第三十六話「代用品」
カピリジナの一角。
とある剥製店にて、ガエタノはしきりに首をひねっていた。
「おかしいなぁ。絶対オレのとこへ来ようとすると思ったんだけれどな」
言葉の割に、窓から外を見張るかたわら、のんびりエスプレッソを口に運ぶ。
エヴァンは炭のように浅黒いくせっ毛がはねるのを忌々しげに睨む。
ルカヤはまだガエタノの真意を知らない。
ガエタノの提案だった。
いくら工夫すれども、しょせん一般家である。
虐待によって徹底的に自尊心を損なわれているが、気性は相当に粘り強い。
いつかは家を抜け出してしまうのはわかっていた。
実家が頼れない以上、助けを求めてガエタノのもとへやってくるのが妥当だと思われた。
だというのに、ルカヤは一向にやってこない。
早く探りをいれて迎えに行くと怪しまれる、といわれて我慢した。もう限界だ。
四日目とくれば、命も危ぶまれる。
苛立ちに、つま先でトントン床を慣らす。
「おいテメー、適当いってんじゃあねぇだろうな」
「やめてくれよ。オレは将来、オマエさんの子を取り上げるかもしれねえ男だぜ。信用してくれ」
飄々と振る舞うガエタノにエヴァンの形のいい眉があがる。
すうしゅんののち、溜息ひとつで彼に背を向けた。
この数日でエヴァンは何度かガエタノの胸ぐらを掴んだ。ガエタノは一度として友人と冗談を交わしているような態度を崩さなかった。
エヴァンでも学習する。ガエタノに脅しの類いは無意味だ。
「大したやつだぜ」
「そりゃどうも」
「で、そのたいしたやつが思うに、ルカヤはどうしてる? 俺を避けて電車を使わなかったのなら、徒歩で移動したのか? だったら遠くには行ってねえハズだが」
「ルカヤちゃんは接する人間も限定されていたわけだし、そのなかで一番信用できる人間ってどう考えたってオレだろ?」
「…………」
「オマエさんの家から逃げたら、間違いなく来ると思ったのに」
「なにかあったってことか?」
「間違いねえな」
ガエタノは髭剃りたての顎をさする。
「考えられるのは、あー。見知った奴に声かけられたとか? オレはカピリジナに住んでるから、あっちで会ったら不自然だと思ったわけで。カピリジナにいてもおかしくない顔見知り? そんな子いたっけなあ」
指折り数えて候補をあげるガエタノを眺め、エヴァンはおもむろに携帯をだす。
「お。こころあたりでもあるのかい?」
「ああ。前々から怪しいと思って見張ってた。気に入ってたから残念だ」
「嘘つけ」
エヴァンが冷たく澄ました顔で番号をおすのを、ガエタノは無味乾燥にケラケラわらった。
数回のコールを置いて、電話の相手と繋がる。
エヴァンはスピーカーモードにすると、挨拶もそこそこに本題をぶっこむ。
「よぉ、アリーゼ。俺の妹が世話になっているみてえだな」
『いきなりね。なんのこと? わからないわ』
「近々迎えにいく」
『あたしの家も知らないじゃない。あなただって教えてくれなかったんだから、お互い様よね。来たところで妹さんに会えないでしょうけれど』
「前に指輪をやったよな?」
スムーズだった受け答えがとまる。
「居場所ならもうわかってるんだぜ」
『しつこい男は嫌われるのよ』
「情熱的なんだよ。これから可愛い子猫ちゃんに会いに行くから、そこで待ってな」
『……こっちからいくわ。だから来ないで』
ぷつっと通話が切れる。
ガエタノが携帯をのぞきこもうとしたので、エヴァンはすかさず、虫をはらうように手の甲でのけた。
「うまくいくかね」
「あの女にひとりで誘拐なんかする冷酷さはねえよ。誰かのためってなら別として」
「成程ね」
「持ち物がよかった。親が金持ちなんだろう。そのあたりか」
「ホームレスか悪ガキあたりに金を渡せば、人手には困らねえか。怖いねえ」
「とにかくだ。一刻も早くルカヤを取り戻さなきゃならねえ。いくぞ」
メールをうち、集合場所を指定する。
エヴァンは「オレもご一緒していいの?」とうそぶくガエタノの首根っこを掴み、善は急げとばかりに出て行った。
◇◆ ◇
エヴァンがアリーゼを呼び出したのは、人通りのない薄暗い路地だった。
通路の隅にはポイ捨てされたゴミが異臭を放っている。
雨にうたれてヨレヨレの煙草や紙袋。みすぼらしい光景に似合わぬ可憐な靴が、日の届かないレンガの影を踏む。
「わかってはいたけれど、酷い男ね」
伏せられた長いまつげのしたからは、感情を読み取れない。
言葉ばかり嘆くアリーゼに、エヴァンは容赦なかった。
「親父に電話しな」
「嫌よ」
「やらなきゃここでテメーを殺す。そう伝えろ」
単刀直入なエヴァンに、アリーゼはもう一度「酷い男」とこぼす。
「無駄だわ。せっかく手に入った、ホンモノの娘になれるかもしれない子なのよ。あたしのためにチャンスをフイにするわけない。ここにきたのも、それがわかっていたからよ」
「そんなに賢いのなら、俺がわざわざテメーをここに呼んだのは、一方的にそっちの家に押し入って、うっかりルカヤを巻き込まないためでしかないってのもわかってるんだろうな?」
曲がりなりにも恋人だったとは思えない応酬に、ガエタノが気まずそうな苦笑を貼り付ける。
それでもエヴァンは何年もアリーゼの恋人だったのだ。
彼女のことは、手に取るようによく知っている。
「いいわ。やるといい。身代わりでも、あなたと過ごした時間、満更悪くなかったから。あなたに殺されるのなら、お父さんの役にもたてるし、なかなかのしめくくりよ」
「これだから、物わかりのいい優しい女ってのは厄介だ」
静かに、そして強硬なアリーゼに、エヴァンはわざとらしく溜息をつく。
「だったら試してもいいだろう。どうせダメだってんならな。それに、俺ぁうまくいくと思っていってるぜ」
「戯れ言を」
「ちったぁ期待してんじゃあねえか? テメーは他の犠牲になった娘たちとは違う」
アリーゼがじっとりとまばたいた。
星がこぼれる音がするようだ。同時に、ついあふれでそうになる情動を押し殺し、隠そうとするようでもあった。
エヴァンは数歩うしろで手持ち無沙汰にたっていたガエタノに話を振る。
「他の娘はみんな死んだ。そうだろ、ガエタノ」
「ああ。用無しになったからか、躾のやり過ぎかはわからんが。生き残りがいないのは、素敵な赤毛のお嬢さんが一番よく知っているはずだ」
「だったらあるかもしれねえだろ。なんの情もねえ赤の他人と暮らし続けられるわけがねえ。テメーのことも、単なる代用品でなく、大切な家族だと思ってる」
「違う、手伝う人間がいるだけで」
ここにきて、初めてアリーゼが声を荒げた。
彼女の作り物でないほうの足が、二人から距離をとる。
それをガエタノが嗤う。
「おいおい。卑屈になっちゃあ可哀想だぜ、お嬢さん。もしもパパがオマエさんを愛していたら、そんな残酷な言葉はないだろうよ。可愛い二人の娘のうち、ひとりは死に、もうひとりは愛をわかってくれないなんてなぁ~」
「わかってんだろ。別に、もう代用品はいらないんだ、っつう自暴自棄だけでここにきたわけじゃあねえ。俺達にこう言って欲しかったんだろう。背中を押して欲しかったんだろ? このまま尽くすだけで終わって、本当に後悔はねえのかってよ」
エヴァンの腕がアリーゼの肩に回る。
身動きがとれない彼女のすきをぬい、ガエタノが流れるような動作で、アリーゼの鞄から携帯を抜き取った。
そしてエヴァンはアリーゼの手のうえから包み込むようにして、携帯をしかと握らせた。
「電話を、かけろ。死ぬ前に、テメーの父親の愛を確かめな。何年も育み続けてきた親子愛を信じたいのなら、やれ。最後の最後ぐらい、ワガママを聞いてもらう側にまわるんだ。いいな?」




