5.怪我の治療
侍女のラナはエミリアを椅子に座らせて、直ぐに部屋から出て行った。
暫くして、医者のサイモンと助手のコスターが部屋に入って来る。
「エミリアお嬢様が怪我をしたとは、珍しいのう。余程、大変だったのかい?無理しちゃいけんよ。さて、どれどれ、足首を動かすから、痛い時は言うんじゃぞ。」
サイモンは白髪の老漢で、グランド公爵家が特殊な家柄の為、本邸の敷地内にある建物に居住している。長年、専属医を務めているが、そろそろ、隠居しても良い歳であった。
「コスター、鞄から薬を出してくれ。」
「はい。サイモン先生。」
コスターは額に汗をかきながら、鞄の中にあるはずの薬を探していた。
段々に頭を掻きむしり、狼狽えている。
「サイモン先生、薬を忘れてきました。急いで取って来ます‼︎」
「おい、ちょっと待て!」
サイモンは後を振り向くが、コスターは、もういなくなっていた。
「はあー。何の薬かも聞かんで、何を持って来るつもりじゃ。あれだけ準備しとけと言っておいたのに、何してたんじゃ。全く彼奴は自分が悪いと思っとらんからなあ。だから失敗を繰り返しよる。これで何度目じゃ。わしを死ぬまで働かせる気かぁー。……もう勘弁しておくれぇ〜。」
「サイモン先生も大変ですね。私で良け…」
「サイモン先生!薬を持って来ました‼︎」
エミリアが話している最中に、コスターが戻って来た。
(え⁈ 戻って来るのが早い。)
侍女のラナも同感した様で、目が合い互いに頷く。
「ほぉー、よくこの薬だとわかったな。エミリアお嬢様、骨折はしていないが、こうすると痛いじゃろ。やはり捻挫じゃな。熱をもって腫れておるから、1週間はこの薬を塗って、何かあったら直ぐに言うんじゃぞ。」
「え⁉︎ 痛くないですが……。」
「ほおー、うーん。そうか、そうか。念のためじゃ。まだ若いんだから、身体は大事にした方が良いぞ。じゃあ、ほれ帰るぞ。早よう片付けんかい。では大事にな。」
サイモンは、エミリアの肩をポンと叩いて、腰を曲げながら、ゆっくり歩いて、部屋を出て行った。
一方で助手のコスターは、薬を塗った布が剥がれないように、太い紐状の布を使い、足首を包み込む様に、螺旋状に巻きながら固定している。
処置方法を侍女のラナに詳しく説明した後、部屋を出て行った。
ーーーーと思ったら、再び戻って来た。
「すみません、サイモン先生が言い忘れた事がありまして、お伝えに来ました。宜しいでしょうか。」とノックもせず、突然、ドアの前で話を始める。
ラナがドアを開けた瞬間、コスターは早口で報告して、走り去って行った。
ラナは、僅かな気配や音などで識別と認識が出来る為、今までコスターの礼儀作法を、気にも留めてなかった。しかし、主の娘に対する接遇としては、疎かである。教育が必要であると感じていた。
「え⁈ 普通に考えて、私にじゃないのかしら。」
「お嬢すみません。隙がなくて何も言えませんでした。腫れを抑える飲み薬を渡されましたので、お水を用意致しますね。」
「いや、良いのよ。ラナも今日は疲れてるのにごめんなさいね。」
エミリアは、ラナがコスターの話した内容を伝達しない行動で、ほぼ察しがついていた。
一方でラナは、水差しの水をコップに移す手が震えて、思うようにいかない自分と、コスターから聞いた話に、苛立っていた。
ゆっくり深呼吸をして息を整え、心を落ち着かせてから、エミリアと話を続ける。
「いえいえ、お心遣いありがとうございます。コスターさんはちょっと変わっていらっしゃいますから、仕方ありません。」
「そうね。サイモン先生もあれでは引退は無理よね。」
「はい、皆がそう思っていますので。」
「あら、そう。でも、能力は高そうよ。けれど残念ながら人間性が、ちょっとね……後でお父様に相談しておくわ。」
エミリアは、薬を服用した後、自室で夕食をとり、湯浴みは出来ないので、ラナに体を拭いてもらい、夜着に着替えていた。
「後はもう大丈夫よ。今日はありがとう。ラナが居なかったら、どうなっていたかしら。想像しただけでもゾッとするわね。明日も早いでしょうから、ゆっくり休んで。ラナ、お休みなさい。」
ラナに寝床まで横抱きで運ばれ、布団の中で挨拶をした後、エミリアは眠りについた。
ラナは、必死に感情を抑えていたが、血が滲む程に掌を強く握っていた。
エミリアは、責任感と忠誠心が強いラナの心情を想うとーーー努めて平静を装う他なかった。
一人になり、天井を呆然と見つめていた。
涙が頬を伝う。
「ライル………無事で良かった。」
自然と声が漏れる。
涙が堰を切ったように溢れて止まらない。
布団の中で収まらない感情を露わにして、嗚咽しながら泣いていた。
突然、布団の上から温かく包み込まれた。
ゆっくり布団から出ると、ライオネルが涙を流しながら、ベッドの上に座っていた。
自然と抱きしめ合い、唇が軽く重なる。
「リア、すまない…。許してくれるか?」
「え?あー許すわよ。仕方ない。」
「ありがとう、リア………愛してる。さようなら。」
「え⁈なに、なに、ライル‼︎だめよ、嫌よ、嫌、絶対嫌よ‼︎行かないで‼︎」
ライオネルに追いつきたいのに、走っても、走っても追いつかない。やっと手が届く寸前で転び、地面に叩きつけられる。
ライオネルはもう見えない……。暗くて何も見えない……。
そのまま暗闇に飲み込まれていった。
◇◇◇
グランド公爵邸からゆっくりと馬車が走り出した。
ガバニエル伯爵邸でゴードンを降ろしてから、王宮に向かう予定でいたが、一人で帰らせたくないと拒否された為、一緒に向かう事となった。
「ゴードン、いつもすまないな。お前がいなかったら、もうここにいないな。」とライオネルは自嘲した。
「やめろ、縁起でもない。お前は絶対に死なせない。死んでも俺が守るから覚悟しとけよ!」とゴードンは真剣な眼差しで、叱咤する。
「わかったよ。ありがとな。」
「どうした?いつもより気弱になって、珍しいな。」
「そうか?そうだな。なんだか色々ありすぎて、もう疲れたな。」
ライオネルは馬車の窓から、王都の街並みを眺めているが、表情は無く、虚な目をしていた。
「あーそうだな。」
ゴードンは、沈痛な面持ちでライオネルの横顔を見ていた。
(あーもうだめだ、だめだ。弱気になってられるか。)
ライオネルは、重苦しい雰囲気に耐えられず突然、話し始める。
「そう言えば、相変わらずお前は演技が下手だな。少し練習した方が良いぞ。それに比べて俺の演技は完璧だったな。流石に長年、王子をやっているだけある。」
「え?演技って………。あー!酷いぞ!ライル!あれ、演技だったのか!」
「あははは。図体でかいくせに、ビビりだからなぁー。怖くて怯えてたね、ゴードンちゃん!」
「おい!ちゃん付けするな!」
馬車の中は、空気が一変して、二人の笑い声が響き渡る。
「ぐっ、ふっ、はははは。いやぁー笑い過ぎて腹が痛い。そんなに怒るなよ、悪かったって。なぁー、実は今日さぁー、リアにお姫様抱っこされちゃって。うふふ。」
「え⁈お前を、リアが?すげーなあいつ。どれだけ怪力なんだ。」
「でね、胸が顔に………。」
ライオネルは、手で顔を押さえて隠しているが、口元が緩み、頬も赤く染まり、完壁にニヤけ顔になっているのがわかる。
「邪なこと考えてたな。嫌われるぞ。」
「そんな事はない。……キスでもしてくれたらなぁー……。」
「顔に思いっきり出てるぞ。ビンタされるからやめとけ。」
「ビンタも良いねー。ふふふ。」
「はぁ⁈ 頭がお花畑になったのか?ふぅー。その顔、気持ち悪いから、本当にやめろ!」
「ふっ、はははは。誰がお花畑だ!はははは。」
「そこは怒るとこだろ。全く……、ふっ、ふっ、はははは。」
(今はこれで良いんだ。あともう少しで終わらせるからな、ゴードン。)
一番の親友であるゴードンを見つめながら、大笑いしていた。
ーーーまさかエミリアに毒がもられていたとは
ーーーもう既に毒に侵されて苦しんでいるとは
二人は、まだ知らない。