102.願い叶うとき(最終話)
監禁されていた部屋に戻るエミリアは、倒した二人の大男を介抱した後、ひとり静かに物思いに耽っていた。心中をぶちまて大泣きした後から、すっかり気が抜けて、何もやる気が起きなくなっていたのだ。
誰も傷つけたくないが故に、一生言わないつもりでいた愚痴を思わずぶちまけてしまい、ひどく後悔して落ち込んでいた。
長年溜め込んでいた心の澱を、ようやく吐き出せたというのに、心は晴れやかではなかった。それどころか、家族や仲間の流した涙を思い出す度に心苦しく思い、新たな負の感情の澱が心に溜まるのであった。
『人生を後悔しないように生きてほしい』
ライドが言い放った言葉に、これからの人生を想像するも、考えれば考えるほどわからなくなる。後悔しない生き方は、まさしく母アリアナの格言でもあり、幼い時に傍で母親の生き様を見ていたから、それがどれほど難儀であるかは痛いほどよくわかっていた。
今まさに人生の分岐点に立ち、一生を左右するような大きな選択を迫られているにも拘らず、あえて後悔するような道を選び、ユニタスカ王国に身を捧げる覚悟を決めた理由。それは、殻を破れず、生き方を変えられない自分自身が大きな壁となり立ちはだかっていたからであった。何もかもすべて一人で背負って生きようとしている自分は、修行を積んでも尚、何一つ変われなかった。否、変わろうとしなかったのだ。だから自分は今も変わらずライオネルの足枷でしかないのだと、そう思わずにはいられない。逃げてる自分に呆れて放心状態となるエミリアは、食事も忘れて、着替えもせずにドレスのままベットに横たわっていた。
現実と向き合おうともせず、逃げるように時の流れに身を任せているエミリアは、ふと徐に一冊の本を手にすると表紙をじっと見つめて嘆息を漏らす。明るく綺麗な描写で書かれた本の世界に入り込み、夢のような非現実的な世界に心奪われていた。更には憧れまでをも抱くようになっていた本は、一生の宝物にしようと市街地から帰る途中に購入していた。なんとその本は、孤児院で拝読した『青い花と黒い鳥』の絵本であった。絵本に描かれている風景を見ながら、自然と目を細めるエミリアは、先程まで不安定になっていた心は安らぎ穏やかになる。絵本の表紙に描かれている場所は切っても切り離せない、特別な場所であった。二年前、王宮の庭園からネモフィラを移植した場所が、そっくりそのまま描かれていたのだ。それに孤児院のシスターからは、『今年は昨年よりもたくさんの花が咲いて綺麗でしたよ』と言われて、花の生育がずっと気がかりだったエミリアは、余計に気になって仕方がなかった。けれど、なんとなくその場所を避けて、足が向かない。深い溜息と共に一粒の涙が頬を伝う。
(最後だから、見に行きたい。それくらいなら、もう良いわよね。)
実をいうと過去と決別するために、わざとネモフィラを見ないように視界から外していた。絵ではあるが久々に見たネモフィラに、絵本を見れば見るほど、本物を見に行きたい衝動に駆られる。思わず衝動的に動くエミリアは、悪気は一切なかった。再び監視役の大男二人を一瞬で気絶させた後、特別な場所へと向かい、月明かりに照らされた道を白馬と共に颯爽と駆けるのであった。
山の麓ともあって幾分、肌寒さを感じるものの、馬上から見える雄大な景色に息を呑む。
エミリアが馬を走らせて辿り着いた場所はレンモール湖であった。目の前には絵本の舞台となった風景が広がり、大きな湖は親友と共に遊んだ思い出を呼び起こす。そして、決して忘れることのない悲しい過去も蘇らせるのであった。馬から降りてゆっくりと湖畔を歩きながら向かった先は、ネモフィラを移植した場所である。小高い丘一面に咲くネモフィラは、月に照らされて淡い青色に輝き、花弁は柔らかな春の風に揺られていた。
感嘆のため息が出るエミリアは、ただただ眼下に広がるネモフィラを見ながら呆然と立ち尽くしていた。すると突然、鳥の鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。空を見上げたエミリアの視界には、鷹の姿をはっきりと捉えていた。「え?」と驚いているうちに、ゆっくりと旋回しながら降下する鷹は、あっという間に傍に降り立っていた。
「なんでここに?もしかして、あなたも監視役なわけ?はぁー、さすがだわ。」
なんと現れたのは、グランドの一員である鷹のキキであった。獲物を狙う時のような鋭い目で睨んで威嚇するキキの姿に、呆れてため息しか出ない。用意周到な父親と優秀な人材が揃うグランド一族を相手にしたのがそもそもの間違いであり、もう逃げ場がないエミリアは来たばかりだというのに帰る他なかった。キキに睨み返しながら馬に乗ろうとした瞬間、髪飾りが地面に落ちる。
今日、叔母のセルフィーヌから贈られた髪飾りは、本当は社交界デビューのお祝いとして贈る予定であったことを、従妹のサラを通して初めて知る。今の今までどれほど周りに気を遣わせてきたのかを思い知らされると同時に、何一つも周囲の期待に応えられない自分が心底嫌になるのであった。
叔母の想いが込められた大切な髪飾りを取ろうとするエミリアの目の前に、キキがもの凄い速さですれすれに横切る。驚きの声をあげた時には、もうすでにくちばしに咥えて上空を旋回していた。呆気にとられて固まり、空を見上げたまま口をぽかんと開ける。キキの突飛な行動を理解できないのは当然であるからにして、「まっ、いいか」と投げやりな言葉を呟くと、ネモフィラが咲いている傍の草むらに寝転がりながら月夜の星空を眺めていた。すると急に眠気に襲われて、うとうとと浅い眠りにつくのであった。
一方その頃、馬を走らせていたライオネルもレンモール湖に到着していた。けれど、いつもの木に馬を繋ぎ留めようとすると、一頭の馬が見える。見覚えのある馬の毛色に、胸がドクンと跳ね上がり、期待してはいけないのに期待してしまう。昂る気持ちのまま足早に湖のほとりを歩くライオネルは、ポケットに入っている髪飾りをそっと優しく握りながら、見上げた夜空の輝く星に願いを込めた。
(お願いです。リアにもう一度会わせて下さい)
高鳴る胸をおさえながら急いで向かった先、そこはネモフィラが咲く丘であった。視線の先に見える人影に、自然と足が止まる。目を細めるライオネルの瞳には、人影がエミリアにしか見えないのであった。
「え?嘘だろう。願いが届いたのか?」
恐る恐る人影に近づいて行くライオネルは、期待と興奮で胸のドキドキが止まらない。一方で、うっかり寝てしまったエミリアは恐怖と不安で心臓のドキドキが止まらないのであった。草や木の茂みをゆっくりと歩く得体の知れない生物が、ガサッ、ガサガサと音を立てながら明らかに近づいてきている。物音を感知するや否や、瞬時に目を見開き警戒する。音を殺しながら仰向けから超低姿勢の戦闘体制をとると、一歩ずつ後退りをしていた。茂みの中からきらりと光る目に、恐怖に駆り立てられて心臓の鼓動が更に早くなる。だが正体不明の生物が危害を加えないとは限らない。まずはこの場から静かに離れるのが先決であった。けれども最悪なことに、背後からも人の気配を感じたエミリアは、完全に逃げ道がなくなり窮地に追い込まれる。神経を研ぎ澄まして集中すると、もうどうにでもなれと言わんばかりに、振り向いて走り出そうとした。危機的状況に陥り自暴自棄となるエミリアは、相手の一瞬の隙を見て逃げようとするが、振り向いた先に見えた思わぬ人物に胸がドクンと大きく鳴る音が聞こえて、驚きよりも嬉しさが込み上げる。胸がいっぱいになり、高鳴る鼓動は止まらない。予想外の事態に行く手を阻まれたエミリアは、いろんな意味でひどく動揺していた。それでもすぐに冷静となり、夜目を効かせて相手の動きをうまく躱して逃げようとする。一方でライオネルは、動いている人影の輪郭を辛うじて認識できる程度であったが、機敏な動きをする人影をもはやエミリアだと思い込んでいた為、何としてでも絶好の機会を逃したくない一心であった。エミリアと同じ方向に動いては行く手を遮る。そんな二人が一進一退の攻防を繰り広げている場所は、運悪く木陰であり、月の光がほとんど届かない。どこよりも視界が悪かった。
ついていない日は、とことん不運は重なるもので、またしても災難に見舞われるのであった。とうとう二人は、思いっきり正面衝突していた。
「「うわぁ!! え?」」
互いの身体がぶつかり合った衝撃で尻もちをついて転んでいた。派手に転んだ二人は、思わず驚いて大きな声が出る。聞こえた女性の声に確証を得たライオネルはゆっくりと視線を向けると、暗闇の中でもはっきりと視認できる顔と姿に、恋焦がれた想いがぐっと込み上げて胸が詰まる。
エミリアは予想外の展開に口をぽかんと開けて唖然としていた。
すると茂みから、何食わぬ顔で二頭の鹿が出てきて、呆けている二人をつぶらな瞳でちらりと見ると、そそくさと山の方へと帰って行くのであった。
「え⁉︎ 鹿?はぁ?もう何よ、何なのよ。まったくもう。…………ふっ、ふふふ、ふはははは。あははは、はははは。」
予想外な鹿の登場に拍子抜けするエミリアは、極度の恐怖と不安が解消されて、一気に緊張が緩む。派手に転ぶ自分とライオネルを交互にまじまじと見ながら、次第にふつふつと笑いが込み上げるのであった。野生動物を畏怖して、気が動転していたとしても、まさかこんなにも派手に転ぶとは思いもよらなかったエミリアは、色々と思い出すだけでも笑いが止まらない。もはや堪えきれずに、腹がよじれるくらい大笑いしていた。
「あーもう、馬鹿みたい。ふっふふふ、ふふふ。思い出すともうだめね。あははは、ふふふふ。」
身体を震わせながら泣くほど笑うエミリアの、時折見せる弾けるような満面の笑みに、ライオネルは嬉しさで胸が苦しくなる。初めて出会ったお茶会の日を思い出して、昂る感情が抑えられなかった。涙が溢れるほどに愛しさが止まらず、幸せを噛み締めるように無意識に抱きしめていた。身体を震わせながら嬉し涙を流すライオネルの腕の中で、未だ笑いが止まらないエミリアは、抱きしめ返して楽しそうな笑い声を上げている。思わずつられてしまうライオネルも、声を上げて笑うのであった。
闇夜の静寂を切り裂く二人の笑い声はしばらく続いていた。
「リア、笑いすぎだ。」
「だって、面白いんだもの。子供でもあるまいし、あんな真正面から体当りして、豪快に転ぶなんて、初めてじゃないかしら。ねぇ、それより鹿の顔見た?もう絶対に私たちを馬鹿にしてたわよ。あの冷めたような目。完全に見下してたわよね。それに鹿が出てきた時のライルの驚く顔ったら、もう見てて思わず吹き出しそうになったわ。さては鹿が怖かったのね。あははは、ふっふふふ。」
「俺は怖くない。」
「え?そうなの。ふぅーん。へぇー、そうですか。また強がっちゃって。弱いくせに。
はぁーあ、笑いすぎてお腹が痛い。………なんだかうじうじしてるのも馬鹿馬鹿しいわ。こうして笑ってふざけてる方が性に合ってるのよ。そうよ、そうなのよ。よーし、決めた。ライル、一緒に行こう。」
「は?どこに?」
転んで迷いが吹っ切れたのか、砕けた口調で愉快に笑いながら話すエミリアは、抱きしめられた腕からすり抜けて立ち上がると、ライオネルに手を差し伸べた。エミリアの手を握るライオネルの目には、青い瞳を輝かせながら満面の笑みを浮かべるエミリアが見える。そのまま手を繋いで歩きながら向かった場所は、ネモフィラが咲く丘であった。
首を傾げて意図を汲み取ろうとするライオネルに対して、エミリアは気にせず外套を脱ぎ始める。
「え?ここ?え?どうした?
リア、え?それは……………」
ライオネルの目の前には、決して忘れることのない、あの忌まわしいドレスを身に纏ったエミリアが立っていた。けれど過去のような強い嫌悪を一切感じない。それどころか、月の光に照らされたエミリアの艶やかで美しい姿に魅せられていた。頬を赤く染めてうっとりしているライオネルに、穏やかな表情でゆっくりと口を開くエミリアは、自分の想いを伝えるのであった。
「私には悪魔の血が流れています。この身体には国を破滅へ導く呪いを宿しています。それに多くの人をこの手で殺めてきました。
…………こんな穢れた私を、あなたは許せますか?」
青い瞳からは自然と涙があふれ出て止まらないが、それでも目の前に立つライオネルを真剣な眼差しで見つめては、愛する人の応えを乞い願うように待つのであった。
ライオネルは至極真面目な表情でエミリアの真ん前に跪くと手の甲に唇を落とす。見上げた視線をエミリアに合わせると、自分の想いを伝えるのであった。
「私は、どんなことがあろうともあなたを許します。」
ライオネルは立ち上がり、俯いて啜り泣くエミリアを優しく抱きしめた。そして、ポケットから取り出した髪飾りを付ける。ライオネルの胸で泣くエミリアは顔を上げると、「え?どうして持っているの?」と声にならない涙声で訊ねる。指の腹で涙を拭いながら、「誰かさんが、俺に最後の機会を与えてくれた。本当に感謝してるよ。」と、ふと空を見上げるライオネルにつられてエミリアも空を見上げた。二人の目には空を悠然と自由に飛ぶキキの姿が見える。
キキの登場に嘆息が漏れるエミリアは、涙が自然と止まり、不満そうな顔で苛々している。不服そうなエミリアにライオネルの顔からは笑みが溢れる。
いつもと変わらない日常が、どれほど幸せなことかを思い知らされたライオネルは、幸せを噛み締めるようにエミリアを強く抱きしめる。
「愛してる」
「愛してるわ」
互いに耳元で囁き合いながら、目と目が合った瞬間、そっと優しく重なる唇に、眼下に広がるネモフィラの花弁はゆらゆらと柔らかな風に揺られて、まるで二人を祝福するかのように喜びの舞を踊る。
そのまま二人はネモフィラが咲く丘で、夜が明けるまで静かに過ごし、愛を深めるのであった。
それから一年後、ようやく晴れて結婚の誓約を交わしたライオネルとエミリアは、雲一つない青空の下、青一色に彩られた王都を練り歩きながら、民の祝福を一身に浴びる。
後に二人は国王と王妃に即位して、民を誰よりも愛し、民からも敬愛される君主となる。
そして二人は、長きに渡りオリビア国に平和と幸福をもたらすのであった。
追記
ライオネルとエミリアが結婚する少し前に、ゴードンとマーガレットも晴れて夫婦になっています。
最終話まで、読んでいただき本当にありがとうございました。
ブックマーク登録や高評価までしていただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。これまで応援していただき、ありがとうございました。
※以前に投稿した文章を加筆修正して、そのうち投稿できたらと思っています。これからもよろしくお願い致します。




