97.繋がる想い②
エミリアの耳に届く、抑揚のない呟く声。
心の中で苦悩と絶望が入り混じり、慟哭するレンは、深い悲しみから抜け出せずにいた。
大切な人を護る為に、自分の選んだ道を歩み続ける彼は、一刻も早く無益な争いをやめようとしていた。
だが、理不尽な現実を前に、憤怒と絶望に悶え苦しみ、自分自身と闘う姿が垣間見える。
同じ苦境に立つエミリアは、レンを暗闇から救い出したかった。
固い信念を胸に、平然と淡々に、核心に触れていく。
「レンはどうしたいの?父親のようになりたい?」
「………いいえ。自分には到底なれないし、なろうとも思っていない。否、正直ああはなりたくない。人を殺めることに何の躊躇もなく………同じ人間だというのに、簡単に命が奪われていく………非情な人間には………周りには、俺の考えが間違っていると否定されます。元帥の息子なのにと………何かにつけては、よく色々と言われます。そうでないといけない、できて当たり前みたいに。重圧が、………自分は自分でしかないのに………」
納得のいく返事に、考えを巡らせるエミリアは核心をつく。
「護る、戦う、死、責任、重圧、うーん、拗れて当然だわ。
レンはこれからどうするの?………本当はもう決まっているんでしょう?ただ一歩踏み出せない、背負うものが多すぎるから。」
「え?…………」
「やっぱり。」
エミリアの鋭い洞察力により、意表を突かれたレンは開いた口が塞がらない。レンは新たな道を歩む決意をしていたが、決心が揺らいで思い留まっていたのだ。
本当は連合国軍の武官を退き、軍務として文官の道に進もうとしていた。けれど、背負うものがあり思い悩んでいたのだ。長子であるが故の後継問題と守るべき家族の存在、元帥の息子という肩書きに、大きな重圧がのしかかるレンの心は板挟み状態であった。
明らかに兵士に不向きなメンタルの弱さに、今のままでは彼の人生は報われないと感じる。思いを汲み取るエミリアは話を続けていた。
「貴方は自分のことをよくわかっている。自己分析して自分を見つめ直すことで、先を見据えて考えることができている。誰もができる事ではない、とても素晴らしいと思うわ。
そして私は、貴方が元帥様のようにできなくても、ならなくてもいいと思っているの。だってレンはレンでしょう。貴方は貴方でしかない、唯一無二の存在だもの。才能の限界を知った上でも、悩み苦しみながら、努力を怠らず、前に進もうとしている。誰しもが貴方のように直向きには生きられない。貴方はとても貴重な存在なのよ。
不毛な争いに、自ずと目を背けなければ生きていけない人もいる。そうでなければ、凄惨な戦場で兵士として戦ってはいけないから。
貴方は、自分の立場を弁えて、尚且つ責任感もあり、ほんと立派だと思うわ。現に私なんか、現実から逃げて、挙句の果てにはさっきの自殺未遂よ。ほんと愚かだわ。
適材適所って言葉があるでしょう。きっと貴方が活躍できる場所がある。もう、心は決まっているのでしょう。私は貴方を全力で応援するわよ。」
「…………ありがとう、ごめん………うっ、うう、ううう。」
言葉を詰まらせるレンは、両膝に顔を埋めて、うずくまって泣いていた。エミリアはレンの背中を優しく摩りながら言葉を継ぐ。
多くの仲間や家族を失ったエミリアは、レンを自分と重ねていた。大切な人を失った悲しみを、仕事に打ち込むことで紛らしてはいたが、何年経っても消えない悲しみと癒えない心の傷に、更に追い討ちをかける仲間の死。繰り返される喪失感に向き合うが、孤独な日々に終わりは見えなかった。
思いを分かち合い、気持ちに寄り添うことで、救われない心を少しでも救いたかった。
けれど、レンを救うことで、自ずとエミリアも救われていたのだ。
無意識のうちに心の奥底に溜まった澱を涙と一緒に吐き出していた。
「本当の私は、他人にこんな偉そうに言える立場ではないの。
私も御母様を亡くした時、今の貴方のように酷く自分を責めていたわ。どうして何もしなかったんだろう、ああすれば良かったのに、こうしたら助けられたかもしれないのに、って何度も何度も頭の中に理想論ばかりを思い浮かべて、ずっと後悔ばっかりしていたわ。
でも、何よりも一番悔しかったのは、王様が、我々諜報員の死を“名誉ある死”で呆気なく終わらせたことよ。死人に名誉なんて、何の意味もないものを与えて。死んでしまえば終わりで、もう二度と戻したくても、戻らないのに。
争いを起こした張本人は、自分さえ良ければ良いのよ。本当に腹立たしくて、頭に来るわ。レンの気持ちが良くわかる気がする。あまりにもやり方が酷すぎて、やるせないのよね。どんなに強くなろうとも、所詮我々のことなんて捨て駒で、最期は犬死扱いされて終わりよ。結局、今までの努力が全て無駄になる。それをわかっていても戦わないといけない、なんて悲惨な現実なのかしら。………統治者が変わらないことには、私達の想いは一生救われない。報われない死が、遺された者達にとって、どれほど辛いことなのか考えたこともないのよ。のうのうと呑気に生きている奴らは、一人では何もできない癖に。威張り腐って、自分勝手な人生を送っている。ほんと何様のつもりなのかしら………呆れて、笑うことしかできなかった。結局、無力なのよ………」
エミリアも想いをぶちまけながら泣いていた。今まで生きてきた理不尽な人生を思い出すと憤りしか感じない。それでも、これから先の未来は変わると強く信じてやまなかった。輝かしい明るい未来を強く望んでいた。
エミリアは同じ志を持つ仲間として、新しい道を共に歩んで欲しいと願い、レンに未来への思いを伝える
「でもね、総帥閣下は違った。共に涙を流して、痛みを分かち合い、寄り添おうとしてくれた。どんなに悲惨な最期で、報われない最期であったとしても、閣下と共に戦った皆は、きっと必ず穏やかにあの世にいくことができる。だから私は一生ついて行くことに決めたの。
他人の価値がわかる人とわからない人で、これから先の未来は大きく変わると、私はそう信じている。だから、連合国軍と共に、争いのない世の礎を築き上げたい。」
エミリアからひしひしと伝わる強い思いに、レンは埋めた顔を上げて視線を向ける。にっこりと微笑むエミリアの青い瞳は、まるで暖炉の炎のように燃えていた。
揺るぎない意志を強く感じて、涙は自然と止まり、表情に険しさが増す。感化されたレンは、心に秘めた思いの丈を吐き出す。
「閣下は、他人の痛みがわかるお方です。それぐらい茨の道を歩んできたお方ですから。そして父上も、閣下には多少劣りますが、我ら連合国軍への親愛は誰にも負けてはいません。俺は閣下や父上を尊敬しているからこそ、これからも連合国軍で切磋琢磨して生きていく所存であります。貴方のように、俺も争いのない世を目標にして、友の死を無駄にせず、明るい未来に繋げたい。だから、できる限りの事はしたいと思う。今日、ここで貴方と再会できて本当に良かった。漸く決心がつきました。やはり、貴方はラナから聞いていた通り、素晴らしいお方です。
そして貴方は、これから上に立つべきお方です。俺はエミリア様をお守りする一介の兵士でいさせて下さい。分不相応って言葉通り、エミリア様が婚約者であること自体が、俺には高望みなのですから。」
至極真面目な表情で決意表明したと思いきや、あまりにも唐突に、正当な理由を述べながら婚約破棄の申し出をしてきたレンに、エミリアは呆気に取られて唖然とする。
すかさず言い返すものの、咄嗟に口から出た自分の言葉に一番驚く。もはや呆れてしまうくらい、間抜けな声と言い訳がましい言葉に、今日ほど自分が嫌になったことはないくらい、プライドが高く負けず嫌いな性格に、心底嫌気が差していた。
「え?は?高望み?はぁー、ああ、そう。そうねぇー。でも私だって一介の兵士で、立場は同じよ。それに、貴方といるとなんだか気が楽なのよ。もう少しゆっくり考え直してから御返事を頂いても良いのですけれども。」
「…………ええと、そう言われましても困ります。」
「あっそう、固い。はいはい、わかりました。まさか振られるとは。ふっ、ふふふ。」
「は?え?振られる?………振ったわけではありません。政略的な婚約を丁重にお断りをさせて頂いただけです。」
「はぁー、そうきたか。どうしてこんなにも恋愛が成就しないのかしら。片想いは辛い。」
「は?え?片想い?誰が誰にですか?エミリア様は王太子殿下と相思相愛ではないのですか?」
「全部筒抜けとは、恐ろしい情報網。両想いでも実らない恋があり、人はね、いつ新しい恋に落ちるかわからないものなのよ。ふっふふふ。」
「はぁー、俺にはよくわからないです。恋愛は難しいですからね。あっ!夜が明けてしまいました。服も乾いたようですし、着替えて帰りましょう。」
わざとらしく話を逸らして、窓の方へと視線を向けるレンは、穏やかな朝焼け空を眺めていた。
エミリアは、キラキラと輝く光に染まりながら、ゆっくりと闇夜が明けていく空に、明るい希望に満ちた未来を想像していた。
ゆっくりと立ち上がるエミリアは、「湖を見てから帰るわ。じゃあ。」と言い放ち、小屋から立ち去って行った。
「お気をつけて。」と見送るレンは、去って行くエミリアを目で追いながら、過ごした儚い時間を忘れたくなくて、強く胸に刻むのであった。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。