36.すれ違う想い
クライシスは、優雅に朝食を摂るマリアンヌを見下しながら、睨みつける。
ただならぬ殺気に、生気を取り戻していたオーウェンは、瞬時に気配を消して逃走を試みた。
案の定、クライシスに気づかれる。
怒気を帯びた顔付きで一喝した。
「貴様はここに居ろ!!!」
「ヒィーーー。」
(うわぁ!流石だ。いつの間に。)
百戦錬磨の軍隊を率いるオリビア連合国の総帥に、勝てるはずもない。
連合国軍は、連戦連勝であり、向かう所敵なしであった。総帥の飛び抜けた実力や能力が戦を勝利に導く。今のクライシスに誰も敵うはずがない。そして、オーウェンは昔から勝った試しがなかった。無謀な挑戦は、連敗記録として残された。
親友の豹変に、顔が引き攣る。
急にゾックとして背筋が凍りついた。痛い視線の先には、眉を吊り上げて仁王立ちするクライシスがいた。どうやら手招きをしている。
「嫌だ、行きたくない。」とボソボソと呟く。
再び、無謀な挑戦に臨む。咄嗟に、縦横無尽に走って逃げた。
逃げるオーウェンの背後を、ゾーゼフが追い掛け回す。じわじわと詰め寄り、距離が縮まる。
「クライシス、ほれ、捕まえたぞ。」
すぐに呆気なく捕獲されて、引き摺られながらダイニングルームに戻って来た。
昨日の涙は嘘のように、いつもの冷血漢である。
「諦めも肝心だ。なあ、オーウェン。」
嘲笑いながら、背中を強く叩き、クライシスの前に押し出した。
「おい!やめろ!」
「何してる!早く座れ!」
「はぁーーーー。」と超絶に深い溜息を吐く。肩をガックリと落として、一気に老け込んだ顔になる。トボトボとゆっくり歩いて椅子に座った。
一方で、マリアンヌはお構いなく飄々としていた。「あら、冷めてるわね。」と漸く朝食を終えて、紅茶を飲んでいた。
「いつまで、そうしているつもりだ。息子はもう貴様の顔を見たくないそうだ。どうしてそうなったかわかっているだろ。これ以上、我が子を苦しめるな。ゾーゼフ、この女をお前の家に置いてもらえるだろうか。」
さぞかし激昂して怒鳴り声を上げ、罵倒するに違いないと思いきや、意表を突かれる。至って穏やかな表情で、優しい声音のゆっくりとした口調で、諭しながら話す光景は、異様でしかない。
「いいぞ。わかった。」
二つ返事をしたゾーゼフは、不意に違和感を覚えていた。悪い結果を招く気がして、余計な事を口走らないように慎んだ。
「すまんが、頼んだ。」
「オーウェン、執務室に行くぞ。」
「え⁈ あー、はい。」
クライシスの行動がどうも釈然としない。あんなにも怒りを露わにしていたのに、突然真逆に豹変した。急ぎ、心情を読み解く。
そこに他人の事なんてどうでもいい、悪い意味でマイペースなマリアンヌが、驚きの表情で尋ねる。
「え⁈ 待って、あの子が本当にそう言ったの?そんなの嘘よ。私は騙されないわよ。」
地雷を踏んだ。もう手遅れである。抑えていた感情が一気に爆発する。
「本当に何もわかってないんだな。いいか、貴様の所為でライオネルは、愛する我が子がどんな目に合ってきたかわかっているのか!母親失格だ‼︎もう、さっさと出て行け!!!」
クライシスが怒るのも当然である。
昨晩、一人執務室で身辺調査書とゴードン作成の報告書に目を通していた。目を疑う内容とマリアンヌから聞いていた内容との相違に、部屋に置いてあるコップを割り、座っている椅子を投げつけて、エドワードの机を破壊した。それでも怒りは抑えれず、何度も壁を拳で殴り、流血しても殴り続けた。
ゾーゼフが物音に気づいて駆けつけた時には、蹲りながら血だらけの床を叩いて、号泣していた。エドワードを呼び、酒を飲ませながら一晩中、愚痴や不満、文句など普段は滅多に口にしない言葉を息つく間もなく発したクライシスに、心痛が絶えなかった。
翌朝、目覚めた時には心が晴れやかであり、清々しい朝をライオネルと愉快に過ごしていたはずなのに、突如マリアンヌの登場により、暗雲が立ち込める朝に一変する。
しかし、母親が生きている真実を知らないライオネルを、己の言動や行動で、これ以上傷つけたくはなかった。怒りを鎮めて、努めて感情を抑えていた。
母親の顔を見たくない発言は予想外ではあったが、ライオネルの意志を尊重する。マリアンヌに当たらず触らずで対応して、即刻追い出すつもりでいた。
(女に現を抜かして、判断を見誤った結果だ。己の責任だ。後悔しても仕方ない。先ずはここを乗り切ってからだ。)
マリアンヌの腕を引っ張り、力強く手を引いて闊歩するクライシス。
極めて冷静で、冷酷無比な男に変貌する。部下が恐れを成してやまない、総帥閣下の顔になっていた。
「ちょっと、歩くの早い。止まってよ。痛い、痛いわ。もうやめてったら、反省するから、許して、お願いクライシス。ねぇ、聞いてるの?」
「五月蝿い!黙れ!さっさと歩け!」
「まぁ、なんて酷い男。信じられないわ。ちょっと本当に歩くの早いのよ。痛いんだから。嘘じゃないのよ。ねぇ、お願いだから離してよ。」
マリアンヌは、手首を掴む手を強く叩いたり、爪を立てたりするが、ゴツゴツとした筋肉質の手はびくともしない。痛みに耐えながら、必死に抵抗をしていると、足を止めたクライシスの背中にぶつかる。
「わぷ。ちょっと!急に止まらないでよ!」
背後で喚くマリアンヌの声はクライシスの耳には届かない。
ダイニングルームを出た途端、廊下にポツンと一人佇むライオネルの姿が目に映る。
漂う暗い雰囲気に、嫌な予感しかしない。
背後には、ライオネルが拒絶感を示す女性がいる為、身動きが取れない。
察したゾーゼフとオーウェンは、マリアンヌの隣に立つ。
危機を回避する為には、女性は邪魔でしかない。小声で命令する。
「おい、ダイニングルームに一度戻れ。勝手に出て来るなよ。わかったか。」
「はぁ⁈ どうしてこの私が邪険に扱われるのよ。いい加減にしてちょうだい。何がどうなっているのよもう。ゾーゼフ、行くわよ。貴方のお家でしょ。案内しなさい。」
小声で反応したが、やはり全く自分の非は認めていない。反論しながら前方に進もうとした。
「おい、そっちに行くな。早くこっちに来い。」
ゾーゼフが手を引いて、ダイニングルームに向かい走り出した。
「はぁ⁈ 何、何なの?誰かそこにいるの?」
引かれた手を振り解こうと抵抗する。隙をみて振り返るとライオネルの姿が目に映る。マリアンヌは、ライオネルの言葉を未だ信じていなかった。
「ライオネル!どうして、もがっ。」大声を上げるものの、口を塞がれて言葉が途切れる。
一部始終を見ていたライオネルが、漸く口を開いた。
一斉にライオネルに視線が集まる。静寂の中、放たれた言葉に、一同驚愕する。
「母上、貴方はいつもそうだ。私の気持ちなんて、考えた事もない。母上を想って頑張ってきたのも、全部無駄だったという事です。また騙されていたなんて、ははは、笑えますよ、本当に。
あの日、私も死ねば良かったんだ。そうすれば、楽になれたんだろうな。もう、こんな人生はうんざりだ。」
時がゆっくりと流れる。涙を流して、走り去る息子を追いかけるが、追いつけない。
「待て‼︎ ライオネル‼︎ 行くな‼︎ 止まれ‼︎」
大声で叫ぶが、届かない。
馬に乗り、走り去る後ろ姿が、遠ざかっていく。
元帥に命令後、馬に乗り自ら追いかける父親、涙を流して茫然自失する母親。
目覚めたゴードンの声が鳴り響く。
「ふざけるな!!!」