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89.ライオネルとクレイアス

 「陛下…………」


 クレイアスに歩み寄るライオネルは、無残な姿の父親を前にして、怒りや悲しみが込み上げて、変わり果てた父親に唖然とするしかなかった。言葉を詰まらせるライオネルは、もはや何も言葉が出てこない。そのままクレイアスの真前に膝から崩れ落ちると、自分とは違う瞳をただ呆然と見つめていた。綺麗な琥珀色の瞳は大きく揺れて輝き、頬には一筋の涙が流れて落ちる。威厳をなくして地に落ちた王の姿に、頭では理解できても、気持ちの整理はまだつかなかった。

 一方でクレイアスは、間近で見たライオネルに、ひしひしと成長を感じる。それと同時に、自分が今までどれほど欲しても手に入らない、生まれ持った王族の才能を強く感じていた。

 自分とは似ても似つかない知性を感じさせる端正な顔と威厳ある佇まいに、圧倒的な存在感を感じてならなかった。そしてこの十年、どれほど向き合わずに、蔑ろにしてきたのかが、今の今になり身にしみてわかるクレイアスは、自分の愚かさに改めて失望していた。


 「立派になったな。」

 

 ライオネルをまじまじと見ながら想いを馳せるクレイアスは、思わず声が出てしまう。

 

 クレイアスは、どんなに無様な姿を晒していても、最期くらいは威厳ある立派な父親でありたいと思い、あえて言葉を慎んでいた。

 けれど、ライオネルが流す涙に、湧き上がる感情や欲望に自制がきかない。クレイアスは、最期に一度だけで良いから、『父上』と呼んで欲しいと切望する想いを断ち切れずにいた。

 無邪気に笑い、素直に父親を慕い、尊敬の眼差しを向ける幼き日のライオネルの姿が、クレイアスの脳裏に焼きついて離れない。実はクレイアスの頭の中では、十年前、当時八歳のライオネルの姿で時が止まっていた。



 十年前のあの日、クレイアスが思わず口にした言葉で、ライオネルの心は酷く傷つき、二人の関係は修復不可能なほどに大きな隔たりが生じる。歳を重ねるごとに二人の距離は更に離れて、もはや顔を合わせることもないような状況に、寂寥感に苛まれるクレイアスは修復を試みていた。けれど、それは最初から無謀であるのはわかっていた。自分がしていることは、ただの悪あがきであり、更に傷口を広げているだけであるとーーー暗い表情で不味そうに朝食を食べるライオネルの姿に、クレイアスの心は痛みを感じない日はなかった。

 

 ライオネルへの想いをそっと胸にしまうクレイアスは、親と子の心の絆を永遠に紡ぐ、この最期の重要な場面で長年溜め込んでいた募る想いが溢れていた。

 呆然とするライオネルにクレイアスは、想いを届けたい一心で言葉を掛ける。


 「ライオネル、すまなかった。あの日、まだ幼い其方に酷いことをした挙句、ずっと今日まで向き合わずに、蔑ろにしてきたこと、今更謝ったところで許してもらえないのは重々承知している。だがこのまま、わだかまりを残したまま、今生の別れを迎えたとしても、其方の心に深い傷を残してしまうような気がしてしてならない。だから、この通りだ。一生許してもらえなくても構わない。私を一生恨んでも良い。すべて私が悪い。私の所為だ。

 ライオネル、私から其方に聞いてほしい願いがある。私がこの世から消えても尚、其方の心を苦しめるようなことはしたくない。だから、こんな愚かな私のことは忘れてくれないだろうか。

 其方の父親は…………生まれた時からずっとクライシスだ。私は現実から目を背けて、其方が望む父親になろうともしなかったのだから。ライオネル、其方の人生を台無しにて申し訳なかった。今まで本当に、本当に申し訳なかった。」


 嗚咽混じりの声で、深く自省するクレイアスは縛られた身体のまま深く頭を下げる。

 丸まった小さな背中を見るライオネルは、優しくゆっくりとクレイアスの背中を摩り、むせび泣いていた。この十年で溜まりに溜まった感情や心の澱が涙と一緒に吐き出される。積もり積もった話を父親に聞いて欲しいが、溢れる涙で声が出ない。

 ライオネルは、走馬灯のように父親と過ごした鮮やかな記憶の数々が蘇っていた。愛してやまない父親の温もりを求めるように、無意識のうちにクレイアスを抱きしめていた。そして、ライオネルの想いが自然と口から漏れる。


 「父上、………父上、貴方は私の父上です。忘れることなんてできません。楽しかった思い出を忘れたくはありません。私は父上を今も変わらず愛しているのです。だから、父上を失いたくはありません。もう一度あの日に戻れたら、やり直せたらと、私の方こそ逃げていました。こんなことになるなんて………父上を救えず申し訳ございませんでした。」

 

 「ライオネル、ライオネル、愛する息子よ、すまなかった。私が悪かった。許しておくれ。」


 ライオネルの言葉に感極まるクレイアスは、涙ながらに愛する息子の名前を何度も何度も呼び続けていた。父親の想いを分かち合うようにライオネルはぎゅっと抱きしめられながら涙を流し続ける。


 そんな二人を離れた場所から見ていたクライシスは、力強く握った拳を胸に当てて、冷たく鋭い視線を向けていた。そんなクライシスの背後に立つオーウェンは、悲壮感漂う背中を見ながら嘆息を漏らす。ゾーゼフは、クライシスを横目で見ながら、かける言葉も見つからず、心を痛めていた。

 玉座の近くで椅子に座るマリアンヌは、傍に控えるゴードンを一瞥すると、小声で訊ねる。心痛な面持ちで、視線はクレイアスとライオネルに向けながらゴードンと話すマリアンヌは、ライオネルの言動に思い悩み、苦しんでいた。


 「ゴードン、既にもう気づいているでしょうが、あのまま放って置いても良いのかしら。今すぐにでも(わたくし)が忠告するべきかしら?あの子はもう諦めがついたのかしら?」

 「マリアンヌ様、正直に申しますが、今は感情に左右されて、正気を失っております。マリアンヌ様の忠告に、耳を傾けないと思います。諦めとは、エミリアのことでございましょうか。おそらくまだ気持ちの整理がついていません。けれど、エミリアに至ってはこれを機に決心がついたことでしょう。

 マリアンヌ様、私が殿下の側についていながら、本質を見誤り、このような事態を起こしてしいました。殿下の心を正せず、私の不徳の致すところでございます。」

 「いいえ、貴方は何も悪くないわ。これまでよくやってくれていたわ。貴方には本当に感謝しているのよ。…………(わたくし)の方こそ、あの子に手をかけず放置した母親ですから、(わたくし)の方が不徳の致すところですわ。…………よくわかりました。然るべき対応をすることに致しましょう。」

 「はい。よろしくお願い致します。」

 「ええ、何があろうとも、幸せになってもらいたいですもの。」

 「ありがとうございます。」


 マリアンヌは、自分の不甲斐なさに自然と溜息が漏れる。無表情から滲み出る怒りの感情は、自分自身とクレイアス、そしてライオネルに向けられていた。

 皆が皆、固唾を飲んで見守る中、クレイアスとライオネルの場所だけは穏やかな時間がゆったりと流れていた。父と子の最期の時間を愉しむクレイアスは、徐に自分の左胸に視線を向ける。内ポケットには、肌身離さず持ち歩く古びた封筒が入っていた。


 「ライオネル、私の左胸の内ポケットに封筒が入っている。私から最期にお願いがある。封筒の中身を見せてくれないだろうか?」


 真剣な表情でライオネルに願い出るクレイアスの想いに応えようと、頷いて、微笑み返すライオネルは、内ポケットから封筒を取り出すと、封筒に入っている四つ折りに折り畳んだ紙を手にして、ゆっくりと開いた。見覚えのある絵が視界に入った途端、視界が急にぼやけて、絵がはっきりと見えなくなり、手にした紙には雨粒が落ちたように濡れた跡が無数にできる。手に持つ紙と、肩を震わせながら俯いて泣くライオネルは、クレイアスから絵を教わり、見様見真似で父親を思いながら描いていた過去の情景が目に浮かぶ。

 政務で多忙なクレイアスは、ライオネルのために時間を割き、絵や釣り、そして更には天文や星座の知識を教授していた。国王と王子という肩書きや形式を重んじるのではなく、父親と子供の関係や絆を重視するクレイアスは、マリアンヌに度々咎められても尚、隠れてライオネルと遊び、制約の多い日常の中でも豊かな人間性を育み、人生の意義を考えられるような人間に成長して欲しいと願っていた。

 ライオネルはクレイアスから愛されていた記憶が、しっかりと心に刻まれていた。ライオネルがロズウェル国を愛して、誰よりも民を敬い、大切に想う気持ちを持ち続けているのも、クレイアスから受けた温もりある愛情が大きく影響している。


 「ライオネル、こんな私を愛してくれてありがとう。」

 「父上、うっ、ううううう。」


 むせび泣くライオネルの背後に大きな黒い影が近寄る。クライシスは、涙を流すクレイアスとライオネルを冷酷な表情で見下ろすと、重みのある低く太い声を出す。


 「良いな。もう終わりだ。

 それと殿下、今ここにいる者の中で、国王を処せるのは殿下しかいない。よろしく頼みます。」


 クライシスの言葉に目を見張るライオネルは、理性を失っていた。ライオネルは立ち上がりクライシスの方に振り向くと鋭い視線を向けた。しかし、目の前に悲しげな表情で静かに涙を流すクライシスの姿が目に留まる。一瞬で目が醒めるライオネルは、正気を取り戻していた。思いもよらないクライシスの姿に、驚くよりも罪悪感で心が押し潰されそうになる。クライシスを見つめる瞳からは一粒の涙が頬を伝い流れていた。

 有無を言わせない雰囲気にライオネルは、漸く現実に目を向けて、前に進もうとしていた。

 涙を拭い去り、真剣な表情へと変わるライオネルは意志を固める。


 「わかりました。…………」


 ライオネルの言動に目で頷くクライシスは、今すぐにでも『父上』と呼び、謝罪したいライオネルの気持ちを、鋭い眼力で抑え込むと、穏やかな表情を一瞬見せて、元いた場所へと戻っていった。

 言葉はないが、瞳には激励の意が込められていた。



いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。


次話は『ライオネルとエミリア』のサブタイトルになります。今後もよろしくお願いします。

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