66.悲しき過去①
閑話です。エミリアの過去の話です。
『あー!あの子の目、青色よ。呪いの絵本と同じだわ。あの子は悪魔よ。皆さん、ここから追い出しましょう。』
王妃主催のお茶会に招待されて、初めて王宮に出向いた日、一人の令嬢が放った言葉により、当時まだ七歳であったエミリアの心は、ひどく傷つけられる。
令嬢達のお目当てである、ライオネル王太子殿下が登場する前に、突如起きた出来事。運悪く、付き添いの母親は、丁度、急用により席を外していた。
一瞬で、令嬢の取り巻きに囲まれて、悪口や暴言、誹謗中傷を受ける。終いに、言い掛かりを付けられて、突き飛ばされ、この日の為にと新調した、水色のドレスは盛大に汚れてしまう。悲しくも惨めな姿に、早変わりしていた。
本性を現せば、一瞬で倒せる相手に、怒りや悔しさが込み上げる。けれども、令嬢に暴言や暴力を振るうなど、絶対にしてはいけない。ましてや、殴り合いの喧嘩をするなんて、もってのほかである。
エミリアは、歯を食いしばり、必死で感情を抑えていた。けれど、体が言うことを聞いてくれず、何度も拳を振りかざしそうになる自分の手をグッと強く押さえて、堪え続ける。じっと静かにして、悪口が終わるまで耐え忍んでいた。
しかし、一向に終わりそうもない悪口に、もうすっかり疲れ果てていたエミリアは、身に纏ったドレスをまじまじと見直して、もうこんなみすぼらしい邪魔者は、さっさと退散するしかないと思い立つ。自ら逃げるように去って行くエミリアを嘲笑い、勝ち誇った表情を浮かべる令嬢は、取り巻きの令嬢達を連れて、会場の最前列へと戻って行った。
会場では、今か今かと待ちわびる令嬢達で、ひしめき合っていた。
心躍らせる華やかな令嬢達に、遠く離れた隅の方から、羨望の眼差しを向けているエミリアは、輪の中に入れない自分が、心底悔しかった。どうしても一目で良いから、自分の目で王子様を見てみたいという欲望が湧く。たったそれだけの望みですらも、また一瞬で打ち砕かれてしまう。
恐る恐る会場に近寄って行くエミリアを、令嬢達は、またしても邪険に扱い、まるで物乞いを見るような目で軽蔑して、見下した。もう一度、遠く離れた場所に追いやられたエミリアは、お茶会の風景を一人寂しく、ただ眺めていた。
ようやくライオネル王太子殿下が登場する。顔ははっきり、くっきりとは見えないものの、遠くからでも念願の王子様を拝見できたことに、嬉しさや喜びが込み上げてくる。
次第に、会場に近づくにつれて王子様は見えなくなってしまった。王子様を一斉に囲む令嬢達に隠れてしまう。見えるのは、頬を染めて、うっとり見惚れている令嬢達だけであった。会場内は、黄色い声が飛び交い、賑やかになっていった。
ポツンと一人で佇むエミリアは、もう誰からも見向きもされず、存在すら忘れられていた。
とぼとぼと帰り道をゆっくり歩きながら、じわりじわりと、自分の瞳に課せられた宿命を実感する。
今も、そしてこれから先も、立ちはだかる壁は大きく、越えられる日は来ない。誰もが言う通り、この世に生まれてきてはいけない人間であると、改めて思い知らさせる。
付き添いの母親は、娘の異変に全然気づいていなかった。むしろ、エミリアが会場にいると思い、付き添いの母親達の会話を盗み聞きしたり、王宮内の様子を観察していた。
ゆっくり歩くエミリアは、ネモフィラが咲き乱れる花壇の前に立ち止まり、一人悔し涙を流す。抗えない宿命は、エミリアを自暴自棄にさせていた。
それからというもの、一切社交的な場に参加しなくなったエミリアは、月日が経つのは早いもので、十六歳を迎える年になっていた。
グランド公爵家にも、国王陛下よりデビュタント・ボールの招待状が届く。ただし、他の令嬢達とは違い、王太子妃候補でもないのに、招待状と共に、ライオネルが準備した真っ白なドレスとティアラが添えられていた。
父親のオーウェンや兄のライドからは、参加辞退を勧められていたが、エミリアは悩み、迷っていた。ライオネルから贈られたドレスが届いてからというもの、毎日のように眺めるエミリアは、一度で良いからドレスを身に纏い、舞踏会でダンスを踊ることが夢であった。そして、もしも叶うなら、ライオネルと踊りたい、そんな夢のような淡い期待を抱いていた。
『デビュタント・ボールに参加しないなんて、四代公爵家の名に泥を塗っているようなものよ。恥ずかしくないのかしらね。あんな女がどうして殿下のお気に入りなのか、私にはわかりませんわ。青い瞳は、王族とは一生、死んでも結婚できないのよ。早くさっさと身を引いた方が、自分の身のためだと分からないのかしら。往生際が悪くて、国王陛下や王妃様もお困りでしょうに。本当に愚かな女性よね。ふっふふふ。』
学園の中庭で、いつもの取り巻き達と一緒に、堂々と悪口を言う令嬢がいる。
古くからロズウェル国四代公爵であるグランド公爵家は、特殊な仕事柄の所為もあり、他の公爵家と比べて圧倒的な権力と優越的地位を有していた。それ故に、貴族からの誹謗中傷や陰口を叩かれることは、日常茶飯事である。
特にエミリアは、表に姿を現さないことから“引きこもり公爵令嬢”と嗤われ、同年代の令嬢達から、悪口の標的にされていた。学園に入学してからは、陰口や妬み、恨みなどが更に悪化して、相変わらず、好奇な目も向けられ続けていた。
瞳の色が蒼色に変わっても、エミリアが青い瞳である事は、周知の事実であるのは変わらない。けれど、誰一人として口に出さないのは、グランド公爵家を恐れているのもあるが、あえて言葉にせずとも、互いに皆が心の中で分かっていたからである。
日に日に酷くなる、馬鹿の一つ覚えにしか聞こえない悪口は、一つ一つ相手にするのも時間の無駄であり、そんな価値のない人間を相手にするほど暇ではなかった。
それでも、令嬢達の怒りや嫉妬の捌け口は、全てエミリアに向けられていた。それは、ライオネルがエミリアだけに好意を抱き、他の令嬢には見向きもしない、露骨な態度を見せる所為でもあった。度を越した悪口で罵り、気づいた時には、もう既に除け者にされていた。
魑魅魍魎がうごめく学園は、エミリアの心を知らず知らずの内に、ゆっくりと傷つけていた。終いに人間不信に陥り、他人と少しずつ距離を置くエミリアは、学園で孤立していくようになる。
そんなエミリアを、学園で三年生の兄ライドやゴードンの兄ニールソン、そして親友のゴードンと新しくできた友人のリリーローズが擁護していた。四人のお陰もあり、まあ、それなりに楽しい学園生活を送っていた。
そして、ライオネルも四人と同じく、エミリアをとても心配して、擁護してくれていたが、絶大な人気を誇る王子は、妃の座を狙う令嬢達の注目の的であり、毎日のように熾烈な争いが繰り広げられていた。
間近に控える舞踏会は、令嬢達の戦場であり、王太子に自己アピールする格好の場でもある。準備に余念がない令嬢達は、いつもより白熱した争いを繰り広げていた。
その中に、バルツバーク公爵家御令嬢キアラがいる。あのお茶会の日に、エミリアを突き飛ばした令嬢であり、ずっと長年、目の敵にされていた。
隠し部屋から読唇術を使い、キアラの放った言葉を一語一句読み取るエミリアは、嘆息を漏らしていた。
そこに、突然ゴードンが現れる。この時はまだ、隠し部屋の場所をライオネルは知らない。ライオネルに内緒で、こっそり生徒会室から抜け出してきたゴードンは、案の定、デビュタント・ボールの話題を振ってきた。
「リア、デビュタント・ボールに参加するつもりか?」
「迷ってる。」
「俺はやめた方がいいと思う。」
「………用はそれだけ?」
「………ライルからドレスが贈られただろう。ライルが勝手にしたことだから、俺は悪くないからな。だいたいな、俺は止めたんだよ。ライド様だって、俺の兄上も止めたのにさ、ライルは気にもせずに……。リアが誰の所為でこんな仕打ちを受けているか、全然分かってないんだよ。」
「そんなくどくどしく言っても、説得力ないわよ。別にゴードンが悪いなんて思ってないから。ただ迷っているだけだから。どうせお兄様に何か言われてきたんでしょう?家で妹がウジウジ悩んでいて、暗い表情をしているからよね。」
「なぁ、リア、本当は参加したいんだろう。」
「……………」
返す言葉に詰まるエミリアは、ゴードンを一瞥する。柔和な表情をしているゴードンに、本音が自然と口から漏れる。正直なところ、悩み疲れていたエミリアは、誰かに本音を聞いて欲しかった。やはりその役は、いつものゴードンであった。
「………本当は参加したい。ダンスを踊ってみたい。………折角、あんな厳しい教育受けているのに、披露したことが一度もないなんて勿体無いわ。きっと御父様も喜ぶだろうし。あ、でも当日は護衛で無理なのよね。そう言えば、私も護衛があるから無理ね。………結局、こんな名ばかりの貴族で、皆んなのように華やかな世界で生きられない。そしてこの瞳の所為で、どうせ私なんて、一番価値のない、要らない人間なのよ。」
ボソボソと自虐的な言葉を呟くエミリアは、無表情であり、死んだ目をしていた。ゴードンはエミリアから笑顔を奪った令嬢達が許せなかった。
でも、エミリアは至って普通に過ごしていた。
陰口を叩く令嬢達に、傲慢な態度で、悪態をつかない理由、それは意に反するからであり、宿命を作り出した悪女のようには、なりたくなかったからである。もって行き場のない感情に、ゴードンの瞳から涙が流れる。
「代わりに泣いてくれて、ありがとう。いつも愚痴ばっかりでごめんね。」とゴードンにハンカチを渡して、背中を優しく摩る。
「お前が泣かないからだろう。うっ、ううう。リア、舞踏会は俺と踊ろう。俺がリアを守るから。」
エミリアをぎゅっと抱き締めるゴードンは、エミリアの切なる夢を叶えてあげたかった。そんなゴードンの想いを汲み取るエミリアは、予想外な言葉を返した。
「ダメよ。舞踏会どころじゃなくなるわ。ライルが嫉妬に狂って、ぶち壊しになるのは、目に見えてわかるでしょう。ゴードンは、ライルをしっかり見張っておいて。私のエスコート役はスミスにお願いするから。だからね、あのドレスを着て参加するわよ。」
意を決したエミリアに、再び悲劇が訪れようとしていた。ライオネルは何も知らない、ゴードンは鮮明な記憶として残っていた。
あの時、思いとどまらせておけばと、後悔するゴードンに、穏やかに微笑んで、去って行くエミリアの後姿が、今も忘れられない。
いつもいつもたくさんの方々に読んで頂き、本当にありがとうございます。
次話も『悲しき過去』の続きになります。9/13 16時に投稿しますのでよろしくお願いします。