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姉妹百合  作者: 陽田城寺
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剱蓮

 お姉ちゃんが好きで、お姉ちゃん以外は必要ない。

 衣食住とか必要なものが全部そろっている状態で、この世界がお姉ちゃんと私だけになるとしたら、私はそれで構わないと思う。お姉ちゃんはそうじゃないだろうけれど、私は決して大袈裟ではなくそう思う。

 美味しい食事も面白いテレビも必要ない。コンビニくらいの日用品で事足りる。

 といっても、お姉ちゃんと離れることになるかもしれない、というくらいは耐えられる。

 いないと死ぬわけじゃない。

 例えば、私もお姉ちゃんも他の誰かと結婚して、子供を産んで、別々に暮らしたとして、それが人生だと思う。

 いつまでも二人きり、なんてロマンに浸るほど夢を見ていない。ロマンくらいは感じるけれど、それを実現しようとは思ったことがない。

 昔からお姉ちゃんはどこか大人びていて、私もそれを見て育ったものだから、我儘を言うことはほとんどなかった。

 私のただ一つの我儘は全てお姉ちゃんに向けていた。


「毎日お姉ちゃんに抱き着いているくらい、好き」


 そんなことを説明したら、春田はボーっと頷いた。


「思っていたより深いシスコンなんだ」

「だからあなたとは付き合わない」

「いや付き合わないて」

「口説いていたのか。剱を」

「いや口説いてないから。アンタが彼女だから」


 春田(はるた)小尾(さお)加藤(かとう)、同じ中学から進学した奴と一緒につるんでいるだけで奇人の集団になってしまった。

 中学の時から噂くらいは知っているけど喋ったことはない。そういう関係でしかなかったけど縁とは奇妙なものだ。それはたぶん、みんなそう思っているけど。

 

「私は小尾が一番好き……ってわけでもないけど、まあ別にそもそも女が好きってわけじゃないし他に彼女は作らないよ」

「本音が痛い……」


 こいつらはどうして付き合っているのだろう、と思うけれど確か中二の時から今まで数年続いている。

 まあ、春田を見ればわかる気がする。こいつは、お姉ちゃんに少し似ている。だから、私もこいつらとつるんでいいと思ったのだ。


「高校は長いんだから仲良くやろーよ。おもに勉強面で」

「……ふん」


 こんな奴ら、どうだっていいと思っていた。

 けれど、この三人と一緒にいるのは案外居心地がよかった。


―――――――――――――――――


 小尾は相当に美人で、中学一年の頃はそれはそれはモテ散らかしていた。

 クールで背が高く大人びている大学生くらいに見える美人だと言われていたが、トチ狂って春田に告白した時から、すっかりとそんな浮いた話は聞かなくなった。


「剱の姉は、あの剱凛だったよな。麗しの微笑女(びしょうじょ)

「……ああ、そのだっさい仇名で言われたの初めて」

「シスコンと言われているが、わからなくもない。あの美人が家に一緒にいるのだと」


 小尾の言う通り、お姉ちゃんは相当に美人だ。贔屓目抜きにしても、小尾よりも美しいと思う。

 孤高とかって言うわけじゃないけど、なぜか一歩引いているところもあって、幼馴染のずうちゃんくらいしか友達はいないみたいだけれど、それがお姉ちゃんが大人びている証拠なんだと思う。


「お姉ちゃんはそんなんじゃない」

「え?」


 張り付けたような誰にでもする微笑を、私にも向ける。

 お姉ちゃんは昔はそうじゃなかった。もっと感情がはっきり分かった気がする。少なくとも小学生の時は怒ったり悲しんだりっていうのがあった気がする。

 気がする、というのは、その時点でお姉ちゃんは人が分かるような感情を出すことはなかった。

 喧嘩する前に身を引いて、自分はいつも遠慮している。

 その結果が、微笑。つらい時も嬉しい時も、控えめに微笑むだけだった。


「そんなお姉ちゃんも好きだけど……」

「なんだ、それ」

「どんなお姉ちゃんだって良いの。お姉ちゃんは……」

「ああ、美しいよ」

「そんなこと言って、春田のことはいいの?」

「私は春田が一番だ」


 ふふん、と何故か偉そうに小尾は胸を張った。浮気を疑っているのに、どこかでお前のお姉ちゃんよりも私の彼女の方がずっと可愛いと言われているようだ。

 腹が立つ。

 

「春田は二番だから」

「剱にはそうなんだろう」

「小尾にとってもそうだから」

「それは、私が決めることだ」


 少しムキになってしまったけれど、小尾はそんな私を嗜めるように軽く笑うだけだった。

 大人びたところは、昔から変わっていないらしい。


―――――――――――――


 加藤夏樹(なつき)は幽霊が見える。


「レイちゃんが一緒に写真撮りたいって」

「いいけど」


 適当にピースして、髪の毛で顔が半分隠れた加藤と一緒に写真を撮る。

 映った写真を見ても私には夏樹と私しか映っていない。


「レイちゃん映ってるの?」

「映ってますよ」


 夏の日差しの中、コンビニの前でも鏡を持ってニヤつくところは、加藤自身が幽霊のように見えなくもない。

 昔からずっと幽霊が見えると言っていたけれど、霊感があるというわけではなく、『レイちゃん』が鏡越しに見えるというだけらしい。

 それでも、異常だけど。


「剱さんは優しい、信じてくれるなんて」

「別に信じてはないけど。変わった奴だなぁって思ってる」

「正直ですね……。私も、信じていても疑われていてもいいですけど」


 さして私に興味もなさげに、写真を見つめて笑っている加藤。

 不気味に感じることもあるけれど、それ以上に私はどこかで安心していた。

 加藤は、レイちゃん以外どうでもいい。

 小尾は、春田以外どうでもいい。

 私は、お姉ちゃん以外どうでもいい。

 それほど踏み込まない、程よい距離感。これが友達だっていうことを私は学んでいた。

 そして、それをみんなも心得ている。

 みんな仲良くしようとかない、一緒にいようともしない、そんな『同じ中学から進学した』以上の共通点がないから、適当な関係でいられる。

 このグループの居心地の良さに理由を見つけて、私はようやく、普通に笑えるような気がした。


――――――――――――――――


 春田は、どうなんだろう?


「春田は意外と人付き合いするタイプだっけ」

「なに急に。珍しい。剱から話しかけてくるなんて」

「いや別に。珍しいと思っただけ。同中(おなちゅう)の奴集めてつるむとか」

 

 春田は、地味で目立たない。優しくていい奴、真面目で誠実で、アホでドジ。

 こいつの話を聞けば聞くほどドジで間抜けにもほどがあると思い知らされるけれど、一緒にいて話をしている限りでは、本当にお姉ちゃんみたいな人との隔たりとブレない自分を持っている。


「私がそうしたかっただけかな。剱も加藤も、一人で平気そうだけど、一人でいるの見てると私が気持ちよくないから。あんまり一緒にいて楽しくなかったら自然と離れるだろうし。結局、四人で楽しい感じだから良かったよ」


 道中、春田に奢ってもらったコーラを再び一口飲む。こいつは案外爽やかなことを言うんだ、喉にしゅわしゅわと心地いい刺激が通り抜けていく。

 春田は思った以上にサバサバしていて、きっと同じ中学だから仲良くなろうとかいうことは考えていない。

 ただのきっかけだけで、春田は人付き合いをしている。それが居心地よかったから続いて、悪かったら辞める、というだけの話。

 きっと恋人の小尾とも、そんな気持ちで付き合って、続いているだけなんだろう。

 それはなんというか、愛に誠実さがない。


「あんたのこと、好きにも嫌いにもなれない」

「そう。普通が一番だー」


 はっはっは、と演技にもならない空笑いで、両腕を上げて力こぶのポーズをした。演技っぽい仕草は、本当に性格というものに欠ける軽薄な態度だった。

 サイコパスって、こういうやつを言うんじゃないか。こいつは私たち三人が離れても平気でいられるんじゃないか、なんて風に思ってしまう。

 これでも、男に振られて小尾と一緒にいるわけだけど。


「男に告白して振られた時、どう思った?」

「なに突然。踏み込んでくるね、本当に珍しい。そんな昔のことは忘れましたー」


 ふぅ、と力なく溜息を吐くところは、多少人間味がある。

 こいつはわからないところが多い。

 お姉ちゃんみたいだ。


「春田は私のお姉ちゃんのこと、知ってる?」

「顔は見た。綺麗な人だね」

「うん」

「春田は少しだけお姉ちゃんに似てるよ」

「……それはもしかして想像を絶する誉め言葉?」

「うん」

「じゃあ……喜んでおく?」

「春田は、どういう時に笑顔になる?」


 私自身、とめどない会話で、止め時も忘れて茫然と話していた。

 それは上から下に流れていく水みたいに、もう止めることもできなくて、勢いが変わることもなく、ただただ漠然と溢れていた。

 いつの間にか、それは私が気になる確信を言っていた。


「最近は……自分がたまらなく情けない時によく笑うかな」


 ああ、と妙な納得があった。お姉ちゃんの微笑はそれなんじゃないかって。

 だって、お姉ちゃんの笑顔は妙に力がなくてしょぼくれていたから。

 私が覚えている昔の笑顔とは、違うから。


「春田は、シュークリームと間違えてがんもどきを食べた時も笑った?」

「めちゃくちゃ笑った。いや小袋のサイズ感が完全に一緒だったからさ。あはっ! あははっ!」


 春田は本当に楽しそうに笑った。冷蔵庫で冷やしていたシュークリームと間違えてパックのがんもどきを食べた話は春田のドジエピソードの中でも有数の笑い話だ。これはドジだから情けなくて笑っているようには見えない。

 ただ、今までの春田の中では一番人間味のある表情だった。


「ああでも」


 春田が一つ、付け加える。


「小尾が、なんかバカな可愛いこと言ってる時もなんか笑っちゃうな」


 何かを思い出して、ほくそ笑む春田の表情は、どこか自慢気で、得意気だった。

 そして、たぶんそれが一番人間らしい表情だった。


「……案外うまくやってるじゃん」

「これでも恋人ですし?」

「小尾が一方的に好きなのかと思ってた。……ぱっと見じゃわからないけど」

「綺麗だもんね、小尾は」

「まあね」


 小尾を褒められて嬉しそうにしているのは、惚気なんだろうけど、どこか見覚えがあった。

 お姉ちゃんを褒められた時の私が、きっとそうなんだろう。


――――――――――――――――――――


「お姉ちゃん」

「蓮」


 いつものように、椅子に座っているお姉ちゃんに抱き着きに行く。

 全くいつも通りの仕草だけれど、お姉ちゃんが私を優しく撫でてくれるのに時間がかかった。

 逡巡が、あった気がする。お姉ちゃんの中に、何かしらのためらいが、普段通りに見えて、何かが違った。


「蓮は、……私の事、どう思ってる?」

「……え? お姉ちゃんのこと……大好きだよ?」

「私は、……、蓮が、信用できない。今日、コンビニで友達と楽しそうにしてる蓮は私の知ってる蓮と全然違った。蓮は私に嘘を吐いているんじゃないかって」


 顔を上げて、お姉ちゃんの顔を見た。

 普段顔を埋めているからわからないけれど、困惑に染まった表情は、私を責めるでもなく、お姉ちゃん自身を責めているようだった。

 私が、何かしただろうか。

 入学してから何か月か、いつも通り春田達とコンビニに寄ったりしただけだ。テストが近いから、勉強を教えたとか、そんな些細な日常だと思う。

 

 ――それが、お姉ちゃんにとって驚きだったんだろう。


 お姉ちゃんは私の日々を知らない。

 ああ、そうだ、知らないからこそ、お姉ちゃんは私のことを可愛い妹だと思っていたんだろう。

 どうしよう。どうしよう。

 だったら、私の性格が悪い奴だと思われる。友達に無愛想で嫌な奴で、ネコを被った性格の悪い女だと思われる。


「……見たんだ」

「見た」

「……それは、その、お姉ちゃんの前では、可愛い妹をしてたから……」

「……演じてたってこと?」

「……うん」


 自分が情けない時に笑う。

 確かにそうだった、春田の言う通り、私には笑うしかできなかった。

 どんな風に笑えているか、ちょっと自分では想像がつかない。口元だけはゆがめていると思うけれど、心臓が掴まれるように苦しい。


「……そう、なんだ」

「…………、幻滅した?」

「いや、なんで、って思った。私の前でそんな演じなくても」

「……だって、好きだから。好かれたくて」

「……あ」


 好きな人の前では良い恰好をしたい、という感情は誰だってあるだろう。それは私にもわかる。


「え、じゃあそんなに?」

「うん」

「……あー、そういうことなんだ」


 少し納得したようにお姉ちゃんは呟いた。

 ただ、その表情は完全に得心行ったわけではなく、むしろこれからを感じさせる言い方だ。

 そんなに私がお姉ちゃんのことが好きだっていうことを信じられないでいる。

 無理もないことだろう。お姉ちゃんは、十数年間、私の装いに騙されていたのだから。今も、私の余所行きの表情とお姉ちゃんだけに見せる表情のギャップに戸惑っていると思う。

 

「……そんなに私のことが好きとは思えない」

「なっ、なんで」

「だって……蓮のお姉ちゃんだから」

「私は……、私は本当に」


 お姉ちゃん。

 それがなにか関係あるだろうか。

 いやむしろお姉ちゃんだからこそ好きなんじゃないか、と思う。

 私たちは恋人や結婚相手とは違う。付き合って別れてなんてことをしない。血が繋がっていて、これまでずっと特別な時間を過ごした唯一無二の存在で、親よりも親身に話をして悩みを聞いてお互いを大事に思う、年の近い、血縁の近い、絆に結ばれた関係だ。

 お姉ちゃんだから一番好きだっていうのはむしろ当然のことだ。

 だから、お姉ちゃんのことが一番好きなのに。


 苦しい想いをしていた私の背中を、そっと優しく撫でる手があった。

 いつも通り――よりも、優しい、温かい手つきを感じた。


「私はこの時間、蓮を励ます優しいお姉ちゃんだと思っていたから、演技されてたっていうのはあんまり嬉しくない」

「……ごめんなさい」

「でも、この習慣がなくなるのは……」

「それはイヤ! 私も、この時間しかお姉ちゃんと一緒じゃないから、これはずっと……!」


 驚くほど簡単に言葉が出た。

 お姉ちゃんと離れることを必然と受け止めていたのに、いつかは離れてしまうだろうと諦念を持っていたのに、実際にその言葉を聞くと、私は、私は。


「このまま、ずっと……」

「同じ家にいる限りはね」

「……うん。ワガママは言わない」


 ……そうだろう。

 膝を掴む手が強くなる。けれど、想いは裏腹に溶けていく。

 私も、そう思っていた。

 だって現実はそうじゃない。いつまでも、ずっと一緒なんていうのはロマンでしかない。

 現実は、そうじゃない。

 現実は――


「良い子だね」


 ――違う。


「同じ大学に行くから、一人暮らししたら一緒に暮らしたい」

「……う、うん、わかった」


 離れてしまうとわかると、途端に理解した。

 大人だって言って自分に言い聞かせていただけだ。

 離れたくない、片時も離れたくない。

 現実的じゃないなんて、ロマンだなんて、低い可能性だから、拒絶されることを恐れていただけだ。

 お姉ちゃんみたいな人なら、いくらでも私より綺麗な人やかっこいい人を見つけられるだろう。妹なんてどうでもいいかもしれない。

 だけど、妹だからこそ、お姉ちゃんに近づいていける。お姉ちゃんと一緒にいても許される。

 一緒にいてやる。できる限り、実現させてやる。

 姉妹の同棲なんてきっと珍しい話じゃない。現実でありそうなところも、ちょっと踏み込んだところも、私は進みたい。

 やっぱり離れたくない。

 じっとお姉ちゃんの顔を見つめると、お姉ちゃんは少し微笑んだ。

 それは、誰にでも見せる微笑のようで、どこか呆れを含んだような、けれど楽しげな笑顔だった。

 春田のような――人間臭い微笑みだった。

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