第一話「うまれたときのはなし」
ルカヤは思う。
どうしたらもっと上手に生きられたのか、と。
彼女が踏んだ失敗と不幸は数多くある。
そのなかであえて、最たるものを指し示すならば。まず祖母の孫として生まれたことだろう。
ルカヤの生まれた国では、金髪碧眼が理想の美形とされている。
兄であるエヴァンはまさに理想の具現のような少年であった。
実り豊かな小麦のように輝く髪。
日の差した海の一番深い底のような瞳。
容貌も優れていた。
下がった目尻と重たい瞼と対照的に、強気な光を宿す瞳は、幼いながらに危うい魅力があった。
対するルカヤは黒髪。
瞳の色こそエヴァンと同じだが、美女の条件にはいまいち届かず。
それが祖母にはたいそう不満であったらしかった。
「あんたが生まれる前から、あたしは鼻を高くしていたっていうのに。誰もが羨む兄妹だろうと楽しみにしていたんだよ。それがなんだね」
齢四つのルカヤに、祖母は何度も言い聞かせた。
そもそもこの国では金髪は当たり前ではない。
むしろ兄妹が生まれ育った土地では黒髪の子どものほうが多かった。
生粋の金髪碧眼とくれば天然の宝石の如く貴重な存在だ。
先に宝石の息子が生まれたことで、次は天使の娘だという期待があったのだろう。
かといって完全に身勝手な話だった。
両親もそれはわかっていた。
だが、祖母は既に伴侶である祖父に先立たれていた。
両親には老母を一人で暮らさせることはできず。
祖母がルカヤを責めていると、決まってこういった。
「おばあちゃんはお年寄りなんだから、大事にしてあげてね。ルカヤはイイコだから、それぐらい我慢できるでしょう?」
ルカヤからすれば理不尽極まりない。
心のなかで頬を膨らませ、内心怒っていた。
どうして両親は、娘であるルカヤを祖母から守ってくれないのか。
それでもルカヤは言われたとおり、我慢した。
両親からすら否定されるのではないかと恐かったのだ。
こういった家族関係の影響は、当然、エヴァンにも影響を与えた。
両親が「妹と遊んであげて」とエヴァンにルカヤを押しつけると、彼は決まって顔をしかめた。
ルカヤがめげずに兄におもちゃを差し出せば、
「うぜえ。どんくさい。ぶす」
祖母の寵愛を一身に受けていたエヴァンからすれば、劣った妹を見ているとイライラした気持ちにさせられるのだろう。
エヴァンに冷たい言葉を投げつけられるたび、わんわん泣くルカヤは「泣き虫ルカヤ」と呼ばれた。
家族に頼れる味方がいない。
ルカヤの心は幼くしてひび割れ始めていた。
美味しい食事を与えられ、殴られることもなく、怯えずに寝床に入る。
逆に言えばそれだけの日々。
だが祖母が兄に与えていた愛は、愛玩に近しいものだった。
エヴァンという少年が欺瞞に気づいた日。
日に日に植物のように口をつぐんでいくルカヤの生活に一筋の光がさした。
エヴァンは甘やかされたためか、過剰な自信家であった。
増長とすらいえる揺るぎない自信は、彼にたぐいまれな行動力と自負という美点を与えた。
しかし、この行動力と自負は、同時にエネルギーを惜しむということをさせない性格にもさせた。
一度これと決めると、誰がなんといおうと酷く執着するのである。
これを妨げれば、エヴァンは非常に不機嫌になった。
貝のようにだんまりを決め込むか、ふきあがった火山のように不満を主張して暴れまわる。
ある日、祖母がお気に入りの腕時計を捨ててしまった。
エヴァンが外で泥遊びをしている間に、適当なゴミ箱に投げ入れてしまったというのだ。
祖母だってエヴァンの気性は知っていたというのに。
「なんで勝手に捨てたんだよ!」
ルカヤがリビングでおやつのプリンを食べていた時だ。
祖母もリビングにいて、テレビを見ていた。
エヴァンは隣の椅子に座り、本を読んでいた。
つまらなそうにページをめくっているエヴァンに向かって、ああそういえば、と腕時計について呟いた。
エヴァンは、またたきの間、理解できないとばかりに口を開け、怒鳴った。
耳元で叫ばれたルカヤは反射的に縮み上がる。
怯えるルカヤに見向きもせず、エヴァンは椅子から飛び降りて、祖母に駆け寄った。
「なんで!?」
更に食ってかかるエヴァンに、ルカヤは祖母と兄を交互に見やる。
下手に口をだせば叱られる。息を殺す。
テレビで気になるシーンが終わり、祖母はやっとエヴァンに振り向いた。
ルカヤには数時間にも思える数秒だった。
「だってもうベルトがクタクタだったじゃない。みっともない。どうせ安物だし、もう使ってなかったでしょ?」
「いらない。いいとか悪いとかどうでもいい。あるだけでよかった。綺麗な飴色で好きだったのに。捨てたら急に見たくなった時に見れない!」
エヴァンは一等お気に入りのものは、壊れても、気が済むまでとっておく。
存在を思い出すと、同じようなお気に入りをしまった引きだしから取り出して、何をするでもなく手に取って眺めるのが好きだった。
「いいじゃないの。おばあちゃんがもっといいものを買ってあげるから」
「それはぼくの時計じゃない!」
「大丈夫大丈夫。あれよりうんと似合うやつよ。身につければすぐ気が変わるわ」
感情が極まり、エヴァンの青い目から大粒の涙が落ちる。
祖母は泣きわめくエヴァンを置いて、ハイハイと適当に聞き流し、別の部屋に移動してしまった。
「父さんが買ってくれた時計なのに……」
ルカヤの目の前だというのに、はばかることなく涙を流す。
生意気というに相応しい兄のこんな姿は初めて見た。
ルカヤは激しい動揺と同時に、誕生日に買ってもらったテディベアを不細工だと言われた時のことを思い出す。
(わたしだって大事なモノをばかにされたとき、すごく悲しかった。捨てられなんかしたら、どんなにか悲しくて悔しくてならないだろうなあ)
だからルカヤは震える声で、エヴァンに呼びかけた。
「お、お兄ちゃん……あの、ゴミ箱……さがす?」
「……何? バカにしてんの」
赤くなった目元をこすりながら睨まれる。
ルカヤまで泣きそうになるのを堪えて、言い直す。
「おばあちゃん、ゴミ箱に捨てたっていってた。お兄ちゃんが遊んでたときっていってたから、今日とか昨日でしょ」
「…………」
「だからまだ、家中のゴミ箱とか、ダメだったら家の近くのゴミ箱とか探せばさ、見つかるんじゃないかなあって」
「探しにいけってか」
低く呟くエヴァンに、ルカヤは目を丸くしてしまった。
どうしてそう思ったのか、わからなかったからだ。
「いっしょに探すよ?」
「……本気でいってんの?」
「ひとりじゃたいへんだもん。わたしだったらヤだな。わたしと一緒にいるのがイヤっていうのなら……ごめん……」
もじもじとするルカヤに、今度はエヴァンが戸惑う。
「なんで」とか「お前のほうがイヤだろ」とか口ごもる。
やがて彼は俯きながら、「ごめん」と言った。
「おまえはうざくなんてない。どんくせえけど」
「え……あ、ありがと」
「礼なんかいうな。バカ」
その日の午後いっぱいをかけ、エヴァンとルカヤはゴミ箱というゴミ箱をあさってまわった。
家のなかはダメ、裏もダメ。一番近いゴミ捨て場もなし。
それでも諦めきれず探すうち、門限を少し過ぎてしまい。ようやく二人は目当ての時計を探し出した。
ただ、時計は近所の公園にあった。缶ジュースや煙草が無造作に押し込められたゴミ箱のなかを掘りだしたので、兄妹揃って服が恐ろしく臭ってしまった。
すっきりした笑顔で帰ると、心配していた両親に二人揃って雷を落とされた。
案の定泣きはらし、落ち込むルカヤだったが、翌日から兄に変化があった。
だんだんルカヤに話しかける頻度が増え、優しくなっていったのである。