72.ライオネルとロマイクス
「其方の想いはよく伝わった。我々は、其方の強い意志を継いで、新しいロズウェル国を築き上げていく。心配は無用だ。
それより、ミレーナを制圧したらどうするつもりだ。共に手を取り、この国の為に生きていくのか?それともここを去るのか?もしかして、死ぬつもりではなかろうな。」
冷たく鋭い視線が、ライラの心を見透かしているようであった。
「いえ、まだ、何も考えては……。」
クライシスの言葉に、一瞬安堵するライラではあったが、いきなり今後の去就を問われて、口ごもってしまう。
ライラは、ミレーナを倒した後、自分もこの世を去るつもりでいた。
自分の無鉄砲な計画により、罪のない人間までも巻き込んでしまったことに、酷く心を痛めていた。多くの犠牲の上に、今があり、犠牲者の中には、自ずとアリアナも含まれていた。姉のように慕っていたアリアナの死は、ライラの心に深い傷を負わせて、今も尚、心を蝕み続けていた。
長い戦いの終焉は、ライラの波乱な人生の終わりでもあった。
クライシスは、ライラと初めて接したが、彼女の芯が強く、したたかでありながらも、国母としての慈悲深い心情に驚かされていた。
そして、改めてミレーナがもたらした害悪の凄まじさを、ひしひしと感じる。
「ロズウェル国の王妃として、民の前では清廉な姿でありつつも、影ではキールッシュ帝国軍の一員として、自らが盾となり、悪女を演じ続けるのは、並大抵のことではない。そうでもしなければ、ミレーナの脅威から大切な人を守れなかったはずだ。
まだ若いというのに、なんとも心苦しい。よくここまで折れずに成し遂げた。素晴らしい女性だ。」
クライシスはライラへの敬意を表する言葉を述べた。
ライラは、クライシスの言葉に頷いた後、深くお辞儀をして、謁見室から消えた。
ミレーナへの怒りが込み上げるクライシスは、高々と声を上げて、指示を飛ばす。
「ゾーゼフ!ロウマンの部隊を引き連れて、今すぐライラの援護に就け!ワイズとニール、そしてマルコ!お前達の部隊は、各々王宮内に散らばれ!ミレーナや牢屋の極悪人共が逃げ出さないように、見張っておけ‼︎
おい、マルコ!先にこいつを縛って、その辺に転がしておけ!
ここは、私がいるから問題ない。
オーウェン!クレイアスとそこにいる男の罪は何だ‼︎」
クライシスは、ロマイクスを冷たい目でギロッと睨む。
強い殺気を含んだ視線に怯むロマイクスは、身が縮み逃げたくても、体が全く動かなかった。恐怖に怯えて、カタカタと体を震わせながら、涙目になっていた。
ロマイクスを一瞥するライオネルは、口を噤んで様子を見守ってきたが、もう我慢ができなくなり、突如クライシスに進言した。
ロマイクスへの深い想いが、鋭く睨む瞳の奥に隠されていた。
「クライシス総帥閣下、ロズウェル国第二王太子ロマイクスに関しては、私に一任させて下さい。お願いします。」
クライシスと向き合い、深々と頭を下げるライオネルは、真剣な表情で見つめていた。
ライオネルと向き合うクライシスは、内心驚いて、ゾワッと鳥肌が立つっていた。
明らかに、ライオネルはクライシスに殺意を向けていたのである。冷酷な目つきは、容赦なく突き刺さる。
「わかった。頼んだぞ。」
引き下がるしかなかった。
オーウェンを一瞥すると、オーウェンも目を見開いて驚きを隠せていなかった。
「ふっ、負けだな。」と微笑むクライシスはボソッと呟いた後、床に転がるクレイアスの方へと向かって行った。
「ありがとうございます。」
何度も何度も、頭を下げるライオネルは、クライシスの寛大な心に感謝の意を表した。
「ロマイクス、私とゆっくり話をしよう。」
俯くロマイクスの肩に優しく手を添えるライオネルは、穏やかな表情や笑みを作りながら、涙目になっていた。
もしも時が戻せるのならーーー道を踏み外さないように、握った小さな手を離さなければ良かったとーーー
ライオネルは、ロマイクスが憎くても憎めなかった。たった一人の弟、血の全く繋がりのない弟、お粗末で、手のかかる弟、でも、そんなロマイクスを、心の中ではどうしようもなく可愛くて仕方がなかった。
今日が最期ーーー言葉にすると辛く、悲しみが一気に込み上げてくる。
大人達の都合で作られた、家族とも言えないような、嘘や偽りでしかない家族に、ライオネルだけではなく、ロマイクスもまた、大きな犠牲を強いられていた。
ロマイクスと過ごした幼き日々が、思い出となり蘇る。ライオネルは過去を振り返り、ひどく後悔していた。
ロマイクスの口から、本心を聞き出して、少しでも長年抱えてきた心の苦しみを救いたいーーーライオネルは、ロマイクスの断罪の場を、無意識のうちにクライシスから全力で奪い取っていた。
「ロマイクス、ずっと前から気づいていたのではないか。虚勢や意地を張って、弱さを隠して生きているお前を見ていると、不憫でならなかった。兄として、真っ先に弟を助けてやれなくてすまない。」
「……………」
ライオネルの言葉に、肩を震わせて、声を殺して泣くロマイクスは、言葉が詰まり出てこなかった。
久しぶりに、兄ライオネルから掛けられた優しい言葉に、嬉しさが込み上げる。
不器用な生き方しかできない、愚かで弱い自分を恨んだ。
ロマイクスは、ずっと前からどこか妙な違和感を感じていた。父親や母親と似ても似つかない容貌や容姿、そして何より自分が王族らしからぬ無能であることを。どんなに努力を重ねても、兄のライオネルには、全然追いつけず、足元にも及ばなかった。
それでも、十歳頃までは兄を尊敬して、恨みや嫌悪感を抱くようなことは一切なかった。尊敬の心を持ち続けられたのも、王族教育主任のテッドのお陰である。彼がロマイクスを心から支えて、自尊心が保てるように心配りしていたからであった。けれどデッドは、侍女に危害を加えた罪で、ロマイクスが学園入学の年に、王宮から強制的に追い出されてしまう。
デッドが犯した罪を、未だに不審に思っていたロマイクスは、今日漸く、胸のつかえが取れる。
デッドは侍女シーラと宰相ザィードに嵌められたのだ。そして、自分自身も彼等にまんまと嵌められていたのだ。
デッドが王宮から居なくなってからというものの、徐々に兄ライオネルの態度が変わっていった。そして自分も変わっていたのだ。そんな事にも気づかず、ただロマイクスはライオネルに苛立ち、嫌悪感を抱いていった。
今まで見たことのない、ライオネルの見下しているような軽蔑した瞳が、ロマイクスの心を傷つけて、奈落の底に突き落としていた。自力で這い上がったロマイクスは、ライオネルを酷く恨み、妬んだ。
ザィードやシーラの指示に従えば、彼等はロマイクスに称賛と喜びを与えた。
だから、ロマイクスは、悪に手を染め続ける。
最近は、夜な夜な仮面舞踏会に参加して、アスモンド伯爵家の嫡男と共に、幻覚作用のある違法薬物の取引をしていた。違法薬物を使って、女性を騙して関係を持ったこともある。
あの時は、何でも許されると思っていた。
誰もがロマイクスの地位を認めて、咎めることなどなかった。逆に褒めて喜んでくれていた。
しかし、それは全部嘘だった。
心にもない言葉で、弱いロマイクスの心を操り、悪の手に染めさせたザィードとシーラを許せなかった。
けれど一番は、彼等の罠に気づいていても、現実から逃げた自分自身が許せなかった。
尊敬する兄を恨み、デッドを裏切り、自尊心を保てなかった弱い自分が憎くて仕方なかった。
ロマイクスは、もう一度、兄に優しくされたかった。幼い時のように愛して欲しかった。
でも、自分は周囲の言葉に惑わされて、兄の言葉を信じず、兄を嫌い、愛さなかった。
ロマイクスはゆっくりと顔を上げて、ライオネルを見つめた。ライオネルの心からの優しさがロマイクスの心を動かす。
漸く自分の想いを口にした。
「ライオネル王太子殿下、私が全て悪いんです。全ての罪を認めます。第二王太子として、罪を償い、正当な処罰を受けます。
…………兄上、僕は、僕は至らない出来の悪い弟で、本当に申し訳ございませんでした。本当は僕は、兄上が、兄上が大好きです。兄上は僕の誇りです。兄上の弟になれて、僕は本当に幸せでした。」
椅子から立ち上がり、深く頭を下げ続けるロマイクスは、泣きながら必死に最期の言葉を振り絞る。
そして、泣き声を上げて崩れ落ちた。
「ロマイクス、私もロマイクスが大好きだ。なのに何もできない兄でごめんな、本当にごめんな、ロマイクス、ごめん………」
ロマイクスを、そのまま包み込むように抱きしめる。謝り続けるライオネルも一緒に泣き声を上げた。
互いに手を取り合い、共に寄り添って歩んでいくことさえも、大人達に阻まれて、善悪の分かれ道を意図的に選ばされる。
全てを奪われて、自分を見失い、悪事を働くことでしか、生きる意味を見出せなくなってしまったのだ。
そんなロマイクスに、心から手を差し伸べる者はいなかった。
形振り構わず、素直に泣くロマイクスを抱きしめながら、ここまで追い詰めた彼等の姑息な手段に腹が立ち、怒りが込み上げる。
憔悴しきったロマイクスは、最期にライオネルに向かい、深くお辞儀をした後、オーウェンに連れられて謁見室から姿を消した。
ロマイクスの背中を呆然と見つめるライオネルの頬には、涙がスーッと流れ落ちる。
ライオネルの愛する人が、また一人、ミレーナによって奪われていった。
いつも、いつもたくさん読んで頂き、ありがとうございます。
投稿が遅くなり、大変申し訳ございませんでした。
今回は、ロマイクスを重点的に書きました。作者としては、ロマイクスを憎めなくて、このような終わり方にしました。
次は、いよいよミレーナと戦います。
段々と終わりが見えてきていますが、最後まで、読んで頂けたら嬉しいです。




