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88.最期の想い③

 ミレーナの前に現れるライラ、ジルアン、カイアスは、エミリアの膝の上に横たわるミレーナの傍らに立ち敬礼すると、即座に跪き、至極真面目な表情を見せる。

 半歩前へ出るカイアスは、渾身の一言を伝えた。


 「クロウネ様…………

 お祖母様、我々と共に帝国に帰りましょう。貴方の帰りを皆が待っております。」


 ミレーナを『お祖母様』と呼ぶカイアスは、ザシランの想いを胸に覚悟を決めていた。父親が思い描く理想の未来、帝国に繁栄と幸福をもたらす為に、過去の自分と決別して、現実と向き合うカイアスは、真実を知り、とらわれていた固定観念が払拭されたことで、新たな道を歩み始めようとしていた。

 

 今にも息絶えそうなミレーナは、カイアスが伝えたい想いと真意を汲み取り、声が聞こえる方へとゆっくり視線を向ける。瞳に映るライラやジルアン、カイアスに自然と笑みがこぼれていた。愛する我が子が大切に育てた子供達を見つめる瞳からは、一筋の涙が流れる。


 “ありがとう”


 声は出ないが、口をゆっくりと動かすミレーナは慈愛に満ちた表情で感謝の言葉を伝える。子供達からの恩恵を素直に喜び、自然と心は感謝の気持ちが溢れていた。あんなにも頑なであった心は、あっという間にとけて、心が緩むミレーナはため息のような深い息を吐いた。そして、ゆっくりと息を吸い込んだ瞬間、咳き込むように再び血を吐く。

 咄嗟にミレーナの口元をハンカチで優しく拭うエミリアは、白いハンカチが瞬く間に赤黒く染まる光景を呆然と見ながら我を忘れていた。

 エミリアは、底知れぬ虚しさが胸に込み上げる。自分でも気づかないうちに、ミレーナの存在が生きる糧となっていたエミリアは、長年追い続けてきた宿敵との最期に、心は喪失感に苛まれていた。

 

 一方でミレーナは、虚な目で視界に入るライラとジルアン、カイアスの姿をぼんやりと見つめていた。朦朧とする意識の中で口をわずかに動かすミレーナは、まるでうわ言のように言葉を繰り返す。何かを伝えようとしているミレーナの切実な想いに応えようと、エミリアは必死で口の動きを読み取り、一語一句正確に伝える。

 ミレーナの伝えたい想いがライラやジルアン、カイアスの心に届く。感極まり涙が堪えきれず、一筋の涙が頬を伝い落ちていた。


 「ライラ

  ライラ

  モネ

  モネの子よ

  責めないで

  自分を

  責めない

  よくがんばった

  ありがとう

  これからも

  二人を頼んだよ」

 

 ずっと渇望してやまない言葉がライラの心に響き、ミレーナの優しさが心にしみる。


 カミラの子である事実に負い目を感じるライラは心が折れていた。生きる意味を失い、これから先の未来も見えないライラは、宿敵との戦いが終わり、益々精神状態は悪くなるばかりであった。エミリアと約束した“幸せになる”人生に、自分は幸せにはなってはいけないと、罪悪感に苛まれるライラは、生と死の選択に迷い、思い悩んでいた。

 ミレーナの言葉が、ライラの心の迷いを取り除く。長年、胸につかえた想いや抱いた感情が吐き出される。

 ライラは育ての親であるモネから受けた恩を無下にはしたくない、自分の母親はモネであると、切に願っていたのだ。


 涙まじりの声で、ミレーナへの感謝の想いを言葉に紡ぐライラは、固い決意を胸に秘めた、凛々しい顔に変わる。

 

 「ありがとうございます。これからもジルアンとカイアスを支えていきます。」 


 ライラの言葉に、目を閉じたまま反応がないミレーナを見つめるエミリアは、悲嘆にくれていた。悲しみが込み上げて、涙がとめどなく溢れて止まらない。青い瞳から流れる涙の雫が、ミレーナの顔にぽたぽたと落ちる。

 顔に感じる雨のような感覚に、微かに目を開くミレーナは、涙を流すエミリアをぼんやりと見ていた。涙で輝く青い瞳を目にしたミレーナは、ゆっくりと口を動かした。無意識にミレーナの口元に目がいくエミリアは、わずかに動く口の動きを息を凝らして読む。

 


 “しあわせに”



 口の動きは途中で止まり、目を見開くミレーナは、顔に笑みを浮かべながら瞼を閉じた。

 最期の力を使い果たしたミレーナは、息が止まり、身体の力が抜ける。


 ミレーナは、エミリアの膝の上で穏やかな表情をしながら眠るようにこの世を去った。


 温もり残るミレーナの身体を優しく抱きしめるエミリアは、最期の想いに応えようとした。


 「ミレーナ様、私は必ず幸せになります。だからミレーナ様も幸せに………」

 

 嘆き悲しむエミリアは、涙に声を詰まらせて堰を切ったように泣き出す。むせび泣くエミリアの悲しみが切々と伝わるライラは、無意識のうちに背後から優しく抱きしめていた。言葉はなくても、大切な人を失った悲しみを分かち合う二人は、決して辛い現実から目を背けてはいなかった。

 ライラとエミリアは、ミレーナの想いを胸に新たな道へと歩み始めようとしていた。


 謁見室内は、エミリアとライラの泣く声が響き渡る。悲しみを誘う声に、彼方此方から啜り泣く声が聞こえていた。深い悲しみに包まれるミレーナの最期は、ミレーナが守り抜いた、愛する子供達に見守られて温もりある最期を迎えていた。


 カイアスはクライシスに、ミレーナを帝国が引き取る願いを申し出る。快く承諾するクライシスに、最敬礼をするカイアスは敬意と感謝の意を表した。

 カイアスはミレーナを優しく抱きかかえると、クライシスの前に立ち、真剣な表情で意思を伝える。


 「オリビア連合国総帥閣下、我々キールッシュ帝国は更なる国の繁栄と平和のために、過去の罪を悔い改め、更生する所存であります。大きな変革の時を迎える、今日という日を決して忘れることなく、しかと心に刻み、目指すべき道を邁進して参ります。

 総帥閣下、それでは我々は、これにて失礼します。」


 揺るがない未来を思い描くカイアスは断固たる決意をクライシスに表明する。カイアスの言葉は同盟締結への意思表示でもあった。クライシスに向かい頭を下げるカイアスに、後で控えていたジルアンとライラ、ゼン、グレン、そして帝国軍の暗殺者達は、一斉にクライシスに向かい敬礼をする。彼らは謁見室から足早に去っていった。


 クライシスは、カイアスの固い決意に共感して好感を持つ。だが、カイアスに軽く頭を下げるだけで、自分の意思を伝えてはいない。同盟締結は、綿密な調査後に追々考えることにしていた。


 エミリアは、悲しみの余韻が残る謁見室で、涙をさっと拭い、元いた場所へと戻ろうとする。すると突然、思いもよらない言葉がエミリアの耳に入る。


 「エミリア、傍にいてくれないだろうか?」


 声の主に歩み寄るエミリアは、すぐさま傍に跪くと、主のあるまじき言葉を正す。

 

 「陛下、発言に責任をお持ち下さい。貴方は未だロズウェル国の国王であられます。」


 クレイアスに一瞬鋭い視線を向けるエミリアは、クライシスと目礼を交わした後、天井裏へと消えていった。


 咳払いするクライシスは、クレイアスの傍まで闊歩して近づき、冷酷な視線で見下ろしながら呆れた溜息を漏らす。先程とは打って変わり、重苦しい雰囲気が漂っていた。

 殺気立つクライシスは、クレイアスに斬首刑を宣告しようとしていた。


 「クレイアス、貴様は最期の最期まで無様だな。」


 威圧感のある低い声が謁見室内に響き渡る。刑を言い渡そうとするクライシスに、突然制止の声が聞こえてくる。聞き覚えのある声の主に、クライシスは冷たい視線を向ける。


 ミレーナの死に一滴も涙を流さず、エミリアを鋭い視線で見つめながら押し黙っていたライオネルは、突如クライシスに申し出た。


 「クライシス総帥閣下、陛下と話すお時間をいただけますか。」


 怒りや悲しみなど、はっきりとしない感情に葛藤して苦しむライオネルは、複雑な表情を見せる。

 クライシスは、時よりライオネルを一瞥して様子をうかがっていた。苦しむ我が子の姿に胸が締めつけられると同時に、考え悩んだ心が動き出す時を待っていた。


 「うむ。」と申し出に承諾するクライシスは、クレイアスの傍から離れる。ゾーゼフの方へと歩いて戻る途中、ライオネルから深くお辞儀をされるクライシスは、肩に優しく手を置き、微笑み返した。クライシスは固唾を飲んで見守るしかなかった。


 王族である以上、ライオネルには責務があり、一挙手一投足がこれからの人生を大きく左右する。


 だがしかし、深い絆で繋がるエミリアとゴードンは、いち早くライオネルの気持ちを察知していた。ただただライオネルを無表情で見つめるエミリアとゴードンは、一切手出しや口出しはしない。


(そうか、逃げるのか)

(そう、逃げるのね。わかったわ)


 現実と向き合わず、自分の殻に閉じこもるライオネルの姿に、二人は然るべき対応をすることに決める。


 三人の関係が崩れて壊れる音が、ゴードンとエミリアだけには、はっきりと聴こえていた。


いつもたくさん読んでいただき、本当にありがとうございます。

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