61.デビュタント開始前
グランド公爵邸は、いつにも増して、殺伐とした空気が流れる。ぱっと見、いつもと変わりないようにも見えるが、そこは一流諜報員のみが成せる業である。目に見えないところで、邸内の至る所を行き交う大勢の諜報員達は、着々と準備を重ねていた。
何年振り、否、何十年振りに、グランド一族のほぼ全員が、本拠地の公爵邸に集結する。地下にある大部屋に、諜報員達が一堂に会する中、当主のオーウェンから任務の説明が始まった。
ざっと見て、三十人を優に超える諜報員が、狭苦しい部屋の中で、危険極まりない新武器をお披露目して、物騒な言葉が飛び交う。敵としては、こんな絶好の機会を見逃すわけにはいかない。あからさまな罠に、まんまと嵌る他国の刺客や工作員、スパイなどなど、まあ出るわ出るわで、捕縛した人数は、この狭い部屋だけでも十三名いた。更に突如、天井から降ってきた人間と降り立つ一人の女性。一族最強の女性は、一人で四名の敵を捕縛していたのである。天井から床に放り投げられて、雪崩のように積み重なる捕縛者達は、合わせて十七名にも上っていた。
さすがの敵の多さに、驚愕するグランド一族の面々を横目に、エミリアは軽妙な語り口で、凄まじい言葉を放つ。一同唖然となり、言葉を失っていた。
「はい。そこの悪者の皆さん、今から私と一緒に、とても楽しいお遊びをしましょうね。お付き合いの程、よろしくお願いしますわね。さあ、さあ、そんな所に寝っ転がっていないで、ほらほら、さっさと、行きますよ。遊ぶ時間がなくなってしまいますわ。ふふふっ。お楽しみはこれからですわよ。」
満面の作り笑いが、もはや恐怖でしかない。震え上がる敵を、瞬時に一斉に縛り上げて、縦一列になるように固定すると「ほら、さっさと歩く!」と先頭の縄をグッと引っ張り、締め上げた。後方の見張り役として、ラナを呼びつけて指示すると、部屋から早々に去って行った。去り際に「御父様、久方ぶりに私が尋問を承りますので、お任せ下さい。後、折角の機会ですから、武器の小手調べもさせて頂きます。ではまた後程、ご報告にお伺いします。失礼致します。ふふふっ。」とにっこり笑って、消えていった。
「ああ、分かった。」と苦笑いするオーウェンは、強制的に一列となり歩かされている敵を見ながら「ご愁傷さま。」と呟いた後に、嘆息する。
「オーウェンさん、大丈夫か?まあ無理もないか。姉さんの血を濃く受け継いだ所為だ。こんなに瓜二つとは、驚いたな。大きくなるにつれて、益々似てきたようだ。はははは。頼もしい限りだ。」
オーウェンの真前に座り、呆れて笑う男性は、シモンズである。表向きは、スランダード侯爵家当主であるが、裏ではグランド一族の任務を遂行する、優秀な諜報員かつ元暗殺者でもある。今回の任務では、娘のサラ嬢がデビュタントの参加者という事もあり、先頭を切って、表から攻め込む役割を担っていた。
「いやはや、シモンズ、見苦しいところを見せてしまい、申し訳ない。もう手に負えなくて、困り果てていたところだ。誰かこの中に、娘と結婚してくれる相手はいないものかと思うくらいだ。嗚呼。」
オーウェンの言葉を聞いた途端、未婚の男性陣は一斉に俯いて、目を合わせようともしなくなる。それを見て、すかさずライドが進言する。
「父上、部下が困っています。軽率な発言は控えて下さい。いいですか、今はそんな話をしている暇はありません。まず手短に話を進めて下さい。」と苦言を呈した。
ライドの言葉に皆が一斉に、うんうんと頷き返す。それを見たオーウェンは、深い溜息を吐いた後、気を取り直して、任務の説明を事細かく、端的に話し始める。
時より説明中に、遠くの方から悲鳴や断末魔の叫びとも言える声が、度々聞こえてくる。声に反応して、肩をビクッとさせたり、震え上がる諜報員達を無視して、説明を短時間で終わらせたオーウェンは、足早に執務室へと戻って行った。
ドアを開けた途端、エミリアとスミスが談笑していたが、スミスの顔は引き攣り、顰めていた。話の内容は、もはや聞くまでもない。邸内に響き渡る声が、尋問が如何に凄惨なものであったかを物語っていたからである。二人の談笑を黙って見過ごすオーウェンは、直ぐに執務机に座り、暗号を書き記す。相変わらず、準備に余念がなかった。机に向かうオーウェンを一瞥して、叱責を受けると察したエミリアは、部屋から早急に消えようとした。
「御父様、お疲れ様です。私の方も意外と早く終わりましたので、調書の作成もサクサクっと片付けました。確認をお願いします。そして、武器は予想以上の威力でした。実践で使うのが楽しみです。では、私も準備がありますので、失礼致します。」
無理して明るく振る舞う姿や、明らかにいつもと違う不自然な行動を取るエミリアを危惧するオーウェンは、エミリアの任務に不安や懸念を抱いていた。先ずは、本人の意志を確認してから、可否の判断を下すことにしていた。
「ちょっと待ちなさい、エミリア。何だか気が焦って、空回りしているようにも感じるが、どうしたんだ。まず、落ち着きなさい。いいか、冷静になって考えてみろ。今回の任務は、今までとは明らかに違う。失敗は自ずと死につながる危険な任務だ。今のままでは、任務から外すことになる。いいか、エミリア、重要な役割を担っているんだ。まずはいつも通りに、任務に集中しろ。分かったな。
それとライオネルのことは、すまなかった。あんな形で最後になってしまい、申し訳ないと思っている。直ぐに受け入れられないのは、当然のことだ。いずれ、時間が解決してくれる。だから、そう早まるな。ゾーゼフの息子との縁談は、ゆっくり考えて、答えを出しなさい。私はこれからも、ずっと変わらずエミリアの味方だ。一生ここにいても良いからな。」
ドアノブに手をかけたまま、立ち止まるエミリアは、オーウェンに背を向けて、俯いたまま微動だにしない。そのうち、肩を震わせて大粒の涙を流していた。心にぽっかりと空いた穴を埋めようと、形振り構わず、無我夢中で行動していた。そんな娘の姿を、父親は気に掛けながらも、静かに見守ってくれていたのである。
親からの愛情を初めて感じるエミリアは、父親の偉大さも初めて感じていた。感謝の気持ちが溢れて止まらない。
ライドとエミリアに無償の愛を注いできたオーウェンは、子供達に感謝していた。アリアナを失い、絶望感に打ちひしがれる日々、そんな毎日をライドとエミリアの何気ない会話や笑顔に幾度も救われてきたからである。早くに母親を亡くした子供達を大切に想い、父親ではあるが、母親にもなろうと必死で子育てに奮闘してきた。
けれども、オリビア連合国で、エミリアの想いに応えてあげられず、己の不甲斐なさに、オーウェンは悔しさに苛まれていた。
「御父様、ごめんなさい。」と振向き、抱きつくエミリアは、父親の胸の中で縋るように泣いていた。優しく抱き締めて、頭を撫でるオーウェンは「時には泣くことも必要だ。ずっと泣かずに生きてきただろう。あんなにもアリアナから言伝を託されていたとは、早く気づいてあげられなくて、ごめんな。」と優しい声色で囁き、涙を流していた。静かに二人を見守っていたスミスは、いつのまにか部屋から消えていた。
そんな二人を天井裏で静かに見守るライドは、感極まり嗚咽を漏らして泣いていた。エミリアと同様に、久々に泣くライドは、手で涙をグッと拭い、王宮へと向かって行った。
◇◇◇◇◇◇
「え⁈ ま、まさか、それは本当か?嘘を言うではない。」
使者から報せを受けた若い男達は、ワーワーと騒ぎ立てている。騒然とする室内で、豪華絢爛な一人掛けソファーに、脚を組み優雅に座る女性は、ゆったりとした口調で、話し始める。女性の毅然とした態度は、部屋中をピリついた空気へと変える。一気に、緊張感を漂わせた。
「あら、まあ。さすがはグランド一族。優秀ですわね。全滅ですか。へぇー、そう、分かりましたわ。それより一体全体、ザィードは何をしているのかしらねぇ。ふふふっ。面白くなってきたわ。あの小娘、やるじゃない。」
深紅の唇を開いて、せせら笑う一人の女性。年齢を重ねて、皺が多い肌を厚化粧で覆い隠し、年齢よりも遥かに若く見えるように、今流行りの胸元が大きく開いたドレスを身に纏う。年相応の容姿をくねらせて、若い男性に縋り付いている姿は、いかにも下品で醜い姿としか言いようがない。
「お気を確かに。私がお側についておりますので、ご安心ください。」と肩を抱き寄せて、献身的に支える若い男性と、傍に寄り添う、その他数名の若い男性達は、全て女性専属の護衛である。
邸宅の一室で、若い男性達に囲まれて、戯れる女性は、いつもと変わらない卑猥な言葉を交わして、淫らな行為を愉しんでいた。
そこにノックもせずに、一人の若い女性が入って来た。
「御母様!見て下さい!とっても素敵に仕上がりましたの。どうかしら。私の王子様は、お気に召してくれるかしら。心配で、心配で、昨晩はあまり眠れなかったわ。是非、御母様の意見を聞かせて欲しいの。」
美しい所作でカーテシーをした後に、純白のドレスの裾を持って、ふわりと舞うような仕草を見せる若い女性。長いブラウンヘアは、編み込んでアップヘアにしているが、ルビーをふんだんに使った髪飾りやネックレス、イヤリングが目立ち、宝石にしか目がいかない。しかし、煌びやかなドレスやアクセサリーを身に纏い、妖艶な肉体美を披露する若い女性に、男性達からは拍手と歓声が上がる。
「あら、素敵じゃない。とっても美しいわよ。」
心にもないお世辞を言って、内心では嗤う女性。
「ありがとう。御母様、大好きよ。」と翡翠色の瞳を輝かせて、可憐な笑顔を見せる。愛嬌を振りまく娘に呆れて、言葉も出ない母親は、早く追い出そうとしていた。
「ほーら、遅れては大変よ。シーラ!シーラ!」と侍女の名前を呼ぶと「はっ。」とドアの前に跪き、用件を確認した後「お嬢様、私と一緒に行きましょう。」と手を引き、ゆっくりと部屋から出て、廊下を歩いて行った。
「ふっ。あんな子供に、何あの宝石とドレス、不相応だわ。あの子、分をわきまえるって言葉を知らないのかしら。ほんと、ザィードにそっくりで、嫌になっちゃうわ。もう、用無しね。後始末、よろしくお願いしますわね。ふふふっ。」
若い男性の手を取り、奥の寝室へと消えていく女性は、鋭い視線で目先にいる、黒服を身に纏った、背の高い細身の男と目配せを交わす。
「仰せのままに、お任せ下さい。」
ニヤリと不気味な笑みを浮かべる男は、暗殺者グレンである。この男、実は只者ではない。後に、この男との壮絶な一騎打ちが待ち受ける。
手をヒラヒラとさせて寝室に向かう女性は、ご存知の通りミレーナであり、先程までいた若い女性は、ヴェルシア公爵家御息女セレンである。
ロズウェル国内で、一番贅沢で優雅な暮らしをするヴェルシア公爵家。長年、横領した国の金は、全て贅沢品へと変わり、もう残すところなく使われていた。
「えー‼︎‼︎」
突如、王宮西棟から女性の叫び声が聞こえる。続けざまに、悲鳴のような女性達の驚愕の声が彼方此方で聞こえ始めた。
「久々の素顔は、気持ちが良いですわ。」
クレイアス国王を見つめて、穏やかに微笑むメレエナーラ王妃に「今日は、一段と綺麗だ。」と微笑み返すクレイアス国王。仲睦まじく、談笑しながら、寄り添い歩く二人の姿に、だれもが皆、驚く声も忘れて、微笑ましく見守っていた。
ひとときの幸せを噛み締めて、二人は舞踏会のホールへと向かい、ゆっくりと歩いて行った。
いつもたくさん読んで頂き、本当にありがとうございます。投稿が不定期となり、大変申し訳ございません。
書いても、書いてもデビュタントが始まらず、今回は始まる前を書いて終わっています。次話には漸く待ち望んだ戦いが始まるので、読んで頂けたら嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。