はじまる前
この国では、国中の子息令嬢が15歳になると首都に有る学園に集められて、教育されることになっている。
貴族としての生き方マナー、領主としての領治などを学ぶためである。
もちろん人脈作りや将来の伴侶を求めることもある。
だけど、許婚や婚約者は学園を出るまで決められないことになっている。
でも、少ないけれど、家同士の付き合いとかで内々に決まっている人も居ないわけじゃないけどね。
それは、以前学園で一人の女子学生を巡ってあまたの名家の子息が取り合いになり、その結果婚約破棄事件が多数起こった所為だ。
まるでドミノ倒しみたいに婚約破棄が連鎖して行って、国中の貴族家では婚姻がハチャメチャになったらしいよ。
それに、親同士で子供の婚約結婚を決めても、子供が言うことを聞かずに勝手に婚約破棄だの略奪愛だのとトラブルを起こすので、子供のころからの早期の婚約を禁止したのである。
人として未成熟なうちに親同士の都合で将来の伴侶を決めてもいいことないって、周りがようやく理解したらしい。
もちろん、子供のころから親同士の付き合いがあり、何度も会っているうちに愛情を育てることもあるので一概に禁止はできないけれど、それは内々のことであり建前は禁止となっている。
なので、この学園の卒業式後のパーティは一部で言う所のデビュタントに相当し、その後は婚約の申し込みでてんてこ舞いになるらしい。
そして、同じ学園に一般庶民が勉強をしたり、騎士や魔法の力量を磨く科目もある。
裕福な商人や一般家庭で子息令嬢が優秀で家のために勉強をしたり、将来の出世のために騎士として立つためにおのれを磨いたり、魔法が使えると言うことでその力をふるってもらう為に修行させたりするのだ。
この国での一般庶民でも多少の魔法は使えるようであるけど、しょせん微々たるもので日常生活の中での多少楽になる程度だと聞いている。
だから魔法科に進めるほどの魔力がある子供は輝かしい将来を約束されている。
そして私は、ある事情があって、体を鍛えさせられていた時にぶっ倒れた。
その刹那、自分以外の記憶が頭の中を激流のように流れ、映画のように自分以外の人生が流れて行った。
その時、異世界転生?あぁテンプレだぁと思ったけれど、テンプレって何だと思ったのも事実。
どうやら私は前世で読みふけっていたネット小説が如き、異世界転生なんて経験をしたようだ。
私の前世は日本人女性だったようだ。
一般家庭に生まれて大学を出て仕事をして結婚して子供が生まれて仕事に行く途中の事故で死んだようである。
小さい子供を連れて仕事に行く途中で記憶が終わっていると言うことはそういう事なんだろう。
私の名前はアニエス=フォン=ヘルトリングと言う。
ヘルトリング伯爵家の後継になる15歳だ。
春から学園に通うことになっている。
うちはこの国の東側に父が領地を賜っていて、ちょっと大きな漁港と平坦な農村地帯を持っている。
気候は穏やかで、日本でいう所の四季があり、過ごしやすい場所だ。
領主と言っても日本ならちょっと大きな県くらいの広さで、いうなれば県知事みたいなものかな。
領民から税金を納めて貰ってそのお金の一部を国に納めて、残りを領民のために使う。私たちの生活は、うちで持っている荘園からの上りで食べている。
思えば、記憶の残像で、連れて行ってもらった漁港で、この魚が食べたいだの、これだけ温暖な地なのだからみかんが食べたいだのとわがまま放題の私のために、領民たちがお魚を取ってきてくれたり、果樹園を作ってくれたりしたので、それを国内の販路に売りに出すことができたらしい。
家族からアニエスのわがままもたまには役に立つと言われた。
そんな私のわがままのおかげで、うちの領地は山の幸と海の幸に恵まれた避寒地と名高く、高位貴族様たちのおかげでそこそこ儲かっているらしい。
よかったよかった。
そして、私の家族は両親と祖父母と私と男女の双子がいる。
いずれ私はお婿さんをもらって、この領地の跡取りになるので、学園でしっかり勉強して来いと爺様に言われている。
一見中世とも思えるこの国に男尊女卑の思考は薄く、現在は女王陛下が治めているし、跡取りは長子制なので、私の下に弟がいるけれど、後継は私なのだ。
何故長子制かというと、第一子が生まれるころは大抵の家でまだ祖父母が健在のため後継者教育に複数の人間が関われると言うことだそうだ。
特定の人間による教育では後継者がバカになる事が多いと爺様が言っていた。
複数の人の目と口は必要なのだと父様が言っていた。
なのでうちでは家令をはじめとする使用人たちも、私たち姉弟に厳しい。
まぁ間違ったことを矯正するのは子供のうちがいいからね。
大人になってから直そうと思っても直らないし。
私たちだっていたずらはするし、言うことを聞かずにわがままも言うけれど、そこを理路整然と筋道立てて説得されれば、言うことを理解せざるを得ない。
その説教を乗り越えても言うわがままもあるけどね。
その時はこっちが説得返しをするんだ。
その結果が漁業の推進と果樹園の発展につながったんだから結果が良ければいいじゃんね?
妹は要領が良いけど、弟は説教されている時間が長いと最後は聞いてないと思うな。
でも、そういう所がきちんとできている家は、良いと思うんだよね。
特に前世を思い出してからは、しつけとか教育って本当に大事だと思う。
後はやっぱり男子優先となると、後継者の男子が産まれるまで妻は出産を繰り返させられるし、その結果出産で命を落とす夫人も多かったらしい。
正夫人に男子が産まれないからと浮気を繰り返すバカ貴族もいたらしいしね。
一応一夫一妻制なのだけれど、浮気をする男は多いのであちらこちらで庶子の後始末に追われる家もあったみたい。
今でも浮気夫は結構いて、私生児の存在が正妻にバレて結構大変なおうちもいまだにあると聞いてる。
うちはとりあえず家庭円満なので、いまだに仲の良い祖父母と、砂吐きそうにラブラブな両親を見ているわけで、当然自分もそうなるだろうと思っていた。
で、妹はどこかにお嫁に行って、弟はお婿さんに行くかもしれないし、私の補佐に回るかもしれないし、万が一私が王族に要請されて結婚したりした場合や死んだりしたときに代わりとして後継になる事もあると思う。
父の友人であり隣の領地の同じ伯爵家の次男であるアルフレート=フォン=オイレンブルグは同年齢の幼馴染である。
私はこいつが大嫌いだ。
今まで一度だって好きだとか好ましいとかの態度も言ったこともない。
絶対ないと言い切れる。
なのにこいつは私がアルフレートを好きだと勘違いしているのだ。
こいつの頭の中はねじが四本くらい抜けているとみている。
いったい誰が何を言ったのか、こいつは自分が私と結婚して自分がヘルトリングの領主になると思っているのだ。
勘違いも甚だしい。
何度も言うけれど、この国は長子制で、女でも後継になれる。
もちろん内々の婚約なんてしてないし、将来の伴侶にこのバカを選ぶことは無い。
まかり間違ってこのバカと結婚したらうちの領民がかわいそうだ。
バカの口出しと浪費の結果、うちの領民たちの生活が苦しくなるのは火を見るより明らかだしね。
領主の結婚は領民や領地のために役に立つことが望まれると思う。
恋愛感情も大事だけど、まずはそっちを考えたいと思うよ。
何度も言っているのに、なのにこのバカは自分が私の結婚相手になると思っている。
「アニエスのようなじゃじゃ馬は、俺以外の誰が手綱を握れると思ってるんだよ。好みじゃないけど、隣のよしみで俺がお前と結婚してやるから安心して子供を産めよ」
と阿呆な発言を繰り返していて、私を含むうちの家族全員から蛇蝎の如く嫌われている。
うちの家族のだれもこいつの言うことを認めていないのに、なぜかオイレンブルグの家ではこいつの言うことを真に受けていやがる。
父様、友達ならまずはオイレンブルグ伯爵の頭をぶんなぐってくれないかな。
当然、10歳を過ぎたあたりから不穏な発言を繰り返すバカを、祖父母や両親は警戒してこのバカをうちの領地や家に招くことはしてない。
なのに、来る。
親にくっついて来たり、護衛を連れてフラッと来たりする。
その度に門番のフランツ爺ちゃんがブロックして、侍従のヘルマンやクーノが拘束して、送り返しているにもかかわらずだ。
もし私に何かして傷物にしたから責任を取るなんて言いがかりをつけられても困るしね。
だけど、春からの学園でこいつと一緒になるんだよなぁ。
不安だった。
当然家族も不安視していた。
というわけで、昨秋からこのバカ対策で、護身術を学ばされた。
いや元々護身術の授業はあったのだけど、学園に入る前からはバカを想定しての特訓を受けたのだ。
バカに何かされそうになったら。
一つ、迷わず殴る。
二つ、迷わず股間を蹴り上げる。
三つ、どれだけ走っても逃げられるように持久力をつける。
この三点を徹底的にやらされた。
殴る蹴るは何とかなった。
バカ相手なら躊躇せずに殴りつけられるし、場所が嫌だけど蹴りつけられるようになった。
一番嫌だったのは持久力の問題だ。
前世の中学校であれだけ嫌だったマラソン大会の練習を毎日繰り返させられたようなものだ。
マラソン大会の練習って言うのが一番嫌だったんだよね。
特に冬に向かってだんだん寒くなる時期に、走るって何の嫌がらせって思ったもん。
でも先生の、走って逃げられる力が無ければ、あの方に無体を働かれて、あなたの将来はお先真っ暗ですよの一言で頑張ったよ。
頑張った挙句に、ぶっ倒れて前世を思い出してあのバカに対する気持ちが一気に振りきれたね。
絶対にあのバカだけは避ける。
普通の貴族の子女は大抵の場合小さいころから家庭教師をつけられる。
日本だったら小学校中学校と教育機関に行くのだろうけれど、そこは貴族。
マンツーマンの家庭教師って結構辛い。
先生一人に生徒一人って逃げ場がないので、マジで勉強したぞ。
元々後継者教育もあったから、勉強漬けの日々はそれほど問題ではないけれど、一対一は厳しいわぁ。
領民の子供たちは、幼年学校というものをいくつも作ってあるのでそこで読み書き計算は一通り学べる。
ついでに領地の地産地消も兼ねて給食も出したから、就学率はほぼ100%さ。
元々領民に教育をっていう話はあったらしいけれど、私が漁港で売り物にならない魚は廃棄と聞いて、美味しいのだからみんなで食べたらいいんじゃないかと言ったことで給食付きの学校を始めたんだって。
前世の記憶が戻ってなかったけれど私えらい。
まずは一つ作ったら、あちこちでも話題になったらしく、農産物もたくさん集まってきたらしく、あっちこっちに学校を作ったらしいよ、父様が。
教師としての雇用も増えたし、給食のおばさんとしての雇用も増えた。
半端な農産物も、小魚も消費できると今でいうwin‐winだよね。
初期投資は必要だけど、雇用が増えれば税金も納めてくれるし、何よりも子供が安心して大きくなれるって爺様が喜んでいた。
読み書き計算ができれば、将来の道も広がるもんね。
それでお仕事してくれてたくさん納税してくれたらうちは嬉しいし。
初期投資なんてすぐに回収できるって、父様が言ってた。
春になって学園の入学式でなーんか見覚えあるなぁって思ってたら、この学校某ロマンスゲームの舞台じゃないかなってピンときた。
跡取りがいない男爵家の後継として迎えられた親戚筋の女の子が何人かの攻略対象の高位貴族の子息とイチャラブを行うというものだったはず。
その子は誰か一人を選んで学園卒業後結婚して幸せに暮らしましたって言うストーリーだったはずだけど、あれには逆ハーは無かったはずだし、何よりも婚約が認められていないのだから悪役令嬢も婚約破棄もなかったんだよね。
地道にただひたすら勉強して、運動してマナーを身に付けて、自身の力を底上げして、攻略対象といちゃいちゃするだけのゲームだった。
もちろん課金もあった。
お金払って購入したアクセサリーを身に着けると、学力が上がったり、運動能力が上がったりした。
でも、私は地道にスケジュール立てて、せっせと地力をあげたのさ。
駆け引きとか面倒なことがなかったので、暇つぶしにするにはいいゲームだった。
世間の評判は良くなかったけどね。
ロマンスゲームと言うのに、ろまんすが足りねぇと掲示板に書いてあったのを見たことがある。
複数人を駆け回る恋愛ゲームに比べれば、一人を狙ってそのために努力する三年間っていいと思うだけどなぁ。
自分でやってたんだもん、だったらそのロマンスゲームのスチルを生で見たいなって思うでしょ?ね、思うよね?
私は特別科という将来領主になるための勉強をするコースを選んでいた。
この学園ではトップコースのはずなのに、なんでアルフレートがいるんだ?
次男だぞ、あいつ。
クラスメイトは30人。
王族の王太子殿下の第三王子のヘンリック、宰相の長男であるニコラウス=フォン=ヴィスターヴ、この国の最大の領地を持つホーエンハイム公爵家の次男フリードリヒ=フォン=ホーエンハイムの三人が攻略対象だと思う。
ヘンリックは将来臣籍降下するからの勉強だろうし、ニコラウスは領地を持たない家なのでどこかの婿狙いかまたは王宮仕官か、フリードリヒも婿狙いかまたは分家狙いかも。
クラスに入ってこの三人は固まって座っていたけれど、あの辺りだけキラキラしく美々しい。
それから、ぽつんと一人で座っているあのピンク色の髪の子は男爵家の後継として入ってきた子だと思う。
ヒロインちゃんだろうね。
先生が入室してきて挨拶が始まった。
どうやら黒板に書かれていた席順は、入学試験の順位順だったようだ。
なんと驚くことに私は廊下側の前から三番目。
つまりは三位だってことだ。
私の前には、ヘンリックとニコラウス。
私の後ろにはフリードリヒその後ろにピンクちゃん。
アルフレートのバカは窓際の一番後ろから二番め。
ブービーかよ。
有名どころのヘンリック、ニコラウスと続き、私が名乗り、フリードリヒと続いた。
ピンクちゃんの名前はグレダ=フォン=クロージングというらしい。
クロージング家は男爵家だけど、この国の西側に裕福な領地を持っていたはず。
夫人を早くに亡くしてずっと一人だった男爵様が弟の家の長女をその賢さを見抜き養女にしたっていう事だ。
本人はすごく勉強を頑張りたいと言っていた。
勉強だけじゃなくって運動能力も上げて、キチンとイチャラブを見せて欲しいなあ。