学園生活 1
授業が始まった。
記憶が戻る前には勉強に手古摺った感じだったけれど、記憶が戻ってみればそこそこできた。
やはり大学を出ていることが大きいかも。
一応理系だったので、数学や物理はお手のものだし、専攻は化学だったのでそこらへんも大丈夫。
問題はこの国の歴史と文法はちょっと苦手だ。
全く知らない世界の歴史だし、私にすれば外国語の文法なんてわからないよ。
それで、日本の教育って本当に薄く広くなんだなぁって実感している。
たいていのことは解る。
ただ、深く勉強はしてないので、領治などはがんばらないといけないみたい。
授業について行けないなんて、私が廃る。
でも、歴史の授業の後は図書館で四苦八苦するありさまだ。
どうしてもわからないことは、教師を捕まえて教えてもらうしかない。
歴史と文法、政治経済は苦手科目かも。
異世界とはいえ、紙と鉛筆はある。
流石は元が日本のロマンスゲームだ。
製作は基本日本の学校生活を踏襲しているのだろう。
教科書も副読本もあった。
何よりも辞書が充実している。
学力を上げるには助かるシステムだ。
ゲームをやっている時は、こんなのあまり注意を払わなかったけれど、地道に学力を上げるゲームだったから、図書館も教師も生徒の問い合わせや質問にきちんと対応してくれている。
この学園は一応寮があるけれど、自宅から通う事もできる。
もちろん首都に家があることが前提だけど。
私は通学時間がもったいないので、寮に入っている。
それに、アルフレートはわがまますぎて寮生活はできないらしいと聞いたからだ。
寮生だと食事時間ぎりぎりまで図書館に居られるし、下校するアルフレートとは会わずにいられる。
図書館は寮の隣だし、寮の門限は食事時間のはじまるまでなんだよね。
「あの、ヘルトリングさん。私から声をかけるのはマナー違反なんですけれど、先ほどから気が付いていらっしゃらないようなので」
おずおずと言った風情で、ピンク髪の女の子が話しかけてきた。
「はい?何か御用でしょうか?クロージングさん」
「そろそろ戻らないと寮の門限に遅れてしまいます」
「ええ?あぁほんとだわ。ありがとうございます、全然気が付いていなかったわ」
「だと思いました。無心に読んでいらっしゃったから」
「改めて、アニエス=フォン=ヘルトリングです。よろしくお願いします」
マナー違反とはわかっていても、私のために声をかけてくれた、グレダ=フォン=クロージングさんに感謝する。
寮の門限に遅れると、夕飯抜きになってしまうのだ。
限られた空間でたとえ一食でも抜きは厳しい。
それに寮のご飯は美味しいのだ。
「グレダ=フォン=クロージングです。伯父の家に後継として引き取られました。元は庶民だったのでマナー違反などは大目に見ていただけると助かります」
「学園では皆同じ学生ということになっているので、爵位格差は気にしないでも大丈夫だと思うわ。それにマナーなんてみんなこれから学ぶのではないかしら?私も田舎のおてんば娘ですから、気にしないでいただけると嬉しいわ」
「私も田舎の育ちなので、粗雑だと言われます。あ、私とヘルトリングさんを一緒にしてはいけませんね」
「うちも田舎なの。うちは海に面しているから漁港があるのよ。そこのおじさんたちと混じってたから私も粗雑よ」
二人して片付けつつ笑いあう。
なんかこの子イイ子だわぁ。
二人並んで図書館を出て寮に帰った。
その流れで一緒に夕食を取った。
クロージングさんは話題が豊富で、その上同じ女子後継者なので共通の話題も多かったので、楽しく食事をした。
食事が終わったころには二人は、アニエスグレダと呼ぶようになっていた。
グレダの兄妹は六人だそうだ。
お父さんはクロージング男爵家の人で、分家となっていてクロージング男爵を支えているんだって。
お母さんは町の商人の娘さんだった人で、今も実家の手伝いをしているって言ってた。
兄弟は兄が二人、グレダ、妹が三人。
すごいよねぇ。
グレダ曰く家の中がいつも動物園のようにうるさかったんだって。
だから、伯父さんであるクロージング男爵の家の図書室でいつも長男さんと勉強していたので、男爵がうちの跡取りにならないかって声をかけてくれたらしい。
「その時にね、もっと勉強させてくれるならなりますって言ったの」
「グレダは勉強が好きなのね」
「私の知らないことばかりたくさんあるから、だからもっといろいろなことが知りたいの」
「どんなこと?」
「アニエスならわかってくれるかもしれないけれど、見たことのない果物を食べたいとかきれいなお魚は食べられるのかとか」
真剣な顔して言うから笑ってしまった。
「全部食べ物じゃない、グレダは食いしん坊ねぇ」
「アニエス。まずは食べられないと健康で長生きできないのよ?食は基本よ」
なるほど、確かに。
「なら今度家からおいしそうな果物とか送ってきたら、グレダにも分けてあげる」
「本当?アニエスの家は東領よね、どんなものがあるのかしら。楽しみだわ」
「うちは海に面している割に温暖だから、私の果樹園に有るのは、みかんとかブドウとか梨とか桃とかかな。あ、西瓜もあるわよ」
グレダがびっくりして言った。
「アニエス、果樹園を持っているの?」
「私が小さいころからあれが食べたいこれが食べたいって言ってたから、領地の中で果樹園を作ってくれたの。それで食べて美味しかった果物の種を植えたのよ」
「アニエスってすごい」
「もちろん育ててくれたのは、荘園の皆さんよ」
「まぁずるいわ、アニエス。美味しい所だけ食べているのね」
グレダが笑って言った。
「うちの方は割と冷涼だから、野菜が多いわね。海はないけど山はあるの。レタスとかの葉物とかりんごとか、珍しいものだとサクランボがあるわ」
「私、サクランボって一度しか食べたことないの。種も植えたけれど、まだ木にもなっていないのよ。羨ましいわ」
「じゃもうちょっとしたら送ってくると思うから、アニエスにも分けてあげる」
「私グレダと友達になれて本当に良かったわ」
「サクランボがもらえるから?」
「それもあるけれど、やっぱり家庭教師と一緒に勉強するよりグレダと一緒の方が楽しいもの」
一人でする勉強よりは二人でやった方が楽しいのだ。
考えてみれば、私はあのバカに付きまとわれていたので、友達がいない。
考えたら寂しいボッチちゃんなのだ。
「アニエスはお茶会とか出たりはしなかったの?」
「近隣の領地の子供を呼んでのお茶会はあったけれど、嫌なことがあって途中からやめたの」
「いやなこと?」
「うん、隣の領地のバカ息子が、私と結婚してうちの領地を継ぐって言いだしたの」
「それってオイレンブルグさん?」
「グレダ知ってるの?」
「ええ、入学式の後、アニエスは将来俺と結婚するのだから、手を出すなって言ってたわ」
「あのバカ何勝手なこと言ってるの」
人のいないところで何バカなこと言っちゃってくれちゃってるの。
これは家に連絡して厳重抗議をしてもらわないといけない案件だ。
「この国は学園を卒業するまで婚約とかはしてはいけないことになっているのに、珍しいなぁって思ってて、隣の領地だって言うから小さいころから仲良しなのかなって思ってたの」
「それ嘘だから、絶対そんなことないから。世界中に男があのバカ一人になったら、あのバカ殺して一人で生きていくから」
放課後、グレダとそんな話を中庭でしていたら、後ろから声を掛けられた。
「ヘルトリングさんもクロージングさんも、まだどなたともお付き合いはしてないのですか?」
その声にびっくりして、二人で振り返った。
そこにはイケボの美々しい男がいた。
名をフリードリヒ=フォン=ホーエンハイムと言う。
「ホーエンハイムさん。淑女の会話を盗み聞きするなんてマナー違反ですわよ」
「失礼。でも盗み聞きというよりも淑女の声としてはそれなりに大きかったもので、つい聞こえてしまったのです」
「淑女の声が大きいなんて、失礼なこと言わないでくださる?アニエスに謝ってくださらない?」
「え?グレダにこそ謝ってくださらないかしら。ねぇホーエンハイムさん」
「お二人に謝罪します。でも本当にオイレンブルグと婚約してないんですか?」
「オイレンブルグさんとも誰ともしていません。今は勉強だけで手いっぱいです」
聞き耳を立てていたホーエンハイムさんはそのまま私たちの会話に紛れ込んできた。
「ぶっちゃけて言いますと、あなた方二人は今年の好物件なんです」
いきなり砕けた口調は何なんだ?
そして私たちを好物件とな?
爵位で言えばホーエンハイムさんは公爵子息だから、口調としてはこれでもいいかもしれない?
「後継とならない僕たちから見れば、鴨がネギ背負った状態ですね」
鴨葱って日本の食べ物だけど、この国にあるのかね?
こういう所が製作日本って感じだわ。
「なのにその最たる物件がクラスでも落ちこぼれのオイレンブルグのものだなんて間違ってると思っていたんですよ」
「絶対にぜーったいに、私はオイレンブルグのバカ息子とは縁を結びません。神に誓ってもないです」
「良かったです。ヘルトリング嬢は容姿も美しく成績も優れているのですから、あんな馬鹿男にはもったいないです。目を覚ましてくださって本当に良かったです」
「ええ?目を覚ますどころか、最初からそんな話はないのです。あのバカが一人で言っていることで、私の家族はみんなあんな馬鹿と縁組させることは無いと守ってくれています」
「だったら、ガード用の偽婚約者要りませんか?」
は?
こいつイケボでなんて言った?
「ホーエンハイムさん。この国では学園卒業前には婚約はできないはずです。そこに偽物なんて必要ありませんよ。アニエスもしっかり断って」
グラグラする頭の横で、グレダが私にしっかりしろって言っている気がする。
「偽婚約者は必要ありませんし、絶対にオイレンブルグのバカとは婚約も結婚もしません。大体その前に期末テストが待っています。この学園では期末テストで最下位から五人は次の学期で入れ替わることになっているはずです。アルフレートは次の学期には居ないはずです」
大体なんでアルフレートがこのコースにいるんだとまず思う。
後継でもないのに無理やり押し込んだにしろ、あいつはバカすぎる。
入学試験の成績はブービーだったけれど、今は最下位を爆走中だ。
そしてこの学園では自身で選んだクラスにふさわしい成績を収めないと落ちるのだ。
もちろん最下位だろうと、クラスのボーダーラインを超えていれば何とか踏みとどまれることはできるけれど、アルフレートの成績では無理だと思う。
人に構っている暇があったら、勉強しろやって思う。
「私よりもグレダじゃないの?」
「え?私?」
「グレダはこの学園で将来の伴侶を見つけて来いって言われているんじゃないの?」
「あぁ、それは言われていることは言われているわ。でもねぇ、うちのクラスで選べって言われても選べないじゃない?」
「なんで?」
「だって、まともそうな人は後継者だし、その他の人ってこちらの方のように入り婿狙いでしょ?」
すげぇなヒロイン。
公爵子息をこちらの方呼ばわりだよ。
「まぁね」
私もこみ上げる笑いをこらえて言う。
「だったら、卒業してからの婚約の申し込みを待つ方が良いと思わない?」
確かに。
その方が年齢の幅も広がるし、良い方がいるかもしれないよね。
「クロージング嬢。うちのクラスには王子殿下も宰相子息も公爵子息である私もいますが、お眼鏡にかないませんか?」
「だって、自身の力がわからないのに、親の身分だけで結婚相手を選ぶことはありませんよ」
あんたは公爵の息子なだけじゃないと言い募ったも同然だ。
あんた自身に何の魅力があるのか示してから言えよってか?
すげぇなぁ、さすがはヒロインだ。
少なからずショックを受けている公爵子息はその場に立ち尽くした。
「その、自分で言うのもなんですが、私はクロージング嬢よりも勉強もできますし、見目もよいと思いますが、それでも価値が無いとあなたはおっしゃるのですか?」
「いえ、ホーエンハイムさんにも、学力とか見た目の美しさとか優れているところはいくつもありますわ。でもそれはわたしの結婚相手に必要なことではありませんの」
再び言葉の暴力で公爵子息を殴りつけているぞ、ヒロイン。
「私が結婚相手に望むことは、私を愛してくれる愛情と共に領地を守って行ってくれる誠実さを求めています。もちろん浮気なんて認めませんし、子供ができなかったら、養子をもらえばいいだけです」
三度ショックと言った風情で、公爵子息は既に立っているのもやっとのようである。
「ホーエンハイムさんにその価値があるかどうか私にはわかりませんのよ」
グレダはとどめを刺した。
足元から崩れるようにしゃがみこんだ美々しい男を見て、私は秘かにエールを送る。
がんばれ。
負けるなよ。
同い年なら女の子の方がませているんだぜ。
ここはロマンスゲームの舞台だったんじゃないのかよ?
ロマンスが足りないって某掲示板で言っていた通りじゃねぇか。
どうすんだよこれ?