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13.宿敵ジルアン皇太子


 

 「ジルアン皇太子殿下からの贈り物です。」


 悪気のない振りをして、無邪気に笑うリリーローズが、なんとも痛々しく、言葉が出てこない。


 ライオネル、カイアス、エミリアは、焦点を失った空虚な目で静止していた。

 ゴードンは、無意識にトレーを持ち、素早くティーカップを片付け、給湯室に消えて行った。


 そして、リリーローズは偽りの表情をやめて穏やかに微笑んだ。

 まるで、全てに潔く踏ん切りをつけたかのように。


 カイアスと視線がぶつかる。鋭い眼光であるが、彼の金色の瞳が大きく揺れていた。

 事の重大さに今頃になって気付くとは……自分はなんとも愚かな人間である。

 彼の瞳に心が苛まれて、視線を逸らせない。抑えていた想いが、大きく揺れ動く。

 リリーローズから笑みは消え、表情が硬くなる。緊張と恐怖に足が竦み、身動きが取れなくなっていた。


 カイアスは、ジルアンの変わらない卑劣な手口に、驚きと憤りを禁じ得なかった。

 そしてまた、見透かされていた迂闊な自分自身にも憤りを覚えていた。

 

 ジルアンは、兄のサイファンとは比にならないほど父帝に似ている。

 卑劣で凶悪かつ人間を物として扱う彼奴は、病弱な身体を武器に、いとも容易く他人の心を蝕んでいく。

 短い人生と謳い、人生を彩る遊び道具を集めては、直ぐに飽きて次々と切り捨て、退屈凌ぎと言わんばかりに、再び次々と新しいおもちゃを手に入れる。そのありさまは、まさに絶対君主、魔王そのものであった。

 どれだけ彼奴の為に、犠牲を払ったことか。

 私の母親も、些細な一言が彼奴の気に障り毒殺された。

 報告書を見た途端、血相を変えて殺すと怒鳴り散らし、押さえつけるのに苦労した事をゼンが口煩く何度も言った。ゼンは、どんな時も私が暴走しないように牽制してくれていた。お陰でここまで死なずに生きてこられた。

 更には、武術の師匠であるゼンの指導により自己研鑽に励むことも出来た。これほどまでに強くなれるとは想像もしていなかった。ゼンは、強くなっていく私を大いに喜んでくれた。それが、只々嬉しくて何にも代え難い大切な時間であった。喜ぶ顔を見たいが為に、日々の鍛錬を決して怠らなかった。

 家族と言えるような人がもういないカイアスには、ゼンが唯一の家族であり、殊に父親の様な存在であった。

 二十も年齢が離れたゼンとカイアスは、周囲でも親子と見間違えるほど親密な関係であった。


 ゼンは、カイアスがロズウェル国に留学する際、従者として来国している。しかし、元暗殺者であり王族の配下で生業をしていたが故に、裏切者として暗殺の標的にされている。

 ゼンには、母国や隣国に同業の仲間が大勢いた。裏社会を生業としている連中は、家族もなく、孤児院や更に劣悪な環境で生活をしてきた者ばかりであった。過去に訳ありな者も多く、裏社会にしか居場所がない者達が集い、汚れ仕事ばかりさせられていた。

 王族は、連中を人間扱いせず、まるでその辺にある物と同然の様に、不要になれば塵として廃棄していた。命令に従い罪の無い人間を殺し、自身も後に罪を着せられ殺される。そんな理不尽な横行が当然のように執行されていた。大事な仲間や友人、そして愛する家族を失った彼らもまた、王族に恨みや復讐を強く抱いていた。

 そんな彼らは、長い年月をかけてとある策略をめぐらす。

 それは、第二皇太子を帝国の皇帝にのし上げる事であった。先の見えないこの時代を変えられるのは、カイアス皇太子しかいないと忠誠を誓った。宣誓書は、夥しいほどの枚数であり、民衆の名も数多く記されていた。

 その中に、亡くなった母上の名が記された文書もあった。

 ゼンを私の従者に任命したのは、実は母上であった。思慮深い母は、自分を殺めようとした暗殺者のゼンを信用して、密かに協力していたのである。おそらく、母上はゼンに好意を抱いていた。道ならぬ恋は成就しないことも重々承知していた為、ゼンに息子を託して危険な皇室から追い出した。愛する二人を守る為に残された唯一の策であった。

 皆から一縷の望みを託されたゼンは、カイアスが皇帝になる為に必要な資質を養い、向上を図る事に尽力した。常々、献身的に仕えて武術指導にも励んでいた。

 側妃の無念を晴らすと意気込むが、母上の想いに気づいていたかは……定かではない。


 カイアスは、皆の想いは痛いほどよく分かっていた。そして、母上の想いにも応えてあげたかった。

 だが正直、皇帝にはなりたくなかった。腐敗しきった帝国の皇室に足を踏み入れたくなかった。一層、ロズウェル国民として生きていこうとも考えていた。

 しかし、ゼンから一連の報告を受けて、自分の愚かさに漸く気づく。身勝手で浅はかな考えをしていた自分に失望した。こんな私でも、皇太子の責務として帝国を守り、統治しなければいけない。ロズウェル国での平穏な生活に、いつのまにか現実逃避していたのである。カイアスは深く反省していた。

 カイアスの意を決したような、真剣な表情を見て、ゼンは涙を零す。全てを報告すると決意したが不安と恐怖に苛まれていた。皇帝にさせたくない気持ちが芽生えてしまったからである。ゼンもカイアスが息子の様な存在になっていた。一介の従者を父親として慕う無邪気な笑顔に、主従関係はもはや無いに等しかった。愛しい息子とのかけがえのない時間を失いたくなかった。


 けれど、母国で待っている仲間達を想うと、現実から目を背けることは許されなかった。


 キールッシュ帝国では、既にカイアス皇太子を皇帝にする為、策動していたからだ。策略にまんまとはまり、前皇帝は崩御した。

 そして狙い通り、サイファン皇帝が皇后の情熱的な愛に陥落した。実は両想いであった男女は、積年の想いが成就して、お互い渇望した心が満たされた。もう二人を誰も止めることは出来なかった。皇帝は愛に溺れ、御執心になっているらしい。皇太后の反対を押し切り、望み通り皇后となった彼女に至っては、以前から噂されていた通り皇后妃の資質はなかった。教育は全く進んでいなかったのである。けれど、皇帝は咎める事もなく、皇后に従順であった。愛に陥落した皇帝や無能な皇后に、民衆からの批判が殺到した。皇室内は騒然としており、皇帝退位の日もそう遅くはないそうだ。裏工作せずとも、思惑通りに仕出かしてくれた。願ってもない好機が訪れていた。


 残すところあと二人となった。


 皇太后は前皇帝時代からお飾りであり、以前より男娼と夜な夜なお戯に明け暮れていたので、どうでも良かった。


 ジルアンを仕留めるだけとなったが……。


 そんなさなかに、キールッシュ帝国皇室から一通の報告書が届く。

 ジルアンが作り上げた虚偽の報告書である。

 病状悪化と危篤状態の二文字が、私への挑戦状を意味していた。


 彼奴は、今の状況を存分に愉しんでいた。兄のサイファンは所詮、己を皇帝へ導く踏み台のひとつでしかなかったのだ。


 嘲笑う、憎たらしい彼奴の顔が脳裏に浮かぶ。


 キールッシュ帝国に戻って来いと…。

 こちらも、宣戦布告の手紙を準備するとしよう。正々堂々、勝負しようではないか。

 カイアスは不敵な笑みを浮かべていた。




 ーーーしかし、先を越されるとは………。

 ゼンが隠れた場所から、観察していた。

 

 リリーローズがジルアンに狙われるのは想定内である。また、避けられない事態を逆手にとり彼女を囮役として、協力申請しようと考えていた。

 それには早急に、リリーローズと親密な関係を築き上げる必要があった。婚約関係まで推し進めたいが、カイアスにはまだ報告していない。了承して実行するであろうと見込んでいたが……。


 (いやー、多分、あの様子だと激怒しそうだな。やめておこう。後は任せたぞ。)

 ゼンは、カイアスに全てを委ねてその場から消えていった。


 

 カイアスは、リリーローズがジルアンの名前を口にするのも嫌であった。どのような形であれ、ジルアンを連想させるもの全てに毛嫌いした。

 リリーローズに非はないはずだが、感情を抑えれず鋭い眼差しを向けてしまう。

 彼女を心から信じていた。真実を告げるまで、じっと見つめながら待つ。

 


 リリーローズはカイアスの視線に耐えられず、思いの外早く口を開いた。


 カイアスの逆鱗に触れない様に、言葉を選んだはずなのに………。


 リリーローズは再び、衝撃的な言葉を口にしてしまった。


 

 



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