15.想い繋がる二人の時間
「すまない、リズ。もう怒らないから、正直に話して欲しい。何か思い出したのではないか? もしかして……会ったのか?」とリリーローズを後ろから抱きしめながら耳元で囁く。カイアスは、二人だけの特別な愛称を無意識に口にしていた。
「…………」
「良いんだ。無理に思い出さなくても良い。そのまま忘れていた方が……。」
カイアスの心は揺れ動いていた。先程の発言から、ジルアンと面識があるのは否めない。
しかし、どうあがいても一度起きてしまった事は二度と元には戻らない。同じ過ちを繰り返さない為にも、今度こそは己の命を懸けて彼女を守り抜くと心に刻む。
とは言っても……お茶会の招待状に記された『寛大な御配慮と温かい御言葉』が頭から離れなかった。リリーローズの様子から見て、これ以上問い質すわけにはいかない。思い迷い、躊躇してしまう心情と葛藤していた。
一方でリリーローズは、鮮明に記憶が蘇っていた。全て包み隠さず伝えたら……非常に危険である。無言に徹することを決意した。
暫く、沈黙が続く。
リリーローズは、カイアスの温もりが心地良かった。この上なく、幸福感に満たされていた。このままずっと離れたくないと思ってしまう。いつの間にか、カイアスの腕を掴んでいた。
しかし、現実はそう甘くない。父親が犯した罪と愚かな自分が仕出かした罪は、決して許される事ではない。正当な処罰を受けなければいけないと覚悟していた。
ラリーシュシュ辺境伯の領地を治める後任は、実は国王の叔父であるお祖父様の爵位問題がある為、ライオネル王太子殿下に委ねようと考えた。辺境伯には嫡男がいない。御父様や私が暗殺された場合、残るは御母様しかいない。御母様や領民を守るには、他の策は思いつかなかった。
お茶会は、最初からカイアス皇太子殿下への相談は不要であった。罪の代償として、参加を決断せざるを得ないのは分かっていた。
今日、わざわざエミリアにお願いして場を設けてもらい、あれよあれよという間に、醜態を晒して、失言を繰り返し、挙げ句の果てには、全て無駄な行為であると漸く今になって気付いた、馬鹿な自分に呆れていた。再び取り返しのつかない失態をしでかした鈍感な自分には、もう弁解の余地もない。高貴な四人の方々には、丁寧に謝罪をすると思い定める。
気分はとても晴れやかであった。潔く諦めて腹を括っていたからである。ほんと悪い性格が嫌になる。もうどうでも良くなっていた。いくらあがいてもなるようにしかならないと、思案する事に労力を使い過ぎ、半ば自暴自棄になっていた。決意はあっけなく砕けた。
楽観的な考えが、未だかつて功を奏したことは事は一度もないのに。
ーーーカイアスと真逆のリリーローズは、案の定再び失敗を重ねる。
リリーローズは、掴んでいた腕を離し、抱きしめられているカイアスの腕からも離れる。そのまま立ち上がり、カイアスに視線を向けた。彼女もまた、二人だけの愛称を口にする。
「カイ、こうして二人で話すのは何年ぶりかしら。………私、ほんと嫌になるわ。……ごめんなさい。ジルアン皇太子殿下と何度かお会いしていたのを今更気付くなんて。取り返しのつかない事をしてしまって。ほんとごめんなさい。」と深々と頭を下げた。目には涙を浮かべていた。
カイアスは、想定内の発言ではあるが、『何度か』が妙に気に障り、苛立ちを覚える。感情は努めて抑えた。そして、慰めようとリリーローズに近寄った途端、後退りされる。
「だめです。私はカイアス様に慰めて頂くような人間ではございません。私は、私は……。」と大粒の涙を流しながら、必死にカイアスを避けるリリーローズがいた。
突然、よそよそしくなるリリーローズに胸騒ぎがして、咄嗟に言葉を封じる。
「リズ! もう何も言うな! やめろ!」
叫んだ声は報われず、耳にしたくない言葉が彼女の口から告げられる。
リリーローズは、キールッシュ帝国で有毒植物の採取を任されていた。不慣れな土地での仕事を考慮して、父親が世話人を手配していた。世話人は壮年の男性で、物腰が柔らかく気さくな人であった。有毒植物は、辺境伯領よりも遥かに品種が多く、危険な場所にも自生している為、任務は難航していた。世話人の男性も必然的に協力を余儀なくされ、力不足と感じた世話人が一人助手を連れて来た。同じく壮年の男性であり、彼は超越した豊富な経験と知識で容易く任務を遂行していた。有毒植物に関しては、学者より優れており、専門書に記されていない事柄を丁寧に幾度も教授して頂いた。好奇心旺盛な私は、彼と一緒に仕事をするのが楽しみになっていた。
そして、お互いが気兼ねなく会話をするようになった頃、彼が私に悩みを打ち明けてきた。年上の男性に意見するなど烏滸がましいと自覚はしていたが、彼の真剣な表情に応えざるを得なかった。
『寛大な御配慮と温かい御言葉』は、この時に生じた産物である。
加えて、慰めの抱擁もした。父親に抱擁するのと同じ感覚であったが、彼にはそうではなかったかもしれない。
まさか、彼がキールッシュ帝国第一皇太子ジルアンであるとは知る由もなかった。同じ年齢の皇太子は、精巧な変装を駆使して私と接触していた。同じくもう一人の男性も彼の側近だったとは……。エミリアが手配した影を欺くほどである。おそらく父親も共犯して仕組まれた罠である。
だが、これらは所詮、私を仕留める策略のほんの序章に過ぎないとカイアスから知らされる。
リリーローズは、大きな瞳を見開く。急に不安に襲われ涙が頬を伝う。
カイアスはリリーローズが暴露した話に、遂に感情の昂りが限界を越え、怒りが爆発する。逆鱗に触れてしまったのである。握りしめた掌から血が流れ、壁を殴った拳からも血が流れていた。
悲しげな表情で自傷行為をするカイアスに、リリーローズは狼狽え、言葉を失う。
急に、視界が閉ざされた。鼓動が早鐘のように鳴り響いている。カイアスに強く抱きしめられ、胸に顔をうずめて泣いていた。許されない行為に、離れようと必死にもがくが強い力で全く動かない。抱きしめる腕に更に力が入り、胸に顔を押し付けられる。息が苦しくなり、身体を叩いて抵抗するが、筋肉質な身体は直ぐに拳が跳ね返り、手が痛い。
不意に、強く抱きしめていた腕が離れた。そして、両腕を掴まれて、顔が近づいてきたと思ったらお互いの額がぶつかる。
「リズ、このままもう離さない!俺から絶対離れるな‼︎」と揺れる金色の大きな瞳と目が合う。リリーローズの淡い紫色の大きな瞳が揺れていた。一筋の涙が流れた。
カイアスは、優しい眼差しで見つめ、顔に掌を当て、指の腹で涙を拭う。見つめ合う目が閉じた。唇がゆっくりと重なる。
「このまま、一緒に帰ろうか。」
腕の中で、頬を染めて微笑むリリーローズの額に唇を落とす。
「お待ち下さい。」とゼンの声が聞こえたと思ったら、既に目の前に立っていた。
リリーローズは見知らぬ男性が突然現れて、カイアスにしがみつく。カイアスの表情が一気に緩む。
「リズ、私の従者だ。 どうしたゼン。何用だ。」
ゼンは、初めて見るカイアスの甘い表情に驚き、一瞬思考が止まるが、直ぐに言葉を紡ぐ。
「お茶会はどう致しましょうか。」
お茶会の事を完全に忘れていたカイアスは、直ぐに従者に指示を出す。お茶会への出席の返事はゼンが考案し、リリーローズの筆跡で、エミリアが手配した影を使者として帝国に使いを出す事。使者は帝国で拘束し、事情聴取するようにと……他にも、物騒な言葉が続き、リリーローズは気分が悪くなっていた。
「リリーローズ様は、囮役を演じて頂きます。宜しいでしょうか。御協力お願い致します。」
不意打ちにゼンから声を掛けられて肩がビクッと上がる。
「え⁈ 囮役?」と首を傾げる。
「は?ゼン、囮役とは何だ!聞いてないぞ‼︎そんな危険な事はさせてたまるか‼︎」
「まあ、まあ落ち着いて下さい。リリーローズ様に聞いているのですから。如何でしょうか?」
カイアスは、ゼンを睨みつけて口喧嘩が始まった。ゼンも負けじと言い返すので、両者互角の言い争いになっていた。まるで、親子喧嘩を見ているようで、リリーローズは思わず笑ってしまった。
「ふふふ。あははは。もうおやめになさって下さい。ゼン様、是非とも御協力させて頂きます。ご指導宜しくお願い致します。」と深々頭を下げた。
ゼンは頷き、この場から消えていった。
カイアスを見上げると、不機嫌な表情で溜息を吐いていた。リリーローズは、カイアスの掌に自分の掌を重ねて握る。
「今度こそ、一緒に帰りましょ。 カイ、監禁だけはしないでね。」とにっこり微笑んで、カイアスの掌を握りしめながら腕を振った。
「ああ………。」と痛いところを突かれて言葉に詰まる。
本当は、このまま安全な場所に移動させて、そのまま閉じ込めておきたかった。
愛する女性には、到底勝てないカイアスであった。
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