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第二十話「触れ方」

 ガエタノが卒業して四ヶ月。

 ルカヤの成績は見事に落ち込んだ。

 ガエタノと学んだ問題に近いものはともかく、新しい部分はつまづきの連続だった。

 気付けば再び置いていかれそうになっている。


(電話、しようかなあ)


 試験結果を見るたび、携帯をぱかぱか開く。

 中学の頃に比べ、使わなくなった携帯は、いつのまにか両親からの連絡もすっかり入らなくなった。

 何度も悩んで、まだガエタノに頼るか、決断できずにいる。


 今日は休日。

 かつての勉強ノートは見返しすぎてヨレて、本来の厚さより膨らんでいる。


「ううん。ようやくここ、完璧に回答できるようになったけれど……前回のテスト範囲だよねえ」


 ガエタノにも要領が悪いと忠告された。

 こった首筋をほぐそうと肩をまわす。

 その時、玄関のインターホンが鳴った。

 この家でチャイムを鳴らすものは、郵便配達員以外、家族しかいない。


「兄さん?」


 エヴァンは出かけの予定があるといって、朝早くから家にいなかった。

 時計をみれば、午後の七時。

 半日近くかけて、用事を済ませていたらしい。


 リビングに向かうと、ソファに寝転がっている兄の姿があった。

 ダークスーツのボタンを外し、額に手の甲を乗せている。

 かなり疲れているらしい。

 楽しそうな気配はなかった。友人と遊びに行ったとかではなく、仕事関連だったのかもしれない。


「だいじょうぶ?」

「ああ……わりぃ、ちょっと今日は夕飯作れねえかも」

「いいよ。おなかすいてる?」

「おう」


 つまめるものでも作ろう。

 ルカヤはソファに寝転がる兄の前髪を整えてから立ち上がった。


「上着、脱いでおいて。しわになっちゃう。お夕飯、マカロニかパスタでいいよね。トマトと合い挽き肉が余っていた気がする」


 ワインも出して、グラスとともにテーブルに置く。

 離れようとして、ルカヤの腕が捕まれた。


「ルカヤ」


 低くかすれた兄の声に肌があわだつ。


「聞いたんだがな。ここ一年、女の誘拐事件が相次いでんだと。被害者はホームレスに娼婦だっていうんで、警察はまともに調べちゃいねえが。物騒な話だよな」

「え、うん、まあ。聞いたことはある。都市伝説になってるみたいだね」


 ルカヤのそれより随分大きな(てのひら)がやんわりと、しかし女性をとめるためには十分な力強さで手を離さない。


「危ねえよな」

「うん……」

「なあ。例えば、あいつ。まだ付き合ってんのか」

「え、誰……」

「ガエタノって野郎だ。あいつはよくねえぞ。やめときな」

「な、なんで?」


 ガエタノが卒業したとは、まだ伝えていない。

 兄はまだ勉強会が続いていると思っている。

 確かに煙に巻くような態度をとる人だが、親切な人だ。危険人物呼ばわりされるいわれはない。

 流石に眉をひそめる。


「なんでそんなこと。いくら兄さんでも、疑いすぎだよ」


 エヴァンはぽつりと言う。


「あいつ、俺に近いもんがあるからよ」

「……だったら、いいんじゃないの?」

「そうかよ。それでいいんだな? お前の返事は」

 

 ルカヤは頷きも、首をふりもしなかった。

 ソファに倒れ込んだままルカヤを見上げる青い瞳は風邪をひいた時のように熱っぽい。

 怠そうな瞼と反対に、吸い込まれそうな青が妙にギラギラと生命力に輝いている。

 ふう、と疲労を吐き出すように息をつく。


「来な」

「え?」

「疲れてんだよ。休もうぜ。お前だって毎日勉強漬けでたまってんだろ。昔みてえに仲良く二人で寝ようじゃねえか。たまには昼寝ぐらい、なあ?」


 ルカヤから目を離さないまま、エヴァンは自分の方へ腕を引く。

 強引だが、抵抗できない強さではなかった。

 まるで甘噛みを楽しむ獣のようだ。


 二の腕を掴んでいたかたい手はするすると下がり、ルカヤの細い手首をぐるりと囲む。

 エヴァンの親指の腹が青い静脈を薄くさすった。思わせぶりに、皮膚に触れるか触れないかのようなほんの表面だけを。

 強気な微笑はいつものことなのに、唇の片側だけあげる様子に腹の底がぞわりと蠢く。


――離れなくては。

 本能が警鐘を鳴らす。

 理由はわからなかったが、ルカヤはあえて浮かびかける理由から目をそらした。


「昼寝には遅すぎるでしょう。ちゃんとおなかくちくして、お風呂入って、寝よ。つくってくるから。ほんと、いますぐに」

「……そうか。ありがとな、助かるぜ」


 ソファに連れ込もうとする兄から身を引けば、意外なほどあっさり解放される。

 エヴァンは離した手を自分の枕代わりに頭のしたへ敷きながら、天井を向いて瞼を閉じた。


「……そんなはずは……」


 きっと疲れているせいだ。

 たまたま近くにルカヤがいたので、どことなく過去の女性と重ねてしまったのかもしれない。

 見えないようにエヴァンに背を向け、心臓を抑える。

 今までなかったエヴァンの態度にひどく心がざわつく。

 あんな目、あんな触り方は、まるで。


 ルカヤが自立を改めて意識したのは、この夜だった。


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