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39.束の間の休息

 外は、春の陽気でポカポカと心地良い暖かさである。反してグランド公爵家邸内は、一段と凍てつく寒さに包まれていた。


 頭を掻きむしり、苛々しながら怒りを露わにするライド。時より、大きな深い溜め息と執務机を叩く音が邸内に響き渡る。


 執務室のドアの前で、泣きながら狼狽える侍女は、トレーを持ちながら、紅茶の入ったティーカップをかたかたと震わせて立っていた。


 そこに用を済ませて戻って来たスミスは、立ち往生している侍女の所為で部屋の中に入れない。小声で事情を聞き出す。

 「どうされたんですか?」

 「あー、スミス様。どうしたらいいですか?侍女長に行けと言われて来たのですが……私には到底無理です。助けて下さい。」

 今にも消えそうな声で、ポロポロと涙を流している。手持ちのハンカチで涙を拭いながら、ふと見覚えのある顔に、侍女長の意図を汲み取る。

 「さすがモニカです、気が利きます。」と呟き、執務室のドアをノックする。

 侍女は、予想外の行動に驚き、目を見開いたまま涙を流した。絶望した顔へと変化して、項垂れる。


 部屋の中から「はい。」と怒気を含んだ、低い声が聞こえてきた。

 ビクッと肩を大きく震わせて、声色に過敏に反応する。一層恐怖に怯えて、立っている場所から全く動かなくなった。いや、動けなくなっていた。

 「ほら、早く。」

 「無理です。」

 スミスは小声で身振り手振りをしながら、早く部屋の中に入るよう伝えるが、足がすくんで歩くことすら出来ない。終いには眉根を下げて、落胆する。


 そうこうしているうちに、ガチャリとドアが開く音がした。痺れを切らしたライドが、ドアを開けたのである。侍女の真ん前に立ち、恐ろしい顔で見下ろしている。感情のない冷酷な顔、諜報員ライド・ダガン・グランドの顔であった。

 全く反応がなく、下を向いたままの侍女に、腕を組み、鋭く睨みつけながら怒声を浴びせた。

 「おい!貴様は誰だ!」


 項垂れて、大粒の涙を流す侍女を凝視する。顔を覗き込むと、侍女はミリーシアである事に漸く気づいた。途端にライドは豹変する。手に持つトレーを奪い机に置いた後、ミリーシアを優しく抱きしめた。頭を優しく撫でながら、穏やかな声色の甘い口調で慰める。

 「ミリー、どうした?なぜここにいる?もしかしてスミスに虐められたのか?可哀想に。もう泣かなくても大丈夫だよ。」

 ミリーシアは、ライドの胸に項垂れて、まだ泣いていた。

 ライドはミリーシアを抱きしめながら、視線を部屋の外に向ける。直ぐにスミスを見つけて、一瞬、鋭い眼光を放った。

 

 スミスは、胸を撫で下ろして安堵する。平穏の訪れを告げるかのように、廊下に暖かく穏やかな春風が吹き流れ始めた。

 (ライド坊ちゃんも、好きな女性に弱いとは、男になりましたね。)

 スミスは、溜息を吐きながら呆れ顔になっていた。


 ミリーシアは、漸く震えが止まり、固まった体も動くようになっていた。

 ライドと目線を合わせながら、ゆっくりと返答する。見上げる顔は、頬をピンク色に染めて、微笑んでいた。そんなミリーシアを穏やかに微笑んで見つめるライド。ミリーシアの頬に掌を当てて指の腹で涙を拭っている。 

 

 「いいえ、違います。スミス様には虐められていません。ライド様が怒っていらっしゃったので、怖くて……。お茶を出す機会を伺っておりました。冷めてしまいましたので、淹れ直して参りますね。」

 抱きしめる腕を離して、トレーは置いたまま立ち去ろうとした。すかさずライドは、背を向けたミリーシアの腕を掴み、引き寄せる。


 「え⁈」

 「ミリー、ごめんね。もうミリーの前では怒らないから安心して。冷めたお茶で構わないから、さあ中に入って。」

 ミリーシアの手を引いて部屋に入るライドは、嬉しそうな表情を一瞬見せる。


 暫くして、部屋の中から楽しそうに笑うミリーシアの声が聞こえてきた。


 「ふぅ~。ミリーシアさん、後はよろしくお願いしますね。」

 自室に向かい歩き始めたが、なんとなく背後から人の気配を感じた。振り返ると、少し離れた場所から侍女長のモニカが向かって歩いて来た。


 「スミス、どう?上手くいったかしら?」

 不安げな表情で、小声で話すモニカは、執務室のドアの前まで、ゆっくりと音を立てずに近寄って行く。丁度その時、室内から二人の笑い声が漏れて、部屋の外に聞こえてきた。一瞬で安堵した表情に変わり、手を振りながら去って行った。スミスは、モニカに深く頭を下げて自室へと戻って行く。



 「主人は大丈夫かなぁ?」

 スミスは歩きながら、オーウェンの疲れた顔を思い浮かべて、呟く。


 マリアンヌ故王妃の生存とコスター雇用契約書の文書捏造が、ライドとエミリアにばれた。


 秘匿情報は、いくら隠してもいずれは、いつかどこかで露見される。それがまさか、オーウェン不在の日になるとは、思いも寄らなかった。

 弁解すると、自分も被害を被る事になりかねないので、押し黙って仕事をしていたが、執事として、やるせない気持ちになり、自責する。


 ライドとエミリアの様子を見る限り、オーウェンが窮地に追い込まれるのは確かである。

 ライドは、冷酷無比に見えるが、心根が優しいので問題はない。問題は、エミリアである。意外と卑劣な手段で人を陥れ、優越感に浸る時もあれば、美麗な顔立ちに似合わず、男よりも勇猛果敢に挑む時もある。可憐で美しい少女に見えるが、グランド公爵家で一番強いエミリアを、父親のオーウェンが逃げ切れるとは思えない。

 いつも通りに暴言・暴力でずたぼろになり、多額の報酬料が記された請求書を見て、項垂れるに違いない。

 スミスは、今日の出来事をくよくよ悩んでも仕方ないので、潔く忘れる事にした。


 「お父様の弱味を握ったという事は、うふふふ。」

 「今日は、恐ろしさ倍増ですね。」

 国境を越えて、オリビア連合国に入国した二人は、急ぎ馬を走らせている。


 「ミリー、君が来てくれて本当に良かったよ。ありがとう。」

 「いいえ、こんな私でもライド様のお力になれて光栄です。」

 肩を寄せ合い、お互いの指が交互に絡み合うように手を繋いでソファーに座り、他愛もない話をしながら二人で紅茶を飲んでいる。


 「はっくしょん。はっくしょん。」

 「風邪ですか?」

 「何だろう。急に寒気がして……恐ろしく嫌な予感がする。あーー‼︎」

 「どうしました?大丈夫ですか?おーい、大丈夫ですか?」

 跪き、頭を抱えて嘆くオーウェン。心配そうに見つめるゴードン。

 



 各々、それぞれの場所で、時は刻々と流れていた。


 いつもたくさん読んでいただき、ありがとうございます。


 これからも、よろしくお願いします。

 

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