90.国王の断罪
投稿が大変遅くなりまして、申し訳ございません。そして予告通りのサブタイトルにならず、大変申し訳ございません。
“王の罪に裁きを下す”
責務を全うするライオネルに、大きく立ちはだかる壁。
それは、殻に閉じこもる自分の弱い心であった。
想像を絶する重圧に、もはや押し潰されて決意した言葉が頭の中で反芻する。悩み、苦しみ、戸惑い、躊躇うライオネルは、押し寄せる現実に不安が募る一方であった。
クレイアスを見つめる瞳に、クライシスの姿を映し出すライオネルは、王族の血を引くクライシスが、新国王に就任して欲しいと願わずにはいられなかった。
政権をとる王族が自国の亡国を望んでいるーーーそれはこの上なく無責任で非常識な思想である。
だが今のライオネルは、自己中心的にしか考えられなくなっていた。
現実から目を背けて自己保身に走るーーー許されざる行為であることは十分理解していたが、止められない。
自らを省みるーーーそんな余裕は心になかった。
玉座を一瞥する瞳に影を落とし、自然と溜息が漏れる。権威の象徴、歴代の君主が権力を振りかざした玉座に、自分が座る姿が全くもって想像できないでいた。
徐に、胸元に手を当てて、指輪を服の上から握り締めると、心に抱えた悩みを打ち明けるかの如く、ほんの少しだけ天を仰いだ。自信喪失したライオネルは、迷いに迷う判断を今は亡きエスバーンとライアンに仰いでいた。
(私の判断は間違えていたのでしょうか?己だけを信じてきましたが、結果的には、父上の罪を黙認したことになります。私にも責任があるのではないでしょうか?剰え、私も罪を償うべきではないのでしょうか?私はこの期に及んで、父上の罪に斬首刑ではなく、流刑を処する判断をしおります。現実と向き合わない私の判断が、おそらく民の顰蹙を買い、築いた信頼を失うかもしれません。けれど、不毛な争いに巻き込まれた父上も、争いが終わりを迎えた今、民に全てを露見した後、自由になることは許されないのでしょうか。
私は、ロズウェル国が新たに生まれ変わる為にも、今ここで最良の判断を下さなければならないのは、十分わかっております。今の自分の判断や考えが決して正しいとは思っていません。けれど、今の自分にはどうしても父上を救うことしか考えられないのです。これ以上、私から大切な人を奪わないで欲しいと願う気持ちを、心から消し去ることができないのです。どうかお願いがあります。この苦しい迷いを断ち切り、新たな一歩を踏み出せる最善策を御教え頂けないでしょうか。)
指輪を握る手に力が入る。祈るように天を仰ぎ、心の救いを求める姿にゴードンは目を瞠る。今まで一度も見たことのない姿に、ライオネルの心の弱さや脆さを痛感する。
虚勢を張り、王子の仮面を被り、一人で問題と立ち向かうライオネルの孤独な人生が垣間見えて、長年傍にいながらライオネルの心を救えなかった自分の不甲斐なさに、ゴードンは心に苦痛を感じていた。
自己肯定感が低く、気の弱い自分をさらけ出せないライオネルは、のしかかる重圧と何より失敗を恐れて、不安感と恐怖心が消えない。心は悲鳴を上げていた。情緒不安定な心を落ち着かせようと息を整えるが、顔は強張り、足が竦む。固く誓った決意を胸に、意を決したライオネルは震えて動かない足を必死に前ヘと進めて、クレイアスを見下ろす。
やっとのことで、国王断罪の時が訪れようとしていた。
「陛下、陛下は長年にわたり政務を放棄して、政権腐敗を長期化させた事により、国内情勢を悪化させ、代々維持してきた国の社会基盤を崩壊させました。我が国を危機的状況に陥らせたのです。今現在、民の生活に安全が保障できておりません。陛下は我々王族を支持する善良な民を欺いたのです。それに留まらず、罪なき者に無実の罪を着せて、隠蔽する為に死罪を執行した。更には正妃暗殺計画を首謀、自ら率先して計画を企て、参画した。加えて陛下には、以前より度重なる女性強姦の疑惑が浮上しておりますが、その疑惑のすべてが真実であり、調査により裏付けがとれております。
しかしながら、我が国の法律上、現行、君主の重罪は流罪で処されます。
因って私は、国王クレイアス陛下に流刑を処します。」
法に則り流罪と判決したライオネルは、珍しく浮かない顔となり、気迫に欠けていた。心もとない覇気のない声には、いつものみなぎる自信と強い威圧感は感じられない。ライオネルが告げる言葉に耳を傾けるクライシスとマリアンヌ、ゾーゼフやオーウェンは撫然たる面持ちで事の成り行きを見守っていた。
次第にクライシスは眉を顰めて、怪訝そうな顔でライオネルを見つめ始める。ロズウェル国が定める法令に不服であり、判決に納得がいかなかった。
一方でクレイアスは、ライオネルが告げた言葉や言い渡された判決に対して真剣な表情で耳を傾けているようにも見えたが、一瞬口角を上げて嘲笑とも捉えられる笑みを見せた。そんな一瞬の隙も見逃さないクライシスは、性根が汚い二面性を知り尽くしているだけに、反省の色が見えないクレイアスに苛立ちを覚える。劣情に身を任せて、悪事を働く国王を、ライオネルのように赦す心を持ち合わせていないクライシスは、鬱憤晴らしに一歩踏み出そうとした。前々から検討していた案、ロズウェル国をオリビア連合国が占領・征服する、いわゆる連合国軍がロズウェル国を乗っ取り、クライシス政権の配下にする計画を実行しようとする。十年計画の復讐が事なきを得た今、実行に移すのは容易であり、計画通りに国王の斬首刑執行も可能となる。
異議を唱えようと口を開くクライシスに、ライオネルが先立って隠していた真意を語り始める。遮られたクライシスは、ライオネルの強い眼光が心に突き刺さり、自然と口を噤む。けれども、ライオネルの言葉に苛立ちが消えて、憂が晴れていくようであった。
ライオネルは、明らかに先程とは様子が一変していた。穏やかな笑みを浮かべて、優しい声色で話すライオネルに、ゴードンとエミリアは背筋が凍りつくような殺気を感じてならなかった。
「…………陛下、流罪では、国王の重罪に民の赦しを得られず、道理に反いたと捉えられ、民から反感を持たれかねません。国内は更なる情勢の悪化が懸念されます。
明朝、議会に議案を提出した後、改めて国王の処罰を決定致します。私の決断に異議、異論はありますでしょうか。
…………陛下、私とて、斬首刑が正当な処罰である事は重々承知しております。しかし私の独断で刑を強行しても、後に不和が生じて、それが新たな禍いとなり、再び民を欺くことに繋がるのであれば、元も子もありません。私は、今日という大きな変革の時を無駄にはしたくありませんので、今はまだ刑を確定する事ができません。先程、言い渡した判決は、あくまでも私の判断であります。陛下、油断は禁物です。お気をつけ下さい。
私は、我が国が過去の罪を償い更生する為には、新生国を建国するべきであり、このまま国を消滅させる他ないと、この十年、深く考えては、思い悩んでおりました。けれど私一個人の判断で民の未来をそう易々とは決められません。そしてやはり、罪は罪です。決して忘れてはなりません。王族として、受け継ぐ者として、しかと心に刻み、現実に向き合い生きていかなければなりません。王太后陛下が遺された想いにお応えできるよう、これからは私が民を守り、国を統べる存在になりたいと思っております。
クライシス総帥閣下、…………いえ父上、私に判断を委ねられましたが、もうこれ以上の正解を導き出せません。私の判断や思想は間違えていますでしょうか?
私は未だ若輩者でございます。故に、これから父上のもとで学び、研鑽を重ねた上で改めて民に真価を問い、信頼を得て認められてから、そこで初めて国を守れる人間になれると思っております。その為にも、これから共に手を取り新たな道を歩んでは頂けないでしょうか?」
ライオネルは、心の赴くままに言葉を紡ぐ。
心の支えを失い、絶望の淵に立たされたライオネルは、折れた心を立ち直らせて、真剣に現実に目を向けようとしていた。
ライオネルの弱い心は、漸く殻を破り新たな道へと歩み始めようとしていた。
そんなライオネルの心を変えるきっかけを作ったのは、紛れもなくクレイアスであった。
実は、ライオネルもクレイアスが嘲笑を浮かべた瞬間を目にしていた。
愛する父親に再び裏切られたライオネルは、十年間閉ざしてきた心が一瞬で解放される。
自分の想いを口にした途端、もう何もかもすべてが吹っ切れたように、気持ちが晴れやかであった。
囚われたしがらみにより、がんじがらめになっていた心が解き放たれたライオネルは、先程まで抱いていた悲壮感や喪失感が消えていた。
父親の愛を追い求めて、過去の幻想に囚われ過ぎていたことに気づき、憧れた偉大な父親の存在が跡形もなく壊れて消えていく。罪を犯した悪人となり、無様な姿を晒す弱い父親を前に、自分の強さと成長を感じるようになっていた。
心の中では、もうクレイアスの存在が消えて、クライシスに真摯に向き合うライオネルは、涙に込められた想いに応えたいと強く思い、正直な気持ちを伝えていた。ライオネルの強い想いにクライシスは目頭が熱くなっていた
漸くライオネルが、囚われた過去から抜け出して、クレイアスと決別する。罪人と認めて、初めて心の底から赦さない感情を抱く瞬間でもあった。
一切振り向きもせず、玉座の方へと歩いて行くライオネルの背中を見ながら、項垂れるクレイアスは、最期の最期まで煩悩を捨てられず、汚くて、醜い心の自分自身が情けなくなり、漸く自責の念に駆られていた。反省の色を見せるクレイアスに、クライシスは安堵の表情を見せる。
静まり返る謁見室に、ライオネルの凛々しい声が響き渡る。命令に従う衛兵が、罪人となった国王を牢獄へと連行していく。
引き摺られて歩くクレイアスは、最期にライオネルと目が合う。輝く琥珀色の瞳は、まるで塵を見るような冷酷な瞳で、怒気を孕んだ鋭い眼光がクレイアスの心を容赦なく打ちのめす。
取り返しのつかない失態をおかしたクレイアスには、ライオネルにかける声も出なかった。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。