78.決戦の時①
「ようやく、お目覚めか。」
玉座に座るクライシスは、足を組み、肘掛けに片肘をつき、冷酷な目つきで鋭く睨んでいた。まるで塵でも見るような目つきで、蔑みの薄笑いを浮かべるクライシスは、呆きれて溜息を吐く。冷酷無比で恐れられるオリビア連合国軍総帥は威風堂々たる姿で、ミレーナを見下していた。
クライシスの隣には、侍従の服装を纏った女性、マリアンヌが平然たる顔で淑やかに座っていた。マリアンヌの捉えどころのない表情は、相変わらず考えが読めず、恐怖を覚える。
マリアンヌの背後には、ライオネルが座り、少し離れた場所にゴードンが控えていた。
ライオネルは茫然自失していた。虚な目で、ただぼんやり一点を見ているが、焦点は合っていない。抜け殻のように、生気がないライオネルを見守るエミリアは、不安を募らせていた。
意識を失ったままの状態で、縛られて正座させられているミレーナの隣には、同じく縛られて正座するクレイアスが、項垂れて意気消沈している。
漸く意識が戻り、ゆっくり目を開けたミレーナは、顔を上げて、正面に見える玉座へと視線を向けていた。だが、毅然たる表情で眉一つ動かさない。無言を貫く姿勢を見せた。
謁見室の天井裏に集結したグランド一族の諜報員達と、キールッシュ帝国暗殺者のグレンは、天井裏で緊急事態に備えていた。息を殺して動向を見守る面々に対して、ただ一人、エミリアだけは笑みを浮かべて、ラナとおしゃべりを楽しんでいた。
「ラナ、奥歯がないから話せないのかしら。」
「それはないかと。」
「そうよね。サイモン先生も、歯がないけど話せているものね。」
「奥歯を抜き取ったのか?」
「え⁉︎ ああ、はい。ダメでしたか?」
「はぁ⁉︎ 毒だけ取れば良いものを。もう良い。今更、何を言っても遅い。」
「今日は一段とご機嫌斜めね。苛々するわ。」
「はぁ⁉︎ それはこっちの台詞だ。あれだけ接触するなと、口煩く忠告していたのに、守れないお前が悪い。」
「お前って言ったわね。もう、御兄様は、いつにも増してひどいわ。」
「はいはい。喧嘩はよしなさい。ここがどこだか忘れた?今、どういう状況か分かってる?もう、ほんと困るよ。」
「くっくっくっくっ。いつもこんな感じなの?いやぁー楽しいね。同じ仕事をしているとは思えないな。」
エミリアはミレーナが黙秘を貫く姿を見て、飽き飽きしていた。自分なら凄惨な拷問により自白させるが、前王太后妃であるお方の断罪において、そんな卑劣な蛮行は許されない。
だから暇潰しにと、ラナとこそこそ話を楽しんでいるところに、ライドが話に割って入ってきたのである。
エミリアの報告内容を聞いて、怒りを露わにするライドは、報告後からずっと不機嫌であった。
案の定、奥歯の件は報告されておらず、良くも悪くも一悶着を起こしていた。
ライドとエミリア兄妹の喧嘩に、諜報員達は笑いを堪えるのに必死であった。シモンズは二人の喧嘩の仲裁に入るが、グレンに至っては、もはや気にもせず腹を抱えて笑っていた。ラナは、どんな状況でも悠然とした態度のエミリアに、呆れて溜息を漏らす。
怒られても笑っているエミリアは、実は感情を隠していた。悲しみや寂しさを紛らわす為に、いつもと変わらず明るく振る舞い、平静を装っていた。エミリアの行動は、感情の裏返しであることは、天井裏にいる誰もが気づいていたが、エミリアの気持ちに寄り添うように、普段と変わらない態度で接していた。
諜報員達が身を潜める天井裏は、とても和やかな雰囲気であった。
一方で、謁見室は相変わらず、ピリピリとした張り詰めた空気の中、ミレーナの黙秘が続いていた。
(まったく、お遊びじゃないんだぞ。まぁ、元気そうでなによりだが………はぁ、いつまでかかるんだ。良いな。私もそっちに行きたい。)
クライシスの後方に控えるオーウェンは、エミリアや諜報員達の状況を察知して、羨ましく思っていた。
ミレーナの黙秘により、事態は行き詰まり、一向に進展しない状況が続いていたからである。
自らの罪を認めるまで、押し黙るクライシスの意向を尊重したいオーウェンであったが、エミリアと同じく飽き飽きし始めていた。
(これは長引きそうだな。)と心の中で不満を漏らすオーウェンは長期戦を覚悟する。
だが、痺れを切らしたクレイアスが突如口を開く。ミレーナを鋭く睨むクレイアスの瞳は、最後の闘志を宿していた。
「このまま何も言わずに逃げるつもりですか。貴様の口から悪くないとは言わせない!貴様がこれまで犯した罪は許されるものではない‼︎」
クレイアスを一瞥した後、ミレーナは漸く重たい口を開く。
悪女は悪ぶれることもなく、至極冷静に淡々と、言葉を発した。
「あら、私が罪を犯したとでも仰りたいのでしょうか。皆様、寄ってたかって私のことを、そんなにも見つめていらして、こんなお婆さんを見ても何の得にもなりませんわよ。
こんなにもきつく縛られておりましたらね、苦しくて声も出ませんわ。逃げも隠れも致しませんから、早く解いて頂けないかしら。
………ネズミは力があるのよね。私の歯まで抜かれてしまいましたわ。ふっふふふ。」
にやりと口元を歪めて笑うミレーナの唇に塗られた真っ赤な口紅の色を目にしたライオネルは、身震いがして、頭痛が襲う。苦しげな表情を見せるライオネルに、エミリアは不安に駆られる。
咄嗟にゴードンが、「ライル、見るな。」と耳元で囁き、肩を優しく摩る。
ライオネルの異変に気づいたマリアンヌは、クライシスと目配せを交わした後、動き出す。
「あら、それは、それは大変ですわね。私が楽にして差し上げましょう。まずは、お胸にかさ増しした物を取り除いて、その次に、御顔と御髪に貼り付いている物を剥がせば、格段にすっきりいたしますわ。ふっふふふ。………老婆にしては、お美しすぎますものねぇ。」
椅子から立ち上がり、すたすたと歩くマリアンヌは、ミレーナではなくライラの元へと近寄っていった。ミレーナが、マリアンヌとライラに咎めるような視線を投げているが、二人は撥ね除けるように、微笑みながら、小声でコソコソと話をしていた。
「ライラ様も鬱憤が溜まっているでしょうから、よろしければ、ご一緒にいかがですか?」とライラの耳元で囁くマリアンヌに「ええ、是非、ご一緒させて頂けたら嬉しいですわ。ネズミさんに横取りされてしまいましたから、私、手持ち無沙汰でしたの。」と応えるライラは、笑みを浮かべる。
マリアンヌもにっこりと笑い、二人は微笑み合いながら、ミレーナに近寄る。二人の笑顔は狂気を孕んだ笑顔であり、周囲の者達は不安や恐怖に掻き立てられる。ぶるぶると身震いする者もいた。
凍りついたような空気の中、天井裏では、再びライドとエミリアの兄妹喧嘩が勃発しようとしていた。
「ネズミって私のことかしら?」
「え?他に誰がいると。お嬢しかいないと思いますが。」
「え⁉︎ そーなの?へぇー。ネズミねぇー。小さくて可愛いってことかしら。ふっふふふ。」
「はぁ⁉︎」
「え⁉︎ 違うの?」
「それよりも、ライラ様に恨まれていますよ。其方を気にして下さい。」
「ええ、言われなくても、分かっているわよ。大丈夫、手柄は少しだけ残してあるから。」
エミリアはミレーナとライラ、両方の口からネズミの言葉が出てきて、明らかにネズミは自分であると気づいてはいたが、腑に落ちなかった。そして、手柄を横取りした事を、今の今になって反省し始めていた。呆きれるラナを揶揄うエミリアの背後に、再びライドが忍び寄る。殺気立つライドに対して、エミリアは、呑気に構えて、楽観的であった。
「エミリア」
「え⁉︎ 今度は何?」
「ミレーナに何回見られたんだ。ホールに何回降り立ったんだ。」
「ええと、ううんとですね。二回かな。えへへ。」
「笑って誤魔化そうとしない。本当か?嘘ではなかろうな。」
「怖いわねぇ。それよりも御兄様、見て見て、くそばばあが大変な事になっているわ。
いけ、やれやれ、やっちまえ。さすがライラ様とマリアンヌ様だわ。お見事です。
ふぅー。残しといて正解だったわ。」
「え⁉︎ あ、あれが、本当の姿なのか。」とライドは目を疑う。
誰もが一斉にミレーナに目が行く。ミレーナの衝撃的な姿に、一同驚愕していた。
変装を解いて現れたのは、より一層、年老いた老女の姿であった。
胸はぺちゃんこ、顔には深い皺が寄って、もはや皺だらけであった。髪はほとんど抜け落ちて、頭皮が丸見えである。
正体が顕になると同時に、隠していた悪女の本性も露わになった。
「貴様ら!よくもこの私をこけにしてくれたな!私の怨念を思い知るが良い。貴様らなんぞ、呪い殺してやる‼︎」
骸骨のような風貌から繰り出される悍ましい言葉に戦慄が走る。
けれど、またしても一人だけ飄々とした態度を取るエミリアは、ミレーナを小馬鹿にして笑っていた。エミリアの言葉を聞いた面々は、再び笑いを堪えるのに必死であった。
「怨念って、今から私達の怨念で殺されるというのに、なに呑気なことを仰っているのかしら。相変わらず馬鹿なくそばばあですわ。否、くそばばあではなくて、あれは、どう見ても“干からびたくそばばあ”の方がお似合いね。ふっふふふ。」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
※誤字があり、少々訂正しています。
ブックマーク登録をして頂き、ありがとうございます。執筆の励みになります。本当にありがとうございます。
いつも皆様には、作品を読んで頂き、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。投稿が不規則であり、全然、皆様の期待に応えられなくて、申し訳ないですが、これからも頑張りますので、最後まで読んで頂けたら、とても嬉しいです。
次話からクロウネの過去と罪、そして秘めた想いが明らかになっていく予定でいます。
まだすぐには投稿できませんが、出来る限り早く投稿したいとは思っています。いつもいつもすみません。




