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第三十三話「肖像」


 車から降りる。

 外界はすっかり夜の帳が覆っている。

 空には星がベルベッドにばらまかれた金砂のようにきらめいていた。


 乾いた風は心地よい。

 爽やかな夜に、ルカヤの背筋に冷たく硬い銃口が押しつけられる。


「アリーゼさん。どこでそんなもの」

「お兄さんだって持ってるじゃない。いいから行って。お願いよ、首を長くしてあなたに会いたがってた人がいるの。夕食までに間に合わせなくちゃ」


 アリーゼは冷淡にルカヤを急かす。

 冷たさが、如実に「ルカヤには拒否権がない」と教えてくる。

 威圧的になりすぎないよう、決して声を荒げず、端々に奇妙な気遣いが見て取れるのがかえって怖い。


 アリーゼに案内されたのは、一見普通の一軒家だった。

 普通といっても、ルカヤの住んでいた家と比べると邸宅といっていい代物である。

 庭は余裕がある。四輪車が数台おけるだろう。

 家を一周している囲いの外をいれれば、相当な敷地面積だ。

 近所にひとけはなく、スラリとした樹木がぽつぽつと影を落としている。


「走れないのはわかってる。逃げようと思っても無駄。くれぐれも撃たせないでね」


 急かされ、ルカヤは渋々邸宅に足を踏み入れた。

 なかも広い。大人しいキャメル色のカーペットがルカヤたちを出迎えた。

 天井には丸い大きな照明がある。室内が真昼のように明るい。


「二階にあがって。あなたの部屋まで案内するわ。そこで着替えるの」

「わたしの部屋?」

「あとで説明する。とにかく今は夕食よ」


 階段をのぼると、長い廊下に出た。

 似たドアが幾つも横一列に並んでいる。いかにも金持ちの家だ。

 アリーゼは迷わず真っ直ぐに、ルカヤを真ん中の部屋に入らせた。


 ドアには木製の看板が下げられていたが、裏返しにされていた。

 恐らく部屋の主の名前が書かれた看板なのだと思うのだが。

 入ってみると、真ん中の部屋は子ども部屋らしかった。

 ベッドとクローゼットは大人用にあつらえられているものの、家具の色は淡いピンクが中心で、デザインもファンシーだった。若い女の子の部屋みたいだ。


「クローゼットを開けて。服が入ってるわ」

「き、着れなかったら? わたしの服のサイズ、知らないでしょう」

「気にしないでいいわ。この日のため、すべてあなた用に新調し直したの。好きな服を選んで」


 アリーゼはにこりともせず断言する。

 ルカヤはいよいよ恐怖に凍りつく。

 激しい混乱でどうにもならなかった。

 ルカヤは動かないあたまでクローゼットを物色し、一着を選んだ。


◇◆ ◇


 ルカヤが選んだのは、ペールレモンのトップスに、シナモン色のフレアスカート、海松色の細いベルトだった。

 ひとのもちものを身につけるのは落ち着かない。それに衣服の見目が若干趣味とはずれる。

 クローゼットのなかはワンピースやスカートばかりで、男性的どころか中性的な服装も少なかった。

 大人の女性らしい服ならば結構な数揃えられていたが、ルカヤにとっては可愛らしすぎた。

 これが見繕える限りで、ベターに甘ったるくない服装だ。


 そしてアリーゼの言うとおり、完璧にサイズが合っていた。

 着心地もバツグンで、味わったことのないシックリくる着心地である。


 着替えたルカヤは食卓に通された。

 ドラマで見るような豪華なリビングだ。

 テーブルクロスのかかったテーブル近くには、立派な暖炉まである。


 ルカヤがリビングに通された時、ひとり先客がいた。

 髪には白髪がまじっている。

 老年にさしかかった男性である。

 

 兄が好むような上質な生地を用いた衣服で全身を包み、重く積み重ねた加齢による威厳があった。

 落ちくぼんだ目は年齢に見合わぬ生気で爛々と光って見えた。

 彼の目力といったら、ベートーベンの肖像画にも負けるとも劣らぬ。


 老人はルカヤに目をとめると、険しかった両の目を大きく見開いた。

 身じろぐルカヤに釘付けで、ぴくりとも動かない。

 穴が空くほど凝視され、冷や汗を垂らすルカヤを前に、老人はかすれ声で名を呼んだ。


「フラヴィア……?」


 違う人物の名で呼ばれ、動揺したルカヤは一歩後退する。

 されども、ルカヤを見張るように後ろをとるアリーゼに押されてしまう。

 転びそうになりながら老人の眼前にたつ。


 わけがわからないまま老人に近づけられ、見つめ返すルカヤに、彼は皮膚のたるんだ腕をのばした。

 ルカヤはアリーゼに監視され、身動きできない。

 ほぼ強制的に、老人に合わせ身をかがめる。

 なにをされるのか予想がつかず、心臓がばくばくと暴れた。


 枯れ枝のような指が頬を通り過ぎ、ルカヤの垂れたひとふさの黒髪を掴む。

 ガラス細工に触れるような、恐る恐るとした動作だった。

 感触と色を確かめるように、様々な角度で眺められる。

 やがて老人は、感極まったように破顔した。


「ああ、間違いない。彼女はフラヴィアだ」

「え……? あの」


 思わず人違いです、と言いかけたルカヤを、アリーゼが小突く。

 アリーゼは弾んだ声で老人を肯定した。


「ええ、そうですよ、お父さん。あのバス事故からフラヴィア・ペンタがかえってきたんです。彼女こそフラヴィアに違いありません」


 無理矢理明るく染め上げたような、空虚な言い方だった。

 老人はアリーゼの演技に気付かない。何度も頷いて、「そうかそうか」と涙を流す。


「フラヴィア・ペンタ?」


 ルカヤは置いてけぼりにされるなかで、自分ではない誰かの名前を呟き返す。

 何故だ。懐かしい(・・・・)。聞き覚えがあるのだ。


 老人は二人の娘の様子を顧みず、高らかに万歳をした。

「さあ、今日はお祝いだ。娘が数年ぶりに帰ってきた! ご馳走だぞ」

 アリーゼはルカヤを誕生日席に座らせる。

 湯気のたった豪勢な料理が次々とテーブルに並べられるなか、ルカヤは記憶を掘り返す。

『フラヴィア・ペンタ』の名をどこで聞いた?


 思い出したのは、バス事故以前――ジーノと付き合い出す前にさしかかったところだった。

「そうだ、フラヴィア・ペンタ」

 あまりにもささやかだったから、すっかり忘れていた。

 なにせルカヤは本人と会ったことすらないのだから。

 彼女の名前をいったのは、兄の暴力事件によってクラスメイトに距離を置かれる前。

 ルカヤの髪が綺麗だといってくれた少女たちが、髪を結ぶさなかに混じっていた名前だ。


(あの子たち、わたしの髪を褒めて、いってたわ。『あなたみたいな綺麗な黒髪は、この学年だと、あとひとりしかいない』って」


 フラヴィア・ペンテがそのひとりだった。

 学年で一、二をあらそう美しい黒髪の女の子。

 そしてあのバス事故で、死亡した少女の名でもあった。


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