92.決別のとき
「リア、リア…………うっうう、リア…………リア…………」
互いに見つめ合う瞳から涙が流れ落ちた瞬間、感情が大きく揺さぶれるライオネルは理性を失い、一時の感情に流されていた。
悲壮感漂う表情に胸が強く締めつけらて、抱きしめる腕に自然と力がこもる。首筋に顔を埋めて、肩を震わせるライオネルは、声を殺して静かに泣いていた。
もうこのまま、ありのままの自分を晒して、素直な気持ちを伝えたい、エミリアの意思を尊重せずに共に生きていこうと思い立つが、心のブレーキが作動する。
感傷的になるライオネルは心が揺れていた。
一歩踏み出す勇気のない弱い心は迷っていた。
自分の気持ちを確かめるように悩み、葛藤に苦しむ。固く誓った決意は曲げられないと思い留まる。
今まさに人生の分岐点に立つライオネルは、正しい選択を迫られていた。自分の決断に国の未来がかかっている。だから尚更、感情に流されるわけにはいかなかった。
溢れる感情を抑えるように堪える。けれど、伝えたい言葉や想いが心の中に溢れて止まらない。今ここで口を開けば堰を切ったように想いが溢れ出てしまう。必死に我慢して口を噤むが、どうしても愛する君の名を呼びたい衝動は止められない。
無性にやるせない気持ちになっていた。
非情で不条理な現実を直視する。
どこにもやり場のない気持ちに、ただただ悔しくて、涙はとめどなく溢れて止まらなかった。
一方で抱きしめられているエミリアは、自分と戦うライオネルの姿に感情が大きく揺さぶれていた。愛する人に抱きしめられた優しさと温もりに、湧き上がる感情や溢れ出す欲望が抑えられない。必死に気持ちを落ち着かせて冷静になろうとしていた。けれど、強く鍛えた自制心は脆く儚く崩れていく。抱きしめられた身体から伝わる愛情と強い想い、そして嗚咽混じりに愛称を呼ぶ声を聞く度に、もう感情は抑えきれなくなっていた。自分でも気づかないうちに自然と涙が流れるエミリアは、今までずっと我慢していた感情がプツンと切れたかのように、涙が溢れて止まらない。
胸に顔を埋めて泣きたい、抱きしめ返したい衝動に駆られて、更には積年の想いが溢れて止まらなかった。脳裏に浮かぶ甘く切ない思い出がエミリアの心を弱くさせて、固い決意が揺れる。
しかし、エミリアもまたライオネルと同様に心のブレーキが作動する。長年耐え忍んで我慢してきた想いを、今ここで曝け出したとしても一生後悔すると思い留まる。
自分と戦うエミリアは、強く握りしめた拳に押し殺したい感情のすべてを込めていた。
抱きしめ返されないどころか、拳で胸を軽く押して抵抗するエミリアの頑なな姿勢に、現実に引き戻されるライオネルはハッと我に返る。抱きしめる腕を離して、血が滲むほど強く握りしめる拳が見えた途端、優しく包み込むようにエミリアの拳を握りしめていた。
俯くエミリアの顔を覗き込むように見つめるライオネルは、無意識に心の中で何度も何度も謝っていた。まるで過去の自分自身に謝罪するかのように。
(すまない、リア。俺は、どうすることもできなかった。何も変えられなかった。リアが泣いているのに、こんなにも苦しんでいるのに、何も言えないなんて…………
でもきっと、俺が言えば言うほど君を傷つけるから。
…………最初からわかっていた、出会った時から報われない恋だと。でもそれでも君の傍にいたかった。離れたくなかった。
わかっていたのに俺が君を諦めないから。だから俺がすべて悪い。もう諦めるから、時間がかかるかもしれないけれど、諦めるから、もうそんなに泣かないでくれ、もうこれ以上、君を苦しめたくない)
涙を流しながら心苦しそうに沈痛な面持ちでエミリア見つめるライオネルに、心痛が絶えない。
(どうして、そんなに自分を責めるの。ライルは何も悪くないのに。誰も悪くないの。貴方が謝ったところで何も変えられない。何をしてもこうなるのはわかっていたはずよ。もうそんなに泣かないで、別れが辛くなるだけだから。
…………私も貴方とずっと一緒にいたいわよ。離れたくなんてないわよ。
…………でもね、無理なの。みんな私を恨んでる。青い瞳は、ライル、貴方の人生に私は、邪魔な存在でしかない。私と生きる人生は、貴方の人生を破滅へと導くのよ。貴方が王になると決めた以上、私はもう貴方の傍にはいられない。今は辛くて、苦しいけれど、きっといつか、必ず時が忘れさせてくれる。もう終わりにしましょう。私も貴方を諦めるから)
エミリアは俯く顔を上げて、さっと涙を拭うと真剣な表情へと変わる。共に生きる人生を諦めたエミリアは、非情で不条理な現実を受け入れて、別れを決断する。
自分が変わることで、ライオネルも変わる、未来が変わると、そう強く信じていた。
エミリアはたった一言だけ、想いを込めた言葉を告げる。言葉に込められた強い想いに、ライオネルの心情は次第に大きく変わっていく。
「別れも未来への新たな一歩です。」
今日という日が訪れるまでの間、ライオネルは過去の人生を後悔して、時を戻して人生をやり直したいと願わずにはいられなかった。そして、エミリアを見る度に美化された過去の思い出に浸り、辛い現実を受け入れられずにいた。
けれどそれは、虚しくて、寂しくて、哀れな自分の過去に縋り、自己憐憫に陥っている、情けない姿であると気づかされる。
エミリアの強い想いを感じ取るライオネルは、客観的に自分自身を見つめ直していた。
「今までありがとう。」
ライオネルの口から自然と感謝の言葉が漏れる。
エミリアは、深く頭を下げた後、ライオネルを見つめて目礼した。
ようやく二人は、決別を受け入れる。
ライオネルに敬礼するエミリアは、踵を返して去っていく。
エミリアの背中を見つめるライオネルは、窓から差し込む柔らかな光で、靡く髪が光り輝く瞬間を目にする。
抑えていた感情は、堪えていた欲望は、冷たい心を温かく包み込むような光に導かれて溢れ出る。
ーーー輝く髪をこの手で触れたい
ーーー抱きしめた柔らかな身体の優しい温もりをもう一度感じたい
ーーー大好きな青い瞳をもう一度だけでいいから見たい
足が勝手に動いていた。
離れていく愛する人を追いかけて、去り行く手首を咄嗟に掴んで握りしめる。
そのまま、手首を掴んだまま、腕を引いて、もう一度抱きしめていた。
ーーー振り返りたい、離れたくない、歩く足を止めたい
ーーー抱きしめられたい、優しい温もりをずっと感じていたい
ーーー綺麗な琥珀色の瞳に見つめられたい
背後から気配を感じるが逃げない。
掴まれた手首から伝わる想いに、もう抵抗はしない。
引かれるままに身を任せて、抱きしめられたまま胸の中で泣く。
互いに囁く言葉を噛み締める二人は、ゆっくりと身体を離す。
柔らかな光に照らされて輝く二人は、見つめ合い別れを告げる。
「さようなら、リア。」
「さようなら、ライル。」
青い瞳から零れ落ちる光り輝く涙の雫は、花のように舞い散り消えてゆく。
叶わない未来に、甘く切ない思い出が、花が舞い落ちるように色褪せてゆく。
ライオネルの視界からエミリアが消える。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
あと数話で終わる予定です。
(※100話で終わりにしたい予定です)
語彙力のない伝わりにくい拙い文章でも、いつもたくさん読んでいただき、本当に心から感謝しています。
予想通りにライオネルとエミリアはお別れしましたが、これからハッピーエンドを迎えますので、期待を裏切らないように最終話を書いていけたらと思います。
今後も応援よろしくお願いします。
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