65.計画実行②
長文です。
ライオネルが座る場所の丁度真上にあたる天井裏で、監視の任務をするエミリアとマーガレットは、第一王太子の護衛任務をオーウェンから命じられる。
今回の計画は、ライドが指揮官であり、ライオネルの専属護衛からは、やむを得ず、一旦外されている。だがしかし、後任を命じた諜報員は、重圧に耐えられず、続々と任務を辞退していた。困り果てたオーウェンは、頼みの綱であるエミリアに『お前しかいない。リアは一族の最終兵器なんだ。頼む!』と多額の報酬金額を提示する程、窮地に追い込まれていた。
ライオネルと永遠に別れたばかりで、ひどく心が傷ついているエミリアに、ライオネルの護衛任務を依頼するのは、どう考えても、頭がおかしいとしか言いようがなかった。
精神的苦痛とお金を天秤にかけるエミリアは、案の定、お金が優勢に傾く。条件を飲み、即決するエミリアは、黙って従うしかなかった。
マーガレットと二人体制の理由は、王宮に到着して間も無く、マーガレット本人から初めて知らされる。諜報員見習いから諜報員に昇格する試験の為に、エミリアの相棒役を命じられていた。必然的に、エミリアはマーガレットの相棒でもあり、試験官でもある。オーウェンにまんまと騙されたエミリアは、苛立つ気持ちが抑えられない。敵を殴り飛ばして、ストレスを発散していた。
周囲を隈無く見渡しながら、得意の読唇術を駆使して、貴族達の会話を読み取り、見逃さないように、いつもより感覚をを研ぎ澄ませていた。敵の動きをいち早く察知して、行動に移す。
王族控室前で護衛する衛兵二人の不審な動きと言動に、瞬時に身柄を拘束して、鬱憤を晴らした後、人目のつく場所にある、大きな柱に、グルグル巻きに縛り付けて始末していた。
そこに通り掛かった第二副団長ヘイルズが、二人の衛兵を見た途端、驚愕のあまり腰を抜かした話を、後にオーウェンから聞かされる。二人の衛兵は、全身打撲により全治二週間の大怪我を負っていた。
「漸く始まったわね。セレンは、ザィードがいないから彼奴となのね。服装が燕尾服だから、隠し持っている武器は、まあまあ多そうね。
サラはどうかしら。あら、まあ、良かったわね。ギリギリ間に合ったみたい。それにしても、叔父様は、どこからどう見ても女性よね。さすがね。」
「え⁈ 何がですか?エミリア様もさすがですよ。どうしてそんなに落ち着いていられるんですか?先程も『ちょっと待っててね』が、あんな事になっていますし。私は緊張と不安と恐怖と……もうどうしたら良いのか……。」
顔色が悪いマーガレットは、極度の緊張と不安に押し潰されそうになっていた。エミリアは、諜報員の先輩として、母親から教わった心得を伝授する。そして、自分も初心に立ち返っていた。
「最初は、誰だって皆んなそうよ。でもね、緊張感や不安、恐怖心を感じることは、とっても大切な事なのよ。絶対に、今の気持ちを忘れないように、心に刻んでおいてね。
それよりも、マーガレット、見て見て、ゴードンが欠伸しているわ。もっとこうシャッキっと出来ないものかしらね。やっと候補が取れて、側近になったと言うに。」
ゴードンは、万年、第一王太子側近候補であり、エミリアからいつも小馬鹿にされ続けてきたが、オリビア連合国から帰国して直ぐに、漸く晴れて側近に昇進する。理由は、ライオネルが国王になる決心がついたからであった。
いずれ近いうちに、王座をロマイクスに譲り、王族を抜けようと考えていたライオネルは、今更ゴードンを側近にするのが忍びなかったのである。そんなライオネルの意向などつゆ知らず、ゴードンは既に諦めかけていた。ゴードンの夢は、祖父デニスのような優秀な宰相になる事であり、今回の昇進で、夢に一歩前進していた。
マーガレットは、ライオネルの傍らに立つ、眠そうなゴードンを見ると、不思議と気持ちが落ち着きを取り戻す。マーガレットの安堵する表情に、エミリアも少しホッと一息ついていた。
初心に返るエミリアは、幼き日々を思い出す。まだ諜報員見習い時代、アリアナからよく言われていた言葉があった。
『どんなに努力して、強くなったとしても、負ける時は負ける。でも、自分が後悔するような負け方はするな、いつどんな時も、全力で戦え。そして相手に少しでも傷跡を残せ』
まさに、男勝りなアリアナらしい言葉である。
(よし!いっちょ頑張りますか!)
両手で頬を叩いて、気合いを入れるエミリアの顔は、いつもより戦闘モード全開になっていた。
イーサンとダンスを踊る、エミリアの従妹のスランダード侯爵家御令嬢サラは、第二王太子ロマイクスに言い寄られていた為に、急遽、デビュタント前に、ガバニエル伯爵家御令息イーサンと婚約関係を結ぶ。実は以前より、互いに相思相愛であり、両家にとっても大変嬉しい報告であった。
しかし、王族の求婚を拒否するのは、もっての外であり、口煩い貴族、特に親族からの誹謗中傷を抑えるのは、至難の業である。故に、ライオネルやゴードン、ガバニエル伯爵家次期当主のニールソンの三人で協力し、万全の準備で臨もうとしていた。しかし、予想外に何事もなく、順調に事が進み、晴れて婚約者となったのである。
とうの昔からライオネル王太子派である王宮内の人々にとって、ロマイクスの存在意義は無いに等しく、支持する人間は、ザィードくらいであった。そのザィードすらも、悪事の為に利用していただけであり、つまるところは、ロマイクス王太子派は誰一人いないのである。
二人が幸せに満ち溢れ、仲睦まじく踊る姿は微笑ましくもあり、羨ましく感じるエミリアは、サラに羨望の眼差しを向けていた。
一曲目が終わり、二曲目が始まろうとしていた。二曲目以降は、自由に相手を選び、人脈や社交の場を広める、言わば政略的な目的の為に設けられたダンスである。各々、今後の社会的な繋がりを強めたい家同士の貴族が、互いの手を取り、ダンスを踊ろうとしていた。
そこに突如、国王陛下の命令により、初めて王族もダンスに参加する事となる。ライオネルとロマイクスは、椅子から立ち上がり、ダンスホールへと向かい歩き始める。
これも計画の一部であり、ライオネルがセレンとダンスをする事により、セレンの暗殺を阻止する為であった。デビュタント・ボール開始直前に、セレン暗殺の報せを受けて、急遽変更を余儀なくされていた。
階段を降りてダンスホールへと向かって来る二人の王子の姿に、会場内からは、一斉に歓喜の悲鳴が上がる。デビュタント達の視線は、自ずとライオネルに釘付けであった。
突然の出来事に騒然となる会場内で、ライオネルへと真っ先に向かった御令嬢は、やはりセレンであった。セレンに続くように、御令嬢達がライオネルを囲み、人だかりができる。傍らで見つめるロマイクスは、不機嫌が最高潮に達していた。サラ嬢の婚約と言い、メレエナーラ王妃の変貌と言い、挙げ句の果てには、誰からも見向きもされず、存在すら忘れられている状況に、ロマイクスの心はズタズタに傷付けられていた。
「あらら、これはいくらなんでも、ロマイクスが可哀想よね。それにしても相変わらず、恐ろしいくらいの人気ね。」とロマイクスを擁護するエミリアは、過去の自分を見ているようで、胸が苦しくなっていた。
「ロマイクス殿下は大丈夫でしょうか?短気で、わがままですから、大変な事が起きなければ良いですが。」
「そうね。そうなったら、まずいわね。うーん、誰かロマイクスと踊ってくれる御令嬢はいないかしら?……あっ!ちょっと待ってて。」
「え⁈ 次はどちらに行くのですかーーー。ああ、行ってしまいました。」
エミリアは、マーガレットを無視して、再び持ち場から消えていった。
マーガレットの予想通り、ロマイクスは暴挙に出る。セレンの腕を強引に引っ張り「貴様は宰相の娘ではないか。私と一曲踊ろうではないか。」と無理矢理にでも、ダンスを踊ろうとした。
嫌がるセレンは、ライオネルに助けを求めているが、ライオネルの体は正直である。自然と後退りして、スーッと身を引いたライオネルは、反論すらもしなかった。なぜか不思議と安堵している自分の気持ちに、驚きを隠せない。
ライオネルは、頑なにエミリア以外とは踊りたくなかった。今の今まで、信念を貫き通してきたが、そんな自分勝手な行動は、もうこれからは出来ない。現実と向き合い、自分から変えなければいけないと感じていた。
「潮時だな。」と呟くライオネルには、いずれ、妃を選び、婚姻して、世継ぎを残す責務がある。否でも応でも、エミリア以外の御令嬢とお付き合いをしていかなければいけない。取り囲む大勢の御令嬢達を見ながら、ぎこちない笑顔を作るライオネルは、心の中で溜息ばかり吐いていた。
(やはりすぐには、無理だよな。だいたい、なんでこうも女という生き物は、男に媚びようとするかな。あーダメだ。久しぶりに囲まれたが、もういい。早く終わらせてくれ。)
自分以外の御令嬢に、笑顔を向けるライオネルを見たセレンは、更に嫌悪感を露わにする。
「もう嫌!離して!何で私が貴方みたいな人気もない王子と踊らないといけないのよ!私はライオネル王太子殿下と踊りたいんです!」と暴言を吐き、必死に手を振り解こうとした。
ロマイクスは、セレンの言葉を聞いて、更に怒りが込み上げる。セレンの腕を掴む手に、力を入れて「貴様は何様のつもりだ!王族の誘いを断るなど、不敬極まりない!」と怒鳴り声を上げた。
セレンの喚き声とロマイクスの怒鳴り声で、会場内は騒々しさが増す。固唾を呑んで見守る王妃とは違い、国王はいつもと変わらず、ただ傍観するのみであった。
騒然とする会場内で、一人の女性の声が響き渡る。
「ロマイクス王太子殿下、これからのロズウェル国の安寧を願い、私、ウィルストン公爵家と親睦を深めて頂けないでしょうか。」と美しいカーテシーをするリリスは、にっこりと笑顔を見せた。
「宜しくお願い致します。」とリリスの手を取るロマイクスの表情は、とても穏やかであった。
さすがは四代公爵家の御令嬢である。一気に、場の雰囲気は和やかとなり、参加者達を魅了した。再び美しい音色の音楽が鳴り響き始める。ロマイクスは上機嫌で、リリスとのダンスを楽しんでいた。
「ふぅー。世話の焼ける王子だ。」とルフォンは溜息を漏らす。リリスにロマイクスのダンスパートナーを依頼したのは、エミリアであった。エミリアは、シモンズに目で合図して、ルフォンの口からリリスに依頼してもらう。事情を知ったリリスは嫌な顔一つぜず、快く承諾した。
実はリリスも、エミリアと同じくロマイクスのことを不憫に感じていた。二人が楽しそうにダンスを踊る姿に、一安心したエミリアは、マーガレットの元へと戻って行った。
ルフォンは、婚約者のリリスではなく、セレンと踊るライオネルを見つめていた。ライオネル王太子殿下は、今まで一度も、誰ともダンスを踊った事はない。ルフォンの姉キアラが、よく愚痴を漏らしていたのを、忘れずに覚えていたルフォンは、セレンと踊っている姿に違和感を感じる。不意に、エスコート役のグレンの表情を見て、只事ではない事態が起きていると気づいてしまう。グレンの不気味な笑みと鋭い視線の先には、ライオネルと嬉しそうに踊るセレンがいた。
(嬢ちゃん、良かったね。念願の王子様と踊れてさ。良い思い出もできた事だし、そろそろ終わりにしようかねぇー。くっくっくっ。)
嘲笑を浮かべるグレンは、周囲を見渡しながら、仲間の暗殺者に目配せする。いよいよ、グレンの計画が始動する。
「ダンス………。」と呟くエミリアは、もの哀しげな目で一点を見つめている。
返す言葉が見つからないマーガレットは、エミリアがデビュタントを含めて、これまで一切、社交の場に参加しない理由を、ゴードンから知らされていた。
過去に、令嬢達からひどく虐げられた思い出がトラウマとなり、華やかな世界に、一切姿を見せなくなったエミリアは、美しい容姿と容貌から“隠れた絶世の美女”とも言われている。
マーガレットは、気を逸らそうと、エミリアに任務の確認とグレンの特徴を聞きながら、おかしなくらい必死に話題を振り続けていた。
突然、エミリアが腹を抱えて笑い始める。
「ふふふ、ははは。もうそんなに頑張らなくても結構よ。どうせ、御父様やゴードンから変な話でも吹き込まれたんでしょ。ごめんなさいね、マーガレットが気にすることないのよ。
ふっ。まだ気持ちに整理がついていないだけだから。勝手に泣いて、勝手に笑ってるかもしれないから、気にしないでね。」
自嘲して、涙を流すエミリアに、マーガレットは胸が押し潰されそうになっていた。
ふと、何気なくゴードンを見たマーガレットは、更に胸が苦しくなっていた。
頬に一筋の涙を流すゴードンの瞳には、ライオネルとセレンが踊る姿しか映っていない。
(ライルは、何も知らないからな。)
ゴードンは、エミリアのデビュタント・ボールの日を思い出して、涙が溢れていた。
いつもいつも、たくさん読んで頂き、本当にありがとうございます。