当主となった辺境伯夫人の意向を汲んで、辞退という形で丸く収めていた。ライアン様を稀代の英雄として称賛、大公爵への陞爵を望む帝国側の意向は、カイアスが解決していた。というよりは、皇妃の懐妊発表でお祝いムード漂う帝国は、そんな話自体が忘れ去られているのであった。
ヴェルシア公爵一族の消滅により、イザークはザィードに奪われた地位と名誉を挽回。ガバニエル伯爵家は公爵位返上となる。悠々自適な隠居生活を切望していたイザークは、宰相就任を余儀なくされていた。
グランド公爵家は爵位剥奪及び国外追放の処分が下されていたが、オーウェンは国家諜報員組織グランドの代表となり、世界屈指の諜報員組織にまで上り詰めて、オリビア国に多大な貢献をしている。
結局のところ、何一つも変わらず、イザークとオーウェンは良くも悪くも親友である国王夫妻に、相変わらずこき使われる日々を過ごしていたのであった。
そして、ようやく晴れてオズモンド子爵家当主となったエドワードは、今は亡き両親が遺した記録を頼りに、荒廃した領地再建と引き続き国軍の軍務長官を務めている。
国軍のトップはゾーゼフが就任。クライシスが爵位と領地、屋敷などなど、功績をたたえて褒美を与える予定であったが、すべて辞退。本人の強い希望もあり、国軍の統括並びに近衛騎士団の最高指導者を務めている。ゾーゼフは時間さえあればエドワードの領地運営に力を貸すなど、以前と変わらず献身的にクライシスを支えているのであった。息子のレンは軍務次官に出世して、長官の右腕と呼ばれる程、頭角を現していた。ロイは国軍ではなく近衛騎士団に入団、ゾーゼフの血を色濃く受け継いだこともあり、めきめきと腕を上げていた。貴族の御令嬢からも人気が高く、本人は俄然訓練に熱が入っているようだ。
ゴードンは王太子殿下の側近として、相変わらず多忙な毎日であり、ライオネルと共に夢への実現に向けて駆けずり回る日々を過ごしていた。
ライオネルは、王太子妃になるはずであったバルツバーク公爵家御令嬢キアラとは折り合いが悪く婚約を破棄。今も昔も変わらず、御令嬢達から執拗に迫られて、魑魅魍魎うごめく貴族社会を生きているのであった。
一方で婚約破棄されたキアラは、なんと驚いたことに、ゴードンの兄ニールソンと結ばれて、今や仲睦まじい夫婦だというから、ゴードンが『世も末だ!』と嘆くのも頷ける。
この二年の間、ライオネルとゴードンは共に切磋琢磨しながらも、ようやく夢実現に向けた目標を達成したばかりであった。
だがしかし、実現に欠かせない最重要人物が、国外追放宣告の翌日、超難関任務遂行後に、忽然と姿を消す。
それから早二年、未だ消息不明、安否不明のままであった。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
あと残り2話で終わります。最後までよろしくお願いします。